もう一つの秘密(3)

「知っていた……?」


 どういう意味かわからなかった。

 だって罪の発覚はアデライトの予言からだ。

 それより前も後も、魔族と通じた大罪のことなど誰も知らない。


「私が魔族と通じていることも、王子の情報を探っていることも、あの男は知っていた。――罪の発覚は早かっただろう? 私がそう簡単に、魔族とのつながりの証拠など残すものか」


 アデライトの予言から証拠が見つかるまでは、たしかに早かった。

 でもそれも、単純にアンリの指示が良かったからだ。

 フロランス様だってアンリの手際を褒めていた。おかしな話じゃない。


「私が身の回りを探っていると知って、あの男はあえて見逃した。私と魔族のつながりを知りながら、証拠だけを掴んで見ない振りをした。私を裏切り者に仕立てるために」

「……嘘だわ」


 ありえない。父の言っていることはめちゃくちゃだ。

 父が魔族に情報を渡せば、危険に晒されるのはアンリ自身だというのに。


「アンリ様がどうしてそんなことをするの。理由がないわ!」

「理由?」


 もがくように首を振る私に、父はくっと喉を鳴らした。

 彼の顔に浮かぶのは、これまで何度も私に向けてきたものと同じ――愚か者を見る表情だ。


「お前だよ」


 端的な言葉は、静かで、だけど絶対的な強さがあった。

 私は息を呑み、もがくことさえ忘れて父を見る。

 父は口の端を曲げ、愉悦を込めて私を見つめ返した。


「すべてはお前への執着心のためだ、ミシェル。罪悪感でお前を縛り、決して逃げられないようにする、ただそのためだけに」


 ありえない。アンリがそんなことをするはずがない。


 いつもなら迷わず言える言葉を、私は口にすることができなかった。


 視界の端に、怯えたアンリが映っている。

 剣さえも重そうに立ち尽くし、目を見開く彼の、金の髪が揺れる。


 感情に漏れる魔力の風は、どうしようもないほどの肯定の証だった。


 〇


「――オレリア様、あれを」


 私から目を逸らすと、父は聖女に視線を移した。

 父に呼びかけられ、彼女は思い出したように顔を上げる。

 その手の中にある透明な玉に、私ははっとした。


「ま――」

「ミシェル」


 待って、と言うよりも先に、父が私の名前を呼ぶ。


「止める必要はない。あれがどんな男かよくわかっただろう?」


 それは、かつて聞いたことのない優しい声だった。

 私を見る目は穏やかで、首に回された腕は緩んでいる。

 そのままそっと腕を離すと、父は私の肩を掴み、自分に向き合わせた。


「あの男は、私を陥れたのだ。私は嵌められたのだ。そのせいで、お前も苦しい思いをしてきただろう」


 ――苦しかった。


 父の言葉を否定できない。


 三年間、罪の意識に怯え続けた。

 罰を受けることさえできない身がつらかった。

 幼なじみの、誰より親しいアンリとアデライトとさえ、距離を取らずにはいられなかった。


 私は罪人の娘。明るい場所にいる二人を、私が汚してはいけない。

 距離を取り、言葉遣いを変え、従者に徹する他に顔向けもできなかった。


「すべてはあの男のせいだ」


 父はそう言って、私の肩を引き寄せる。


「あの男さえいなければ、お前も私も、こんなに苦しむことはなかったのに――」


 それはまるで、優しい父親のような声。

 肩に触れる力は強く、だけどどこか柔らかい。


 耳に沈むような、哀れみの言葉に、私は――――。






 私は、迷わなかった。


「――それが、どうしたって言うの!」


 父の腕を振り払い、私は立ち尽くすアンリに走り出す。

 聖女がアンリの傍にいる。あの玉を触れさせてはいけない。


 父が驚き、私を掴もうと手を伸ばす。

 走り出した私に気付き、聖女は慌てて玉を持つ手をアンリに伸ばした。


「それに触れては駄目!」


 私は声を張り上げた。

 だけどアンリは動かない。

 凍り付いたまま、聖女の姿さえも見えていないように、私を見て怯えていた。


 ――アンリ。


 ときおり見せた、彼の表情の理由がわかる。

 自分を卑怯者と言った。私に軽蔑されると言った。優しくない男だと言った。

 嵐の夜を超えてもなお消えない、どこか遠いあの表情。


 なぜ、アンリに魔王が憑りついたのかわかる。

 弱い心と言えばそう。

 悪い心と言えば、それもきっとその通り。


 彼はずっと――後悔していたのだ。

 私が罪悪感に駆られるたび、彼もまた、ずっと。


「アンリ、私は――」


 軽い気持ちでしたことではないとわかっている。

 アンリにとって、それだけ重要なことだった。

 消えない後悔に駆られてもなお、そうせずにはいられなかった。


 思い悩み、苦しみ、迷い続けていた姿を知っている。


 だから――。


「私は軽蔑なんてしない! アンリがどんなことをしてしまっても!!」


 私は手を伸ばす。

 聖女の玉から引き離そうと。


 彼の手を、握りしめようと。


「絶対に、傍にいるから――――」


 私の声に、アンリが重たげに瞬く。

 私を見て揺れる瞳に、光が宿る。


 でも、だめ。

 間に合わない。




 聖女の持つ球が触れる。

 眩むほどの光が、周囲を埋め尽くしてく――。

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