第87話 怒られる可能性あり

 夜八時。


「さあさあどうぞ、たあんと召し上がってくださいな」


 色とりどりの料理が並ぶ食卓。肉じゃが、ポテトサラダ、りんご、などなど。


「ハッ。色ボケにメシなんざ食わさんでもええがな」


「おじいさん、そういうことお客さんに言うもんやないやろ?」


 美味しそうな料理の数々。その中から俺は、目の前に置かれた小鮎丼に箸を伸ばす。

 飴色をした小鮎の佃煮がご飯の上に乗せられ、ふちに刻み青しそが彩を添える。


「おじさん、あんなクソじじい気にせんでええからな。なんならアレの分も食ってええで?」


 目を閉じて、自分だけ食べながら言う田舎娘。ひどいやつだ。


「オラのぞみ、おじいさんにアレて何やねん。ええ加減にせえよ?」

「ハゲのくせに偉そうに言うなハゲ。魚みたいな丸ハゲ」


 また醜い争いが始まるようなので、俺は下を向いて小鮎丼を口に運ぶ。


(……うま)


 甘辛く煮た小鮎。硬いとも柔らかいとも表現できる食感。清らかな香りの青しそと一緒に口に運べば、清流を元気に泳ぐ小鮎のイメージが湧く。


「どうですか? お友達さん」


 にこにこした笑顔のおばあさん。おおらかな人だなぁ。


「美味しいです。すごく美味しい。これ、おばあさんが作ったんですか?」


「ええ。望も手伝てつどうてくれたんですけどね。その小鮎を買いに行ってくれたし、しそ切ってくれたし。ご飯も炊いてくれてん。な、望?」


 微笑みながら、田舎娘のほうを向くおばあさん。


「シネ! シネ! クソじじいが!」「心配せえでも死ぬわい! アホンダラ!」


 激化する醜態。特に、老人に「シネ」と連発する田舎娘が最悪。


「いっつもこうですねん。もう慣れてしまいましたわ。っはは」


 おばあさんは困った顔をしつつ、苦笑いを浮かべる。いつもこんなことやってるのかと思って、つられて俺も苦笑いしてしまう。


「せや、沙夜ちゃんどこ行きましてんやろなぁ。さっきまでテレビ見てたけど」


 沙夜はさっきまでテレビを付けて、見もせずにスマホをいじっていた。


「あんまり夜遅くに出歩くんは心配ですねぇ。あたしが迎えに言ってもええけど、どないしよ」


 ちらり、と横を見るおばあさん。


「ちょっとおじいさん、あたし沙夜ちゃん迎えに行くからな、洗い物頼みますよ?」


「小鮎全部取るな! ワシのぶんがのうなってしもうたがな!」「うるさいわい! お前にやる鮎なんか一匹かてあるかいな!」


 まだやっている。


「どうしましょう、あたし心配がどんどん募ってきました。ああ、どうしましょう」


 心配そうな目で、今度は俺のほうを向く。

 客人に「迎えにいってください」と直接言えないのか、まばたきしては俯き、俯いてはちらちらと俺を見る。


「俺、迎えに行くんで。大丈夫です」


「そ、そないなこと。お客さんやのに失礼です」


「気にしないでください。俺、沙夜の連絡先知ってるんです。ちょっと連絡したらすぐに居場所教えてくれると思いますし、なにかと効率が良いんです」


「あらまあそんな、失礼になりますけど、大丈夫でしょうか」


 申し訳なさそうに眉を曲げ、俺を見つめるおばあさん。


「大丈夫です。ご飯全部頂いたら、出かけます」


「ありがとうございます、ありがとうございます」

 

 箸を置き、卓を離れ、正座して三つ指を添え、丁寧なお辞儀をされる。


「望。こら望。お友達がお友達を迎えに行ってくれる言うてはるよ。お礼しなはれ」


 ハゲ頭を平手打ちしていた田舎娘は、言われて俺のほうを睨む。


「おじさん、沙夜と二人きりで何するつもりや」


「こら望。なんちゅうはしたないこと言うねん。謝りなさい」


 おばあさんが正座でお辞儀したまま、田舎娘に諭す。


「クソ孫があああああ!」


 ボカッ


「いったあああああああああああっ」


 スキを見つけたおじいさんが、ド迫力のげんこつをカマす。

 

 ダメだ。もう田舎娘なんかに取り合うのは不可能だ。おじいさんに取り合うのも無理。


 もっとじっくり味わい欲を抑えつつ小鮎丼を早々と平らげると、渋々と重い足取りで屋敷から出た。



  ~~



 電柱から突き出た街灯に虫が群がる、屋敷の外にて。


「おい、どこにいるんだ」


 トークでキーボードを打つのも面倒だし、電話することにした。


『今電車だから切るね』


「ちょ待て! どこにいるかくらい言え。おばあさん心配してたんだぞ」


喉川のどがわ駅にもうちょっとで着くとこ、そこからバスでもうちょっとかかる。じゃあ切るね』


「待て!」


 はっきり言って、沙夜がどうなろうが心配ない。何気にしっかりしてるし、なんとかして屋敷にたどり着けると思う。


 そんなことより、猛烈に気になることが。


『まだあるの?』


 少々鬱陶し気に答えられる。そんなことは気にしていられない。


「その……百合香ちゃんなんだけど」


『代わる?』


 声が平べったい調子だ。


「……いるのかそこに」


『だから、代わる? ちなみにめっちゃ怒ってるよ?』


「……眉間にしわ寄ってるか?」


『俯いてるから分かんないけど、なんか親指と人差し指をめっちゃこすり合わせてるよ』


 やめといたほうがよさそうだ。てか、どうせ怒られるに決まっている。電話だと謝罪の声はできるが、謝罪の顔や謝罪のボディーランゲージは伝わらない。それに、今は電車内にいるようだし。


 あとで怒られよう……。嫌だけど。


飛固寝ひこねにかわいいランプ買いに行ったら、偶然見つけたんだよね。ゴミ捨て場に座ってるとこ』


「……マジ?」


『人にめっちゃ見られてた。正直わたし声掛けたくなかったけど、子猫みたいに潤んだ目で見つめられちゃったから、仕方なく』


 やや不機嫌な、受話器の向こうの沙夜。


「ありがとう。最大級の感謝を表するよ。マジありがとう」


 旅先でもゴミ捨て場に座るとか。そりゃ俺が迎えに行かなかったから悪かったけど、なにもゴミ捨て場に座らなくても。

 

 なんて、本人の前で言ったら怒られそうだから言わないでおこう。


『あ、着いた。結局電車でしゃべっちゃったよ。……百合香、着いたよ?』

『お兄さん、私を捨てた。見知らぬ土地なのに私を』

『いいから、降りるよ? ほら立って』

『私は死にます。降りたら死にます、ホームに飛び込みます』

『意味わかんないこと言わない。ほら立つ!』

『いたっ、沙夜さんのバカ!』

『敷かれたらもっと痛いよ。あ、マジでドア閉まるじゃん。走るよ』

『ひゃあああっ』


 何が行われているのだろう。沙夜は電話を切るのも忘れて、厄介なゴミ捨て場娘百合香ちゃんを世話してくれているようだ。

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