3
翌朝、私は会社へ行き事故の写真を全て削除した。
行動を起こす決め手となったのは、言うまでもなく昨夜の出来事であるが、その後に沼田が見つけた写真の秘密に背中を押されたところもある。
会社では窓の外。バーではカウンターの別の席。そして昨日は私の隣。最初の写真を見返してみると、夜道を歩く私の遥か後方に、あの女性が立っているのをカーブミラー越しに確認した。つまりあの女性は、写真に写る度、少しずつ私に近付いてきていたのだ。
昨日は腕を握られた。もし次にシャッターが聞こえる時がきたらと思うと、職業人としての意地を貫き通す気には到底なれなかった。
沼田と共にこの一件から手を引く事を伝えると、編集長は意外にも二つ返事で頷いた。この業界に長くいるとこんな話を聞く事もある。というのは、沼田のでまかせではなかったようだ。
その後、会社を早退し、事故現場へ花を手向けた。それでも不安は拭えず、被害女性の生家まで、片道四時間をかけて焼香を上げにいった。
家に戻った頃にはすっかり日も暮れており、そうして奔走した疲労や達成感が、一息吐ける程度には不安を緩和させてくれていた。
何はともあれとシャワーを浴びる。急に排水口へ流れていくお湯が赤く染まった事には驚き体を確認すると、股の間から血が流れていた。予定ではもう数日先のはずだったのだが。
リビングのソファーで、髪を乾かす。そこでスマホが震えだす。
「おう。どうだった?」
沼田からの電話だった。安堵してしまった自分に少しだけ腹を立てながら、私は一日の行動を沼田へ伝えた。
「一先ず無事でよかったよ。こっちも気掛かりで仕事どころじゃなかったからな」
くしゃっと笑う、あの顔が頭に過る。
「それのために電話を?」
「それもあるんだが。一応伝えておこうと思ってな」
沼田はそう前置きをしてから、更に続けた。
「あの事故で煽り運転をした男が、意識を取り戻した」
ああ。そんな事すっかり忘れてしまっていた。
「色々と驚かせされたよ。男に同棲相手がいるって話があったろ? なんとその同棲相手が、事故の被害にあった女性だったらしい」
「え?」
口にした瞬間、チクリとお腹の下の辺りに不自然な痛みが走る。
「あの日は二人の間で大きな喧嘩があったようでな。口論の末に家を飛び出していった彼女の車を止めるために、男はあんな騒動を」
「そんな事って」
おかしい。お腹がどんどん痛くなっていく。
「よくいる気性の荒いタイプの男なんだろうよ。彼女が逃げ出した事を考えると、暴力を振るう事もあったかもしれない」
呼吸が荒くなり、顔には脂汗が浮かぶ。体の内側で、重たく硬い物が大きくなっていくような感覚がある。
「喧嘩の原因も気持ちのいいものではなくてな。彼女のお腹にできた子供を、男が下ろす事を強要し、彼女がそれを拒んだ事が発端だったようだ」
「そ、それじゃあ……」
「ああ。事故にあった時、あの女性の体にはもう一つの命が宿っていた」
ズキン。と強烈な痛みが私を襲った。
ソファーにすらまともに座っていられなくなり、お腹を抱えたまま、床の上に倒れ込む。
スマホから沼田の声が聞こえている。しかし言葉として理解する余裕はない。
あまりの痛みで視界が白ばみ、意識が遠退いていく。
カシャッ。
背後で、シャッター音が聞こえた。
完
シャッター 網本平人 @hdito
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