夏の蒼が滲む

みちる

夏の蒼が滲む

今の世の中は便利だ。けれど、裏を返せば残酷なことでもあると私は思う。

下手したら世界と繋がれるSNS。そこで、全国の同じ部活に所属する「仲間」が、嘆き、悲観し、大騒ぎをしていた。

内容は至って簡単だ。

「全国大会中止のお知らせ」。

高校3年生にとっては、3年間の集大成になる最高峰の大会。それはどの部活においても同じことだろうし、流行ってしまった妙なウイルスのせいで、全国の学生は、押し付けられた理不尽に泣き寝入りしている状況だ。つまり何も、私だけが特別でもないわけだ。


それでも、だ。

悔しかった。

挑戦すら許されないのだ。

私は今の部活に中学生の時も所属していたから、実に6年間の集大成である。

その6年は、決して楽しいことだけではなかった。

苦しいことや辛いことが多い中で、少しずつ認めてもらってきたのだ。

この大会のために、どれほどの涙を流したことか。

それが、ウイルスのせいで終わる。

行き場のない怒りを抑えて、私はSNSを閉じた。

そして、同輩にだけ連絡を入れた。

事実だけを、淡々と。


「全国大会が中止になりました」


自分が酷く冷たい人間に思える。感情を悟られては行けないと思ったから、こんな文章になったのは仕方ないのだけれど。

そうして連絡を回して初めて、私は喉につっかえた熱い重りをストンと落とした。

ストッパーでも落ちてしまったみたいに、涙が止まらない。


誰を責めていいのか分からない。

何をしていいか分からない。

今の私は、きっと汚い。そもそもそんなに綺麗な人間ではないが、どんな慰めの言葉も、前向きな言葉も、今は威嚇してしまう。噛み付くことでしか自分の心を保っていられそうにない。

止まらない涙を散らしたまま、「全国大会中止のお知らせ」の文字を私は睨んでいた。



2日も経てば立ち直ったような気がしてくる。

その日はなんだか眠たくて、私は早めに布団に入った。

夢を見た。

私は青空の下でバインダーを手にしている。

同輩に呼ばれてホールに入り、聞きなれたナレーションが順位を告げる。

手を組んで祈る。同輩の名前が先に上がる。心細くなる、心臓が早鐘を打つ。

最後の一人になった。呼ばれたのは私の名前だった。

鼓膜が震える歓声。

優勝したんだ、私。

地区1位。この調子で県も突破したら、全国大会に出られる。

手にしたトロフィーはずっしりと重くて、渡された賞状はこれまでにない大きなサイズ。

嬉しい。…嬉しい!

……ああ、でも。

描いた夢。それを見てしまうなんて。

全国大会は中止。どんなに願っても、祈っても、私は手に出来ないのだ。

ふと気が付いたら、私は青空の下に戻っていた。

蝉の声がする。入道雲がくっきりと映えている。

これは夏の蒼だ。私が越えられなかった、真っ直ぐな夏だ。輝いている蒼だ。叶わない夏だ。

夏の蒼が滲む。飛行機雲が、霞む。


目が覚めた。

涙と汗で、全身がぐっしょりしている。呼吸が荒い。胸が痛い。脱力して起き上がれない。

見ていたのは幸せな夢だったのに、体では悪夢だとわかっていたみたいだ。

今何時だろう?

ゆっくりと手を伸ばしてスマホを確認したら、朝の4時だった。

もう、このまま起きていよう。眠るのも怖い。

しかし、私の悪夢は終わらなかった。


朝。課題を前にして、手が動かなかった。

やりたくないなぁと強烈に思ったらもう無理だった。

…やらなきゃ。やらなきゃ。

焦るばかりで時間は過ぎていく。

5分後、私はシャーペンを置いた。

カーテンが風を孕んで膨らむ。…風が逃げる。

それで正解だよと、頷かれているような気がした。

その日から課題には触れていない。


私には交際している人がいる。同じ高校の、同学年の人だ。

なぜかは分からないけれど、私は彼からの着信が怖くなった。

着信と言っても、電話ではない。ただのメッセージなのだが、落ち込んでいることを隠すために、何度も打ち直して返事を返すのが億劫になった。

同輩からのメッセージが何よりも怖かった。

私が責められたらどうしよう、なんて謝ろうと、私が悪い訳でもないのにそんなことしか考えられなかった。

悪い方へ考えたものは、何故か昔から現実になる。

同輩が「なんでそんな平気そうなの」と、グループチャットの中で言った。呟いただけで悪気はなかったのか、本気で憎んで言ったのか。

私は例のとおり、文章から感情を悟られないように必死だった。

私だけが可哀想な顔をしてはいけない。皆、考えていることは同じなのだからと。

でも、逆効果だったみたいだ。

「私も悲しいよ」

それだけ返信して、スマホの電源は切った。

どうせ今日もあの夢を見る。どうせ明日も課題は手につかない。

笑い話にできる日まで、待っておかなければならない。耐えなければ。


そんな私の暗い影を悟って寄り添ってくれたのは、意外な人物だった。

「弱いの含めて好きになった。一生懸命頑張ってるところが好き。」

返信をするのが億劫だった、恋人からの言葉。

強がりな私が弱いことを知っていて、でも弱い部分を指摘されると頑張りを否定されたような気になる、面倒な性格もわかっていて。

億劫だなんて思ってごめん。もっと向き合わなきゃいけなかったね。



これを書いている今も、例の悪夢に飛び起きたところ。同輩の「なんでそんな平気そうなの」の真意は分からないままだし、大会のショックから立ち直ってもいない。課題は一文字だって進んでいない。なんなら恋人への返信は、やっぱり少し間が空いてしまっている。

それでも、「一生懸命頑張り」たいのだ。

今はスピードが出せない。ずっとこのままではいけないけれど、焦っても解決はしないだろう。眠れない夜に涙が溢れてしまうような弱い人間だから、いきなり走ったら崩れてしまう。

今年大会がないということは、将来何を言っても自由だ。

大会が予定通り開催されていたなら、私は一位になっていた。そう語れるほど図太い人間になれたら、少しは強くなれるんじゃないかな。

今はまだ、夏の蒼を夢見て空を滲ませる。

きっと本当の夏は、どこまでも澄んだ綺麗な色をしているだろう。

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