第23話

 ザボルの杖は怪しい緑色に光っている。

 三体のゴブリンは虚な目で周囲を囲んできている。


「使役魔法!」


 この魔法は一度見たことがある。ザボルと初めて出会ってやられそうになったあの時、この目でみたのと同じ光。


 けどあの時のゴブリンの数は一体だった。今は三体。杖の影響でザボルの魔法が強化されてる。


「まだ決闘は終わっていないぞ、平民」


 くそ、詰めが甘かった。

 ザボルが負けを認めるまで油断するべきじゃなかったんだ。


 アリアが抗議の声を上げた。


「もう終わったじゃない!」


「終わっていない! まだ俺様は死んでいないし降参もしていない!」


「地面に倒れた時点で戦闘不能よ!」


「そんなルールはない! 黙っていろ!」


 ザボルが杖を構えて突き出す。


「ゴブリン、『攻撃しろ』」


 命令が放たれた途端、一体だけゴブリンが足を踏み出しこちらに迫ってくる。


 ゴブリン三体に対して僕は一人、とすると単純に考えて三倍の戦力差。絶望的。戦いにすらならない。


 両側に壁があるせいで攻撃を避けるスペースがほとんどなく、逃げることすら許されざる状況。


 理不尽にもゴブリンがそのぶっとい腕を振り下ろしてくる。

 素早く横に転がって攻撃をかわすと、僕がいた地面がバゴっと音を立てて砕けてへこんだ。


 割れた地面の破片が飛んできて、腕で庇ったら強い衝撃が右腕の中部にぶつかってくる。思った以上にズキズキとして痛い。


 腕を戻して前を見ると、ゴブリンが今度は腕を横薙ぎに振ってくる。


 これは、回避不能。


「ぐうっ!」


 景色が吹っ飛んだ。


 視界が暗転した。プツリと何かが途切れた。


 ハッとして目を開いたら、目の前に地面があって、顔を横に向ければ、ひび割れた通路の壁が目と鼻の先にあった。


 僕は倒れて一瞬気を失ったらしい。

 

「いっ……」


 ツー、と頬に何かが流れてきて、人差し指ですくうと、ぬめりとして赤かった。

 血だ。頭に傷を負ったらしい。


 考えた途端、今まで意識してなかったのが蘇るように痛みが来た。


 殴られた場所も、血が出てるところも全部、ズキズキと痛くて、痛すぎて、死んでないのが不思議なくらいだ。


「ソウタ!」


 アリアの悲鳴みたいな声が聞こえた。

 こんな情けない姿でいられない。痛みをこらえて立ち上がる。


 アリアが泣き出しそうな顔で見つめてきている。


「どうだ? 殴られる気分は」


 アリアの姿を隠すようにザボルが進み出てきて、ニヤついた愉悦の顔を向けてくる。


 くそ、言葉だけでも仕返したい。


「全然痛くないね」


「生意気な……っ!」


 ザボルが雑に蹴ってくる。


「うあっ」


 さっきゴブリンに殴られたとこに入ってものすごく痛い。


 短気なくせに、蹴りの才能はあるらしいな。


「くぅっ」


「俺様の前で生意気なことを言うからこうなるんだ。調子に乗るな、平民が」


 同じとこばっかり執拗に狙って蹴ってくる。


「ぐっ、いっ」


 痛くない、と言おうとして失敗した。これはとても痛い。精神的に参ってしまいそうなくらいに。


「あまりの痛みに言葉も出ないか」


 そのとおりだよ。


「見ろ、これが決闘を受けた平民の末路だ」


「もうやめて! 満足したなら終わりでいいでしょう!」


「俺様がこの程度で満足するとでも?」


 顔を真っ青にしてるアリアをよそに、ザボルが不満を吐いた。


「俺様はおかしいと思っていたんだ。落ちこぼれの平民ごときが、公爵家の女と一緒にいることがな」


 僕の髪を掴んで顔を寄せてくる。


「取引だ。あの女に向かってこう言え。『お前のことが大嫌いだ。死んでしまえばいい』と」


「そんなこと言うわけ」


「代わりに、お前は俺様の奴隷にならなくていい。この婚約もナシだ。どうする?」


「嘘をつくな」


「嘘ではないぞ。なんなら契約書を書いてもいい」


 なんでこんな取引を? 罠に決まってる。

 ザボルは何も得しない。これはザボルから持ちかけてきた話だ。嘘だ。嘘に決まってる。


 たしかに、契約書にそう書いて、取引として成立させてしまえば問題は万事解決だ。けどそんな馬のいい話だからこそ信用できない。


 この提案を受け入れれば全てが解決するのか?

 ……いや。もはやそういう問題じゃない。

 これは僕のわがままだ。


 ザボルの後ろにいるアリアは心配の表情を浮かべて、手をギュッと握って僕を見てきている。


「早く決めろ。俺様は待たされるのが嫌いなんだ」


「決めた」


「そうか……ならばあの女に向かって言え!」


「死んでも言うもんか!」


 ザボルが停止して、顔がみるみるうちに赤く染まっていった。


「ふざけるな! 取引はいいのか!」


「信用できない取引はしない。それに……死ねなんて言葉をアリアに言うわけないだろ!」


 僕の思ってることをそのまま伝えればいい。

 アリアのことをどう思ってるか。

 心にあるものをそのまま言葉にして伝える。それがアリアのためになる。


 ルドリク先生はそう言っていた。


 嫌い、なんて思ってない。むしろ僕はアリアが──。


「なぜ、なぜあんな女をお前は! 俺様の言うことを聞かず婚約も受け入れない、公爵の権力にしがみつく最悪な女だ!」


 そんな言葉全部ウソだ。


「こんな顔だけの生意気な女のどこがいいというのだ!」


「アリアは生意気なんかじゃない お前みたいな腐った貴族と一緒にするな!」


 『落ちこぼれでも苦しむ姿は見たくない』というアリアの言葉は僕の脳裏にはっきりと焼き付いている。


 貴族の格とか権力とか、魔法の強さとか、そういうことじゃなくて、人間的な、根本的な部分から、アリアとザボルは違っている。


「腐った貴族……だと?」


「そうだ!」


「黙れ」


 ザボルの表情が変わった。


「俺様は偉大な貴族だ」


 急にザボルが声のトーンを落として、眉間に皺を寄せて怒号を放った。


「ゴブリン、『こいつを殺せ』!」


 三体のゴブリンが一斉に足を踏み出してきた。


 目の前で振り上げられた腕が僕を狙ってきている。

 逃げ場はない。避けられない。一方を防御しても他の二体の攻撃が防げない。

 僕はゴブリン二体分の攻撃を受けて生きていられるほど頑丈じゃない。


 一番近いゴブリンからの攻撃を防ぐ形で腕を前に出す。三体同時に、太い腕を恐ろしい勢いで振り下ろしてきた。


 突然、視界が真っ白に染まって何も見えなくなった。意識を飛ばす直前の……とは違う。

 例えるならこれは、太陽。

 煌々と熱波を放つ太陽が目の前にあるかのような。


 爆風に押されて後ずさると、真っ赤な炎と一緒に、目の前にいたゴブリン三体が左にスライドするように吹っ飛んで壁に打ち付けられた。


 真っ黒になったゴブリンは多分もう二度と起き上がることはないだろう。


 アリアが目を閉じていた目を開いて、ふう、と息を吐き出し、手に持って掲げていた杖を下ろした。


 目を大きく見開いて、空いた口が塞がらないといった様相をしていたザボルが、顔を真っ赤にして声を荒げた。


「おい! 何をしている! 約束を忘れたのか!」


「覚えているわ。私はあなたの言うことを聞く。その代わりに、あなたは他の貴族を抑えて、リンフェルグ家に攻撃しない」


「ならどうして邪魔をする!」


「あなたと組むのはもう辞めるわ」


 アリアの目はいつになく真剣味を帯びている。


「あなたの約束より大切なものがあるから」


 迷いから開放されたような、凛々しくて透き通った表情だ。


「俺様と組むのをやめる!? 冗談もいい加減にしろ! ガンリック家の長男である俺様が、協力してやると言っているんだぞ!」


「協力なんてもういいわ。私は私のやり方でやらせてもらうことにしたの。それに」


 チラリ、とアリアがこっちを見てきた。


「裏切りたくない人もできてしまったから」


「ぅえ!?」


 思わず変な声が出た。


「どいつもこいつも生意気なっ……!」


 いきなりザボルが起き上がってアリアに殴りかり、拳を握りしめて振りかぶるが、攻撃が届く前にザボルは静止した。


 ザボルの眼前に火が浮いてる。炎の玉。アリアの魔法。


「私に勝てると思っているのかしら?」


「くっ」


 ザボルが右に動く。瞬時にザボルの左右を囲むように炎の球が出現する。


「くそっ!」


 ザボルがびしっとアリアを指差して言った。


「覚えていろ! お前達のことはタダでは済まさんぞ! いつか絶対、必ず殺してやる!」


 捨て台詞を吐くと、ザボルは身体強化の魔法を使って急いで逃げていった。


 ザボルの姿が見えなくなって数秒後、炎の玉が消え、ふう、と息をついたアリアの声が聞こえた。


「怪我……ひどいわね」


「あ」


 アリアに言われた途端、戦いに夢中で忘れていた痛みが蘇ってきた。


「い、たたた」


「すぐに治療するわ」


 アリアの姿がボンヤリと見える。どんどん歪んでる。

 ボンヤリどころじゃない。なんだこれ。


「どうしたの?」


「アリアが二人見える」


 意識がどんどん離れていくのが感じ取れる。血が足りない。


「ソウタ!」


 もう目の前は真っ暗だった。アリアの声が暗い中に響いた。

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