ウェルト・ノッテ小話集

とや

インドア派兄妹のとある一日――テオドール

「お兄様、お庭のバラが綺麗に咲きましたよ。一緒に見に行きませんか?」

 アンジェリカは図書室を訪ね、兄のテオドールを誘った。

 図書室は本を日光から守るために暗色の分厚いカーテンを閉ざし、せっかくの初夏の晴れ空を隠してしまっている。学者肌のテオドールは、放っておけば寝食さえ忘れて日がな一日この薄暗い図書室に籠もっている。アンジェリカにとって、兄の博学は自慢の一つだが、こうも周囲のことを忘れて一つのことに没頭されてしまうと、いずれ兄がどこかへ行って戻ってこなくなってしまうのではないかと、時折不安に苛まれる。

 アンジェリカの声に、テオドールが難解そうな書物から顔を上げた。真っ昼間だというのに明々と灯される机上の手燭に照らされた顔は、影が濃くなり、以前より少し頬がこけたように見える。そういえば昨日も、家族揃っての晩餐の席に顔を見せなかった。女王である二人の母が「今日は一度も顔を合わせていない……」と寂しい顔をするので、せめて晩餐だけでも共に過ごしたいのだけれど。

「あれ、アンジェリカかい? ……今、何時頃?」

 テオドールは目をしばたいでアンジェリカに訊ねた。

「昼餉の時刻を過ぎた頃です、兄上。まさか、昨日からずっと籠もりっぱなしなのではないですか?」

 テオドールは驚いたように目を見開き、それからばつの悪そうな顔で目をアンジェリカから目を逸らした。どうやら図星らしい。

「母上は怒っておられただろう……もう何度、晩餐の席をすっぽかしてしまったか……」「怒っておられたというより、呆れておられましたわ。お兄様が図書室や実験室に籠もって出てこられないのは昔からでしたもの。ねえ、それよりも、息抜きに外の空気を吸われたほうがよいですわ」

「そうだね……」

 頷いて、テオドールは大儀そうに椅子から腰を上げた。しかし、一歩進んでからすぐに頭を押さえて、その場に膝をついてしまう。

「お兄様!?」

「すまない、目眩が……」

 アンジェリカはすぐさまテオドールのそばに跪き、肩に触れた。育ち盛りの年頃にしては不安になるほど兄は線が細い。

「まさかお兄様……昨日、最後にお食事を摂られたのはいつですか?」

「えっと……昨日の昼前には図書室に入ってそれ以来……」

 テオドールの言葉に軽い頭痛を覚えながら、アンジェリカは扉の外に控えているはずの従者へ、大声で呼びかけた。

「なにか食べるものを持ってきて!」

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