第17話


「そんな……ここに置いていく気か? その不気味なぬいぐるみはいいのか?」


「ぬいぐるみと少女はマッチするだろう?」


 ふと思い出し、マニュアル本を取り出す。確か、山での過ごし方について記されていた。


「マニュアル四十六、山に人を置き去りにしてはいけない(※とくにアルスト山ではよくない)」


「わかったよ。君、ロープかなにか持ってる?」


「俺をぶら下げていくつもりか?」


「しょうがないな、これで我慢するか」、コルロルの長い髪のような触覚が束になって動き、ライアンの胴に巻きついていく。そしてあたしを腕に抱えると、真っ黒な翼が左右に広がった。


「わわっ」、ライアンは結局、横向きにぶら下がる恰好で浮いた。「すっごーい! あはは! 飛んでる飛んでる!」、腕の中で、ぬいぐるみがはしゃぐ。


「気になってたんだけど」、あたしはライアンへ叫んだ。「あのどんぐり、どうするつもりだったの?」


 姪っ子にあげるという話は、嘘だと言っていた。


「君たちは知らないんだね。君たちのお父さんは、名の知れた芸術家だったんだ。あのどんぐりは、彼の最後の作品さ。どこにも展示されなかったが、彼は死ぬ直前のインタビューの中で語ってる。娘たちに金のどんぐりを送ったと。幻の作品ってとこさ」


「父さんが? 芸術家だったの? たしかに、よく何か創ってたけど」


「君たちのあの生活を見る限り、人と関わらず細々と暮らしたかったんだろうね」


「あのどんぐりに、そんなに高値がつくの?」、棚の上に置かれたどんぐりが思い出される。保管の仕方とか、気を使わなくて良かったのだろうか。


「あれを欲しがる熱狂的なファンはごまんといる。価値はそうだな……、一生遊んで暮らせるくらいか……人の命を買えるくらいかな。ちゃんと彼のサインが入っていたしね」


 どんぐりを太陽にかざしていたライアンが頭に思い浮かぶ。あれは、サインを確認していたのね。


「ねえねえ、あのね、あなた、名前はなんて言うの?」、ぬいぐるみはあたしを見上げる。


「レーニス」


「そうなの? それじゃあねえねえ、私は?」


 私は? あたしに聞いてるのか。


「そうね、テディーなんてどう?」


「ぃやったー! 私テディー、うふふ、嬉しい!」、テディーは綿の飛び出した柔らかい手で、あたしの腕を何度も叩いた。体いっぱいに喜びを表現してる感じが、私には新鮮だった。


 あたしは辺りに視線を巡らせた。でも夜の闇の中に、一際暗い山の形が、影となってやっと見えるくらいで、リーススを探すのは難しそうだった。


「この辺りにはいないね」、コルロルは呟く。


「見えるの?」


「人は見えないの?」


「山の影しか分からない」


「人間になると、いろいろ不便そうだなあ。分かった、朝陽が昇ったら起こすよ。今は眠るといい」


 牙の突き出した口端が、きゅっと持ち上げられる。


「あなたは、どうするの? 寝なくて平気なの?」


「人間ほど睡眠は必要ない。でも、十年前、君が僕の腕の中で眠ったろう?」


「眠ったかしら。こんな落ち着かない場所で?」


「眠ったんだよ。ほんのちょっとね。それで、睡眠欲っていうのかな、それを盗っちゃったから、前よりは眠くなるよ」


 言われてみれば、あたしは疲れて眠りはするけど、寝たいと思ったことは無い。あまり気づかなかったけど、睡眠を望む欲求が盗られていた、ということらしい。


「その水晶は、欲まで盗るの?」


「欲もないと、人間じゃないだろう?」


「なぜ、人間になりたいの?」


 そう尋ねると、コルロルは少し間を置いた。それから答えた。


「最初は、興味本位だったんだ。怪物でいるのに飽きていたのかもしれない。自分に寿命があるのかも分からないし。途方もない時間を、ただ貪っているようだった。生きたいとは思わなかった。ただ、死ぬのは何より怖かった」


「怖い?」、怪物なのに?


「怖いよ。いつ来るかも分からない死に怯えてばかりだった。そんな自分にうんざりしてた。そこに、感情を集めれば人間になれる、というアイテムが差し出された」


 三角水晶へ目がいく。中には数色の煙が閉じ込められ、絶えずゆっくりとたゆたっている。


「人間の方が、死にやすいと思うけど」


「そうだね。でも、変化が欲しかったんだ」


「そういえば、あたしがあなたに恋をしていたと言ってたけど」


「そう思ってるよ」


「それは、愛を手に入れたことにならないの? あなたに向けられた恋を盗んだんじゃないの?」、あたしはコルロルを見上げた。


「空気を読んで黙ってまーす」、ライアンが横槍を入れる。


「いい質問だ」、コルロルは口端を釣り上げ、耳をピンと立てた。「これは僕の推測だけど、この水晶の中で色となって確立するには、一定の強さや深さが必要なんだ。バケモノを前にした恐怖みたいなね。さっきは恋って言ったけど、君があの頃僕に向けていた感情は、正確には『慕う』ってものじゃないかな。慕うっていうのは、愛に数えられるかもしれないけど、本体ではないよね」



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