喇叭
アーゼン地区駐屯地の演習場に設置されたホワイトボードには、この地区と壁を隔てた向こう側の地区を記した地図が掲げられていた。
それを囲むように兵達が座り込み、その集団に囲まれているのがジークだ。
「連中が仕掛けてくるとしたら、恐らく、此処か、此処だろう。
此処の壁を爆破すれば、労働者の多い工場地区のトラックが使う大通りに出る。
そこから無差別攻撃という訳だ」
ホワイトボードに、ジークはとある数字を書き込むと、皆が顔を顰めた。
戦闘が起きたと仮定した上での、推定死者数だ。しかも、戦死者に何人の子供が含まれるか、どういう死に方で死ぬか、等かなり生々しく内訳が書かれていたからだ。
だが、その分、リアリティも増す。
ジークの淡々とした口調は、まるで今、そこに冷酷な戦場が広がっているかのような感覚をもたらした。
「壁の向こうのカス共は、国も、碌な装備も無いが、定められた交戦規定も無い。民間人を幾ら殺しても誰にも咎められない。
しかし、勇敢に身を挺した所で、敵を一人も倒せずに死ねば、それは軍人としては無駄死にだ。
こういった事態に、最も有効な手段は待ち伏せだ。
身を隠すガレキなら、奴らが自分達の爆弾で勝手に作ってくれるさ」
「……成程、あの妙にきつい姿勢でやる射撃訓練はその為だったのか」
「11番通りから13番通りも注意しといたほうが良いかと。
あそこの、工場メンテナンス用の地下通路から、入り込まれると厄介かと」
ホワイトボード上の地図に、次々と戦況をシミュレートする線が書き込まれていく。
そして、兵達は何度も地図上での戦死を経験していく。
通常、こうした机上訓練は指揮官だけで行うものだが、ジークは全員を参加させ、多くの意見を集めた。
そして、仮想実戦を経験することで、ジークが彼等に課していた訓練の意味がストンと理解できた。
こうして、部隊隊内でのジークに対する評価は、エミリーが夢中になってるいけ好かない男から、確かな実力を兼ね備えた誠実な指揮官へとグレートアップしていった。
だが、その様子を冷笑しながら、見ているものが居た。
リストニアが宰相、ニムバス・アイロットの直属の部下だ。
彼等は、ジークの定期的な監視任務に就いていた。
そして、やはりあの男は大したことが無いと確信した。
「ふふ……此処での働きを宰相閣下が、評価して下さるという言葉を本当に信じているよ、あの男は。 見てみろ、薄汚い連中に必死で教鞭を振るう姿を」
「笑ってはいけませんよ、彼の中では、一生懸命やる者が報われると思っているのですから。
我々、上流階級エリートとは違う下等生物……所詮は平民なのです」
「ククク、違いない……」
二人の監視人は、チェックリストにただ異常無しと書き込むと、早々と岐路に付いた。
だが、逆にその様子は、ジークに監視されていた。
最初から最後まで、ずっとの間。
この監視人たちは全くの素人だった。監視人としても、軍人として、親の七光りで、宰相直属の部隊に入れただけの男達だ。
もしも、この国の真の諜報部隊であるアリス本人、若しくはその部下の誰かが此処に来ていたら、ジークへの評価は違っていた筈だ。
惜しい。
もしも、アリスの試みが間に合っていたら……だが、時すでに遅し。
大勢の兵の意見を聴くのは、戦場に模範解答が無いことをよく知っているから。
逆に、兵達が自ら率先して意見を伝えられるというのは、既に指揮官としての地位を確立したから。
この時点で可笑しい。君主が囚われ、先行きはまるで不透明、絶望でおかしくなって居るのが自然なのだ。何故、この男は意気揚々と指揮棒を振っているのだ。
そもそも、あれだけ指揮を失っていた自国の軍人が他国の軍人に意のままに、嬉々として操られている。
これは明らかな異常事態だった。
射撃演習の為、兵達が解散し、一人、ジークは無表情で黄昏の空を見上げていた。
聳え立つコンクリートの壁から、カラスたちが飛び去って行った。
「材料の下ごしらえは出来た。
あとは地獄の窯で焼きあげるだけだ。
――さっさとしろよ」
ジークは口角を上げた。
……ついでに、もう一つ。
最近、この部隊は壁内部のパトロールを実施していない。
◇
翌朝の早朝。
「・・・・・おはよう、ジーク少佐。
いつも、君は朝早いが、今日は特に早いな」
エミリーは、壁を見上げているジークに背中越しから声をかけた。
だが、ジークから返事は無く、ただただ空を見上げているだけだ。
「空を見ているのか……?
何かあったのか?
……なんだ、カラスが群れを作るなんて珍しいな」
カァカァとカラスの声が響き、また大群が空へと舞いあがった。
そして、ジークは口を開いた。
「この駐屯地と向こう側を結ぶゲートを完全に閉鎖しろ。
そして……喇叭を鳴らせ、防衛地点Aに第一戦闘配備だ」
「……は?」
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