1章

第1話 二次元種と三次元種

 俺は逃げていた。


 鬱蒼と木々が生い茂る山の中。静かな昼下がり。辺りは閑散に見えるが、冬の雪解け水で湿った土の下に新たな緑が芽吹く時を待っている。


 そんな情緒溢れる自然に目もくれず、足場の悪い獣道を駆け下り、逃げている。


 迫り来る敵のプレッシャーを背にしては、春先の森を楽しむ余裕もない。腐葉土の下にある新たな命なんて気にせず地面を蹴るように駆ける。


 深緑色のカーゴパンツは既に土を被り、迷彩柄になってしまった。黒のTシャツも汗でより深い黒に染まった。足を前に出す度に腰にぶら下げたA4サイズのバインダーがカタカタ音を鳴らして揺れる。


 息を切らし、木々の合間を縫うように駆け下りながら、後方を一瞬振り返る。


 『敵』との距離は?


 木々の合間から三つの影がこちらに向かってくるのが見える。

 ゴスロリメイド服の少女。

 寝癖を付けたままのピンクのパジャマを着た幼女。

 赤いリボンを付けた紺色の制服の少女――以上、三人。


 いずれも森の風景にはそぐわない風貌の少女たちが猛烈なスピードで駆け、まるで呪詛を唱えるように各々呟いていた。


「ご主人様ご主人様ご主人様……」

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん……」

「先輩先輩先輩……」


 俺は視線を前方に戻す。


「ちくしょう! 俺はラブコメの主人公かよ!」


 独りごちりながら俺は逃げる足を更に速めた。


 迫り来る三人はいずれも絵に描いた様な美少女。

 否、ではない。彼女らは者達なのだ。


 十数年前、突如として現れた侵略者。

 人々は奴らを「二次元種」と呼んだ。


 「二次元種」に対して「三次元種」と呼ばれるようになった「人類」の宿敵。

 

 俺は今、この三体の萌えキャラである二次元種に襲われている。


 進行方向十数メートル先を見るとチッと舌打ちが零れた。道の先が無いのだ。正面は崖になっているらしい。


「くそっ。どうする? 右に逸れるか左に逸れるか……いや」


 自分に問いていたが、崖の下の様子が見えるとその二択を捨て、そのまま崖目がけて加速した。


 崖はそれほど高くはないようだ。2、3メートルほど下に地面が見えた。ここから飛び降り、一瞬でも敵の視界から消え、茂みにでも潜めば逃げ切れるかもしれない。


 俺は崖から飛び降り、空中で着地の体勢に入るが――ギョッとした。飛び降りる先の地面に、何かが現れた。草木や岩ではなく、生きている何かが。


「ぐわっ!」


「うわぁ!?」


 鈍い衝突音でその何かにぶつかり、俺は地面に叩きつけられる。しかし、すぐさま身を翻し茂みに身を隠す。四つん這いになったまま顔を上げる。


 衝突する瞬間、聞こえたのは人の声だった。


「あぃー……痛た……」


 睨みつけた先にいたのは一人の少女。尻もちをつき、呻きながら頭を擦っていた。


 黒いズボンに栗色のコート。擦っている頭は黒髪のショートボブ。大きな瞳が涙目になり、顔は冷たい空気に触れて紅潮している。歳は十二、三歳くらいだろうか。足元には赤いベレー帽が落ちているが、それより目に付いたのが彼女の背負っているリュックサックだ。麻色のリュックサックはパンパンに膨れ込み、元の形が分からないくらい丸く変形し、今にもはち切れそうだ。


 そんな少女を警戒しながら、思考する。


 どっちだ――?


 二次元種と三次元種。角が生えてるとか目が大きすぎるとか、あまりに現実とかけ離れた外見ならば一目で二次元種と判断できる。しかし、中には現実の人間と区別できないリアルな外見の二次元種もいる。


 こいつはどっちだ? 三次元種の人間か、リアルに描かれた二次元種か。


 俺は視線を逸らさずズボンのポケットに手を入れる。中には『武器』が入っている。二次元種を倒す、『武器』が入っているのだ。


 鋭い視線に気づいたのか、少女はようやくこちらに視線を向ける。


「わ! あ、あぁ……!」


 少女は小さく悲鳴を上げ、目を見開き驚く。その瞳には恐怖の色も見える。


 無理もない。突如現れた俺の姿に窮しているのだろう。


 砂や埃を被ったボサボサの黒髪。幼いころから目つきが悪いと言われた三白眼。体中泥やら草やら汗にまみれた身体で四つん這いになり、今にも襲い掛かろうと威嚇するその姿は飢えた獣に見えるだろう。


 自分が悪役のようだと自覚していたが、俺は警戒を解かない。


 理由は一つ。「二次元種は外見でその実力を推し量れない」からだ。


 いや、むしろ外見が弱そうな者ほど強い傾向がある。筋骨隆々、威風堂々した者ほど弱かったりする。逆に、あからさまに貧弱そうな見た目をしている者の方が驚異的な腕力を持っていたり、魔法や超能力を使ったり、非常に危険な者が多い。漫画ではよくあることなのだ。


 だからこそ、この明らかにか弱く貧相な少女は危険なのだ。


「どっちだ!?」


「はいぃ!?」


 声を潜めながらも厳しさを含んだ俺の問いに、少女は再び悲鳴に近い声を上げる。答えにはなっていないので、再び問う。


「お前は、どっちだと聞いてるんだ!」


「お、お、女です!」


 少女は自分の髪と、薄い胸板を触りながら涙目で答えた。

 

 ……いや、性別は分かる。色々とボリュームが足りないが紛れもなく女だ。


 俺は自分の質問の仕方が悪かったのだろうと少し反省し、再び問う。


「二次か三次……どっちだと聞いてるんだ!」


 すると、彼女は腕をまくり、腕時計を確認して答える。


「えぇ……今、一時十分です……」


 そうか。そういえば昼飯を食べた直後に襲われたんだった。もう30分以上も逃げていたのか。


 俺は頭を振る。いや、違う。そうじゃない。「二時か三時か?」と時間を聞いてるんじゃない。字が違う!


「「二元種か、三元種か?」って聞いてるんだよ!」


「あぁ、なるほど……って、じゃあ初めからそう言ってくださいよ!」


「ぬ……こっちだって色々パニくってんだ! 察しろ!」


「わ、私だってパニくってるんです! いきなりぶつかられれれて!」


 しどろもどろになり、言葉を噛みまくる少女は、明らかに混乱していた。これではろくに会話もできない。


 が、この一言二言の会話でも判断がついた。


「その感情的な様子から察するに、三次元種らしいな。二次元種は基本、感情が無いからな」


「げ、元気だけが取り柄なので!」


「こんなご時世に珍しい取り柄だな。……そろそろお前も落ち着――」


 と、俺が立ち上がり、少女をなだめようとした、その時。


「――じんさま、ご主人様?」


 聞き覚えのある高い声が聞こえた。俺こと「ご主人様」を探す、二次元種のメイドの声だとすぐに理解できた。声の大きさから、もうすぐそこまで近づいているのが分かる。


「やばい……お前! 騒ぐなよ! こっち来い!」


「え!? な、なんです――」


 俺は少女の腕を掴み、身体を引き寄せ、近くの茂みの中に少女を引き入れた。少女の口元を抑え、手足で身体をがんじがらめにしてその場に縮こまる。


 「ん~~! ん~~!」と唸る少女の耳元で呟いた。


「二次元種の奴らに追われてるんだ! おとなしくしてくれ!」


 少女は数秒抵抗し続けたが、やっと事態を理解できたようだ。


 二人で作った沈黙の中、聞こえるのは森を走り抜ける三つの足音。遠くへ行けと祈りながらも段々と近づいてくる。二人の心臓の鼓動がその音に合わせて速く、大きくなる。


「ご主人さまー?」

「お兄ちゃーーん!?」

「先輩ー?」


 ハーレム系ラブコメの主人公がヒロイン達から追いかけられる時、こんな心境だったろうか? 全員ヤンデレ化してバッドエンドを迎えるならこんな気分だっただろう。


(ラブコメというよりはホラーだな)


 皮肉なツッコミに苦笑しそうになるが、押し殺して息を潜める。


 遂に奴らが崖の上まで来た。そして、足音は止まった。


 騒々しかった山に広がる静寂。


 岩のように固まった俺と少女。


 ほんの数秒が何倍も長く感じる。


 しばらくすると、足音は崖の上から右に逸れ、徐々に小さくなり、山の奥へと消えて行った。それを確認すると、俺は今まで呼吸をし忘れていたのに気づいた。急いで肺に酸素を送り込む。


「はぁ……。危なかった……」


 途端にジワリと汗が体中から滲み出す。吸った酸素が体中を染み渡る。すると「んーー!」という怒気の籠った呻き声が手元から聞こえた。


「あ、悪い」


 すっかりこいつの存在を忘れていた。両手両足で縛り上げていた少女を解放する。


 束縛が解けると少女は地面に座り込んだ。息は荒く先ほどより顔が紅潮している。その様子に流石に申し訳なくなり、俺は声を掛ける。


「無理矢理拘束して悪かったな」


「出逢って早々に絞め技って……どんなボーイミーツガールですか……」


 そう言いつつ、少女はまだ少し怯えた様子を見せる。


「ところで、さっきのは……? 二次元種なんですよね?」


 少女が目で追うのは崖の先。走り去った二次元の三人の少女を指している。


「あぁ。ついさっき、山ん中で奴らと出くわしたんだ」


「どうしてこんな山奥に?」


 俺は深いため息を溢す。10分ほど前の事を思い出しながら言う。


「まったくだ。麓の国道沿いは危ないと思ってわざわざ山の中を突っ切ってたのに、まさかこんなところまで見回っていたとは」


 不意に、全力で逃げてきた疲労感が一気に襲い掛かって来たらしく、俺はその場に腰を下ろした。少女も辺りを警戒しながら俺の正面に座り直した。


「そうですか……私もこの山を越えようとしていたのに、お互いついてなかったですね」


 少女はため息を吐いて項垂れたが、何かを思い出した様子で急に顔を上げて言う。


「ところで、あなたはどうしてこんな山に? 近くに住んでるんですか?」


 俺もそれを問おうと思っていたが、先手を取られてしまった。短く答える。


「ここには住んでいない。人捜しの為、5日前に今まで隠れ住んでいた家を出たんだよ」


 すると少女は急に顔をパッと明るくして言う。


「人捜し! それなら、私と一緒ですね! 私も捜してる人がいるんです! まさか同じ人がいるとは!」


 何がそんなに嬉しいのか、少女はニコニコ笑っている。


「なにが「私と一緒」だ。全然違うっつーの」


「え? 違うんですか? 人を探してるんですよね?」


「そうだか……いや、何でもない。今のは忘れてくれ」


 俺はつい口から零れた言葉を誤魔化し、視線を外す。逆に少女は俺の姿をジロジロと観察し始めた。そして腰にぶら下げているバインダーに視線を止め、「あっ」と声を漏らすと先ほど以上の晴れやかな笑顔を浮かべて言う。


「これ! このバインダー! まさか、あなたは……!」


 羨望の眩しいまなざしを向けられ、俺は少したじろぐ。しかし、軽くコホンと咳払いして答える。


「あぁ、俺は『蒐集家』だ」


 そう答えると少女は感嘆の溜息を漏らし、慌てた様子で地面に落ちたベレー帽を拾って被り、背負ったリュックを見せつけて言う。


「私は『絵師』です!」


「……!」


 見せつけられたリュックの隙間から、幾つもの絵の具が垣間見えた。


 赤いベレー帽からなんとなく絵描きを連想していたが、やはり少々驚いた。


 あまりの偶然に言葉が出ない。代わりに少女が言う。


「凄いです! こんな偶然があるんですね! 運命来ましたね! あっ! 忘れていました!」


 少女は改まった様子でペコリとお辞儀する。


「私、『絵師』の絵垣えがき乃蒼のあと言います! 私も離れ離れになった家族を探すため、丁度今朝、隠れ家から旅立ったところです!」


 それだけ言うと、乃蒼という少女は口を閉ざした。


 俺は呆気にとられていたが、「次はあなたが名乗る番だ」と促されていることに気づく。


 少し考え込んだ後、答えた。


「俺は『蒐集家』の……山田やまだ……紫苑しおんだ」

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