格闘ゲームの夏2020
鈴木かくひと
格闘ゲームの夏2020
ただいま、と言っても誰の返事もないマンションの一戸。早く涼みたくて、リビングに入るなりエアコンの電源を入れた。一人用のソファにドカリと座り、疲労感のまま身体を沈めていると、正面のテレビ台の中にあるゲーム機とアケコンが視界に入る。
ふと、今朝の後輩との会話を思い出した。
「佐藤先輩、アケコンってなんです?」
「アーケードコントローラーの略だよ。要はゲームセンターと同じ感覚でゲームを操作できるコントローラーだな。格ゲーには必須だぞ。値は張るけど」
「マジですか。金欠なのに・・・・・・でも俺、どうしても格闘ゲームを始めたい理由があるんですよ・・・・・・」
その理由は教えてくれなかったが、あんな真剣な顔をされたら、先輩としては一肌脱ぐしかない。でも一肌脱ぐ前に、この汗で張りついたシャツを脱いでしまいたい。エアコンはつけたはずなのに未だに涼しくならないのは、この夏が異常な暑さだからだ。
そういえばあの夏も暑かったな。
2015年の夏。
大会優勝を目標に、格ゲーをやり込んだ学生最後の夏。
効かないエアコンにも滴る汗にも構いもせずに
アケコンのスティックを倒して
アケコンのボタンを押して
ひたすら対戦して
勝って
嬉しくて
負けて
悔しくて
今でも忘れられない
大会は結局負けてしまったけれど、あれは自分にとって格闘ゲームの夏だった。でも、目の前のアケコンはすっかりホコリを被っている。手でホコリを払う。このアケコンは後輩にやろう。こいつも自分を使ってくれるやつのところに行った方が幸せだろう。格ゲーも世代交代なのかもしれない。なにせ今は2020年の夏。あれからもう五年も経っているのだ。
――
「佐藤先輩、ありがとうございますっ!」
休憩時間、人気のないところで後輩にアケコンの入った紙袋を渡す。実のところ、渡すときに一抹の寂しさがよぎった。でも後輩の嬉しそうな顔を見て、ようやく吹っ切ることができそうだ。
「大事に使ってくれよ」
突然、香水のフローラルな香りが泥臭い建物の空気を変えた。
「お疲れ様で~す」
同僚の女子、山田さんだ。
「なんですかそれぇ~?」と紙袋を指差してくると、
「アケコンだよ」と後輩が答える。
アケコンとか山田さんが知るわけないだろう。
「もしかして『かくとうげーむ』ってやつですかぁ?」
え?
「テレビで見たんですよぉ~。なんかぁ、『いーすぽーつ』っていうんでしょ? ひょっとして佐藤さんもやってるんですかぁ?」
「いや、佐藤先輩は引退したからやって――」
「やってるよ」
「えっ!? せ、先輩?」
「へえー、お上手なんですかぁ?」
「一応、大会にも出たことがあるよ」
「すっごーい! じゃあ次大会出るときに教えて下さいね。応援行きますから☆」
別の女子社員に呼ばれて去って行く山田さんを見送った後、
「返せ」と後輩から紙袋を引ったくった。
「ああっ! くれるって言ったのに」
「うるせえ。格ゲーはアケコンじゃなくても出来る。普通のコントローラーでやれ」
「ええっ!? 先輩が『格ゲーならアケコン必須』って言うから・・・・・・」
「知らんな。それよりお前、山田さんが格ゲーに興味あるの知ってやがったな」
「ギク」
「そんな下心で格ゲーを始めようとする奴にアケコンは渡せんな」
「佐藤先輩こそ――」
「俺は純粋に格ゲーが好きなんだっ!」
「は、はあ・・・・・・」
こうして、至って純な気持ちで格闘ゲームの世界に復帰する決意を固めたのだった。
――
自宅に帰るや否や、アケコンをゲーム機に繋ぎ、電源スイッチを押す。が、ゲーム機はうんともすんとも言わない。テレビ台の傍らで、外れている電源プラグの先を発見。最後にゲームをやったのって、一体いつだ? とにかく電源プラグをセットし、ようやくゲーム機を起動させた。そしてメニュー画面で、買ったものの手つかずの新作格闘ゲームを選択する。自分がやり込んだのはこれの前作で、新作はまったくやってないし、動画でもほとんど見たことない。仕事が忙しかったというのもあるが、自分がやり込んだゲームこそが至高、という考えもあったのかもしれない。しかしいざ新作を始めるとなると、ちょっとわくわくした。前作よりさらに進化したグラフィックの美麗さ。そして懐かしい顔ぶれが並ぶキャラクター選択画面。昔の気持ちがよみがえり、高ぶる。使うキャラは決めている。前作で使い込んだ、赤いはちまきの格闘家だ。トレーニングモードで少し触った感じ、基本は変わっていないように感じた。
・・・・・・
試してみたい。
昔のやり込みが、どこまで通じるのか。
トレーニングモードを早々に切り上げ、オンライン対戦に挑む。ネットを介して世界中の誰とでも対戦できるモードだ。画面には対戦相手を検索中と表示されている。やばい。久々すぎて緊張する。
対戦相手が見つかりました
相手のキャラクターはエリンギのような髪型の軍人。シリーズお馴染みで、勝手知ったるキャラだ。いけるかもしれない。
ROUND 1
FIGHT
開幕、飛び道具の気弾を撃った。
撃つ、撃つ、撃つ。
連発。
相手はジャンプで避けようとする。
そこを、対空技で落とす!
YOU WINS
勝てた! 昔ながらの戦法、飛ばせて、落とす!
しかし昔の動きとはほど遠い。このままじゃ山田さんにいいところ見せられねえ。もっとやり込んで、昔の勘を取り戻さなくては。
さあ、次の対戦だ!
ROUND 1
FIGHT
そして特訓の日々が始まった。
毎日仕事から帰ると ROUND 1 FIGHT
同期から飲みに誘われても ROUND 1 FIGHT
業務後の勉強会で帰るのが遅くなっても ROUND 1 FIGHT
雨の日も風の日も
ROUND 1
FIGHT
――
「え? 『いーすぽーつ』? 私、興味あるって言ってましたぁ?」
「ええっ!?」
職場の休憩時間に、思わず仰け反る。
「夏は家にこもってないで『マリンスポーツ』ですよぉ。ボディボードとか☆」
そんじゃ失礼しまーす、と言って去って行く山田さんの背中を、にじんだ視線で見送る。
泣いてない。これは汗だ。
あっちーな今日。夏だもんな。そりゃ目から汗もかくわ。
山田さんが去って行った方向から後輩が息を切らして走ってきた。
「佐藤先輩、なんかマリンスポーツやってませんでした? ボードとか持ってません?」
「自分で買え」
――
ただいま、と言ったところで誰の返事もないマンションの一戸。おぼつかない足取りでリビングへと向かい、ひとり用のソファにドカリと座り、ゲーム機の電源を入れる。
ROUND 1
FIGHT
対戦しながら、今日の職場の飲み会の事をぼんやりと思い出す。今度の社員旅行の場所は海辺。マリンスポーツという話もそこから出てきたらしい。みんな海に、『マリンスポーツ』に夢中だった。誰も家にこもって『e-sports(いーすぽーつ)』という奴なんていなかった。
YOU LOSE
最近勝てなくなってきた。最初の方は順調に勝てたのに。
ピッ
ゲームの電源を切った。暗くなったモニターに写る男は、一人だった。周りは誰もやってない。山田さんも興味失せてる。話の種にもならないのに、一人でゲームやってどうする? 夏に向けてマリンスポーツでも練習してるほうが有意義だろう。そのほうが山田さんにもウケがいいしな。
――
職場でチャイムが鳴る。出前の昼食をとりながら、スマホで動画を見る。最近の癖で、いつの間にか格闘ゲームの動画を見ていた。まあ、もうやらないにせよ、見るだけならいいか。スマホの画面内では、自分の持ちキャラが戦っている。赤いはちまきの格闘家だ。
しかしこのプレイヤー、やたら攻めるな、と思った。
前作ではこのキャラはどちらかと言えば守りのキャラクターだった。飛び道具を撃って、相手のうかつな飛びを待つという定石を基軸に、堅実に立ち回る。あまり自分から攻める事はない。しかし画面の中の格闘家は、やたらと前に出る。攻める。それでいて、勝ってる。
・・・・・・今作のこのキャラって、攻めた方が強いのか?
だとしたら話が変わってくるぞ・・・・・・。
次々と戦略のアイデアが身体中から湧いてくるような感覚に襲われて、全身がウズウズしてくる。
試してみたい。
「佐藤先輩、今日の帰りボディボード見に行きません?」
後輩が誘ってくれる。でも自分の心はひとつだった。
「悪い。今日は用事がある」
やっぱり俺、格ゲーが好きだ。
――
終業のチャイムと共に職場の社員たちが席を立つ。
「さあ業務後の勉強会だ」
「なにいっ、佐藤がいない!」
「一体どこへ・・・・・・?」
真の 格闘ゲーマーを 目指すため
彼は、新たなる 闘いを求めて 帰った・・。
――
YOU LOSE
・・・・・・
そっと、アケコンから手を離した。
攻めても勝てね。
やっぱりあの人が上手いだけだわ。
あー、やめやめ。もうやらん。
やっぱり俺、格ゲーそんな好きじゃないわ。
・・・・・・
いや待てよ。今のは流石に攻めすぎたか? 今度は攻めと守りのバランスを・・・・・・
ブツブツ・・・・・・
カチャカチャ・・・・・・
アケコンの音が部屋に響く。
効かないエアコンにも滴る汗にも構いもせずに
アケコンのスティックを倒して
アケコンのボタンを押して
ひたすら対戦して
勝って
嬉しくて
負けて
悔しくて
2020年夏。
また、格闘ゲームの夏が来る。
ROUND 1
FIGHT
格闘ゲームの夏2020 鈴木かくひと @yomu_kaku
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