青いバラ1輪、2輪…
西田彩花
第1話
鬱屈した毎日が続いていた。何に不満を持っているのかと聞かれると、きちんと答えられるような、答えられないような気がした。
理解してもらえるとは思わない。理解してもらおうとも思わない。だけど、このやり場のない気持ちは、どこへ持っていけば良いのだろう。誰かにぶつけたいわけでもないし、そもそも理解してもらったからといって、きっと安心もしない。
僕はいつもこうだ。吐き出したいような気持ちがあっても、結局吐き出せずにいる。抱え込んで、消化不良に終わって。今まで消化できなかった気持ちは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。そして今消化できていない気持ちは、どうなるのだろうか。
バイトの時間だ。普段通り顔を洗い、髭を剃り、歯を磨く。鏡に写っている僕は、確かに普段通りだ。
玄関へ向かい、靴を履く。
僕が就職活動した時期は、いわゆる買い手市場だった。特に夢もなく、希望職もなく、なんとなく周りと同じように採用試験を受けた。なんとなく決まるだろうと思っていたけれど、周りが内定を取っていく中、僕だけが取り残された。
じきに焦ってきたけれど、新卒採用を締め切っているところが多くなった。だんだんリクルートスーツを着ているのが恥ずかしくなり、就職活動をやめた。このご時世、フリーターも珍しくない。そう思い、学生時代にバイトしていたところでずっとバイトを続けている。いつか就職できるだろうと、心の片隅で思ってもいた。
卒業してから5年。たまに求人情報を見ては溜め息をつく。毎年バイトの学生が就職先を決めて辞めていくのを見送りながら、何で自分だけ、と思った。バイト先から何か打診があるわけでもなく、ずっと同じ毎日の繰り返しだ。
買い手市場だったのはたまたまだ。僕が悪いわけではない。フリーターだってたくさんいる。堂々としていれば良いのだ。
なのに、どうして職場に向かう足取りが重いのだろう。買い手市場でも内定をもらう同級生は数え切れないほどいた。バイト先から社員にならないかと声をかけられている人もいる。
…僕が悪いのか。僕に夢がないのが悪いのか。そもそも、僕に取り柄がないのか。
こんなことを毎日考えている。残業があるだとか、転職したいだとか、そんな愚痴すら羨ましく思えた。
「…あれ?」
いつものように玄関を開けると、青いバラが1輪、置いてあった。青いバラなんて見たことがなく、気味が悪くなった。落ちてあるような無造作感はない。きちんと置いてある。だけど、花をもらうこと自体、心当たりがない。隣人と間違えて置いたのだろうか?隣人はたまに顔を合わせるくらいで、名前すら知らない。僕から青いバラを渡すのも変だ。
とりあえず、そのままにしてバイト先に向かった。普段はもやもやした気持ちのままなのだが、この日は違った。いや、もやもやしているのに変わりはないのだが…。1輪の青いバラを思い浮かべながら、車に乗った。
バイトから帰っても、青いバラは置いてあった。隣の部屋の電気は、両方ともついている。きっとこの花は目に入っているはずだ。捨ててしまおうかと思い、手すりから下を見た。相変わらず見栄えの悪い景色だ。真下には駐輪場があり、投げ捨てるのに躊躇した。
結局青いバラは部屋に持って入った。ゴミ箱に入れるのも縁起が悪いような気がして、テーブルに置いた。
翌朝も当然テーブルに青いバラがあるわけで、どうしたものかと思った。これが赤いバラなら…いやいや、赤いバラでも気味が悪い。僕の部屋の前に花が置いてあること自体が不自然なんだ。
なるべく何も考えないようにしながら準備をして、バイト先に向かった。
「日向さん」
「…え?」
突然声をかけられて、驚いた。学生バイトの女の子だ。
「どうしたんですか?昨日から元気ないような。あ、もしかして彼女さんと別れたんですか?」
「いやいや、彼女なんていないよ」
「あれ、そうなんですか?日向さんカッコいいのに…。じゃあ…彼女ができなくて悩んでるとか?」
「いやいや…や、それはあながち間違ってないけど」
バイトの女の子は笑った。彼女と雑談したことなんて、ほとんどない。相当奇妙に写ったのだろうか。青いバラのことは考えないようにしていたんだけどな…。
「私で良ければ相談に乗りますよ。あ、難しい話は苦手ですが」
「うーん…難しくはないんだけど。昨日、玄関の前に青いバラが置いてあって。気持ち悪くてさ。それをどうしたものかと、ちょっとね…」
「…青いバラ?」
「そう。気持ち悪いでしょ?」
「ええと、それって、心当たりがないからですか?」
「心当たりもないんだよ。あと、青いバラが単純に気味悪いというか…」
「青いバラって、素敵なんですよ」
「…え?」
彼女曰く、青いバラは研究の賜物なのだそう。バラには青い色素がなく、もちろん自然界には存在しない。だけど、それを現実のものにしようと、世界中の研究者が頑張ったそうだ。それでも開発は難しく、「不可能」という花言葉がつけられていたらしい。架空のものに花言葉なんて…相当な夢だったんだなと思う。
「世界で初めて青いバラを開発したのは、日本なんです」
「え、そうなの?」
「すごくないですか?青いバラが開発されて、花言葉は『夢叶う』に変わったんです」
花言葉なんて全くに等しいほど知らないが、こんなストーリーのあるものなのだと、ちょっと感動した。そうか、青いバラ自体は気味の悪いものではないのか。熱い情熱が注がれ、花言葉でも表現されたんだな…。
「いやいや、でもさぁ」
「はい」
「花をもらう心当たりなんてないんだよ」
「そうですねぇ。昔の彼女さんとか…?」
「何でずっと彼女の話なんだよ」
「だって、花を贈るとか、恋愛っぽいじゃないですか…」
元カノにそんなロマンティストはいないよ、と笑いながらお礼を言った。青いバラは、見たことないから驚いてしまっただけなのか、と思った。
…でもなぁ。赤いバラだったとしても、気味が悪いものは気味が悪いんだよなぁ。心当たり…。
帰宅して青いバラを眺めながら、ふと思いついた。周りの幸せが辛くて、放置していたSNS。嫉妬といえばそうなんだけど、それを認めるのはなかなか難しい。SNSは見ないようにしようと、いくつかのアプリをアンインストールしたんだった。同級生たちの間で、何かが流行っていたりして…。
アプリを再インストールしてザッと見てみたが、青いバラに関する内容はなかった。だけど、それぞれが、それぞれの人生を歩んでいるのが見えた。転勤しただとか、転職しただとか、結婚しただとか。みんなそれぞれ頑張っているんだなぁ。
青いバラを見た。この花は、架空の『不可能』から現実の『夢叶う』になったんだよな。
僕には夢も取り柄もない。だけど、自分を責めると苦しいから、環境のせいにしようともした。確かに環境の影響は受けるものだけど、心の持ちようは自分次第だ。
自分の人生に引け目を感じていたのは、他でもなく僕自身だ。上手に生きてきたわけでもないし、これからもその保証はないけれど、少しだけ、前向きになれた気がした。
見えない贈り主に、そっと感謝を伝えた。僕の消化不良な気持ちに、耳を傾けてくれてありがとう。
---
はっきり言って、一目惚れだった。バイト先で黙々と作業している先輩。どこか自信なさげで、母性本能をくすぐった。でも、私のことは視界に入ってすらいないようだ。たまに仕事のことを聞いてみても、淡々とした答えが返ってくるだけだった。
ある日、先輩が1人で歩いているのを見かけた。寝癖がついたままコンビニに入っていって、その姿にキュンとした。もしかしたら、近くに住んでいるのかもしれない。先輩が出てくるのを待った。すぐ近くのアパートの階段を登っていき、3階の一室に入っていった。
ふと思いついた。花を贈ろう。だけど、直接渡す勇気なんて、ない。先輩の部屋の前に…。贈るとしたら、やっぱり私の好きなバラが良いな。バラは贈る本数や色でも花言葉が違う。赤いバラだとベタだろうか。『愛情』なんて、告白しているようなもんだし…。
…そうだ、青にしよう。青のバラには『奇跡』なんて花言葉もある。奇跡が起きれば、振り向いてくれるかもしれない。1輪のほうがさり気なくて良いかな。『一目惚れ』の意味もあるし。
自分用にも1輪買った。2輪だと『この世界は2人だけ』。もし奇跡が叶ったら、種明かししよう。私はこの奇跡を、夢見てる…。
青いバラ1輪、2輪… 西田彩花 @abcdefg0000000
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。