第31話 トリオ

 目が覚めた。いや、辺りは真っ暗で何も見えないし何も聞こえないから、もしかしたらまだ夢の中かもしれない。そう思った直後――背中に刺すような、焼けるような痛みが走った。この痛みは……思い出した、旗師会の奴らに刺されたものだ。前言撤回、これは紛れもない現実だ。


「痛ぇな、ちくしょう。最悪の寝覚めだ。……にしても、熱い!!」


 やたらと体が熱く、怠い。クリムから無理矢理食わされた獣肉が、急速に俺の血肉へと転換されているのだろう。体はまだ満足に動かせそうにないが、着実に回復していることがわかる。あと一日もすればひとまず歩けるようになる――そう考えていた時だった。


 洞窟の外、すぐ近くから足音が聞こえた。旗師会の追手かもしくは野生動物だろうか? 警戒するが、体も動かないのでじっと息を潜めることしかできない。


 しかし、迷いなく真っ直ぐこちらに向かってきていることから、恐らくこの洞穴を知るクリムだろう。警戒を解く。するとクリムと思わしき人影が洞穴を覗き込んだ。外からの夕焼けが逆光となり、その姿はよく見えない。


「クリムか? もう怪我の方はだいぶ良くなっ――」


「このっ――大馬鹿紫苑さんーー!!」


 そう叫びながら、何者かが細い洞穴をゴキブリのように這いずり、勢いのまま俺の脳天を頭突いた。


「――っ!?」


 驚き過ぎて、声も出なかった。クリムの野郎がいきなりぶっ叩いて来たのかと思ったが、声が明らかに違った。この素っ頓狂に跳ねた声色は――。


「の、乃蒼!? どうしてここに……!?」


「いてて、紫苑さん、結構石頭なんですね……。えぇ、はい、乃蒼ですよ! おー、いてててて……」


 頭をさすり、涙目になった乃蒼がそこにいた。たった一日ぶりだが、もう何ヶ月・何年ぶりに会ったかのような気がした。


 ――あぁ、やっぱりこれは夢の中なのだろうか。 こいつがここに現れるなんて、現実だとは思えない。俺はそんなに頭痛くないし。だが、夢だとしたら、もっと言葉がスラスラ出てきてもいいものだが、全然出てこない。


「……っ、乃蒼、その……」


 俺が言葉に詰まっていると、頭をさする乃蒼が俺を一瞥するとギョッとした様子で目を見開いた。


「うわッ! 何が「怪我の方はだいぶ良くなった」ですか。まだボロボロじゃないですか! ったく、もう〜。はい「回復」の絵です。失った血までは戻りませんが、出血を防ぐことはできますので」


 不躾に渡された一枚の絵。鮮やかな緑と黄色をベースに描かれた、紛れもない「回復」の絵だった。


 俺は絵と乃蒼を交互に見る。まだ何が起きているのか理解できていない。


「いや……は? 何これ、ありがとう。いや、違う……だから、何でお前、ここにいるんだ?」


 パニクる俺の様子があまりにもおかしかったのだろう、わざとらしく仏頂面を決め込んでいた乃蒼はとうとう笑いが溢れてしまったようだ。


「ふふふっ。ちょっと見ない間に、ポンコツ感増してるじゃないですか! いいから使ってください!」


「ポンコツて……」


 乃蒼に気圧され、俺は言われるがまま絵に手を伸ばす。そして絵の中から緑色の結晶体を取り出し、自分の体に押し当てた。暗い洞窟内を幻想的な光が包む。光が消えた頃には背中にあった鈍痛、体中を覆っていた倦怠感が一気に消えていた。


 残ったのは乃蒼が何故ここにいるのかという疑問だけ。それを察したのか、乃蒼が口を開いた。


「実は、旗師会を抜けてきちゃいました」


 旗師会をヌケテキチャイマシタ? まだ少しぼんやりした頭で言葉を反芻する。ええっと、つまり……旗師会を辞めたってことか!?


「は!? なんでだよ!? あそこならお前の親父も見つけてくれるし、お前を受け入れてくれる仲間がいっぱいいるんじゃ――」


 考え得る旗師会でのメリットを並べるが、乃蒼は聞く耳を持たなかった。依然として覚悟した面持ちで俺を見つめている。


 一呼吸置き、乃蒼が言う。


「紫苑さん! ……あなたは、どっちですか?」


「……!」


 それは俺が乃蒼に初めて逢った時に聞いた質問であり、出会う者達全てに問うてきた質問。そして――最も自分が聞かれたくない質問だ。


 回復の絵で体の傷は全て癒えたはずだが、どこかが痛む気がした。


「俺は二・五次元種……。二次元種でも、三次元種でもない。どっちでもな――」


「まぁ、どっちでもいいんですけどね!」


「……は?」


「じゃあちなみに、絵は好きですか? 嫌いですか?」


 俺の回答は無視され、かと思えばなんの脈絡も無い質問を投げかけられた。その質問の意味も見いだせず、俺はただ思ったままを答える。


「別に、嫌いでは……いや……ええい、好きだよ。それが何だ?」


 そう答えると、乃蒼は心底ホッとしたようにため息を溢した。


「良かった! じゃあ、私と同じじゃないですか! 絵が好きな私と一緒の「仲間」です!」


「仲間……」


 俺の復唱にうんうんと頷く乃蒼。


「てか、私にとって二次元種か三次元種か二・五次元種かなんて、どうでもいいんですよ」


 ウフフと笑う乃蒼。俺は、ちょっと馬鹿にされたような気がした。


「どうでもよくないだろ! 生き物として、いやそもそも存在としての分類が違うんだ」


 すると乃蒼はちょっと困った様子でため息をつく。


「うーん。私、思うんです。その人が「何者なのか」なんてどーでもいいんです。重要なのは、その人が「何をするか」だと思います。私は「絵が好き」で、「絵を描く」人です。紫苑さんも「絵が好き」で「絵を蒐める」人ですよね。お互いの好きなもの、やりたいことが一致してると思うんです! だがら、私と紫苑さんは仲間なんだなぁって思うんです!」


 乃蒼のたどたどしい説明に俺は答えられなかった。今までの俺の考えが全て否定されたかのようだ。しかし、悪い気はしない。こんな俺に対し、喋り慣れていない乃蒼が熱弁し、仲間だと言ってくれる。


 ――しかし、それでも俺はまだ受け入れることができなかった。受け入れたい気持ちの反面、この言葉がいつか裏切られるのではないかと、恐怖しているのだ。本当に、卑屈なこの性格が嫌になる。


「だが……やっぱり三次元種のお前と俺は違う。俺は異常な――」


 乃蒼はハァとひときわ大きなため息をついた。


「もー。じゃあ、あんまり言いたくなかったですけど、私の異常なところ教えてあげましょうか? ぶっちゃけ、私、三次元種の人間って好きじゃないんですよね。むしろ嫌いです。大っ嫌いです」


「なっ……」


 突然の告白にたじろぐ。しかし、乃蒼は続ける。


「私、住んでた村の人達から迫害を受けてたんです」


 「何を言ってるんだ」と思ったが、彼女の生い立ちを思い返すと合点がいった。


「そりゃあそうですよね。人類の敵である多くの二次元種の産みの親が、有名な絵師である私の父なんですから! 目の敵にもしますよね! お陰で私と母は住む場所も食べる物も奪われました! そして……病気になったって、誰も助けてくれなかったですよ!」


 乃蒼の目に、静かに怒りの色が見え始めた。


「だから私は真冬でも湖で魚を取りに行き凍える思いもしましたし、浴びせられる罵声も無視してはね返しました! どんな怪我も自力で治しました! 母だけはどうすることもできませんでしたけどね……! こんな思いをさせた父を探して、会った時に私は何て言うと思います!?」


 俺はまたしても答えられなかった。答えが分からないからではない。あまりにも、乃蒼が俺と似た境遇で会ったことに驚いているからだ。否――俺には支えてくれる爺や婆ちゃんがいた。両親に捨てられた哀れな子供として育てられてきたが、乃蒼の境遇はそれより遥かに過酷だ。まさか、こいつがこんな人生を歩んできたとは、思ってすらいなかった。


 もし、俺ならこんな目に合わせた父親に会ったら罵詈雑言を浴びせ――その前に、とりあえずぶん殴るだろう。実際、俺ですら父や母に会った時、言葉よりも先に手が出てしまうかもしれない。


 だが、乃蒼の回答は違った。


「「どうやったら絵が上手に描けるの?」です! 母も亡くして惨めな思いもさせられたのに、有名な画家の父に私は教えを乞おうとしてるんですよ!?」


 洞穴内に滴が一滴、ポツリと落ちた音がした。乃蒼の涙だった。


「どうです。異常でしょ? でも、私はこうなんです。絵が好きで好きでたまらないんです。そして、絵が描きたいんです! 誰が三次元種で、誰が二次元種なんてそんなの興味ないです。私はただひたすらに、絵が描きたい。もっと上手くなりたい……! それしか考えてないんです!」


 正直、ゾッとした。狂気にも等しいその想い。この想いこそが乃蒼の描く絵の源なのだと俺は理解した。


「――そして、上手くなるなら、紫苑さんの元で描くのが一番だと思いました。私と同じで「絵が好き」な人。私の絵を武器としてではなく、一つの作品として見てくれる人と一緒にいれば、私はもっと上手く描ける。……だから、旗師会を抜けてきちゃいました」


 乃蒼は照れ笑いしながら涙を拭った。


 俺は黙って聞くことしかできなかったが、ようやく口を開くことができた。


「お前は俺と同じ――いや、それ以上だったのか」


 親のせいで特異な存在として生まれ、周囲からつまはじきにされ、それでも生きてきたのだ。

  

 俺の頬に一筋の涙が伝った。そして、少し笑いながら、言う。


「お前は、めちゃくちゃだな」


「え?」


「お前は、お前が描く絵と同じだよ。思った事をそのままストレートに、やりたい事を意地でも貫きやがる。「事象の強制発生」を引き起こす、デタラメな抽象画と同じだ」


 俺の責めるような口調に乃蒼は肩を縮こまらせる。


「あ、あぅ……。なんか、すみません……」


「でも俺も同じだ。なんだよニ・五次元種って。訳わかんねー。紙の中に入れたり、絵を描き変えたり……めちゃくちゃにもほどがある」


 一息つき、少し間が空いた。続きの言葉が上手く出てこない。しかし、これだけは自分の口から言わなければならない。自分でもわかるほど震えた口調で続ける。


「でも、お前は俺と違って前向きだからな。……そういう所は、俺も近くにいて勉強してみたいと、思ったり……」


 しょんぼりとしていた乃蒼がパッと明るくなった。


「……えっ!? つまり!?」


 詰め寄る乃蒼に俺は少し距離をとって応える。


「だから、その……置き去りにして悪かった。お前さえよければ、またコンビを組んで欲し――」


「はいっ! よろこんでっ!」


 乃蒼は食い気味で答え、手を差し伸べる。俺は少したじろいだが、手を取り、握り返した。顔に熱を感じる。ここが薄暗い洞穴の中で良かった。こんな顔、乃蒼に見られたくなかった。


「あ! でも、コンビじゃないですよ!」


「え?」


です! ねっ! クリムさん!」


 乃蒼が洞窟の外に向ってそういうと、外から「ぅお!?」と驚いたクリムの声が聞えた。そしてすぐにクリムが入口からひょっこり顔を覗き込ませた。


「え……お、オレもか!?」


「当たり前じゃないですか! そもそも、紫苑さんの最初の仲間はクリムさんで、私は言わば二番目の女ですので! そうですよね? 紫苑さん!」


 俺は頭を掻き始め、顔を2人に見せないよう明後日の方を向く。


「言い方が悪いな……。急にドロドロな相関図にすんなよ。一番目の女じゃなくて……まぁ……うん。クリムも仲間、だな」


 2人に顔を見られないよう、そっぽ向いていたはずだが、乃蒼は俺が照れているのを察したのか、小さく笑っている。クリムはというと、


「うっ……う〜〜」


 嗚咽混じりの声を出していた。ギョッとして、俺と乃蒼が洞穴の入口を見ると、クリムが大粒の涙を流していた。


「お、おい。どうし――」


 と、聞く前にクリムは洞窟の中へ突っ込んできた。そのまま二人をまとめて抱きしめ、声を上げて泣いた。


「よがっだ〜!! オレはずっと、お前が寂しい思いしてんのに、何もしてやれなくて……! オレじゃあ力になれねぇと思ってたのに……! だのに……!」


 クリムの腕が俺の体を締め付ける。メリメリと背骨が悲鳴を上げ始めていた。このままだと絞め殺されかねん。


「痛いっつーの! 悪かったな心配させて。お前、そんな泣き虫設定があったのか。わかったから、そろそろ離せ……」


「あぁ! クリムさん! 痛いけど、お胸が! オッパイが凄く当たってます! ……やわっこい!」


 骨が軋む音を響かせながらも、なおもクリムは抱きしめ続ける。


「んなもん気にするか〜! むしろ触れー!」


「アホか! は、離れろ!」


 抱きつくクリムを引き剥がしたが、病み上がりのせいか軽く目眩がした。2人から少し距離をとり、壁にもたれかかった。


「あー、頭がクラクラする。ほんと、お前等と居ると騒がしくてしょうがない……」


「良いじゃないですか! ドンチャン騒ぎましょう! それに紫苑さんからすればハーレムでしょ!」


「全っっっっ然そんな気しねぇよ! 色気ゼロのイモ女どもが!」


 そんな俺の言葉にカチンときたのか、クリムが外套に手をかけながら言う。


「色気ゼロだぁ? 脱いだらスゲーとこ、見せてやろうかぁ? おーん?」


 なんだかよくわからないが、凄味だけは感じ取れた。冷汗を背中に感じながら、俺は首を横にふる。


「や、やめろぉ!! テメー! やっぱり棒人間に戻す! ……って、なんで乃蒼も脱ぎ始めてんだ!? 「え?」って顔すんな! 腹立つわぁ……」


 何故か2人はチッと舌打ちすると、服を正す。なんなんだコイツらは、妙にシンクロしやがって。今度は2人でコソコソと話をし始めた。たぶん、俺の悪口言ってるな、これ。ムカつくので、殴ることにした。


「おらぁっ!」


「「ぁ痛ぁ!?」」


 悲鳴を上げ、2人は重なって倒れ込んだ。怪我が回復してたのを忘れ、力加減を誤ったらしい。だが、ようやく静かになり、俺は深いため息をこぼす。


 驚き、泣いて、怒って。久しぶりに感情を表に出し、心底疲れた。だが、倒れるコイツらを見てると――


「こういうのも悪くねぇかな」


 と、笑った。久しぶりに笑った。こんなに笑ったのは、生まれて初めてかもしれない。目に涙が浮かんできたが、笑いすぎたんだろう。


 倒れる2人を見て、俺は確信した。俺は決して、俺を置き去りにした父や母へ恨みつらみを言うためだけに家を飛び出したのではない。真実を知ったあの日から俺が求めていたのは、こういう奴らのことだったのだ。


 俺は笑いながら、また少し泣いた。

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