新型イメージセンサー
旅行から帰るとユッキーの計画は着々と進行していった。及川電機はエレギオン・グループに入り、社長以下の現経営陣は責任を負って退陣。代わりにエレギオンHDから新たな経営陣が送り込まれてる。
わたしのところにも新しいイメージセンサー開発の協力依頼が来て、及川電機にも出かけたんだけど、玄関のところで。
「これは麻吹先生、ご苦労様です」
「会長も大変だったわね」
「いえ、もう会長ではありません。単なる技術顧問です」
及川会長も退陣させられたけど、新しいイメージセンサー開発の総責任者的な地位に就けられたみたい。
「老骨に鞭打たれてますが、きっと気に入ってもらえるものを作って見せます」
及川顧問も根は技術屋なのよ。さすがに自分で開発できないけど、統括ぐらいは出来るって笑ってた。これも計算づくの人事で、なんといっても及川顧問は社内では伝説の人だし、未だに人望は篤いのよね。及川顧問が陣頭に立つだけで士気も上がるって感じかな。
「では、こちらへ」
研究室に案内してもらったけど、わたしの仕事は出来栄えのチェック。レンズを通して見えるものをいかに忠実に取り込むかが一つの焦点。細かい技術的なことは詳しくないけど、イメージセンサーとはレンズを通して入って来た光を受光素子が電気信号に変えるもの。
これも意外なんだけど受光素子の電気信号はアナログで、これをコンバーターによってデジタル化するのが基本的な仕組み。単純には受光素子の改良と、コンバーターの能力アップがポイントぐらいでイイと思う。
長いことカメラマンやってるとわかるんだけど、イメージセンサーにはそれぞれクセがあるのよね。色合いの出方とか、画像の表現に特徴があって、これをカメラマンが把握しながら、自分が撮りたいものに合わせるぐらいかな。
だからカメラマンは得意のカメラがある人が多い。あれは得意と言うより、そのカメラのクセを熟知してるぐらいとして良いと思う。初めて使うカメラでは、どうしたってイメージしている絵と記録される画像に差が出ちゃうのよね。
これはレンズにもあるんだけど、ロッコールで加納志織モデルを作った時には、いわゆるレンズ特性を極力排除させた。独特の風合いが出るレンズを珍重する連中も多いけど、わたしに言わせればレンズの妙なクセを嬉しがってるだけとしか思えないのよね。
写真は見えたものを撮るのが基本。これもわたしの持論だけど、ファインダー越しに見るものと、肉眼で見えてるものは同じじゃなくてはいけないって。この辺は異論も多いけど、ファインダー越し見たら違った世界が見えるのは、カメラのクセとか、レンズのクセにすぎないと考えてるの。
イメージセンサーの開発目標は、加納志織モデルのレンズ越しに見える画像をそのまま取り込むのが目標。この考え方も偏りあると思ってるけど、悪いけど麻吹つばさモデルだから仕方がない。
そうそう見えるものをそのまま画像にしたのでは、写真としてイマイチの事もあるのは現実。三次元の世界を二次元で表現してるし、肉眼で見えてるものって言っても、あれだって脳内補正はかかってるのよね。
そのギャップを埋めるのが画像処理になる。プロは自分でやるけど、最近のコンピューター処理の進歩は凄まじいから、これだっていずれ自動化されるかもしれないけど、今はまだ人の感性の方が上だと思ってるし、機械より上だからプロと名乗れると考えてる。
わたしのコンセプトは出来るだけ明瞭に伝えた。後は節目節目にチェックを入れるだけかな。売れたらいいけど、どうなることやら。三十階の仮眠室での飲み会、もとい女神の集まる日に、
「ユッキー、わたしのコンセプトでイメージセンサー作らせてるけど、あれでイイのかな」
「うん、あれ。さすがにカメラはそんなに詳しいとは言えないけど、コンセプトとしてイイと判断してる」
「ユッキー、カメラがわからないのにコンセプトはイイってどういうことよ」
ユッキーはビールをお代わりしながら、
「それはね、後発の場合は先発と同じ路線で勝負してもシンドイのよ。今までにない分野を切り開いてこそ認められるし、そこにビジネス・チャンスが生まれるの」
言わんとすることはわかるけど。
「でも新しい分野って受け入れられるかどうか未知数過ぎるんじゃない」
「当然よ。ノー・リスクで成功をガッポリなんてこの世にはないのよ。言い方を変えればリスクが高すぎてチャレンジされないところにこそ、大成功が埋まってる事が多いのよ」
「でも失敗したら」
「リスク・マネージメントだね。あれぐらいの損失なんて、エレギオン・グループにしたら経費の内にも入らない」
そりゃそうだけど、
「それに保険もかけてある」
「そんな保険があるんだ」
「ないよ、保険は麻吹つばさだよ。売れっ子の麻吹つばさが絶賛したら、これからのスタンダードになる可能性すらある。この分野では先行するから、技術的アドバンテージは当分保てる」
ここでユッキーが悪戯っぽく笑って、
「あのイメージセンサーは画期的なものになるよ」
「どういうこと」
「十九年前の第二次宇宙船騒動覚えてる」
覚えてる、覚えてる。突然神戸空港にエランの宇宙船は着陸して来るわ、光線銃みたいな物凄い武器まで持ってたのに、エラン人たちは警官に全員あっさり逮捕されちゃうわで大騒ぎだった。
「あの宇宙船は、そのまま政府のものになったのよ」
当然そうなるよね。えらい苦労して神戸空港から隣接する空き地に移動させて、宇宙船ごと研究所にしてる感じかな。
「その後にあれこれ研究されたんだけど、とにかくトンデモなく進歩しているものだったから、政府だけではお手上げになったのよ。だって、そこに書かれてる文字だって解読するのにほぼお手上げ状態」
あれからなんの発表もないけど、そうなってたんだ。
「困った政府は民間にも研究を委託したんだよ」
「もしかしてエレギオン・グループにも」
「もちろんよ」
そんな舞台裏があったんだ。
「うちが委託研究されたものに、画像技術もあったのよ。正直なところエレギオン・グループの総力を挙げても解明できた部分は少しだけど、その中に受光素子技術に近いのもあるのよね」
「あったの?」
「そうよ。カメラとは違うけど、エランではサイボーグ技術も進歩してたんだよ。これはアラに聞いた話だけど、完全な人造人間まで作れたそうよ」
エランなら出来るか、
「でも完全な人造人間となると人とのトラブルもあって、宇宙船が来た頃には代用臓器技術としてのみ限定利用されてたで良いみたい」
「わかった、人工網膜ね」
「惜しい。眼球ごと入れ替える人工眼球だったわ」
凄い技術だ。でも眼球ってカメラに似てるのよね。角膜というレンズを通して網膜に画像を投影し、脳で画像処理してるんだもの。
「エランの人工眼球は網膜にあたる部分で直接デジタル信号になってるのよ」
「へぇ、ADコンバータは不要なんだ」
根本的に現在のCCDやCMOSと違うぐらいは想像できる。
「ただね人工眼球として使用するには、その信号を人の脳がわかるようにする補助人工脳が必要なの」
脳の情報伝達は神経が行うし、神経の情報伝達も電気信号だから、人の脳の電気信号へのコンバータって感じかな。
「その補助人工脳って大きいの?」
「小さいよ、米粒ぐらい。補助人工脳の解明は未だに悪戦苦闘状態だけど、網膜の受光素子部分はかなり解明できてるのよ」
さすがにエランは進んでるよねぇ、よくそんな宇宙船に襲われて地球が生き残れたものだわ。
「でもそれって国家機密なんじゃ」
「だいじょうぶ、ちゃんと利用許可は取ってある。軍事技術じゃないから取れた。その辺は委託時の契約で細工もしといたし、与党関係者への根回しもバッチリ」
政府相手に凄いことやってるんだ。
「網膜部分だけでもよく解明出来たね」
「あの時の宇宙船には医務室もあったのよね。そこに眼科の医学書もあって、そこに人工眼球の修理法も書いてあったのよ。それだけじゃなく基礎理論も書かれてたの」
なるほど人工眼球は眼科に含まれるのか、
「それにしても良く手に入ったね」
「現代エラン語って誰も読める者がいないどころか、話せる者だっていないのよ。それは今も同じ。一部は読めるようになってる部分はあるけど、専門書になると完全にお手上げってところかな。だから唯一話が出来るわたしのところにゴッソリ委託されてるの」
「ユッキーは読めるの?」
「まあ、なんとかね」
エレギオンHDはその子HDの上にいるスタイルだけど、数は少ないけど直接の子会社も持ってるの。その一つが科学技術研究所。世間的には科技研の方が通りが良いけど、理研さえ遥かにしのぐ研究予算が注がれてる。規模も壮大で万博やった後も空き地になっていた大阪の夢洲をゴッソリ買い取って巨大な研究所を建ててるんだ。
科技研の強みは研究所自体のレベルも高いけど、エレギオン・グループと連携しているところなのよね。これは産み出した技術をダイレクトに商品化するのにも役立つし、エレギオン・グループの各社が持つ技術を研究所が自在に利用できるのもあるみたい。
ここまで来るとわかるけど、エランの人工眼球研究のうち、網膜部分の実用化の目途がついた時点でユッキーは動いていたで良いみたい。ここまでエレギオン・グループは精密電子機器分野の展開は積極的じゃなかったけど、人工網膜技術を実用化すれば大きなマーケットを取れるぐらいの算段かな。
手始めはロッコール。あれも今から考えると、あのレンズ技術は人工眼球の角膜部分の応用だったのかもしれない。わたしも開発に参加したけど、あれだけ人間の眼に近いレンズが出来上がるとは思わなかったぐらいだもの。だからだと思うけど、未だに加納志織モデルは世界一のレンズとされて、これに及ぶレンズは出てくる気配もないぐらい。
レンズのマーケットは大きいとは言えないけど、ユッキーがマリーにカメラ部門の再建を命じていたのは、本命のイメージセンサーの宣伝のためで良さそう。おそらくだけど及川の新型センサーに一番相性が良いのがロッコールのレンズ。だって元は同じエランの人工眼球技術から出来上がった製品だから。
マリーが作るロッコールのカメラはこれで大儲けすると言うより、レンズと及川センサーの相性の良さをアピールする実物と見て良さそう。そりゃ、市販するから誰でも買えるし、使って見ることもできる。
及川の新型センサーは科技研で受光素子部分が実用化に近い段階まで既に開発が進んでいたから、二年足らずで完成したわ。従来のCCDやCMOSを上回る性能であったのも大きなニュースになったけど、業界の受け止め方は衝撃を越えて深刻で、競合各社は一挙にお通夜状態になったらしい。
そりゃ及川センサーはこれまでのCCDやCMOSの技術発展上に作られたものじゃなくて、まったく新しい技術体系の上で作られてるのよね。そりゃエランの技術だもの。及川センサーを追いかけるためには、イチから開発を始める必要があるのだけど、あの科技研が二十年近く先行しているから、果たして追いつく日があるかも疑問なぐらい。
カメラ業界も深刻そうだった。及川センサーの優秀さはすぐにわかっただけではなく、及川センサーと相性が抜群に良いのがロッコール・レンズ。センサーも作れず、レンズも作れなければ競争にならないってところかな。
そのせいか西川と組んでネガティブ・キャンペインを張ってきた。西川も一門にロッコール・カメラもレンズも使用禁止令を出したと聞いてる。でもね、東京でいくら西川一門の力が大きいと言っても直弟子勢力は四分の一もないのよね。残りは西川に逆らうと怖いぐらいで従っていただけ。
まずは西川の影響が及ばない関西に仕事がドンドン流れ出した。そうなりゃ、東京の写真家の生活が苦しくなるから、西川の影響の少ない連中から反旗を翻しだし、これは聞いて笑ったけど、ついにはあの竜ケ崎まで西川に反旗を翻しちゃったんだよ。まあ、食えなきゃそうなるわ。
西川とカメラ業界の敗因はセンサーとレンズの優秀さもあるけど、相手にしたのが悪かったと思ってる。そりゃ、エレギオン・グループを敵に回しちゃったからね。先に崩れたのはカメラ業界だったもの。
ロッコールの新型カメラだったけど名前は、
『ロッコール・ワン・プロ』
そんなに捻ったネーミングじゃなく、カメラ部門再建の一号機だから『ワン』で、画像処理エンジンがないロー画像専用だから『プロ』って事だと聞いた。操作系も割り切りで、基本的にお仕着せオートはなく、マニュアル機能重視ぐらいかな。
ロー画像専用のために連写機能はイマイチ。あれだけデッカイ画像を高速連写で保存するのは無理があるだろ。オートフォーカス機能も評価は高いとは言えない。連写重視の連中には敬遠されるかもしれないけど、プロなら必要にして十分な機能と言える。
お値段もはっきり言わなくても高いけど、まず多くのプロが飛びついた。理由は噂の及川センサーの真価を知りたかったからでイイと思う。とにかく及川センサーが搭載されている機種はこれしか存在しないからね。
プロが使って評価しだすとアマも手を出し始めた。やはりプロが評価すると自分も使ってみたいの誘惑が出るもの。大ヒットは言えないけど、マーケットにはもうちょっと廉価版の画像処理エンジン付の普及機が欲しいの空気が醸し出されてる。
使ってみた感想? 良かったよ。これこそ欲しかったダイレクト感だと思ったもの。わたしが使っているのも、ちゃっかり広告に使われちゃった。サトルにも感想を聞いたのだけど、
「不思議なカメラですね。これに慣れちゃうと、今までのカメラはまるで色眼鏡を通して見てた気さえします」
さすがはサトルだわ。このカメラの本質をついている。いや、このイメージセンサーの本質かな。さらにロッコール・レンズ以外だとイマイチ感が増幅される不思議なセンサー。とにかく一機種しか発売されなかったから、世界の写真家が集まるとみんな同じカメラだったの笑い話が出たぐらい。
まだセンサーの製造数が少ないからこんなものだけど、これが量産されたら世界のマーケットを握るのは確実だよ。ただイイことばかりじゃないみたいで、ヒール履いて、竹馬に乗って、背伸びしてなんとか指先が届くか届かないかぐらいの先進技術じゃない。
レンズもそうだけど量産が大ネックになってるんだって。そこの改善に全力を投入してる話だったよ。そこが克服出来たら、及川電機も世界的大メーカーに成長するはず。ロッコールもね。
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