Dead End

 気を抜くと倒れそうなほど疲れた俺は2階の部屋で息を潜めていた。

 あれから少し経って時間は4時ちょうど。あと2時間、2時間が長すぎる。


 ……そういえば、アイツラはどうしているんだ。本当は見たくない、だけど。


『できましたぁ~。道也先輩、食べてくれるかなぁ』


 最初に見えたのは1階のキッチンの映像。まずい、若菜が動き始めたのかよ。

 料理の入った鍋を持って部屋を出ようとしている。料理の内容は……映像越しからでもわかった。とんでもないものだと。

 そして、アイツは俺の場所を匂いで感じ取れる能力があった。つまり、今すぐにでもここから動かないといけない。じゃないと見つかる。


『くんくん……道也先輩が上に居ます……』


 2階に来ようとしている。そりゃそうだ、ずっとこの階に居座っていたから。

 どうしよう。とにかく行動しないと。だけど闇雲に動けば気づかれてしまう。


 手当たり次第にモニターを動かす。3階の大広間で何かを見つけて、止めた。


『――、――、――、――』

 

 ゆのねぇが口を動かすのを思わず見てしまった。くそっ、からかいやがって。

 ……いや、ちょっと待てよ。あいつ、口パクで何かを伝えようとしてないか?


『ソ・ト・ニ・ニ・ゲ・テ・ミ・ナ・サ・イ』


 意味が分からない。やれるんなら、とっくにやってんだよ!

 ああ、もう。詩織は何処だ。照は何処だ。アイツラさえ見つければ――


『道也先輩。ここにいたんですねぇ! 探しましたよ!』


 ……見つかった。ここが鈴に扉を壊されていた部屋だと忘れていた。

 通路から部屋はすべて丸見え。視認しにくい位置に隠れていたけど、角度を変えれば発見できる。今まで照や詩織に気づかれなかったのが奇跡だったくらいに。


「ちぃっ!」

『待ってくださいよぉ!』


 部屋に置かれていた大きいテーブルを駆使して、捕まらないよう対峙する。

 その際にぶち込まれた鍋が見えた。気色の悪い物体が浮かんで、沈む。

 ……コイツに捕まったら、それを食わされる。そう考えただけで体が震えた。


『ねぇ、食べてくださいよ!! 私の愛情を!!!』


 俺に迫る“若菜みたいな何か”。状況を見たら、ピンチにあった。

 だけど。アレは大きな鍋を手に持っているんだ。それも走るのに不便そうな。

 それにモニターで確認してたけど、あいつの動きも遅かった。つまり、行ける?


「……、……」

『えへへ。今日は腕によりをかけて作ったんですよ?』


 アイツの発言は無視して、じりじりとタイミングを見計らう。

 そして、話す内にそちらに夢中になったのか、俺が視野に入ってない。


「今なら逃げられる!!!」

『あっ、待ってください!』


 その瞬間を狙って、俺は走り出した!

 アイツの右横を通り過ぎて、部屋を出て、そのまま通路を駆ける。

 案の定、後ろを見てみると俺に追い付けてない。やっぱり思った通りだ。


『どうして……どうして、私のご飯を食べてくれないんですか? いつも全部食べてくれるのに、美味しいって言ってくれるのに』

「上手いと言ってんのは若菜の飯だ!! お前じゃねぇよ!!」

『どうして……。私には……これしかないのに』


 だけど。微かに聞こえたアレの最後の声は、妙に俺の耳に残っていた。

 どこか捨てられない、もやもやとした感情を抱えながら俺は走り続けた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 アイツを撒いて、3階に。部屋に入る余裕もなく、通路の陰で落ち着けていた。

 そういや、3階は探索してなかったな。……ゆのねぇがいるから、避けてたし。


『……見つけた。やっと、やっと、やっと!!!!』


 気持ちを抑える暇もなく詩織に見つかる。いないと思ったらここなのかよ!?


「……嘘だろ、マジで!!」


 とにかく逃げるしかない。後ろから嫌な殺気を感じながら階段を降りた。

 迫り来る恐怖。どうすれば良い、何をしたらこの状況を切り抜けられる。

 思考が渦巻いて回らない頭を動かそうと必死になって、他が目に入らない。


 足元が疎かになって……転んだ。俺の体は絶望と嫌な浮遊感を覚えた。


「うわあぁぁぁぁぁ!!?」


 俺の体は階段を、床を転がって、階段から正面に位置する扉にぶつかる。

 あれ、反応が普通より大きい。扉が開いてるのか? 昨日は閉まってたのに?


『……大丈夫? でも私が直してあげるよ。転んでも、ズタボロになっても』


 いいや、あれこれ考えてもしょうがない。逃げるため、扉を開ける。

 昨日とは、まるで正反対に……扉はそのまま何の抵抗もせずに開いた。

 こうして視界が開けて、俺が覚えたのは解放感。そして、強烈な既視感だった。


 ――植物と置物とが庭園、――聳え立つ鉄の大門、――明かりの消えた電灯。

 ――そして、振り返ると後ろを森で囲まれた、巨大な洋風のお屋敷が見えた。


 見た感じは、不気味な空間だったけれど。暗闇の中、時間の流れといった差異はあったけれど。俺はこの場所に見覚えがあったんだ。



 ――ここは、ゆのねぇの別荘だ。



 間違いない。幼い頃、ゆのねぇに連れられて来た場所だった。

 だけど、なんで怪物が出てくる屋敷がその別荘と一緒なんだよ!?

 普通の夢なら俺の記憶を介して現れたんだと思えるけど、これは普通の夢じゃない。それにブログの記事で書かれていた話でも、この屋敷が出ていたはず。

 ……訳が分からない。そんな状況に、俺は頭の中がパニックでいっぱいで。

 とりあえず詩織から逃げるため、この場を小走りで立ち去る。過ぎていく道、すべてに見覚えがある。考え込んでしまい、次第に足は止まっていた。


 だから、向こうから微かに、でも確かに聞こえる足音に気づけなかったのか。


『みーちやっ』


 後ろから、肩に服越しで感じるザラザラとした肌の感触。

 嫌な予感と恐怖。顔の筋肉が強張るのを感じながら、後ろを振り返る。


 そこには、顔の右半分を火傷で失った、笑顔の照が俺を見据えていた。


『もう外に出てるのかなと思ってて探してたんだ。ずっと1人で寂しかったけど……最後は私のところに来てくれたんだ。やっぱり私たちって幼馴染なんだね』

「ち、ちがっ……」

『あははっ、嬉しいよ。あはっ、あはははは!!』


 違う、そうじゃない。否定したいのに、体が思うように動かない。

 必死にあがこうとする俺の姿を見て……満足した照は、屋敷に目を向けた。


『懐かしいよね、ゆのねぇの屋敷。昔、遊びに行ったっけ』

「……お前とじゃない」

『私と、だよ。私はあの子、あの子は私。隠せない、隠すことのできない私』


 意味わかんねぇことを。確か、昨日のアイツも同じこと言っていた。

 お前みたいな怪物が照と同じだと。認められないし、認めたくもないのに。

 俺の心は否定しきれない。それが、より奴らへの苛立ちと不気味さに変わる。

 

『かくれんぼしたり、追いかけっこしたり。あの時は私の方が足速かったよね』

「…………」

『だけど、思い出は色褪せちゃった。ずっと道也と2人で笑って過ごしたいのに。ずっと幼い時の、何も考えない時間が』

「…………」

『今は、もう存在しない。現実を見るしかない。そんなの、私は嫌なのに』

 

 輝が話している内容なんかより俺の体が欠片も動けないことが気になった。

 早く逃げ出したい。空に朝日が現れようとしている。もう少し逃げ切ることができれば、何事もなく目が覚めて、何気ない日常が帰ってくるのに。

 

『逃げようとしてるとこ悪いんだけどさ、道也。お願いがあるんだよ』


 困惑した俺の表情を見つめ、何気ない様子で笑顔を絶やさない照。

 理由は分からない。心底楽しそうにマッチを点けて……俺に向かって投げた。


『――死んで?』


 火は鼓膜を破壊するような爆発音と一緒に燃え上がる。

 ――そして、俺の体は一気に炎に包まれた!


「あああああぁ、あああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!?」


 痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!?

 炎が俺の皮膚を焦がし尽くして、まるで引き裂かれたような、無理やり剥がされたような痛みが全身を駆け巡る。痛み以外、何も考えられない。

 どうにかしたいから、もがく。だけど、痛みはますます強いものに化した。

 何が、良い。何を、何をしたら、俺は救われる、この痛みから、この地獄から!


『ほら、そんな怖い顔しないで。笑ってよ、笑顔になってよ。だって』


 焼け爛れた皮膚で覆われた手で、苦痛に悶える頬を撫でる照。

 不可解でしかない行動。俺は訳の分からない感情でいっぱいだった。

 コイツが何をしたいのか、何を考えているのか照と同じ、でもわからない。唯一わかるのは、これが何か意味していること。でも、わからない。


『笑顔じゃないとさぁ……こわーい人に殺されるんだよ?』


 今までの笑顔が抜け落ちたような照の表情を最後にして、俺の意識は途絶えた。

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