病葉の棺(わくらばのひつぎ)
一田和樹
第1話 豚の約束
街外れにある占いの館には「
「魔女が占いをしてくれるんだって」
あたしは、へえと気のない返事をした。占いも魔女もあたしには関係ないと思った。でも、水野きしみはそうではなかった。
「行こう」
きしみはあたしの手を取ると強引に病葉の棺まであたしを引っ張っていった。あれは少し肌寒くなってきた秋の終わりのことだった。あたしたちはまだ小学生で、残酷で薄っぺらな世界についてまだなにも知らなかった。
「ただで占ってくれるし、呪いもかけてくれるんだよ」
きしみは、空っぽの笑顔を見せた。昔からきしみは空っぽだった。全ての行動が演技しているようにしか見えない。ふつうの明るくかわいい女の子を演じていたけど、あたしにはそうじゃないってわかっていた。きしみの中にはなにもない。ただ。与えられた役割をこなすだけで精一杯だ。時々、きしみの容量を超えると、苦しみや憎しみがあふれ出してとんでもないことをしでかす。
小学三年生の時に、きしみはあたしの右腕を花火で焼いた。炎が勢いよく噴き出すヤツだ。みんなで花火をしていたら、きしみがあたしを離れた場所に連れて行って、腕を差し出させて花火で焼いた。いつもは空っぽのきしみの目がぎらぎら光って、とても楽しそうだったので、あたしは黙って痛みをこらえていた。
両目からは涙がだらだらたれ、鼻水も出て来たけど、それでもなにも言わなかった。もし見つかったらきしみが叱られると思ったから、とにかく我慢した。花火が消えると、きしみの目はいつもの空っぽに戻り、あたしをじっと見つめた。
「どうしたの? 大丈夫?」
空々しくそう言うと、大人たちのいる方に、「たいへんだよ」といいながらあたしを連れて行った。あたしがほんとうのことを言わないと確信していたのだろう。あたしの右腕には一生消えない火傷の痕が残った。それからも発作的に殴られたり、蹴られたりした。
あたしはいつも黙っていた。あたしは太っていて醜く、きしみとは違う生き物だった。きしみはふたりきりの時は、あたしを豚と呼んでいた。みんなはきしみとあたしが一緒にいるのを見ると、不思議がった。不釣り合いだと思うのだろう。あたしもそう思うし、だからきしみに、ひどいことをされても嫌だとは思わなかった。あたしは痛みと苦しみを通じてしかきしみとつながれないのだ。あの透き通ったどこまでも空虚で美しい存在に蹂躙されるのは尊い体験だ。
病葉の棺は、庭のある大きな洋館だったけど、庭の草木はみんな枯れてドライフラワーみたいになっていた。庭に入ると、きしきしと枯れ葉が鳴った。錆びた鉄格子のような扉を押すと簡単に開いた。洋館の木の扉を叩くと、内側に開き、中から声がした。
「おいで。待っていたよ」
その時、嫌な予感がした。でもきしみはかまわず、あたしを引っ張って中に入っていった。中は大広間みたいになにもない空間だった。血のように赤い石の床の上に、老婆が座っていた。ひどく痩せて、目が真っ黒だった。白目がないなんておかしい。
「呪いをかけてくれるんでしょう?」
きしみの言葉に、あたしは驚いた。占いじゃないの? 呪いってどういうこと? 言葉を全部飲み込んだ。きしみのやりたいようにさせてあげるのだ。あたしは呪われてもいい。
「お前の望みはわかっている」
老婆はしゃがれた声で答えた。骨と皮だけの身体がよく動くものだとあたしは驚く。
「死の約束なのだ」
老婆は続け、それから人差し指をきしみに向けた。
「お前」
それからあたしに向ける。
「そしてお前は死によって結ばれた」
その言葉が終わった瞬間、目眩を覚えた。ぞくりとする快感が身体の中から湧いてきた。きしみがあたしの手を強く握りしめた。じっとりと汗ばんでいる。
老婆は無言で目を閉じた。
「帰ろう」
きしみの言葉にあたしはわけがわからなかった。まだ、なにもしていない。まさかこれで呪いがかかったの? だったらどんな呪いなの?
館を出ると、夕暮れだった。ふたりで来た道を戻る。当たり前の風景が当たり前に見えない。手に取るように、きしみの気持ちがわかった。自分の弟への憎しみだ。殴り、蹴り、ひどい目に遭わせてやりたい。こらえきれない衝動があたしに伝播してくる。これが呪いなのか?
「あたしたちのどちらかが死ぬと、もう一方も死ぬ。そういう呪い。私たちはどんなに離れていても必ず一緒に死ぬんだ」
きしみはそう言うと、あたしを抱きしめた。きしみに抱きしめられることなんか初めてだった。いったいどういうことなんだろうとわけがわからなかった。きしみは、あたしのことをバカなサンドバックくらいにしか思っていないんじゃないのか? あたしは息ができなくなった。
でも、それからきしみはあたしを無視するようになった。でもそれでよかった。あたしたちは死を共有することで、互いの感覚も共有することになったのだ。あたしは、きしみの感情を下腹部に感じ、おそらくきしみもあたしの感情を同じように感じている。
あたしはきしみの感情のままに、弟を待ち伏せて殴りつけ、何度も踏んだり蹴ったりした。それから数時間したら、きしみの喜びを感じた。
きしみに嫌らしいちょっかいを出した男子を階段から突き落とし、授業中にきしみを叱った教師の家のガラスを割った。きしみから頼まれたことは一度もない。でもあたしにはわかるのだ、きしみのしたいことが。だったらあたしがきしみの代わりにやってあげるしかない。
きしみはますますきれいでやさしくかわいい女の子として人気者になり、あたしは得体のしれない、なにをするかわからないブスとして蔑まれるようになっていった。中学校でも高校でも誰もあたしに声をかけなかった。いじめの対象にすらならない。でもそれでよかった。きしみの心が憎しみを感じた時、あたしがそれを破壊してやる。すると、あたしもうれしくなる。
きしみは私立の進学校に入学し、あたしは地元のバカしか行かない公立高校に進んだ。きしみの家は近くだったけど、会いにゆく必要はなかった。あたしたちは、なにものにも負けない絆で結ばれているのだ。
高校生活も終わろうとしている頃、あたしはふと不安を覚えた。なにもかもがあたしの妄想だったらどうしよう。あたしはきしみの感情を共有していると信じて、たくさんの人に不幸を撒き散らしてきたけど、それは全部勝手な妄想なにかもしれない。病葉の棺の呪いだって、ただの頭のおかしなばあさんの寝言だったかもしれない。
一度、心配になると歯止めがきかなかった。毎日、そのことばかり考えるようになった。そういう時に限ってきしみの感情は伝わってこなかった。だからあたしはよけいに焦った。
病葉の棺に行って以来、初めてきしみに会いたいと思った。顔を見ればきっと妄想なのか、ほんとうなのかわかる。でも、もし妄想だったら、きしみは会ってくれさえしないだろう。だって、もう十年近く会っていないのだ。忘れてしまったに違いない。
思い悩む日々が数日続いた後で、突然、希死念慮に襲われた。でもあたしの感情じゃない。きしみだ。空っぽの人生に終わりを告げたい。国立大学に受かり、来春には大学生になる。でも、そんなことは楽しくもなんともない。これ以上生きていたくない。もうなにもかもが嫌だ。
あたしはきしみの嫌なものを壊してきたけど、それでは全くダメだった。世界の全てがきしみを壊そうとしている。世界から逃げなければいけない。
目を閉じると、きしみの人形のように整った空っぽの顔が見えた。こんなにきれいなのに。中には世界への忌避と希死念慮しか入っていない。あたしはきしみを助けてあげたい。
簡単な話だ。ドアノブにロープをひっかけて首を吊った。薄れる意識の中で、きしみの身体が快感に悶えているのがわかった。死は全てを呑み込み、甘く溶かしてくれる。あたしたちは死によって結ばれ、約束は果たされた。
了
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