侵犯開始
アーゼン地区で起こった騒動の後、シルヴィアが居る囚われの塔にアリスが訪れなくなった。
密偵の為に、彼女個人の力で人員を動かすのは極めて難しいのだろう。
今も奔走しているに違いない。時すでに遅しだが。
誰も来なくなった塔、最上階の部屋。
だが、たった今、来客が現れた。
メイド服姿のエリーが来客に応じる為、窓を開けた。
そこには、平和の象徴である白い鳩が便箋をくちばしに挟んで、首を傾げていた。
「ありがとう、鳩さん。
はい、シルヴィアちゃん」
白い鳩に、黒い便箋……これが意味することは、忠誠心のある者から陛下への直通便ということだ。
礼を言い、便箋を受け取り中身を確認したシルヴィアは、いつもの様なにこやかな笑みを浮かべ、良く出来ましたと呟いた。
手紙の内容は、季節の挨拶と、近状を伝える内容、それからまた会いましょうといういたって何一つ可笑しい点などない普通の手紙。しかし、行間の開き、字体、インクの染み等で、巧妙に暗号化されていおり、一部の者だけには解読できるようになっていた。
「……騎士団一個部隊がこの近くに展開済みだそうです」
「はっやいね」
「はい、私の自慢の飼い犬ですから。
それに加えて――んんっ」
シルヴィアが更に言葉を紡ごうとした時、ふんわりとした雰囲気を醸し出していたエリーが、突如、鋭利な刃物のように鋭い殺気を放ち、シルヴィアの唇に人差し指を当てた。
エリーの視線の先には扉、扉の向こうに良からぬ気配を察したのだ。
静寂がややあって、その正体は入って来た。
二人の兵士だった。どうやら、いつものアリスの部下である警備兵ではないようだ。
「……何か、御用がありまして?」
「いえ、そろそろ着替えの時間なので、チェックを」
「今まで、着替えは扉の小窓から投入して頂きました。
監視なんて……私が女王という身分でなくとも、女性に対してデリカシーがないのでは?
どうしてもというなら、アリス・アイロット大佐をお呼びください」
「クク……大佐殿は今、居られません。
保安上、必要なことです。さぁ、お召し物をお脱ぎください」
下衆な笑みを浮かべる男二人。
シルヴィアとエリー、どちらも喉から手が出るほどに魅力的な女性だ。
だが、流石に手は出せないから、せめて着替えを覗きに来たのだ、このどうしようもない男達は。
先手を打ったのは、エリーだった。
「あ、あの……」
「何だメイド、お前の女体でも見せてくれるのか?」
「ち、違くて……その、これで許してください。お城の方々がよく吸ってて」
エリーが震える手で取りだしたのは、葉巻だ。
こんなもので、と男達は一笑しようとしたが、よく見ると相当上流階級御用達の銘柄では無いか。
「ふっ、中々仕事が出来るメイドをお持ちの様で……じゃ、一服……。
おお、こいつは凄い。やっぱり、違うな。なんだか、凄くて……空が、広くて」
だが、それを吸い込んだ男二人は、意識が朦朧とし始めた。
エリーはその二人の髪の毛を掴み、致命傷に成らない低度の強さで、二人の頭を机にぶつけた。
「ぶべぇ!」
「……いい?
貴方は軍人、階級は?」
「軍曹で、です……」
「そうなんだ、私は大尉」
「た・・・・・大尉殿ぉ!? 失礼しました、し、知らずにとんだ無礼を!」
「うんうん、私は貴方の上官、だから命令。
――この先、何もせずに突っ立っておけ、この案山子以下」
「はっ……はっ!」
二人の男たちはふらふらと持ち場に戻っていった。
「エリーさん、今のは?」
「ん?
ああ、あれは普通の葉巻じゃなくて、どこかの国が開発してた自白強要剤。
でも、作るのに失敗しちゃったみたいで。
自我が弱い人が打たれると、自我を失って、記憶がアヤフヤになるから、捨てられたんだって。
で、それをお土産でくれたのがジーク君」
「ええ……」
「とにかく、あの人が戻ってこない以上、此処は制圧したってことで
此処は女王陛下の領土、ばんざーい!」
◇
「ちっ……アイツは何なんだ!」
一方。
早朝、アーゼン地区の駐屯地で一人の青年が毒ついていた。
不満の矛先は、ジーク・アルトだ。
彼等の隊長を救ったのは、他でもないジークだが、それ故にそのヒーローに嫉妬するものも少なくなかった。
ジークが指揮官に付いて以来、彼らの訓練は不可解なものばかりとなった。
筋力トレーニング、やたらとリアリティのあるマネキンへの銃剣突撃、延々と複雑な射撃姿勢で的を狙う訓練、泥の中を匍匐したかと思えばそのまま持久走……楽な訓練から過酷な訓練へと行ったり来たり、何が目的かもよくわからない。
この青年は、皆を代表してジークに訓練内容の変更を望み、自分達の練度を示すべく、射撃訓練で決闘を挑んだものの……結果は惨敗だった。
だから、こうして早朝から特訓することにした……という考えに至ったのは、この青年が上官から煙たがられ、こんなところに飛ばされるほど馬鹿みたいに真面目だったからだろう。
が、演習場には、先客が居た。
「ジ、ジーク少佐……」
「なんだ、昨日の奴か」
ジークは青年の周りをぐるりと回ると、突然、彼のホルスターから拳銃を抜き取った。
「な、何をするんです!?」
「いや、どれ程のものか、気になったから」
きっと、愛銃を馬鹿にされる、青年兵は奥歯を噛みしめた。
だが、ジークは一通り拳銃を観察すると、指でくるりと回し、それを返した。
「文句の一つでも言ってやろうと思ったが……傷一つない。
滑らないように、グリップに切れ込みを入れたのも悪くないアイデアだ」
「……は? 」
「わかった、確かに基礎的なことは十分かもしれない。
昨日の件は考えるとする」
青年は訳が分からなかったが、一拍おいて、遂に上官から自分の実力が認められたと気づいた。
「し、少佐殿、いや、指揮官殿、ありがとうございます!」
背中越しに青年の敬礼を受けながら、ジークは歩き去った。
戦場では、正面の敵に警戒しなければならない。
だが、同時に自分の背中にも注意しなければならない。
上官が後ろから部下に撃たれる、そんなことは良くある話だから。
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