偽物婚約者(1)
「やっぱりお兄様は最高なのよ!!」
アデライトはご機嫌だった。
「ちょっと美人に言い寄られたからって、靡いたりはしないのよ! あんなのかっこよくてモテるのに、一途で誠実なんだから!!」
「……はあ」
「はあ、じゃないわミシェル! あなたのことなのよ!!」
気のない返事の私を咎め、アデライトはガッと肩を掴んで揺さぶる。
だけど今の私には、抵抗する気力もない。
なにせ自室に戻ってからの数時間、アデライトはずっとこんな調子なのだ。
「婚約イベントが起きたときは、そりゃあちょっとは焦ったけど。でもあれもお父様が勝手にやったことだって! お兄様は止めたんだけどぜんぜん話を聞いてくれなくて、他に好きな人がいるって言ってもオレリアのことだと思い込んでいて、困ってたんだって!」
――はあ……。
明るいアデライトとは対照的に、私は暗い顔で窓の外に目を向ける。
フロランス様の部屋を辞した時点で夜も更けていたけれど、今はもうほとんど深夜と言っていい。
もちろん、就寝時間なんてとっくに過ぎている。
なのにアデライトは興奮冷めやらぬ様子で、まだまだ私を解放してはくれそうにない。
眠りやすくなるように、とホットミルクも入れてみたけど、アデライトにはまるで効果が内容だ。
――元気だわ……。
今朝のように泣いて震えているよりは、元気なアデライトの方がずっと良い。
ときどきなにを言っているかわからないし、振り回されて疲れてしまうけど、無邪気に笑う彼女はとても可愛らしいのだ。
……とは思っているのだけど。
「お兄様は旅の間も、ずっとミシェルのことを想い続けていたのよ! お兄様はやっぱり最高のお兄様だったわ! もちろん、私は最初から信じてたけど!!」
「……オレリア様との愛は確定だったんじゃないんですか」
あまりの調子の良さに、私は呆れ半分――意地悪半分に呟いてしまう。
泣きながら離宮に駆け込んで、アンリとオレリア様の愛を確信して――それで、『アンリを取り戻す!』と追いかけ回したのはアデライトではないか。
おかげで私は地下に閉じ込められ――そこからは、怒涛の展開だ。
アデライトのせいではない、とはわかっているけれど、ついつい恨めしさを込めて見つめれば、彼女はぐっと唇を噛んだ。
「それは……だ、だって、ゲームだと絆がなくちゃ倒せなかったから……! 魔王ってちょっと特殊な存在でね? 二人がちゃんと愛し合ってないと、絶対に魔王が消滅しないって設定で――――」
言い訳でもするように、アデライトはもごもごと口ごもる――が、それも一瞬だ。
すぐに勢いよく顔を上げ、「ふんす!」と鼻息を荒くする。
「でも! 別に絆なんていらなかったのよ! だって現実に、お兄様は魔王を倒したんだから! ゲームにもない方法で倒すなんて、お兄様って本当にすごいわ!!」
「…………そうですね」
熱のあるアデライトの言葉に、私は小さく同意を返す。
アデライトの言う通り、アンリは本当にすごい人だ。
絆のことはよくわからないけど、どんな方法でもアンリは魔王を倒してきた。
人々のために過酷な旅に出て、命を懸けて戦って、やり遂げて帰ってきたのだ。
アンリのおかげで、世界を侵略していた魔王軍の魔族たちもいなくなった。
魔王が生み出し、世界中にあふれていた魔物たちも徐々に姿を消しているという。
戦いは終わり、世界は平和になり、みんながアンリに感謝している。
――すごい人だわ。……眩しいくらい。
だからこそ、私の胸中は複雑だった。
アデライトから目を逸らし、私は見るともなく自分の足元に目を向ける。
頭の中を占めるのは、ずっと同じことばかりだ。
フロランス様の部屋を辞し、アデライトに付き添っている間も、一つの思考だけが頭の中に渦を巻く。
――偽者とはいえ……アンリの婚約者……。
もちろん、こうなった以上は投げ出すつもりはない。
ないのだけれど、時間が経つごとに荷の重さを感じて胃が痛くなってくる。
――アンリに恥をかかせるわけにはいかないわ。顔立ちは変えられなくとも、せめて仕草くらいは美しく……でもソレイユ語も学ばないといけないし……。それ以前に、謁見まであと十日しかないのよ!
それまでにソレイユ語も完璧にして、アンリに少しでも相応しい令嬢にならないと。
少しでもみっともないところを見せれば、陛下に嘘がバレてしまうかも知れない。
そうなったら――アンリを助けるつもりが、逆に彼を窮地に立たせる結果になる。
私のせいで――――。
「――――さっきから、なに暗い顔してるのよ!」
ばちん! と両頬を叩かれ、私ははっと我に返った。
いつのまにか俯いてしまっていたらしい。
顔を上げれば、しかめつらのアデライトと目が合う。
「どうも元気がないと思ってたけど、まーた細かいこと気にしてたんでしょう! お兄様の婚約のこと? それともお父様のこと?」
「……アデライト様」
内心を言い当てられ、今度は私の方がばつの悪い思いをする番だ。
気まずさに身を引こうとするけれど、しかしアデライトは私の頬を掴んだまま離さない。
睨むように私を見据え、不機嫌そうにこう言った。
「お兄様もいて、お母様もいるのに、なにが不安なのよ。お兄様はもちろんかっこよくてすごいけど、お母様だってすごいのよ? 頭もいいし、人望もあって、お父様よりも信頼されているくらい!」
だから――と言って、アデライトはようやく私の頬から手を離す。
行き場のない手のひらをさまよわせ、言いにくそうに唇を尖らせ――それから、どこか気取ったようにツンと澄ました顔をする。
「だから、ミシェルが心配するようなことなんて、なにもないのよ! そんな不安になるなんて、お母様とお兄様に失礼なんだから!」
「…………」
私は少しの間、無言でアデライトの姿を見上げた。
責めるような口調に、きつい眼差し。私を見下ろして胸を張る姿は、一見すると怒っているように見えるけれど――。
――……慰めてくれたのね。
不器用な彼女の優しさに、ふっ、と笑うような息が漏れる。
アデライトに叩かれたせいか、強張った頬が少しだけ緩んだ気がした。
「……そうですね」
私はアデライトのように前向きにはなれないけど――彼女のおかげで、少しだけ気持ちが軽くなる。
だから、お礼を言おうと口を開き――。
「アデライト様、ありが――――」
「それにこれ、怪我の功名って言うのよ! これで堂々と、ミシェルがお兄様の婚約者になれるわ!」
とう、まで言えないままに私は再び強張った。
輝くばかりに明るいアデライトの顔を見上げ、私はしばし瞬く。
――……はい?
堂々と、婚約者?
「あの……アデライト様? 私は偽の婚約者で…………」
「本物にすればいいのよ!」
はい?
「だってあと十日もあるんでしょう? なら、その間に婚約を本物に変えるの! まだエンディングが残ってるんだから、油断できないじゃない! お兄様にその気がなくても、婚約宣言イベントが起きたくらいだし!」
そう言って、アデライトはぐっと拳を握りしめる。
力強く胸を張り、どこか不敵に口元を歪める姿は、いつも通りのアデライトだ。
……いつも通り過ぎて、嫌な予感がする。
おそるおそるアデライトを見やれば、彼女は私に満面の笑みを向けた。
「私の処刑回避のためにも、お兄様とミシェルをちゃんと最後までくっつけるわよ!!」
け、結局こうなるんですか! このお姫様――――!!
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