第五話 沈む赤に黒が鳴く夢
俺は、あの日の夕焼けを夢に見る
西の空に浮かぶ、燃ゆる恒星。その付近を漂う雲も、あの発光体から溶け出た赤を吸ってほのかに色づいている。
カアカア。
背後で一羽のカラスが鳴く。振り返ると既に鳥足は地面から離れていて、涼風の流れに乗るように俺の頭上を羽ばたいていった。
夕焼けに向かって飛行する黒を、ただ何となく眺める。途中カーブを描いたり螺旋に下降や上昇をしたりと自由に飛んではいたが、結局は赤に帰っていった。
直に夜がやって来る。カラスも帰宅しなければいけない時間帯なのだろう。あのカラスは西に巣があるのだろうか。
「もうカラスが鳴く時間だわ。そろそろお家に帰りましょう」
風鈴の音のような声が横から聞こえてきた。
砂場で一人、小さな砂の山を作っていた俺に、麦わら帽子を深く被っているせいで顔のよく見えない女性が近づいて来る。その女性は白のTシャツに黒の腕カバー、膝が隠れる丈の水色のスカート姿で、腰まで伸ばされた黒髪を風に靡かせていた。
「さぁ、早く手を洗ってきなさい」
女性は俺が片手に持っていた幼児用のスコップを取り上げ、人差し指でベンチ付近の手洗い場を示した。
言われた通りに、公園内の蛇口で砂だらけのザラついた両手を洗う。この公園の蛇口は、力の無い幼児や高齢者でも簡単に水を出せるレバー式だ。爪と皮膚の間に詰まった砂もできるだけ落とし、蛇口を閉めた後は軽く手首を振って水を払った。払うだけでは当然手は乾かなかったが、半ズボンのポケットにハンカチは入っておらず、仕方なくそのまま手洗い場を離れる。
女性の元へ駆け足で戻った時、丁度公園内で5時の音楽が鳴り始めた。中央の柱の高い位置にある時計を見やった女性が、『最近は暗くなり始めるのが遅いのね』と呟く。
「手はちゃんと洗ったわね?スコップは自分で持つのよ」
女性からスコップを差し出されて、それを左手で受け取る。乾いていない手で砂の付いたスコップを掴んだ為、手に砂が吸い付く嫌な感触がした。
「じゃあ、暗くならないうちに帰りましょう。夕陽」
風で少し浮いた帽子の隙間から、女性のアンバーの眼が俺を見つめている。半袖半ズボンから剥き出しの手足やうなじを焼く背後の恒星は嫌気が差すほどの熱を宿しているのに、見上げた先の長い睫毛に縁取られたアンバーからは、何も温度を感じられなかった。
俺は、胸の真ん中に穴が空いたような気持ちを抱えつつ、コクリと重い頭で頷く。
「うん。ーーーおかあさん」
母さんは何故、公園で砂遊びをさせる度に俺の両手はしっかり洗わせるのに、スコップに付着した泥や砂を洗い流させはしなかったのか。
当時の俺は疑問にすら思っていなかった。けれど、今は何故だろうと考えてしまう。そして何となくだが、その疑問の答えがわかるのだ。
約三ヶ月毎に一度だけ俺を公園へ連れて行く母さんは、使用回数が少ないが故に新品同然のスコップに使用感を持たせる為に、わざと汚れを落とさないでいたのだと。
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