2日目

過ぎ去った後の平穏

 目が覚めると、見慣れた天井が出迎えてくれた。

 枕元の時計を見ると6時ちょうど。普段の俺じゃ有り得ない時間だ。

 だけど、不思議と眠気はなかった。あんな悪夢を見ていたというのに。


「……はぁ」


 あれって夢だよな、やっぱり。思わず息を吐き出した。

 帰ってこれた現実。緊張の糸が途切れて感じたのは喉の渇きだった。

 水を飲もうと階段を降りようとする。ちょうど下の階に着いたところで――視界に入っていた玄関の扉がこっそりと開いた。


「おじゃましまーす」


 煩くならないような、小さな声と一緒に照が入ってくる。

 その姿を見た瞬間だった。悪夢で見た怪物の姿と重なって見えた。



“燃やしちゃおうかなって私は。燃えてる道也、きっと綺麗だろうなぁ”



「っ!!?」


 反射的に仰け反る。階段に足を打った音で照がこちらに気づいた。

 まんまるで素直な瞳が俺を映すのを見て、心臓が高鳴るのを感じる。


「あれ、道也?」

「て、照。おはよう」

「……おはよう?」


 震える声を抑えつつ、何気なく取り繕ってみた。

 ……けど、不自然だよな! こ、これで大丈夫なのか!?

 心配していた俺に対し、肝心の照は姿を見るなり口を開けて驚いていた。


「道也が、私が起こさなくても起きてるなんて!!?」

「あー、そっちかよ!」


 そうだ、忘れてた! 普通だったら俺が起きてる方が異常だよな!


「やっとだよ。やっとなんだよ! どれだけ私が毎朝道也を起こすのに苦労していたことか……。うっ、うっ、うっ」

「そ、それは悪かったよ。けど、嘘泣きやめーや!」


 軽口を言って、ふざけあって。明らかな日常だった。

 今の照に悪夢も怪物も関係なかった。俺の幼馴染、正真正銘の南雲照。

 それに、ゆのねぇそっくりのあいつも言ってたじゃないか。悪夢だって。いくら現実っぽい悪夢だとしても……現実とは関係ない、ただの夢でしかない。

 そんなことを気にして、照に心配をかけてしまうのは馬鹿げてるって話だ。


「昨日は早めに寝たんだよ。それで、早く起きたんだ」

「そうなんだ。関心関心♪ でも、朝ご飯作るのまだ時間かかるよ?」

「んじゃ、今日くらいは俺が手伝ってやろうか?」

「えー、大丈夫? 失敗しないー?」

「調理部でやり方は散々見てきたんだから、真似事ぐらいならやれるぜ」

「そこまで言うなら、任せようかな。心配だけど」


 ……心配しなくても、俺だってやれることはやれるぜ。

 そもそも切ったり焼いたりするくらいなら、家庭科の授業で習ってるんだから誰でもできるだろ。洗剤で米を洗うとか料理に化学薬品入れるとかやらかさないぞ。

 まあ、そういうのアニメとかギャルゲーとかでしか見ないけどさ。……ああいう人間の常識を超えてるようなメシマズ、現実でする奴っているのか?


「2人で朝食の支度かぁ。何だか、新婚さんみたい」

「んっ? なにか言ったか?」

「あっ、ううん、何でも! それじゃ、ししゃも焼いてくれない?」

「ししゃも? りょーかい」

「助かるよ! 私、火がちょっと苦手だから……」

「ふぅん。そうだったけな」


 平和だ。そうだよな、俺はこれに目を向けてれば良いんだよな。

 さっさとあんな悪夢を忘れるべく、俺は日常を生きようとしたのだった。




「……はぁ」


 とは、言ったものの。

 強烈すぎるあの悪夢を忘れて、平然と過ごすなんてできなかった。

 朝食を食べてる時も、照と一緒に登校してる時も、授業を受けてる時も。

 現に教室で詩織を見かけた時だって、あの怪物の姿が思い浮かんだり。


「しおりーん! ごはんたべよー!」

「いいよ!」



“信じてたのに、裏切らないと思ってたのに。あなたが裏切るから……!”



(…………)

 

 信じてた、裏切らない、裏切る。

 あの時は意味不明だったけど、考えてみると引っかかることがある。

 というか、前々からそう思ってた。詩織はいかにもリア充グループにいて。

 ……だけど、詩織は仲良しのようで、まったく打ち解けてないような気がして。

 まあ、俺の思い違いだろうけど。怪物の言うことなんて気にする必要ないし。


「道也。飯食わねぇのか?」


 そうやって考え事をしてる内に、お昼時間になっていた。

 言われてみれば、お腹が空いていた。今の今まで気づかなかったな。


「あ、ああ。もちろん食うぞ。今日は一緒に――」

「おーい。道也―!」


 弁当袋を片手に直樹の机に向かおうとしたところで。

 教室の入口から照に声をかけられた。隣にちーさんと若菜も居る。

 ……夢で会った怪物の姿が蘇ったりしたけど、照や詩織で回数をこなしたせいか、怯むことはしなかった。嬉しいような、嫌なような。


「みんな、何でここにいるんだ?」

「調理部のみんなで食べることになって。道也も誘うことにしたんだ」


 照の隣に居たちーさんが説明してくれた。

 なるほど。それは本当に奇遇で、何より喜ばしい提案だった。

 ――目の前には美少女3人。後ろにはオタク臭い男友達が1人。


「ああ、そっち行くよ。ということだ。すまんな」

「ったく、てめぇは美少女に囲まれて優雅な昼食かよ! この野郎!」

「そんなんじゃねぇよ! ま、女友達のいないお前の望みではあるかもな」

「俺のじゃない! これが男の夢! 男の望み! 男の業!」

「ん? えっ……あっ、ああ」


 びっくりした。ネタやるなら丁寧にやってくれよ!


「他者より好かれ、他者より愛され、他者より女に囲まれ! 競い、妬み、憎んで、お前を食い殺そうとする!」

「…………」

「だから知る! 自ら育てた童貞からの嫉妬に食われてお前は滅ぶとな!」

「あー、はいはい。それでも食べたい弁当があるから俺は行くぜ」


 放置してると、長々とネタをやってくるので途中で打ち切る。

 まあ、あいつのあのノリは嫌いじゃないけど。付き合ってて楽しいし。


「ごめんね。なんかお邪魔しちゃったみたいで」

「ちーさんは気にしなくても良いよ。男付き合いなんてこんなもんだ」


 あいつだって本気で気にしてるわけじゃないよな。

 現に電子機研究部の奴らと食いに行ったみたいだし。そんなもんだ。


「んじゃ、いただきま~す!」

「いただきます。……あれ、照先輩の弁当。見慣れないおかずが」

「ああそれ、道也が作ったんだよ」

「道也先輩が、朝の6時に起床……!?」

「若菜まで天変地異の前触れでも見たような驚き方しないで!? そんなに俺が朝早く自力で起きたことがおかしいのかよ!」

「そうだよ」

「即答だな!?」

「あはは……照も大変だって言ってたからね」


 この野郎。調理部の方でも俺のこと言ってるのかよ……。

 迷惑かけてるのは事実だけどさ、なんというか恥ずかしい気分になる。

 だけど、そんな気分の一方で。ちーさんを見てると何か不可解な感覚を覚えた。


「話変わるけどさ。ちーさん、何か嫌なことあったか?」

「えっ?」

「ちょっと表情とか疲れてる感じがするからさ、気になったんだ」


 そうだった。実というと、教室で会った時から思っていた。

 顔は笑ってるけど、陰りがあるというか。疲れているというか。

 俺はそれが心配だった。ちーさんって真面目で頑張り屋な性格だったから、そういうの溜め込んじゃうかもしれない不安もあるし。

 だけど、当のちーさんは口元を優しく緩めたまま、首を傾げていた。


「ええっ。そんなこと無いと思うけどなぁ」

「そっか。いや、何もないなら良いんだ。勘だし、気にしないでくれ」

「道也ー。そういうのデリカシーないと思うよー」


 咎めの声。確かにそうだよな、いきなりすぎた。


「そ、それは悪かった! 悪かったよ、ちーさん!」

「ああ、大丈夫だよ。別に私は気にしてないよ」

「それにしても、道也先輩が勘ですか?」


 今まで会話を聞いてた若菜が口を開く。それに答えたのは照だった。


「私の経験からすると、意外と当たってることあるんだよ。道也って普段はどうしようもない分からず屋だけど、昔からそーゆーのには気づいたりするんだ」

「へぇ。そうなんだ」

「おいおい、照よ。俺ほど誰かの気持ちに敏感な人はいないからな!」

「えっ?」

「はい?」

「何言ってんの、道也」


 途端に、3人からの冷たくも鋭いツッコミが入った。

 遠くの方を見てみると、詩織までもが何か言いたそうな表情をしている。


「えっ? えっ? 何だよ、この反応?」

「気づいてないんだ。分かってたけど、道也は重症だね」

「自分のことを客観視するのって難しいからね。仕方がないよ」


 照はともかく、ちーさんや天使である若菜までも苦笑してるだと?

 ……すごく心外だ。昔からこれが俺の長所なのに! ちくしょう!


「それで、ちーちゃん。本当に何もないんだよね?」

「う、うん。もしかしたら、最近忙しかったからかも」

「そうだったんだー。んで、気持ちに敏感な道也クンはどうですかぁ?」

「うっせ!」


 ニヤニヤ笑う照に、若干ムキになりながら答えた。

 若菜やちーさんからの生暖かい目が、ちょっと辛かったりする。


「まあ、何もないんだったらそれに越したことないよな」

「ありがとね、心配してくれて。それじゃ気を取り直して食べよっか!」


 ちーさんは大丈夫だって言ってたけど……本当にそうなのか?

 疑問と心配は晴れなかったけど、とりあえず昼食の時間は過ぎていった。

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