メゾン・クローズ 光と闇のはざまで

平坂 静音

第1話 出会い 一

 不思議な光景だ。

 少女は橋の下でくりひろげられる光景を眺めながら、ぼんやりそう思っていた。川面かわもを夕日が撫であげ、世界は黄昏色たそがれいろにつつまれていく。けれど橋の下では人々の笑い声や話し声がたえず、なにより跳ねる水音がけたたましい。

「よーし、終わったぞ」

 犬の鳴き声がひびく。気のせいか、満足そうな、楽しげなひびきだ。

 川では、男たちが身なりの良い婦人たちから金をもらって、彼女たちの愛犬を洗ってやっているのだ。都会にはこんな商売もあるのだということに、田舎育ちの少女は驚いた。なにより、たかが犬を洗うためにわざわざ金を出して人を雇おうという人たちがいることに驚いた。

 自分たちの犬が洗ってもらうのを待っているのは、いずれも高価そうなアフタヌーンドレスに身をつつんだ中流以上の家庭の主婦たちのようで、なかには少年も見えるが、きっと彼らも雇われた使用人だろう。見物人も多い。皆楽しそうに、犬が泡だらけになってブラシで洗ってもらっているのを微笑ましげに見ている。少女には犬種などわからないが、今男に洗ってもらっているのは大型犬で、毛並みが良さそうだ。

 少女は溜息をついた。そして、ふと胸のうちにほのかに燃える熱を感じた。それは、怒りなのか、悲しみなのか。憎しみかもしれない。いや、正確にいうと妬みである。

 この街では、もしかしたら自分よりも犬の方が幸せではないのだろうか、という悲しい疑問。

 風が吹いてきて首の後がうすら寒くなる。三つ編みにしている髪の毛先がゆれる。粗末なブラウスに首をうずめ、黒の古びたカーディガンをひっぱるようにして両肩を抱いた。公園では真紅の薔薇が散歩にくる人の目をよろこばせる季節だが、それでも空気はまだまだつめたく油断できない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る