第1話 死神は告げる
貴方の寿命はあと3日です。
死神。黒い裾の解れたローブに担いでいても地面に先が擦るほど長い鎌。死神がそう語った訳ではないが、紛れもなく死神なのだろう。
「寿命が…あと3日? どういうことだよ」
貴方の寿命はあと3日です。
死神は言葉を反復するように問いかける。しかし、死神が返す言葉は同じ。
「俺はまだ死ぬような歳じゃ…」
貴方の寿命はあと3日です。
死神は表情を一切変えずに同じ言葉を告げる。
「死ぬような予兆は何も…身体が弱い訳でもないのに…どうして…」
貴方の寿命はあと3日です。
少年が何を問いかけようと、何を訴えようと、死神は貴方の寿命はあと3日ですとしか返さない。
少年は感覚的に察する。少年の命など、死神にとっては幾億の命の中の一つで特別なものではなく。漫画やアニメのように、死神と出会うことによって何かが始まる訳ではない。ただ終わりを告げられているだけなのだと。
少年が黙り込むと、次第に意識が薄れていく。
そして、まるで死神が夢だったとでも言うかのように、毎日訪れる朝と同じように少年はベッドから身を起こす。
「夢…、夢か…」
口では夢だと結論付けても、なんだか夢ではないような妙な確信があり、表情を曇らせたまま家を出る。
「ねえ、大丈夫なの?」
「え、うん。大丈夫だよ、母さん」
「でも、なんだか顔色が悪いし…今日も休んでも…」
「いや…俺は」
「邪魔」
少年の言葉を遮るように、妹が母に肩をぶつけて間に割って入ってくる。
「兄さんなんてほっとけば良いのに」
「お前、母さんにそんな態度はないだろ!」
「は? きっも。黙れよ、クソ兄」
少年が言い返す前に妹に鞄を胸元に叩きつけられてよろめく。中学生の鞄ってのはやけに重くて結構な衝撃だった。
妹は見下すような冷たい目を向けて、足早に学校へ向かっていった。
「なんだ。あいつ…」
母さんの苦笑いがなんだか痛々しかった。
死神に寿命を告げられても何も変わったことは無かった。体調が悪くなっただとか、死の予兆なんてものは無い。もちろん少年が普段通りに過ごしている限り、周りの人間が変化に気づくこともなく無難に1日が過ぎていく。
「昨日ツイッターで…」
「ドラマであの人がー」
たわいも無い会話に適当に相槌を打って、自分が話したいことを好きに語る。
「なあ、何かあったのか?」
帰り道、ただ帰る方向が同じで、タイミングも同じだからと一緒に帰る友達。特段仲が言い訳でもなく高校を卒業すれば合わなくなるような友達がそう聞いてきた。
「何かって何?」
「それを聞いてるんだよ」
「……何も?」
「そっか」
死神に寿命を告げられて、1日目は何も代わり映えなく終わった。
その日の夜、死神は何も言わずに佇んでいた。
「夢じゃ無いんだな」
死神は答えない。ただ無言で佇むだけ。
「俺の寿命はあと2日なのか?」
貴方の寿命はあと2日です。
死神は台本を読み上げるかのように、そう述べる。
その後、永遠とも思える時間を互いに無言で佇んでいた。
気がつけば朝だった。
いつものように身嗜みを整え、学校に向かう。
「邪魔。死ねよクソ兄」
「お前に言われなくてもな」
「は? ちょっと兄! 馬鹿にすんな! おい!」
あと2日で死ぬと分かったら、妹の理不尽な暴言にも腹が立たなくなった。
俺は何か悪いことをしたのだろうか。思い当たることといえば、サボり癖が付いてきて過保護な母に甘えて学校を休むことが増えたことか。
妹が俺に反抗的になったのもそれからだった気がする。それ以上に反抗期って面が大きいとは思うけど。
俺はこの人生で何かできただろうか。何もできなかった。生きていたからといって何かできるかと言われたら、何もできない。何もできないからといって、いつ死んでも同じなのだろうか。
死神が意味深なことを言ってくるのなら、意味のある葛藤ができたのかもしれない。感情のない死神はただ役割をこなすだけで、それ以上は無くて、何かを為せだとか、何かを変えろだとか、誰かを救わせてくれたりはしなかった。
「やっぱり何かあったよね?」
「お前…やけに感が良くないか?」
昨日に引き続き、エスパーかと疑うほどの察しを見せる友人に苦笑いを浮かべる。
「そうかな?」
「そうだよ」
「じゃあ何かあったんだ」
「まあな」
しばらく無言の時間が流れた。わざわざ間を埋めようとするほど、近しくもなく、気を使わなきゃいけない仲でも無いのだ。
「海にでも行くかい?」
唐突に友人が言った内容に少年は吹き出す。海、なんてベタなんだ。
「それはいいな。学校サボって、自転車でとかか?」
「サボるなんて考えつかなかった」
「自転車で、ママチャリならだいたい8時間。筋肉痛とかがきついとは思うけど、1日あれば十分行って帰ってこれる。青春にはぴったりだぜ?」
「ずいぶん正確な数字を言うけど、調べたのかい? 面白そうだし僕はそれ乗るよ。青春、いいじゃないか」
俺はどんな顔をしただろうか。自分の表情というのは案外分からないもので、友人がそれを見て寂しいような悲しいような複雑な表情をした理由が分からなかった。
「……いや、いいや。面倒だ」
「はは、だよね」
今日もまた何事もない1日が終わった。
無言で佇む死神に少年は視線を向けて、拳を握りしめる。
「なんで俺なんだ」そう言葉が浮かんだ。死神に問い詰めて、殴りかかる少年の姿が脳裏に浮かんだ。
きっとそんなことをしても死神は何も言わず、感情を動かしたりはしないだろう。
「俺の寿命はあと1日…」
貴方の寿命はあと1日です。
「そっか…」
死神は何も言わずただ少年を見つめていた。
気がつけば朝だった。
何も変わらない。ただ1日を過ごすだけ。
身嗜みを整えて、家を出る。
「いってきます」
「あら…あらあらあら」
母さんがぴょんぴょんっと玄関に顔を出して笑顔を向けてくる。
「兄きっも…」
「今日に限っては私も同意だわ〜」
「なんだよ…2人揃って」
少年は少し柄にもなく拗ねて背を向ける。
「…い、いってきます」
もごもごと聞き取りづらいくぐもった声。
「いってらっしゃい♪」
母の嬉しそうな声が聞こえた。
俺は最後の日をいつも通り過ごすことに決めた。
きっと海に向かってペダルを踏めば、今までにない達成感を得られるだろう。最後に海に飛び込んで終われば、物語として見ても美しい終わり方かもしれない。
でも、きっと僕が救われることはない。
もしかしたら、と考える。
俺は死神に問い詰めようと考えていた。なんで俺なのか、と。
でも、俺が死ぬことで救われないのは、俺だけじゃないなのかもしれない。
母さんは悲しむだろうし、なんだかんだ妹も悲しんでくれると思う。感のいいあいつは何もかもを察して胸を痛めるだろう。
でも、一番辛いのはきっと…何よりも救われないのは彼女だろう。
その時は夜を待たずして訪れた。
「俺の寿命はあとどれだけだ」
貴方の寿命はもうありません。
「そっか」
死神はじっと少年を見つめていた。表情を変えずに、ただ感情を見せずに。
「俺は君のおかげで救われたんだと思う」
死神は言葉を返さない。表情も変えない。感情も見せない。
「ありがとう」
寿命を告げられた人間が誰しも何かを為せる訳ではない。理不尽だと罵られ、歪んだ感情を向けられ、恨まれ、憎まれる。
きっと死神という存在が死を告げるだけの存在であるならば、救われないのは彼女だろう。だから俺は何も為せなくてもせめてこう願おう。
いつか彼女が救われる日が来ますように。
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