第58話 京阪六地蔵駅の周辺

 押しボタン信号の押しボタンは、あまりにも黒ずんでいる。

 そこが最高なのである。


「うわ! これだ!」「私も撮りたいです!」


 さすがに高校生と張り合うのはもうやめたい。今すぐ撤去されるわけでもないし、後でも先でも関係ない。


 百合香ちゃんは狂ったように、同じ押しボタンを撮りまくっている。


「そんなに枚数いらないだろ」

「この中から厳選した一枚を選ぶんです」

「そんなに撮ってたら他の聖地の写真撮れなくなるぞ。容量オーバーで」

「Googly Driveの保存容量を購入してるから平気です。ちなみに2TBテラバイトです」

「なっ…………」


 どんだけ金持ちなんだよ。


「仕送りを無駄遣いしちゃダメだろ」

「違いますよ。鞭で叩いてくる人にもらってるんです。前は飴でしたけど、最近は10マン円くれます。今は夏休みで会えないからもらえないですけど、もうかなりもらいました。 うーん、アングルがいまいちです……」


 あいつか……。


 鞭→飴→大金。どんだけ百合香ちゃんで遊んでやがるんだ。屋根からモチを投げ捨てる感覚なんだ、きっと。


 *


 撮影をようやく終え、俺たちは宿に向かうために改札を再び通った。今はベンチに座って休んでいる。ちなみにこのベンチも聖地であり、もちろん撮影をした。


 駅内部、外から見た駅、横断歩道、など。ここがアニメの舞台にならなければ、俺にとってここを撮影する価値も、来る価値もなかっただろう。アニメの威力はすさまじい。価値0のものを、価値∞に変えてしまうのだから。


 何が言いたいかと言うと…………


「日が暮れちゃいましたね…………」

「日が暮れたな…………」


 空が黒ずんでいる。

 

 アニメのカットのモデルではないものまで撮影したせいで、異常に時間を食ってしまった。空、雲、道路の石、雑草、民家、果ては登場人物が立っていた地点に百合香ちゃんを立たせて俺が何枚も撮影するという恥知らずの行為(ちなみに百合香ちゃんのスマホを借りた。俺のじゃ容量オーバー不可避だったから)。聖地のすべてを手に入れようとした強欲な二人は、多くの時間を無駄にしてしまった。


「この写真、必要だと思いますか?」


 見せられたのは、コンクリートの濃い灰色のみが撮影された写真。


「間違いなく、いらない」


「ですよね。じゃあこの写真も」


 見せられたのは、折れた雑草の茎。


「あまりにも不要なファイルだ」


「で、ですよね。ということはこれもそうだろうから、消しますね」


 自信を喪失しかけているかもしれない。見た目は、にへらと笑って明るく振舞っている。だが人間とは、そういう時こそ落ち込んでいるものだ。


「消す前に俺に見せてくれ。もしかしたら、俺にとってはいい写真かもしれない」


「え……」


 いきなりスマホを隠す百合香ちゃん。明らかに挙動不審だ。これは問い詰めるべきだろう。


「何してる。一緒に撮りまくったんだから今更隠すものなんてないだろ?」


「えーと…………」


 目が、きょろきょろ泳いでいる。


「本当は百合香ちゃんの写真を全部保存したいけど、200枚くらい撮ったから無理だし」


 すでに俺のスマホの容量とGoogly Driveの容量はヤバい。もし俺一人だけだったらこんなことにはならなかっただろうが、百合香ちゃんと一種の競い合い状態になったせいでパンパンになったのだ。


 とはいえ、聖地×美少女JKの組み合わせは価値がある。真逆の人間とはいえ、アニメの登場人物と百合香ちゃんとの間の共通点は「美少女」であるところだ。まあ、そこだけなんだけど……


「早く見せてくれよ。電車来るぞ」


「ま、待ってください。今、消してるので」


「風景写真を消すのはあとでいいよ。百合香ちゃんが写った写真を見たい」


 ビクッ


「……ど、どうした?」


「なんでもないです! なんでも!」


 怪しさ満点だ。縮こまってスマホをガードしてるあたり、明らかに隠蔽工作を働こうとしている。


「可愛い百合香ちゃんの写真を一枚でもいいから見たい。もし嫌なら嫌って言ってくれ。変態みたいな要求って自覚はあるから、百合香ちゃんが嫌なら諦める」


「それなんですけど…………」


 眉をゆるやかに曲げ、口をやたら波打たせ、不自然に笑う百合香ちゃん。


「どうしたんだ」


『まもなく電車が到着します、黄色の線の…………』


「ほら電車が来る」


 急かす。百合香ちゃんはますます縮こまる。


 百合香ちゃんの姿を大量に撮影した。ホットパンツと生足が陽射しを受けて照らされている一枚、Tシャツから盛り上がった胸を中心に撮影した一枚、風になびくセミロングを激写した一枚に、強風に吹かれたせいですっ転ぶ、その直前の顔を写した一枚。自然に歩くだけの姿や、ただ信号待ちをしているだけの姿を撮ったものは、アニメの登場人物の自然な感じをイメージしたもの。近所のおばちゃんにまた生足を指摘されていたシーンをこっそり撮影したのは、高校生同士が雑談している様子が疑似的に表現されていると思ったから。


「嫌なら、別にいいけど」


 俺は俯いて、ホームの黄色い線を眉をひそめて睨む。


 本当は、あの巨大な中国人に嫉妬している。だって俺の方が百合香ちゃんとずっと近い距離にいるんだから。俺の方が百合香ちゃんと仲良し、という事実を、写真を撮り合うことで再認識したはずだ。だから見せてほしいのに……。


「ご、ごめんなさいっ」


 ベンチからいきなり降りて、なんと地面に土下座した。幽霊みたいにセミロングが地面に張り付く。Tシャツがぺろんとめくれて、白い背中が見えている。


「私が写ってる写真、全部消しました…………」


「……」



 キキキィー。



「あ、改めて自分の姿を見たら、すごく恥ずかしくなっちゃって……お、お兄さんを追いかけるのに夢中で、お、追いつけたのが嬉しくて……。わ、私……ねね、寝間着で旅行することが恥ずかしいことを、わ、忘れていました…………」


 頭を下げたまま、どんだけどもってるんだ。動揺しすぎだし、不審すぎる。もしかしたら、やっぱり…………


『ドアが閉まります。ご注意ください』


 ヒュイーーン。


 電車を乗り過ごしたことよりも、百合香ちゃんを写した写真が消え去ったことよりも、百合香ちゃんが今更そんなことを言ってしまったことに緊張する俺だった。

 

 ぬるい風がセミロングをゆっくり乱す様子を、俺はただ見ている。

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