誓い

 柴田は朝日の眩しさに眠りから覚めた。

 遮光カーテンの隙間から射し込む陽光に目を細めながら、上半身を起こす。

 どうやら彼女が寝ているのは自宅のベッドらしいのだが、服装がいつもの水色の寝間着じゃなくスーツとはいうのが不思議だった。

 昨夜の事を思い出そうとすると、予期しない頭部の鈍痛に襲われた。

 記憶は抜き取られたように無くなっており、せいぜい記憶にあるのは昨朝に家を出たことぐらいだ。

「健忘症っすかね?」

 病気を疑うが、頭を打ったとか深酔いしただとか、これといって思い当たる節はない。

「まあ、気にすることもないっすか。思い出せないってことは、大して覚えることがなかったってことっすよ」

 自分に言い聞かせるように、柴田はお気楽に疑問を手放した。

 下着から寝て皺の出来たスーツまで全てを新しい物に着替え終えると、手早く朝食を済まして、玄関に向かった。

 鞄からスケジュール帳を取り出し、本日の予定を確認する。

 今日の欄には、神里バラエティと書き込まれている。

 神里さんは今日も仕事っすか、人気っすね。

 昨夜の惨劇を知らない柴田は、自分が仕える男性俳優に残虐の色を見出さなかった。

 彼女の頭には彼女の知っている神里晋一しかいない。

 柴田は誰に示すでもなく張り切って、家を出たのだった。


 神里晋一が行方不明になったと報じられた翌日、栗山は未希を呼び出し、最寄りの駅前広場で落ち合った。

「ヤッホー、チーちゃん」

 すでに楽し気な笑顔で、未希はベンチに座る栗山に駆け寄ってきた。

 栗山も片手を挙げて応じる。

「元気そうだな、未希」

「元気ない時の私を見たことないでしょ、チーちゃん?」

 元気を誇るように未希は尋ねた。

 栗山は確かに、と請け合うような口ぶりで頷いた。

「それで、チーちゃん。私に何か用があるの?」

 落ち合う理由を未希が訊くと、栗山は急に真面目な顔になる。

「お前に聞いておかないといけないことがあってよ」

「なあに?」

「神里晋一って知ってるか?」

 その名前を耳にして、未希はああ、と記憶にある人物を思い浮かべる。

「その人って二枚目で人気の俳優でしょ。この前、行方不明になったっていう」

 他人事のように話す未希の口調に、栗山は人知れずほっとした。

「そうだな」

 柄に合わず瞳を潤ませて、一筋涙を溢す。

「どうしたのチーちゃん?」

 突然に友人の頬に涙が伝うのを見て、未希は何があったのかと心配になる。

「いや、なんでもねえ」

「なんでもないのに涙は流さないでしょ」

 自分に隠し事でもしているのか、という目で栗山の顔を見つめる。

「ほんとになんでもねぇんだよ」

「ほんとう?」

「お前が目の前にいることにほろりときちまっただけだからよ、気にすんな」

 そう答えながら、目の前の友人の顔を見返した。

「どうして私を見て泣き出すの?」

 理解しがたい表情で未希は訊いた、

 栗山はすまねえ、と詫びて顔を逸らし、努めて安堵の涙を押しとどめた。

「チーちゃん?」

「なんだ?」

 先程まで涙が頬を伝っていたとは思えぬ、溌溂な笑顔で向き直った。

「用って何?」

「用? そんなのねえよ。ただ一緒にパチンコ打つために誘おうと思っただけだ」

「私、パチンコやめたって前に言わなかったっけ?」

 うんざりしたように未希は、栗山の記憶の正確さを疑った。

「そうだな。前に聞いたぜ」

 パチンコに誘う気なんか端からねえーんだよ、記憶に異常がないかこの目で確認したかっただけだ、と心の内ではそう返事をした。

 シキヨクマーの手先と化した後の神里を知らない未希が目の前にいる。

 栗山は初めてヒーローになったことに感謝した。そしてこれからは、自身が未希の平穏を護ってやるとも誓った。

 ブルーには護れる力があるから。

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