第44話 騒がしい朝

「実は、百合香ちゃんと喧嘩したんだ」


 だいぶ軽く言ったら、そういうことになる。


「ねえのぞみ、百合香ちゃんって誰?」


「おじさんのカノジョや。ラーメン屋におったアレ」


「あ、あのゴミ捨て場の子か。仲直りできてなかったんだ」


 座椅子に座る俺。


 椅子に座り、机に頬杖をついて、田舎娘が俺を睥睨している。


 腕に絡みつき、握ったり緩めたりして遊んで、沙夜さやが恋愛脳に浸っている。


「なあ沙夜、百合香って子、昨日カン入れる箱にはまってたで」


「え、なにそれ見たかった」


「すっぽりはまってんねん。ウチもはまれるかもしれへんから、来週やってみるわ」


「ウケるー! 写真撮って、ライチで送ってね」


 ライチとは、連絡交換用のSNSだ。


「おじさん、ウチとライチ交換せえへん? 悩み、いつでも言えるで」


「あ、わたしも交換したい。恋心味わってみたいなぁ」


 こいつら、俺の悩みを全く聞いていない。


「それで、今日も百合香ちゃんと話せなくて」


「百合香の家、どこやねん」


「隣なんだけど……」


 刹那、田舎娘の目がカッと見開かれた。飛び出そうだ。もし飛び出たら、外に投げよう。


「ウソやろ?」

「本当だ」


 刹那!


 机に頬杖をついていた田舎娘が飛び跳ね、ふすまを通り過ぎて、玄関に向かった。


「おい、どこ行くんだ!」


「隣や。百合香連れてくるんや」


 玄関に走る俺。しかし、腕に絡みついた恋愛脳が邪魔くさい。


「ちょっと峡介さん、強引すぎ。もっと優しく……」


「あいつを止めなきゃいけない! おい田舎娘、盗撮してやるから待ってくれ!」


「え、ホンマ?」


 ぱぁっと顔を晴れやかにした田舎娘。目が爛々としている。


「と、とうさつ?」


 沙夜さやはあっけに取られたのか、口が開いたままになっている。腕に絡みついてはいるものの、絡みついている自覚があるのか怪しい。


「気にせんでええ気にせんでええ。ウチ、おじさんに盗撮されたい願望あんねん」


「え、えええ⁉ 峡介さん、そんな変態だったの? どうせなら可愛いわたしを撮ってよ、ブスなんか撮っても仕方ないよ」


 途中からの反応が間違っている。そこは「見損なった」とか言うべきところだ。


「おい沙夜、ぶりっ子もほどほどにしとかな、キレるで」


「ごめんごめん、つい事実言っちゃった。てへっ」


 悩んでる自分が、どんどんアホらしくなっていく。悩みながら盗撮とか、どうやってやればいいのか分からないし。


「じゃ、いくぞ」


 田舎娘は前髪を掻き上げ、無意味な笑顔を晒す。


 カシャッ


「どや? 今日のは自信あるで」


 大目に見て、可愛くない。目が大きくないし、肌の色が意味もなく小麦色で、笑顔がとにかく田舎っ子だ。可愛くないけど、元気がある。そういう写真写りだ。


「何一つ可愛くない」


「チックショー、またかいな! こうも可愛くない可愛くない言われ続けたら流石にこたえるで」


 でも実際に、可愛くないし。百合香ちゃんや沙夜の足元にも及ばない。


「じゃ、次はわたしね?」


「撮るわけないだろ。どうせ自撮り棒で毎日自撮りしてるだろうし」


「えッ、なんでわかったの」


 マジでやってたのか。俺なんて、自分の顔を鏡で見るのも嫌だってのに。


「えっちな写真撮るのにはまってるのよ。将来の彼氏のためにね」


 腕に腕を絡ませ、豊満な胸を押し付けてくる。


「ちょ、やめろ。俺は大人なんだぞ」


「彼氏なら全然いいじゃん。えっちな写真も見せてあげるよ?」


 また、えっちな話題か。


「いいか? 未成年との淫行が発覚したら、大学を退学になるんだ。条例には抵触しないらしいけどな」


「え、峡介さんって大学生?」


 しまった。年齢が高いから大学生に見えないのか。


「おじさん、大学生なんか? 老けてんなぁ」


「そ、それは、だ。夜更かしばっかしてるから老けたんだ」


 実年齢を言えば、笑われるだろう。こいつらにも、百合香ちゃんにも、年齢のことで笑われたくない。人生が終わったやつだと思われたくない。


「あ、もう八時や。おじさんすまん、ウチ学校行かな遅刻するわ。そいじゃ」


 ガッと雑にドアを開ける田舎娘。

 

 バァン‼ と、猛烈に大きな音を立てて出て行った。

 

 かと思ったら、再びドアが開く。


「すまん、自動でゆっくり閉まるようになってなかったんやな。知らんかってん」


 右手を額に当て、目をぎゅっとつぶって「ごめん」のポーズをとる。


「ボロいアパートだしな。お前の真新しい一軒家とは違うんだよ」


「ごめんごめん。ほなな」


 田舎娘はドアをゆっくりと閉めた。全く無音だった。


「……」


「どうしたの?」


「カメラ目線で無理に笑うより、自然に生まれた仕草のほうがマシかなと思った」


 可愛いとは程遠いものの、ガサツなやつが見せる誠意がギャップにつながり、思わぬ好感につながった。


「望はブスだけど、わたしのたった一人の友達なんだよ。そんな望を一生大切にしたいなって思ってるよ」


 言い回しに難があるが、意外な一面も知った。


「お前、あいつしか友達いないのか? 百人くらいいると思ってた」


「わたしかわいいから、嫉妬されるんだよね。顔のスペックがすごく良すぎて、困ること多いんだ~」


 ヘラヘラしながら言う。その笑いさえ、男の奥底をくすぐる柔和さがある。


「自信過剰にも程があるぞ」


「だって全員ブスなんだもん。望とかめっちゃブスじゃない?」


「大切な友達だったら、普通はもうちょっとオブラートに包むんじゃないのか」


「えー。今更そんなぁ。言い過ぎには注意してるから大丈夫でしょー」


 肩にかかる程度の、短めなダークブラウンの髪の毛に手櫛を差し、サラッとなびかせる。てくてくと居間に入って、田舎娘がさっきまで座っていた椅子に腰かけた。


「望だけだったんだよ? わたしのこと可愛いって言ってくれたの。目をこんなにでっかくして驚いててさ。そっから、友達」


 沙夜さやは、普段通りの自分の目を指さす。暗に田舎娘の目が小さいと言いたいのだろう。


「そうなのか」


 さっき自分で指さした、大きな目。少しだけ瞼を落とし、頬杖をつきながら、どこを見るでもない遠い目をしている。


「望、全然友達作らないんだよ? なんで作らないのか聞いたら、『友達は作るもんやない、自然にできてるもんや』って言われた。わたしが可愛さアピってたら、自然に望が可愛いって思ったってことかな」


 髪の毛の毛先を見つめ、ふーっと息を吹きかけている。


「わたしは、あのちょんまげみたいなのがダメだと思ってるんだけどね。だから友達できないんじゃないかなーって」


「何が言いたい」


 そう問うと、また遠くを見つめて、ふぅ、とため息をつく。


「大切な人が友達で、もっと大切な人が友達以上で、めっちゃ大切な人が恋人なのかなーって。結局、大切に思ってたら、もう友達以上は確定ってこと。わたしはそう思ってるんだー」


 大切な人。


 俺にとってその人は、百合香ちゃんだ。俺をゴミから人に戻してくれた存在だから。


「なんとなくだけど、自分が大切って思ってたら向こうも大切って思ってくれてる気がするの。程度の差はあるかもだけど、自分が大切って思ってたら、少なくとも関係は切れないのかなー。って」


 昨日は、百合香ちゃんに嫌われっぱなしで、挙句俺が陰鬱になってしまった。それとは関係なく、俺は百合香ちゃんのことを大切って思っている。ということは、関係は切れてないということになる。まだ、話せば仲直りできる余地があるのかもしれない。


 でも……


「話しかけづらくて……」


 百合香ちゃんを傷つけ、自分まで傷ついてしまった。まるで、放ったレーザーが鏡で反射されて自分に当たったかのように。百合香ちゃんという鏡がダメージを負って、自分もダメージを負った。そのダメージがやたら強力だったもんだから、レーザーを反射した鏡を怖がるかのように、俺は百合香ちゃんを怖がっている。


「百合香ちゃんってどんな人か、峡介さん話してみてくれない? わたし、全然わからないからさ。ね?」

 

 シアンブルーの瞳が、凛とした空のように澄んでいる。

 

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