第25話
「彼女はもともと平民だったのですよ」
ルドリク先生がそう言ってきた。
一瞬思考が止まった。
「え?」
もともと平民だった?
アリアが。
公爵家の長女が。
そんなわけ。
「今のアリアは貴族ですよね」
「そうです。正真正銘の貴族ですね」
「なのに平民だったって、そんなことあるんですか?」
「はい」
「平民って貴族になれるんですか?」
「普通は無理でしょう」
「じゃあどうやって」
ルドリク先生がお茶をすすった。
「アリアさんの場合は例外でした」
「例外……」
「ええ」
例外ってなんだ。
アリアに何があったんだ?
「今から話すことは、アリアさんにとっては苦しい思い出です。知らずにいた方が悩まずに済むと私は思います。それでも聞きますか?」
知らない方が悩まずに済む、か。
確かに世の中には知らないでいた方がいいこともある。
それにルドリク先生が言ってるんだ。
知ったら悩むっていうのは、嘘ではないと思う。
……でも知りたい。
アリアのことで目を背けるなんて嫌だしな。
「聞かせてください」
「……いいでしょう」
ルドリク先生がお茶を少し口にする。
カップを置いて穏やな声で言ってくる。
「アリアさんは、大魔法帝国とは別の国で生まれ育ちました」
「別の国でですか?」
「はい。正確には別の国の貧しい農村です」
別の国の貧しい農村。
今のアリアの地位からは想像できないな。
「彼女は、一日一食というとても貧しい生活を送っていたようです」
「一日一食……」
「当時アリアさんの住んでいる国は、大魔法帝国と戦争をしていました。それが原因となり、貧しい暮らしを強要させられていたのでしょう」
大魔法帝国との戦争、か。
この国は戦争に勝つことで成長してきた。
その戦争の一つが、アリアがもともと住んでいた国だったのか。
「けれど優しい両親のおかげで、アリアさんは幸せな毎日を送っていたそうですよ」
「そうなんですか?」
「はい。『ずっとこの日々が続けばいいと思うほどに幸せだった』とアリアさん自身がそう言っていました。」
アリアにそんな過去があったのか。
貧しくても幸せな日々が。
「ですが幸せはすぐに崩れました。オークの群れが、アリアさんの村を襲ってきたのです」
「そんな、どうして」
「激しい戦争によって、モンスターが森を追い出されたのでしょう」
オークは大きな体を持つ危険なモンスターだ。
体長は二メートルから三メートルほどもある。大きな腕を体を使って、殴ったり突進したりする。
普通の人間では倒すことはおろか、逃げることもままならない。
「当時のアリアさんは六歳。村で一番幼い子供でした。当たり前ですが戦う力を持っていません。そして逃げる暇もなかったようです」
「じゃあどうやって生き延びたんですか?」
「両親によって、アリアさんは家の中の隠し棚に押し込められたそうです」
「隠し棚、ですか」
「アリアさんの両親は隠し棚に鍵をかけ、内側からは決して出られないようにしました」
閉じ込められたのか。
アリアの親は、何がなんでも、アリアのことを助けたかったのかもしれないな。
「そして村が襲われました。アリアさんは棚の隙間からその様子を見ていたそうです」
「村が襲われる様子を、ですか?」
「ええ。家が壊され、逃げ戸惑う人がオークに捕まり、殺され、食べられる様子を」
ルドリク先生が眉根を寄せている。
「アリアさんは、息を押し殺して見守ることしかできなかったそうです」
「…………」
「そしてアリアさんが隠れている場所の目の前で、両親が殺されたそうです」
目の前で両親が殺された、って。
なんて言えばいいのか分からない。
「その時、アリアさんは思わず声を出してしまいました。それでオークに見つかってしまいます」
やばいじゃないか。
「鍵付きの扉にオークの手がかかり、無理やり扉を開けようとしてきたそうです」
「それは……怖いですね」
「ええ。怖かったと思いますよ。扉に隙間ができて、オークの太い指が侵入してきたとアリアさんは言っていました」
「うわぁ……」
「オークの指がアリアさんの足に触れたりもしたそうです」
想像しただけで鳥肌が立ってくる。
「あと少しで、扉が無理やり開けられて、アリアさんはオークに殺されるでしょう。逃げも抵抗もできません」
「じゃあどうやって生き延びたんですか?」
「オークが燃え上がり、アリアさんの目の前で倒れたのです」
え?
何が起きたんだ。
「燃え上がるって、魔法ですか?」
「ええ」
「まさかアリアが?」
「いえいえ、流石のアリアさんでも魔法はまだ使えないでしょう」
「じゃあ誰が……」
「大魔法帝国の魔法部隊です」
大魔法帝国か。
あれ?
アリアの国と大魔法帝国って、確かその時戦争中だったはずだけど。
「帝国の魔法部隊って、戦争中じゃないんですか?」
「いいえ。直前に戦争は終わっていたのですよ」
「ええっと、帝国が勝った、ってことですか」
「そうです。その魔法部隊は、ちょうど勝利を納めて帝国へ帰る途中だったようですね」
ああ。分かった。
「つまり帝国の魔法部隊が、たまたま帰り道で村の近くを通って、オークの群れを倒したってことですか?」
「そうなりますね」
魔法部隊がいなければ、アリアは生きてなかったのか。
「そして実は、その魔法部隊の部隊長を任されていたのが、リンフェルグ家の当主だったのです」
「当主が戦争で戦ってたんですか?」
そんな重要な人物が戦いに出ていいのか。
万が一死んだらやばいじゃないか。
「そうです。魔法使いとして一流の人間が当主となり、戦争で戦うことは、この国では当たり前ですよ」
そうなんだ。
初めて知った。
この国は実力主義だし、自然とそうなるのかもしれない。
「話を戻しましょう。当時、リンフェルグ家は跡継ぎに関する問題を抱えていました。魔法の才能がある子供が生まれず困っていたのです」
「どういうことですか?」
「貴族は自分の子供に跡継ぎをさせなければなりませんよね?」
「はい」
「しかし帝国は実力主義です」
「……あっ」
「気づきましたか?」
「はい。跡継ぎに魔法の才能がないとだめってことですか? 実力がないと当主が務まらないから」
「ソウタ君は物分りが良いですね。そうです。魔法の才能がなければ、貴族として示しがつかないのです」
そういうことか。
実力のない子供に当主を継がせても務まらない。
それどころか、他の人から実力で地位を奪われるかもしれない。
「そこで、リンフェルグ家の当主はアリアさんに目を付けました」
「アリアに?」
「正確には、アリアさんの類まれな魔力量に、ですね」
「どういうことですか?」
「アリアさんは跡継ぎとして十分な魔力を持っています。しかも戦争で出た孤児なので、出自を隠せます」
「え、それって」
ルドリク先生がゆっくり頷く。
「リンフェルグ家にとって、これほど都合のいい子供はいなかったということです」
「それで、どうなったんですか」
「アリアさんはリンフェルグ家の当主に交渉を持ちかけられます。『このままだとお前は奴隷か孤児になる。だがお前には魔法の才能がある。リンフェルグ家の養子に来い。代わりに良い待遇を約束する』と」
「なるほど」
「アリアさんは訳がわからないまま、その約束に頷いたそうです」
それもそうだろう。
当時六歳のアリアには難しい話だ。
「こうして貴族となったアリアさんはリンフェルグ家で育てられ、現在学校に通っている、ということです」
一通り語り終えたようで、ルドリク先生が息をついてお茶を飲んでいる。
僕は、正直に言えば、頭の中がごちゃごちゃとしていた。
アリアにこんな過去があるなんて知らなかった。
今までアリアのことを、貴族社会で──僕とは別の世界で生きてる人だと思っていた。
平和で裕福な場所で、苦労せずに生きてきたんだろう。
そう思ってたのに。
アリアのことを何も分かっていなかった。
「ソウタ君。アリアさんは、モンスターを倒す時に目を瞑っていますよね?」
「……そういえば、確かに瞑ってた気がします」
実践訓練の時も。
ザボルがゴブリンを使役した時も。
魔法を使う瞬間、アリアは瞑っていた。
「『モンスターを見ると動けなくなる』とアリアさんは言っていました。体が震え、声が出なくなり、一歩も動けなくなると」
「…………」
「トラウマ、と言うのでしょうね。アリアさんの脳裏には、殺される瞬間の両親の姿が焼き付いているのかもしれません」
目の前で両親が殺されて、オークに殺されそうになって。
そんなトラウマを抱えながら魔法を使っていて。
「さて、話はこれで終わりです」
僕はアリアと沢山話してきた。
何も知らずに。
アリアのトラウマなんてこれっぽっちも知らずに。
ずっと何も考えずに話してきた。
「ソウタ君、大丈夫ですか?」
「はい……」
「……少し疲れたみたいですね」
ルドリク先生が窓の外を見た。
「そろそろ日が沈みます。ソウタ君も帰りましょう」
「はい……」
席を立つ。
何も言わずに扉を開く。
静かに部屋を出る。
歩く。
足取りが重い。
どうすればいいんだ。
明日アリアに会って、なんて言えばいいのか分からない。
かわいそうだねって言えばいいのか?
そんなこと言ってアリアは喜ぶのか?
家族を失ったことがあるのは僕だけだと思っていた。
けど思い込みだった。盛大な勘違いだった。
アリアも家族を失っていた。
失ってからもう十年以上経ってる。
にも関わらず今でも苦しんでる。
それくらい家族を愛していたんだ。
それなのに僕は。
どんな顔を向ければいいんだ。
アリアにどんな表情を向ければいいんだろう。
ぼうっと夕日を眺めながら校門をくぐる。
「遅かったわね」
横から声が聞こえた。
声の方に視線を向ける。
校門横で待つアリアの姿が、僕の目に映った。
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