第65話 高校生というもの

「ついに、ついに来た!」


 戸塔ととう高校だ! こここそが絵組えくみの母校、この中であのドラマは生まれた!


「って、百合香ちゃんどうした。テンション低いな」


 せっかく最大級の聖地に到着したってのに、俯いて、腕に付けたヘアゴムをいじっている。


「ほら百合香ちゃん、早く撮影しようぜ。うっわぁ、あの屋上の形とかアニメとまんま一緒だぁ」


「お兄さん」


 素晴らしい戸塔ととう高校の校舎に見入っていると、後ろから百合香ちゃんが声をかけてきた。


「なんだ?」


 振り返ると、スマホを持った手をこっちへ伸ばし、立ち尽くしている。


「あげます」


「へ?」


「これあげます。だからお兄さんが撮っていいです。私は、あそこにいる猫と遊んでくるので」


 言うと、俺の手のひらにスマホを握らせて走って行った。猫がにゃぁん、と甘えた声を出し、すぐに百合香ちゃんによって撫でまわされる。


(せっかくの聖地なのに、猫なんかと戯れるなんて)


 腰に、青い長袖の上着を巻いている。あれも葉搗はづきを意識してのものだろう。アニメで、お祭りの時、似たようなのを青い長袖の服を巻いていたし。



 パシャパシャと撮影していると、校門から出てきた女子生徒が声をかけてきた。テニス部? と思しき赤いユニフォームを着た、黒い短髪の人。


「あ、もしかして聖地巡礼ですか?」

「そうです、仙怠せんたいからはるばるやって来ましたよ」

「ええ、遠い! すごいですね」

「いやぁ、『轟け! ユーフォニアム』の聖地なんだからこのくらい」


 ふと百合香ちゃんを見た。もしかして嫉妬してるかな、と思ったが、猫とじゃれ合っていた。ねこじゃらしを猫の頭上で揺らしている。


「それじゃあ、聖地巡礼楽しんでくださいね。ほかにもたくさん聖地あるので」

「うん、ありがとう」


 手を振って、彼女は坂を下っていく。


「あ、猫! かわいーい」


 彼女も猫に気づいた。


(百合香ちゃん、その子と仲良くなるチャンスだ! 行けぇ!)


 百合香ちゃんは、


(えっ)


 そそくさと逃げ、俺のほうに戻ってきた。


「せっかく聖地の生徒と話すチャンスだったのに」


 百合香ちゃんは目を横に向けて、風に吹かれる雑草を見つめる。細い雑草なのに、百合香ちゃんの背丈ほどもある。


「あの人、私に見向きもしませんでしたし。別に話す必要ないです」


「そんなこと。まだ猫と遊んでるぞあの子、ほら話してくるんだ」


 ぐいぐいと背中を押す。が、踏ん張って、ぐぐぐぐっと摩擦を効かせる。


「嫌ですっ、嫌ですっ」


 これ以上やると、子供をいじめる親みたいになってしまう。仕方なく押すのを中断する。


「ちょっとくらい、話してみろよ。別に右原みぎはら女子の生徒じゃないんだし、二度と会わないだろうし」


「嫌です」


 ガードレールの白いポールにつかまって、俯く。


「お兄さんは私と年齢が違うから、そうやって呑気に言えるんです」


 顔をゆがめ、眉をひくつかせる。


「まあ、確かにそうかもだけど」


 俺の高校時代は孤独で、つまらないものだった。そんな中で「あの高校生に話してみろ」なんて言われたら、同じ反応をするかもしれない。


「なんか、ごめん。百合香ちゃんのこと考えてなかった。聖地に夢中になり過ぎて」


「お兄さん、私より聖地にいる女の子がいいんですね」


「そうじゃないって」


「じゃあ、テニス部の元気な女の子がいいんですか?」


 やっぱり嫉妬し始めた。早くこの嫉妬を収めないと面倒くさい。せっかくの聖地巡礼が面倒なものになるなんて嫌だ。


「俺は百合香ちゃんが一番だって。あんな意味不明な出会い方して、百合香ちゃんと毎日暮らしてるようなもんで、そのくらい分かってくれてもいいだろ……」


 ぎゅっと、ポールを握る拳が固くなった。


「そんなの、分かってます。ただ言ってみただけっていうか」


 ぬるい風がひゅうう、と吹いた。拳がぬるい風にほぐされるかのように、ポールからずるっと滑り落ちる。


 そのとき


 ♪~♬♬♬♪~


 低音の、金管楽器の音が、校舎から響いてきた。空気を震わせて俺の耳にまでやってきた音は、アニメの中で登場人物が奮闘したり悲嘆にくれたり歓喜に満ち溢れたりしていた場面を想起させる。


 アニメの中の音が、現実にもあった。


「あ!」

 

 たたたっ、と百合香ちゃんは坂を下り、まるで戸塔ととう高校から逃げ去るように走った。


「待て!」


「待ちません!」


「なんだってそんな嫌がってるんだよ、待て!」


「待ちません!」


 慌てて追いかける。ここで迷子になられたら一大事だ。さっきの階段のところで、俺が田舎娘と恋愛脳とはすでにライチ交換を済ませたことを伝えたせいで百合香ちゃんはいきなり走り出した。だからまだライチ交換ができてない。つまり連絡手段がないのだ。


「待て! あ、テニス部の人! その子ひっ捕らえてくれ!」

「え?」


 まだ猫を触っていたテニス部の人に、呼びかける。


「ちょ、あの人が呼んでる…………」


 百合香ちゃんはテニス部の人の横を一瞬で通り過ぎ、坂を転がり落ちるようにひた走る。


「ごめんなさい、さすがに知らない人を捕まえるのは無理でした…………」


「いやいい、ありがとう。  こら待て! 待てってんだろ!」


 体力がない25の俺。セミロングがどんどん遠ざかっていく中、力を振り絞って走る。


「はぁ、はぁ」


 だが、どんどん差は開く。


 このままだと迷子ルート確定だ。お金を持っているからって、仙怠せんたいに一人で帰る気か? でも途中で何が起こるか分からない。絶対にあの娘を確保せねばならない!


「はぁ、はぁ、はあああああっ」


 どてっ



 下り坂で、俺は転んだ。

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