陛下の奸計(2)
この婚約を推し進めたい人物――というと、すぐに思い浮かぶのはオレリア様だ。
大変失礼ながら、陛下と同じく暴走しがちな彼女であれば、強引に婚約を推し進めても不思議はない。
あるいは――今の陛下には、まっとうな人たちが傍にいない状態だ。
誰か、良からぬ人間が近づいている可能性もあるだろう。
フロランス様の言葉に、大臣たちがざわめき出す。
手紙の件を聞いたときは、陛下がまた暴走しただけだと思っていたけれど――もしかして、思った以上に大変な事態なのかもしれない。
「こうなると、穏便には済まないかもしれません」
動揺する人々を見回して、フロランス様は首を振った。
凍れる美貌に浮かぶのは、深い憂いの色だ。この横暴の顛末を予想して、彼女は苦々しく息を吐く。
「正攻法で済ませたかったけれど、そうも言っていられないわ。最悪の事態も考えておかないと――」
「母上」
その言葉を、短い声が遮った。
声の持ち主はアンリだ。彼は片手を上げて、フロランス様にこう告げる。
「俺が行ってきます。披露宴の開始にはもう間に合いませんが、それでもこのまま完遂させるよりはましなはずです」
手紙によると、披露宴は午前中に始まるらしい。
離宮から王宮までは、早駆けの馬でも数時間はかかる。どう急いだところで到着は午後となり、披露宴には間に合わない。
きっと、陛下はわざと手紙を遅らせたのだろう。
形式だけは『事前に連絡した』ということにして、フロランス様に文句を言わせないつもりなのだ。
――……卑劣だわ。フロランス様は、穏便に済ませようとなさっていたのに。
恐れ多いと思いながらも、私は内心で陛下を非難せずにはいられなかった。
フロランス様は、けっして陛下に恥をかかせようとしていたわけではない。
むしろ、なるべく穏やかな手段で、可能な限り内々にことを収めようとしていたのだ。
今ならまだ、婚約宣言は大きく広まっていない。
諸外国には急ぎ謝罪と撤回をし、国民には情報が伝わる前にマルティナを打ち出して、オレリア様の件はうやむやにできたはずだ。
そのためにフロランス様は十分な根回しをし、正当な手順を経て陛下に掛け合うおつもりだった。
実際、もう陛下にはほとんど耳に入っている――という状況になってからの、この仕打ちだ。
私でさえやりきれない思いでいるのだから、当事者であるフロランス様やアンリの心情はどれほどなものだろうか。
ちらりと窺い見るアンリは無表情で、その心の底は見えない。
「大勢で王宮に向かうには、時間がかかりすぎます。最低限、俺とミシェルと、叔父上がいればいいでしょう。なるべく早く父上に会って、披露宴をやめるよう説得をしてみます」
「……説得、できるかしらね」
フロランス様の声には諦念が満ちている。
すっかり陛下にはさじを投げてしまった様子だ。
「それに、一応は他国からも客を呼んでの披露宴です。いくら陛下でも警戒しているでしょうし、無理に割って入るのは危険ではなくって?」
「だとしても、行かないわけにはいきません。黙っていれば、俺とオレリアの婚約が真実にされてしまいます」
迷いのないアンリの言葉に、フロランス様は口を閉ざす。
そのままじっとアンリを見つめ――しばらくの沈黙のあとで、長い息を吐き出した。
「止めても無意味のようね」
そうつぶやいたときには、部屋を流れる魔力の風は消えていた。
だけどフロランス様の表情は険しいまま。彼女は誰にともなく、小さな声でつぶやいた。
「……誘い出されているのかしらね」
うっかりすれば聞き逃しそうな声でそう言ったあと、「まさかね」とフロランス様自身で否定する。
それから、先のつぶやきなどなかったかのように、彼女は凛とすました顔で立ち上がった。
しゃんと背筋を伸ばした彼女の姿に、思わず私も背筋を伸ばす。
彼女は威圧感のある目で会議の参加者を順に見渡すと、力強い声で宣言した。
「わかりました。アンリ、あなたの出立を許可します。十分に気を付けて行ってきなさい!」
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