第21話

 憑依から一ヶ月が経った。

 あんなことがあったのに、何もなかったかのように学校生活は続いている。僕だけが世界の真実を知ってしまったかのような、ちょっと変な気分だけど、今の所は普段どおりの生活だ。


 今日は実践訓練だ。

 杖を授かって、憑依という力を知った。けど僕が強くなったわけじゃないし、能力も変わってないし、できることは何も変わらない。

 要するに、ゴブリンから逃げるだけの時間だ、この授業は。


 ルドリク先生に迷惑をかけてまで憑依の力を試したのにどうにもならないなんて、やるせない気分で胸がもやもやする。

 でもルドリク先生との約束を破るわけにはいかないし、現状を甘んじて受け入れるしか無い。


 そんなわけで、今回の授業も終始ゴブリンから逃げ回って、最後の最後でウィンに助けられて終了した。

 授業終了を告げるルドリク先生の声が風にのって届いてくる。


 今日も何もできなかった。


「ソウタ! 大丈夫か?」


 助けてくれたウィンが心配そうな表情を向けてくる。


「うん。ウィンのおかげでなんとか」


「ソウタも毎回大変だな。ずっと逃げてて疲れないのか?」


「疲れるけど、殴られて痛い目にあうよりはマシだよ」


「確かに、ソウタが攻撃受けたら一発で退場だ」


 一発で退場は言い過ぎだ。ギリギリ耐えられるぞ。ギリギリ。

 

「ほんと理不尽極まりないよ。僕の攻撃は通用しないのにさ」


「安心しとけって、俺がいる限りソウタに攻撃させやしねえ」


「頼もしい限りだよ」


 ウィンには本当に助けてもらってばかりだ。

 魔法剣を手に入れてから、実践訓練の時のウィンは結構強くなった。ゴブリンを倒せるようになったのだ。


 もちろんウィンは魔法を使っていないし身体強化もしていない。にも関わらず、鞘がついたままの刀でゴブリンを殴り倒してしまうのだから、その剣の腕は推して知るべし、といったところ。


 ただ、頑なに魔法剣の鞘を抜こうとしないし、身体強化も使おうとしないのが気がかりだ。身体強化の魔法は制御できないって言ってたからまだ分かる。でも鞘を抜かないのは変だ。


 ふとした様子でウィンが聞いてくる。


「それで、杖は使えるようになったのか?」


「いや、まだ」


「そうか。ま、呪われた杖なら使えなくてもいいと思うけどな」


「だから呪われてないって!」


「でも霊体が宿ってる杖だろ? 同じようなもんじゃねえか」


「そんな適当な! 霊体は呪いとは違うよ!」


 先々週の授業で、ウィンに杖のことを話した。そしたら、呪われてんじゃねえか! と言われた。


 霊体が宿ってるだけだから呪いとは違う、とは思う。ルドリク先生の部屋ぐっちゃぐちゃになったけど。


「なあ。杖の力は使わないのか? そうるればゴブリンなんて敵じゃねえんだろ?」


「使わないよ。危ないから」


「でもよ、使いたくねえのか?」


 使いたい。使いたいよ。ゴブリンに襲われる度に、杖の力でゴブリンを倒すイメージが一瞬だけ浮かぶ。


 ルドリク先生の部屋を荒らした時の、底知れないあの力があればゴブリンなんて一撃だ。


 ルドリク先生との約束がある。だから使うつもりは全然無い。でもだからといって使いたい気持ちが収まるわけでもない。


「使いたいけど、やっぱりダメだよ」


 使いたいけど。


「そうか、まあ頑張れよ。練習してれば、そのうち普通に魔法使えるようになるだろ」


「そうだね」


「じゃ、また明日の朝な。杖忘れずに持ってこいよ」


「昨日杖持ってこなかったのウィンだけどね」


 はっはっはっ、とウィンが快活に笑った。この様子だとまた忘れてきそうだ。


「それじゃ、お互い練習頑張ろうぜ」


「うん。また明日」


 ウィンが駆け足で帰っていく。実践訓練終わった直後なのに、すごい速さ。本当に人間かな?


 僕も立ち上がってルドリク先生の研究室に向かう。一週間に一回研究室に来なさいと言われているのだ。


 校内に戻って、廊下を数分歩いて、建物が寂れて平民仕様になってきたところで、研究室の前に到着。

 扉は、ノックしない。しても意味ないからだ。


「こんにちは、ルドリク先生」


「待っていましたよ。とりあえず座ってください」


 部屋の奥の片付けられた空間に、テーブルと椅子が置かれている。遠慮なく椅子に座る。

 ルドリク先生が僕の前にお茶を出してくれた。飲む。相変わらず美味しい。


「魔法は使えましたか?」


「使えません」


「そうですか」


 ルドリク先生は焦ったり怒ったりせず、優しく諭すように言ってくる。


「魔力の感覚を思い出してください。周囲の魔力を取り込むのです。あの時のソウタ君にできていたのですから、今もできるはずですよ」


 魔力を取り込む感覚、と言われても覚えていない。


 ルドリク先生の話によれば、僕は魔力を周囲から集めていたらしい。意識を飛ばしていた最中にだ。でも集めた魔力の使い道がなくて、結局暴走して部屋が散らかった。


「すいません、あの時のことほとんど覚えて無くて……」


「魔力を扱っていた自覚はなかったかも知れません、ですが体は覚えているはずです」


 憑依をしたときの記憶を探っても夢の事しか思い出せない。もどかしい。


「ソウタ君は確実に成長しています。小さな積み重ねがいつか実を結ぶのです」


「でも一向に魔法を使えるようになりません」


 口から思わずため息が出た。


 正直、ちょっとつらい。

 ルドリク先生も驚くような、大きな力を秘めた杖を使ってなお普通に魔法を使うことすらできない。ここまでお膳立てされて、それでも僕は何の力も使えない。


 少しずつ成長していると言っても、なんだか、無為なことしかしてないような気さえする。


「小さな積み重ねと言っても、気が滅入ってしまいますか……ではこうしましょう」


 ルドリク先生が何か思いついたみたいだ。


「落ち込んでいる君に一つ、頼み事をしましょう。アリアさんに関係することです」


 アリア? どうしてアリアの名前が出てくるんだ?


「アリアさんはよく相談に来るのですが、彼女はソウタ君のことで悩んでいるようでした」


「えっと、僕、ですか?」


「ええ。ソウタ君のためにできることが何もない。ソウタ君を守る方法がない。自分は無力だと言っていました」


「どうしてそんなこと」


「貴族のいざこざに、平民のソウタ君を巻き込んでしまったことに責任を感じているようでしたよ」


 貴族のいざこざっていうと、ザボルの件かな。確かにあれは、ザボルから狙われてたアリアに巻き込まれた、って形になるけど。


「端的に言えば、精神的に、彼女は追い詰められているようです。ソウタ君を守るためには近づくしか無く、けれど、近づけばソウタ君を更に巻き込んでしまう。どうしようもないですよね」


 ズズ、とルドリク先生がお茶を飲んで言う。


「一ヶ月もこの状況が続き、ストレスを受け続けた彼女がどう感じるかは、言うまでもありません」


 僕は何をのんきに、魔法のことばっかり……!


「僕は何をすればいいですか?」


 ルドリク先生が僕をまっすぐに見てくる。


「アリアさんに言葉を伝えてください」


「何を伝えれば?」


「ソウタ君が思っていることを、そのままでいいです」


 よくわからない。思っていることをそのままって言われても、ルドリク先生が考えてることと、僕が考えてること、全然違うかもしれないじゃないか。


 それにそんな言い方だとまるで、僕が言うこと全部分かってるように聞こえる。


「先生が思ってるのと、違うことを僕が考えていたら?」


「それは無いでしょう。ソウタ君はとても分かりやすいですから」


「それ前にアリアにも言われました。どういう意味なんですか」


「素直ということですよ」 


 ルドリク先生が、なぜかめちゃくちゃニコニコしてる。


「そして魔法の練習も怠らないこと。魔法を使えるようになれば、可能性が大きく広がります。私から言えることはこれくらいです」


「……分かりました」


 僕が何をすればいいのか未だによく分からないけど、どうすればいいんだろう。

 とにかく落ち込んでいる暇なんて無い、ってことは分かった。今まで通りがむしゃらに頑張るしかないな。


「それではソウタ君、今日はそろそろ帰りましょう」


「え、もうですか?」


 いつもならこれから魔法の練習の時間なのに。


「アリアさんについて、少し調べなければならないことがありまして。実は先程の実践訓練、珍しくアリアさんが欠席していたのです」


 アリア欠席してたのか。逃げることに夢中で全然気づかなかった。ちょっと恥ずかしい。


「彼女は授業を一度も休んだことがないのです」


「確かに」


 アリアが授業を休むのは今まで見たこと無い。


「加えて、今日の午前中の授業にはしっかり出ていました。しかし午後の授業だけ、理由なしに欠席しています」


 ルドリク先生が目を細めて窓の外を見る。


「嫌な予感がします」


 予感というより、何かを確信してるような気配を感じる。

 魔法について教えてもらいたいと思ってたけど、この様子だと無理そうだ。


「わかりました。今日は帰ります」


「はい。気をつけて、帰ってください」


 ルドリク先生に挨拶をしてから部屋を出る。研究室を出て、窓の外を見ながら廊下を歩く。


「今なにしてるのかな、アリア……」


 体調でも崩したのかな。でもアリアは治療魔法使えるから、ちょっとぐらい体調崩してもすぐ治せるよなあ。

 治療魔法で直せないくらいの難病を患ってたり。いやいや、だったら午前中授業に出ないよ普通。


 じゃあ貴族とのいざこざかな。ザボルとかと何かあったのかも。もしかしたら、今すぐ助けな必要な状況に陥って……。


「馬鹿だな僕は」


 僕がアリアの欠席理由を知ったところで、何かできることがあるかと言えば、そうでもなくて。


 考えすぎだ。僕は何考えてるんだ。そんなこと考えても意味なんて無いのに。


 窓の外を見ながら廊下を歩く。

 人がいる。窓の外で歩いてる。二人。手を繋いで歩いている。ここからだと後ろ姿しか見えない。


 一人は、ちょっと太ってる人。男物の制服を来てる。もう一人は女の制服を着てる。頭に布をかぶっていて髪が見えない。

 女の人が男の人に引っ張られながら歩いている感じ。


 この時間帯にここに人がいたことは一度もない。誰だろう。研究室の人かな。

 

 風が吹いた。女の人の髪がなびいて、布からわずかに出た。

 長い髪。

 綺麗な赤い髪。


「……え?」


 人気のない場所。アリアとザボルが手をつないでる。いやそんなわけ。


 角を曲がった。横顔が見える。

 アリアだ。表情が沈んでる。いつになく暗い。

 二人の姿が見えなくなる。


 僕は急いで駆け出した。

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