動物園

 ジークを含めた、女性隊長エミリー・アイロットが率いる部隊は、壁と隣接する駐屯地の頑丈なトンネル状の門を一つ、二つ、三つと潜り抜けた。

 すると、景色は一変した。


 壁の中は、汚いとはいえ、巨大な工場や中層住宅が建て並ぶ、近代的な要素を持つ都市だった。

 しかし、壁の外側は、とても近代的とは言えないものだった。

 良くて石造り。だが、殆どはトタンやその辺のガラクタを組み合わせて作ったような、とりあえず雨風を凌げるだけの住まいが杜撰に建ち並び、狭い路地は複雑に入り込んでいる。至る所から草木が芽生えて居て、この土地の本来の姿はこうだったのだと教えてくれている。


 ラッセル民を名乗る者達が住む町、ラッセル・タウン。正しく、スラム街だ。


 その街を行き交う身なりの貧しい人々は、壁の中から兵士が出て来たことに気が付くと、一目散に隠れてしまった。


「嫌われ者みたいだな」


「当然だ。

 ……行こう、我々の任務は此処に住まう武装勢力の偵察だ」


 ◇


 町の中央の方へ進んでいくと、よりこの土地の実態が見えて来た。

 風に流され、やってくる匂いは、壁の向こうから流れ込んできた工場の煙と仄かな大麻の匂い。違法薬物の栽培で収入を得ているらしい。

 そんなシビアな世界だ。争いも絶えない。

 道の至る所に薬莢や、血痕がこびりついているし、何処か遠くから、怪しげな機械の駆動音、それに断末魔のようなものも聞こえている。

 路地のど真ん中に、土嚢と機関銃が設置されている。入り組んだ路地、曲がった瞬間斉射されれば、ミンチと化すだろう。


 それだけでは無い、路地を取り囲むように立ち並んでいる住宅のバルコニーから、迷彩服姿の男たちが堂々と腕を組みながら、こちらを監視している。


「あれは、どうみても民兵にしか見えない。

 背中にライフルを背負ってるに違いない。

 殺るか――?」


「やめろ! ……やめてくれ、不安を感じるのは分かるが、今は拮抗状態だ。

 あちらから撃ってこない限りは、こちら側は撃てない。

 彼らを刺激するようなことを言うのはやめてくれ」


 ジークの呑気な問いかけに、エミリーは真っ青になりながら、首を横に振る。

 なんとなく予想はしていたが、こんなにも便利な武器が増えたのに、今の世界は随分と面倒なことをしているのだなと、ジークはやや落胆した。

 そんな会話が成されているとは、つゆ知らず、民兵たちはエミリーが率いるリストニア兵達の隊列を見下し、ファンタジーのゴブリンのようににやにやと笑っている。


 まるで、お前達なんて、俺たちの気分次第でいつでも全滅できるとでも言いたげな様子だ。

 リストニア兵達を、緊張と極度のストレスが襲う。

 しかし、やはり、この男は動じない。


「まぁ……悪くはない。いや、寧ろ貴重な体験だ。

 アイツもつれてくれば良かった。

 動物園なんて行ったことなさそうだし」


「……何を言ってるんだ、ジーク少佐」


「いや、手を叩いて笑うチンパンジーなんて絵本の中でしか見たことが無かったからな」


「チンパンジー……?

 っ!? だから、彼らを侮辱するのは止せ!」


「どうせ、聞こえてない。

 あっちも撃ってくる度胸なんてないさ」


 エミリーは頭を抱えた。

 ジークの境遇を知った時、それに最初に初対面の時は、寡黙で年齢以上に大人びた印象もあった為、囚われの少佐に対し、哀れみの感情すら持っていた。

 しかし、今、ジークはまったくそんな様子を見せない。なんなら、本当に動物園に来たように楽しそうだ。


 戦場慣れをしていないのか?

 この男は、自分が死ぬわけが無いとタカを括っている、愚かな将校の一人にすぎないのだろうか。

 エミリーはそんなことで、激しく頭を悩ませた。


 しかし、その一方で。

 いつだって、部下たちはエミリーの後ろを恐々とついて来るだけ。部隊行動の基本だから、仕方が無いのだが。いつも、エミリーは気丈に振る舞っていたが、本当は、不眠症やパニック寸前になるほど、恐ろしくて仕方がなかった。


 だが、今日に限っては、恐怖を受け付けないような破天荒な男が自分の真横にいる。

 そのことが、エミリーを強く勇気付けていた。


 今日は、無事に帰れる筈、エミリーが内心でそう思った矢先だった。

 スラム街中につんざぐような悲鳴が響き渡った。


「……子供の悲鳴……!?」


 ◇


 結局、スラム街の危険区域を偵察したが、少なくとも防御壁を破壊できるような巨大兵器は見つからず、攻撃も受けなかった。


 駐屯地に帰る為の門のすぐそばまでやって来て、ようやく安堵する兵士たち。

 だが、エミリーは違った。

 良くも悪くも、正義感が強い彼女の脳裏から離れないのだ。あの子供の悲鳴が。


 門の前で立ち止まり、激しく迷う素振りを見せると、エミリーは帰るべき方向と逆に向いた。


「隊長、何を……?」


「すまない!

 皆は、駐屯地に帰っててくれ!

 もし、私が一時間経っても、戻らなかったときは……その時は……。

 いや、何でもない、心配しないでくれ!」


 部下の問いかけにそう答えると、エミリーは気を引き締めるように自分の装備を整えた。その後、走り出そうとしたが、思い返したように、ジークの方を振り返った。


 そして、柔らかい笑みを浮かべた。


「ありがとう、ジーク少佐。

 ……願わくば、貴方に幸運があらんことを」


 その後、彼女は走り出した。


 ◇


「……隊長、駄目かもしれないな」


「クソ、あの人はいつも真面目過ぎたんだ!」


 兵士達が集合しているアーゼン駐屯地内の食堂はは、悲嘆な空気で満ちていた。

 一時間経っても、彼らの女神でもある、隊長が帰ってこないのだ。

 あんな危険なところで、一時間帰ってこないという事実は、いつも悲観的な彼らをより一層悲嘆的にした。


 だが、やはり、ジークは違った。

 ずっと、時計を見ていたジークは、そろそろかと呟くと、自分の装備の最終確認を行うと、外に出る為に立ち上がった。


 が、ジークの前に、大男が立ち上がった。


「俺達が受けた命令は待機だ、座れ。

 諦めろ、小僧。もうおしまいだ」


「……残念だが、俺はリストニア兵じゃない。フリーランスだ」


「何を言っている、ふざけたことを!

 さっきからのお前の態度、目に余る!


 どうせ、自分なら、物語のヒーローみたいに、彼女を助けられると思っているんだろう!

 甘いんだよ、若造!」


「馬鹿止せ、ロビン!

 お前の本気を喰らったら、そんなヒョロヒョロな奴――!」


 他の誰かの制止を無視して、その男はジークの顔面に、持ち前の剛腕を生かした渾身の右ストレートを繰り出した。

 だが、ジークはそれを頭をほんの少しだけ横に動かし回避すると、逆に、空を切った腕をつかみ、そのまま、目にもとまらぬ速さで背負い投げをした。


「ロビンの奴が負けた!?」


「格闘戦なら負け知らずのあいつが……嘘だろ?」 


 床に倒れたジークに説教をするはずが、逆にジークに見下され、目を白黒させる男。周りの兵達も騒然としている。

 だが、ジークは気にも留めずに、当然の行いのように、その男が落とした弾薬を拾い、自分のものとした。


 そして、その男を、いや、皆を見下し、こう吐き捨てた。


「意味が分からない。

 諦めろ……? 随分と、堂々とした降伏宣言だな。

 あんな女が敵に捕まったら、どうなるかなんて分かるだろう?

 女じゃないとしてもだ。味方が捕虜になったら、奪還するのが、軍隊じゃないのか?」


 言葉を失った彼らを無視して、ジークは外に出る。

 再び、危険地帯に、いや、これから戦場になる場所へと向かう為に。


「分からんな、何もかも。

 

 今なら、幾ら人を殺しても、正義のヒーローっていう免罪符が着いてくるから、殺し放題なのに。

 ならいい、俺がもらう。

 もう、動物園遠足は飽きた。


 狩らせてもらうぞ」

  

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