第69話 聖地で見るアニメ

【中一の夏】


 黒い背景に書かれた白い文字だ。


『ねえ、バカにしてんの?』


 絵組えくみの中学時代から物語は始まった。オーディションに受かった絵組は、薄暗い音楽準備室で先輩に呼び出されている。

 何がですかと問う絵組に、Aに受かったからバカにしてるのかと改めて問う先輩。


『そんな……私は別に……』


 切るような舌打ちをついた先輩は、


『一年のクセに調子乗んな!』


 ドガッ


 銀に輝くユーフォニアムが置かれている机を、蹴り飛ばす。


「「……」」


 ちらっと百合香ちゃんの顔を覗いてみたら、スマホ画面をガン見していた。何べんも見ているはずの自分のスマホ画面を。


(しょっぱなからスゲー、轟けユーフォ)


 名作アニメここにあり。一瞬で視聴者を釘付けにする力たるや、半端ない。


 倒れたユーフォニアムに手を差し伸べる絵組。


『あんたが……』


 その手があと少しというところで停止。


『あんたがいなかったら、コンクールで吹けたのに!』


(どっわぁ先輩マジヤベェェェェ……)


 ちらっ。


(百合香ちゃん全然動いてないな。もしかして死んでるんじゃ)


 つんつんとつついてみる。が、画面から目を離さない。どうやらが死んでいる模様だ。


 場面は、高校生になった現在に切り替わった。絵組が流しでユーフォニアムを洗い終えたところだ。


応間おうまちゃんッ』


 突如、捺基なつきが背後から登場。驚いた絵組は立て続けに、


『今日さ、練習終わった後ちょっと時間ある?』


 なんとなく曇行きの怪しい問いかけを投げかけられる。


 そこでお茶をあおる俺。老舗お茶屋さん、辻実つじみで飲んだ玉露の足元にも及ばない量産型の味。


「百合香ちゃん、ポテトいる?」


「……」


 こりゃ完全に聞こえてないな。スマホしか見ていないし。どうやら死んでいるのは耳のようだ。


 今なら髪の毛を一本抜いても大丈夫なんじゃないだろうか。正直、百合香ちゃんの髪の毛はサラサラすぎる。この世の原子ではなく、パラレルワールドの原子に類似した何かで構成されていると考えられるレベルのサラサラなのだ。


 そそー。と、バレないように髪の毛に触れ、


(よしッ)


 難なく一本だけ髪の毛を獲得。あとは思いっきり引くのみ!


(でえぃ!)


 ピチッ


「キャッ!」


 すさまじく高音の悲鳴は、ピッコロの小鳥のさえずりを思い起こさせる。


「こここ、これはあのその……」


「今見てます! 邪魔!」


 お…………怒られた。すごく怒られた。…………やば


「あの…………ごめん」


 何事もなかったかのようにスマホに食い入り、大真面目に視聴している。


 というか、もう少しでお祭りが始まる。


「百合香ちゃんお祭り始まるぞ? あとで見よう」


 反応なし。完全に、俺に向く耳がお亡くなりになっている。これはもう諦めるしかないわ。


 なすすべも特に思いつかず、俺も視聴を続行する。ずずずー、と音を立ててお茶を飲み干す。量産型の、飲み慣れ過ぎた味。


(うまくねぇ……)



 それににしても「轟け! ユーフォニアム」は最高なアニメだ。どのカットを取っても、青春の一時ひとときが最高の形で切り取られている。他人はどうか知らないが、高校時代ってこんななのか? 俺は薄暗いジメジメした図書室の最奥でダイオキシン類の本をガン見してたからなぁ。初めてこのアニメを見た当時は、彼女たちが羨ましくてもう一度高校生をやり直したいと思ったものだ。


 シーンは融固ゆうこが楽譜台に置かれた楽譜を、こっそりめくるところに移る。この楽譜は、先輩である家居かおりのものである。そこに、


[ソロ絶対吹く‼]


 と、紅い文字で書かれている。丸っこい文字なのに、ふつふつとして目に見え難い闘志のにじみ出る、筆跡。女子のすさまじい内力ないりょくが、譜面の余白に表出している。


『お疲れ様です』『あ、お疲れ……』


 交差火こうさかれいが、融固に挨拶した。ただそれだけなのにビリビリしたものが一気に発生し、空気が張り詰める。


(いやー、こんなんアニメの中だけで十分だわー。こうやって上から目線で見てるから最高なんであって、実際に巻き込まれたくはねーなー……)


 高校生という失われた時を取り戻したい。そう思う一方で、こういうシーンを見ると「高校時代ツラすぎムリぽ」とか思ってしまい、目を覆いたくなる。とか言ってなんだかんだ見てしまうあたり、このアニメは本当に最高だ。


 それはさておき、さっきから俺は百合香ちゃんの動きが異様に気になる。というのも、一ミクロンも動かないからだ。今しがた髪の毛を一本抜かれたとは思えないほど微動だにしていない。画面を凝視しているが、そのまま画面に吸い込まれたとしても驚かないだろう。


(今度はどこを抜くかな。顔の産毛? は短すぎる。まつ毛は引っこ抜くとマジ痛いからなぁ。あ、眉毛にしよう。眉毛痛くないから)


 そろそろそろ、と百合香ちゃんの眉毛に悪辣あくらつな手が忍び寄る。

 手は、いとも簡単に眉毛に着地。そして!


 にゅっ!


「しゃあ!」


 眉毛抜き、成功! めっちゃ簡単だったぜ! これ、何円いくらつくだろうか。値段すら付けられないほど価値が高いかも!


 って


(えっ⁉ む、無反応……だと⁉)


 まさに今、一回のまばたきした百合香ちゃん。その微動によって、まだ生きていることが証明された。 あ、またまばたきした。


(お、おもんねぇ)


 こうなったら顔を指で突き刺すか。血が出るまで刺してやろうか。


「あ!」


 思わず声が出た。


 シーンが、まさにここマクドナルデ木棉こわた店に切り替わったのだ!


「おい百合香ちゃん、これここだよな」


「ここ違う席です、あの隅っこの席です! 行きましょう!」


「おう!」


 猛然と店内を走る美少女JKと留年男。俺はつまづきそうになったが、百合香ちゃんは極めて正確なランrunを披露した。


「良かったなぁ、誰も席いなくて」


 疲れてもないのにハァハァと息が荒い俺。対して、


「……」


 百合香ちゃんはもう見入っている。


(……どんだけ)


 現在のシーンは、この隅っこのテーブル席で絵組えくみ捺基なつきにシェイクを奢ってもらったところである。


「お兄さんシェイク頼んでください!」


「え、でもお茶……」


「早く!」


「お、おうっ」


 たかが16の美少女JKにこき使われるとは。俺は、せっかく着席した聖地から立ち上がり、注文をしにレジへ向かう。


 まあ一度見たから別にいい。絵組は、過去の経験から捺基「先輩」がオーディションの結果に不満を抱いていると思い込んでいて、でも実際は逆だった。むしろ捺基に応援してもらい、楽譜に「来年一緒に吹くぞ!」と書いてもらった。そして絵組は感涙するのだ。


「いらっしゃいませぇ↝ (*^-^*)」


 相変わらず笑顔な店員だ。すさまじい陽キャだが、ここまでぶっ飛んでいると逆に好感が持てる。あと、どうでもいいことだけど、顔が可愛い。


「イチゴシェイクと、チョコレートシェ……⁉」


 俺は目を疑った。


「このサンマシェイクってのは、あのサンマですか?」


「はい、当店オリジナルの商品となっております(*^-^*)」


 何かが……間違っている。絶対違う、こんなの。


「あの、ここってマクドナルデですよね、大手チェーンの。サンマってありえないんじゃないですか? 魚ですよ⁇」


「当店は常に新しい商品を開発しておりまして、特にこの地域は、世界に和の魅力を広める役割も持っています。ですので他店ではお目にかかれないようなアッと驚く商品もご提供しています(*^-^*)。たとえばこちらのヘシコーラは、サバの塩漬けをそのまま入れた……」


 俺はすでに耳を殺している。絶対に聖地で聞くべきではない日本語を、この店員が言っている(であろう)からだ。そして、可愛い店員がゲテモノを紹介するという地獄にも耐久できる自信がない。


 一分、いや二分経っただろうか。


「イチゴシェイク一つお願いします」「かしこまりました↝(^_<)-☆」


 偶然にも所持金は130円で、百合香ちゃんの分しか買えない。クレカを持っているが、食欲不振に陥った俺は敢えて買う気も起こらない。



 自分の中に確立されていた何かが揺らいで、脳が揺れている。とはいえこのイチゴシェイクを百合香ちゃんに届けてやらないと、あとあとゴネられる。


(うっ……秋刀魚……)


 死んでも味わいたくないシェイクの味が脳でイメージされ続ける中、聖地であるテーブルへヨタヨタ向かう。


「は、はい百合香ちゃん。絵組えくみが飲んでたイチゴシェイクな。ゲホゲホゲホッ」


 トン、とテーブルに置く。


「いりません」


「……は?」


「い、いりません」


 様子が変だ。


 ちらっと見てみると、眉に何本も縦ジワが刻まれているではないか。渋柿を食べて耐えられなくなっているみたいな。あるいは刺激的な硫酸を思いっきり飲み込んだみたいな。その苦悶じみた顔が、なぜだろう、どこか中途半端な表情に見える。


(店員の顔と真逆すぎだろ……)


 ここは話しかけてみるっきゃない。


「どうしたんだ百合香ちゃん。名作を聖地で見られて嬉しいのか?」


「……」


 無言か。やっぱり無言なのか。くそ、最高のアニメによって百合香ちゃんの精神がぶんぶん振り回されている。さっきまで興味津々で見ていたのに、今は苦しみの表情で見ている。「ガン見の瞳」だったのが、「眺めの眼差し」に遷移シフトしている。


 いつの間にか両方のイヤホンが占領されている。片方返してと声帯を振動させても、あの鼓膜はきっと微動だにしないだろう。アニメの流れは知ってるし、百合香ちゃんもなんやかんやでじっと見てるし、そのままにしておこう。


 俺はスマホを出し、今日の宿である詩香しか飛固寝ひこね市まで電車でどのくらいかかるか調べることにした。ヤホー乗り換えアプリによると、最寄りのJR木棉こわた駅からJR飛固寝ひこね駅まで1340円、一時間で行けるらしい。


 と、俺の視野の縁で百合香ちゃんの手が動いたのが見えた。


「ずずず……」


 両手で容器を握りしめ、イチゴシェイクを吸っている。


「見終わったんだ。イチゴシェイク美味しいか?」


「イチゴシェイクは美味しいです。でも、見終わった後味は美味しくないです」


 眉間にシワが刻まれたまま、ずずずずと吸っている。三本くらい減ったものの、まだシワの本数は多い。


「……つまり?」


「この十話はすごく面白かったです。すごく…………」


 イチゴシェイクの入った容器を握りしめ、どことなく渋いその顔のまま、吸う。何かがぎゅっと搾り出されそうな眉間のシワの入り具合。


「そりゃあ面白いさ。なんたって轟け! ユーフォニアムなんだから。心が轟くほど面白いアニメなわけで」


「面白くないこと言わなくてもいいです」


 俺のギャグを一刀両断し、イチゴシェイクを静かに置く百合香ちゃん。容器に目を落とす物憂ものうげな横顔は、微動だにしない。何か重大なことを熟考しているのか? でも、単なる放心状態にも見える。


「ごめんなさい。私、トイレ行ってきます」


「あ、うん」


 普通の速さで歩いていく。隣にいる女子高生の歩く速度とほぼ同じだし、少し向こうを歩く大学生っぽい男の速度ともほぼ同じだ。


 ふと椅子を見ると、ピンクのヘアゴムがあった。


(百合香ちゃんにあげたやつだ。気に入らなかったのかな)


 百合香ちゃんが座っていた席(聖地)ヘ移動し、ヘアゴムを手に取る。


(うわ、容器に結露できてる)


 結露が、容器や机をびちゃびちゃ濡らしていた。それも仕方ない。今は夏なんだから。

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