必死の逃亡
逃げ出した俺は、1階のとある部屋の中で隠れていた。
運が良いことに部屋は広いし、隠れる場所も多い。今は棚の物陰で休息中だ。
1階と知ってるのは屋敷の出口がこの階にあるから。案の定、出口は開かない。
……ここから出られない、か。これがゲームなら単なるお約束で終わったものの。
自分の身に降り掛かると――絶望感が半端ない。訳がわからなくなるほどに。
「はぁ……」
ひとまずの余裕が生まれるくらいには休めたので、頭も働いていた。
なので今の状況を考えることに……だけど、浮かばない。情報が足りないし。
それに、ここが悪夢の中だと確信する一方で、それを否定する自分も居た。
とにかく現実味がなさすぎる。あの記事に書かれていた通り、ここは悪夢で、怪物がいて、捕まったら殺される――なんて下手なホラゲーみたいで。
あいつらの殺意は感じたし、殺される恐怖はある。でも、ふわふわとしていた。
――殺されるかもしれない恐怖。――根拠のない安心感。
矛盾した2つの感情が入り混じったような、歪な状態。
俺はどうなるのかという漠然とした、確実に存在する不安に変貌して。
……ダメだ、やっぱり。今のままじゃ、どうすれば良いか分からなかった。
――トン……トン……トン……
気分が沈んだ時に聞こえてきた、軽々しい木と金属の何かで奏でる音。
包丁で切り刻み、まな板に当たることで出る音だ。それに対する確信はあった。
「~~~~~♪」
俺が隠れている部屋の中、向こう側に若菜な似た怪物が居たからだ。
耳障りに聞こえるような鼻歌を歌いながら、楽しそうに料理をしている。
おそらく、ここは食堂だろう。そりゃ部屋は広いし、厨房もあるはずだよな。
『おーい、なーちゃん!!』
そうこう考えている内に、俺が入ってきた扉が勢いよく開いた。
……この声は。影の隙間からこっそり姿を覗くと、やっぱり照の化け物がいた。
化け物は俺には目もくれず、厨房の方に向かう。気づかれなかったようだ。
『あっ、照先輩。どうかされましたか?』
『なーちゃんの様子を見にきたんだ~』
『そうなんですか。見ての通りですが、まだ時間がかかりそうです』
『おっ、美味しそう! やっぱ、なーちゃんは料理が上手いなぁ、うりうり~』
『や、やめてください~! くすぐったいですよ、照先輩ってばぁ……』
……あの場所にいるのが、本物の照と若菜だったとしたら。
きっと微笑ましく見守るか、この場から出て若菜の元に駆け寄っていた。
だけど、今のあの2人は別物でだ。棚の物陰でじっとこの会話に耳を澄ませる。
『なーちゃん成分も補充したところで、早く道也を探さなきゃね』
『はい。この肝臓のソテーが出来たら、私も道也先輩のところに行きます!』
肝臓か。牛や豚とかのレバー、じゃないんだろうな。
――もしアレに捕まってしまったら、俺はナニを食べさせられるんだろうか。
考えるだけで、気味の悪さで吐き出しそうな衝動が込みあげてきた。
『そっか、じゃあ頑張ってね~! それにしても道也はどこに……』
『えっ、道也先輩なら、この近くの何処かにいると思いますけど?』
一瞬で息が止まった。思考も真っ白に染まった。
『だって匂いがしますから。道也先輩の、安心するあの匂いが』
恍惚に染まっていたアイツの呟きを聞いて、顔の筋肉が引き攣った。
何で、匂いなんかで気づかれたのか。気になったけど、正直どうでも良かった。
今の俺がするべきは、この絶体絶命の状況を何とかしなければならないこと。
どうしようと上手く回らない頭を動かそうとする。どうすれば、どうすれば、
――無暗な焦りで周りが見えなかったのか。
無意識に体が動いた時に俺の肘が棚の端とぶつかり、大きな音を立てた。
骨と固形物とが当たって出てしまった音。アイツらにバレないわけがない。
『あっ! 今のって道也なのかな!?』
『えっ、ほ、ほんとですね! どうしよう、まだ料理できてないのに』
『私が捕まえてくるね! えへへ~、カッコいいんだろうな、道也の笑顔』
こうなったら仕方がない。来られる前に、意を決して物陰を飛び出す。
部屋の出口には、俺の方が近かったから逃げ出すのに苦労はしないはずだ。
だけど、その時に“怪物”に姿を見られたし、俺も“怪物”の姿を見てしまったのだ。
『やっぱり~! み~つけた~!!』
それは照を模したもの。だけど、明らかに違うもの。
痛々しい火傷の痕、限界まで釣り上がった笑顔、猟奇的な色のない眼。
「……ちくしょう。なんだよ、あれは!」
俺の口から飛び出た言葉が、まさに気持ちを代弁してくれていた。
化け物なら、化け物らしい見た目であればまだ良かった。
幼馴染で、俺の身近な存在に似てるだけに、アレに対する嫌悪感は膨れ上がる。
――捕まってたまるかよ、絶対に。あんな化け物なんかに!!
部屋を出ると、すぐに階段を一気に駆け上がって、右に曲がった。
この建物の通路はは緩やかに弧を描いていて、端は角度の影響で見えづらい。
奥の部屋に逃げ込んでしまえば、きっとアイツらを撒けるはず。そう考えていた俺は、必死に通路を走り、奥の右側面にある部屋に駆け込んだ。
「……はぁ! ……はぁ、……はぁ、……はぁ」
入った後は、どうしても溢れる荒息を、腕で覆って漏れないようにする。
そうして聞こえてくるのは、くぐもった息の音と張り裂けそうな心臓の音。
『もう。どこに行ったの~。道也ってば』
扉の向こう側からは、微かに部屋の扉を開く音が聞こえる。
分かることは単純。照は近くにいる、そして部屋の中まで探しに来ている!
……どうすればいい。何とかしようとするけど、パニックで何も思いつかない。
そんな時も段々とあいつの足跡らしき音が近づき、比例して俺の鼓動が高鳴る。
もしかしたら、ここに来るんじゃないかと体が震えていた。早く行ってくれ!
『これで7つ目の部屋かぁ。この階には居ないのかな?』
しかし、次に聞こえたのは照らしき声、この場から去る足音。
その音を聞いて、安心して息を吐いた。良かった、助かったんだ!
そして、部屋が真っ暗なことに気づく。ふらふらとした足取りで点ける。
――ぶぉん。いきなりの鈍い音にヒヤリとしたけど気づかれた様子はない。
(ここって、さっきの……)
どうやら逃げ込んだ先は、最初の時に居た監視室だったらしい。
無機質な壁に覆われた部屋。何というか、他の屋敷の部屋と違う感じだ。
迂闊に出られない今の俺は、とりあえずモニターの画面を確認することに。
これ、屋敷の中だよな。屋敷の全容やあいつらの位置がわかるんじゃないか?
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