第7話:ニュー・グラストン銀行三つ巴
[07-01] 持つべきお方が持つ力
〈ルオノランド領:サンフォード〉。
その町は、領内北部のなだらかな丘陵に発展したのどかなところである。
傾斜を利用した田園から収穫される農作物に恵まれ、旧魔王領でありながら衣食住に満ち足りた暮らしを送ることができた。
入植者たちは続々とサンフォードに居を構え、ますます町は発展していった。
大地主の寄り合いによって町の自治が行われ、農民たちは日々労働に勤しみ、祝日には誰もかもが酒浸りとなる。そうした平和な暮らしがいつまでも続くかに思われた。
そのサンフォードが今、戦火に包まれていた。
「くたばれ、化け物ッ!」
瓦礫に隠れていたイモータルがヤケを起こして飛び出した。
手に構えたライフルを発砲。必死にレバーを操作し、マガジンチューブ内の弾薬を全て撃ち尽くす。どれか一発でも当たってくれ、と願うように。
だが、弾丸は全て、標的に命中するよりずっと手前で破裂。花火のようにぱっと咲いて、呆気なく消失してしまった。
標的――ドラウの女は無表情で振り返り、黒鉄のライフルを構える。
イモータルが使っているようなオーソドックスな形状とはまるで違う。弾薬を発火させるハンマーも、ハンマーを作動させるトリガーも、銃にとって必要な部品が備わっていない。
ただ、弾薬を装填するための
その銃口から発射されたのもまた鉛玉ではなかった。
一条の蒼い閃光がイモータルの胸を貫き、背後の瓦礫を吹き飛ばしたのである。
もうひとり、イモータルが突撃してくる。
手にはリボルバー。十分に接近すれば弾丸を融解されずに済むと考えたのか、射程距離よりもさらに間合いを詰めようとする。
ドラウの女は銃口を向けず、力なき者の必死な形相を冷めた目で見つめた。
イモータルの頭上に巨大な影がぬっと伸びる。巨人が建ち並ぶ家屋を薙ぎ倒しながら戻ってきたのだ。
イモータルはその足に蹴飛ばされ、
「あっ……ぎっ……!?」
彼方へと吹っ飛んでいった。
ドラウの女の前で立ち止まった巨人は、その姿を炎によって照らし出される。
「……何か蹴った。ヴェルヴィエット、私、ターゲットを殺した?」
機械甲冑の拡声器から響く無機質な少女の声に、ドラウの女――ヴェルヴィエット・ザ・バーンクウォンタムは優しくほほ笑む。
「ゴミ屑を蹴飛ばしただけよ。何も問題はないわ」
ヴェルヴィエットはつい先日まで腹部と肩に重傷を受けていたが、立ち振る舞いにその影響はない。ドラウは人族と比べても回復力が高いのである。
機械甲冑の頭に嵌め込まれた双眼鏡のレンズが、ヴェルヴィエットの持つ異形のライフルを注視する。
「……新型の〈ウィッチブルーム〉、どう?」
旧型の〈ウィッチブルーム〉はピストルだった。弾薬に魔晶石を用い、封じられたマギカを銃の機構によって引き出す。さらに使い手のマギカと反応させることで、詠唱なしに超常現象を引き起こすことができる。
ヴェルヴィエットは蒼い炎を操るドラウ。旧型ピストルでは標的を追尾する火球を発射することしかできなかったが、この新型ライフルでは炎を集束させ、光線として撃ち出すことが可能になったのだ。
機械甲冑を操縦する少女は〈ウィッチブルーム〉の発明者だ。ヴェルヴィエットは軽くライフルを持ち上げ、素直な感想を伝えた。
「強力ね。死体が残るのは気に入らないけれど」
「……息の根を止めるのに、全てを焼き払う必要はない。それほどの火力は過剰にして非効率的」
「私はゴミどもが燃え尽きていく過程を眺めたいのよ」
「……〈
機械甲冑が四肢を動かすのに、魔獣の筋肉が利用されている。みしみしと繊維が軋み、金属の腕が考え込む仕草を取ろうとした。
そのとき、片手に握られて拘束されていたヒュマニスの親子が苦しげな声を洩らす。
ヴェルヴィエットは眉をひそめた。
「リニア」
機械甲冑の少女――リニア・ザ・タイタンズストライドが「あ、ごめん」と親子を解放した。
窒息寸前で咳き込んでいた親子が、ようやく呼吸を整えて顔を上げる。そこで、ヴェルヴィエットの足元で腰を抜かしたきり動けなくなっていた男に気づいた。
娘が「パパ!」と叫ぶ。
男は妻と娘の無事にも喜ぶことなく、ヴェルヴィエットに恐怖で見開かれた目を向け続けた。
「な、なんなんだ、お前たちは! 金なら好きなだけ持っていけばいい! この土地が欲しいのならくれてやる! だから、私と家族の命は見逃して――」
懇願の一切を無視して、ヴェルヴィエットは告げる。
「私たちの目的は魔王ビュレイスト様の〈遺産〉よ」
「……ッ!?」
男は喉を引きつらせるが、すぐ小刻みに頭を振る。
「そ、そんな物、私は知らない!」
ヴェルヴィエットの表情は変わらない。冷たい目。黒い眼球に宿る金色の瞳。
「いいえ、あなたは知っているはずよ、ドイルズ・ギャバック。〈
「だ、誰だそれは! 私はウェインズ・ハーバード。他の誰かと勘違いしているのでは――」
「ドイルズ」
ヴェルヴィエットは話を続ける。
「御使いが魔王様の元へ潜入するにはある集落が邪魔だった。あなたはその集落を襲った。風上から毒物を撒いた後、戦える者は元より戦えない者も皆殺し。銃剣で串刺しにしては至近距離から銃弾を発射。そんなあなたの姿を見た者が囁いた『返り血ギャバック』。一体、何人の血を浴びたのかしらね」
男はただただ己の潔白を主張することに必死だ。妻の愕然とした表情に気づいていない。
「誰かにホラ話を吹き込まれたのか!? お前はその場にいたのか!? その目で見たワケでもなかろうに、デマを信じたのか!?」
ヴェルヴィエットは淡々と男を追い詰める。
「あなたの部下だった者に話を聞かせてもらったわ。なんでも、御使いから〈遺産〉を託された者がいて、そのひとりはあなたが暗殺したそうね」
男は震え、歯をかちかちと鳴らす。
「誰かの謀略だ……私は何も知らない……誰かが私を陥れた……」
「とぼけるようなら、こちらにも考えがある」
ヴェルヴィエットはおもむろに指をぱちんと鳴らした。
と同時に、娘の悲鳴が燃え盛るサンフォードに響き渡る。
男はぎょっとして娘のほうに――今初めてようやく――振り向いた。男が目にしたのは、蒼い炎に包まれた母親が絶命して倒れるところだった。炎は一瞬にして消え、後には人の形をした消し炭だけが残される。
男がついに敵意を剥き出しにして吠えた。
「貴様! なんということを!」
「あなたが、よくまあ、そんな言葉を吐き出せたものだわ」
ヴェルヴィエットは男の顔面をブーツの底で踏みつけた。悲鳴を上げてうずくまる男の頭を鷲掴みにし、怯える娘のほうに向けさせる。
「でも、愛する者を殺されて憤る感情を持ち合わせてくれてよかった。さあ、改めて尋ねるわよ、ドイルズ・ギャバック。ビュレイスト様の〈遺産〉をどこに隠した。答えろ!」
男――ドイルズは何度も罵倒を吐きかけては呑み込み、最後は諦めた様子で丘の上に建つ教会を指差す。
「棺に隠した。ハーバード家の墓石の下だ!」
「リニア、聞いたわね」
機械甲冑が筋繊維を唸らせて頷く。
「……了解。この場合、非効率こそ有効。勉強になった」
機械甲冑は外見から受ける印象よりもずっと機敏に、それこそ生物的な動きで教会へと向かっていった。
ようやくヴェルヴィエットに解放され、ドイルズは慌てて地を這う。
「あんな物、今さらどうするつもりだ。〈魔王の遺産〉だと言うから大した宝物なのかと思ったら、実際にはなんの役にも立たない水晶だったぞ!?」
「でしょうね。あの方晶に封じられているのは、いずれ蘇られるであろう持つべきお方が持つ力。お前ごときが触れていい力では――」
不意に、ヴェルヴィエットの胸に少女の顔が思い浮かぶ。
アマルガルム族のネネ。あの娘は『持つべきお方が持つ力』をその身に宿した。自分ではなく、イモータルが。
腹と肩の傷跡が疼く。ヴェルヴィエットの主である魔王の力が宿った弾丸によって負った傷。
急に黙り込んだヴェルヴィエットを不気味に思ったか、ドイルズが矢継ぎ早に叫ぶ。
「魔王を蘇らせようって? 仮にそれが可能だとして、お前ら魔王派以外の魔族はとっくに人族に従っているんだ! ヤツらに訊いてみろ! 口を揃えてこう答えるはずだ! 『昔より今のほうが豊かでいい』とな!」
そのやかましい喚き声で、ヴェルヴィエットは意識を引き戻された。
「すぐに人族同士の戦いが始まるでしょうね。その時、愚か者たちはどう考えるかしら。人族どもにマギカを利用され、兵力として搾取される。そうならないよう、この〈ジ・アル〉は絶対的な支配者によって治められるべきなのよ」
「平和は支配ではなく信仰によってもたらされる! 女神クレアスタへの信仰によって!」
「神の御使いを裏切っておいて、都合よく縋る気? つくづく下賤な男ね、ドイルズ・ギャバック」
ドイルズが負けじと言い返そうとするが、その吐息は言葉になる前に地響きによってかき消された。機械甲冑が駆け戻ってきたのである。
指先で器用に摘まんでいるのは、正方形の水晶だ。
水晶の中で光を放つ核が小刻みに振動している。アマルガルム族のネネとエルフのラカが探し当てた物と同じ、魔王ビュレイストの力を封じた方晶で間違いない。
ヴェルヴィエットは上機嫌にほほ笑む。
「最初からこれを渡してくれれば、余計な犠牲を出さずに済んだものを。さあ、帰りましょう、リニア」
「うん」
油断からか、あっさりと背を向けるヴェルヴィエットとリニア。
自由の身となったドイルズは笑みを浮かべ、イモータルの死体に飛びついた。ホルスターから使われずじまいのリボルバーを引き抜いて構える。
「死ね、クソ魔族!」
躊躇なくトリガーを引く――瞬間、ハンマーが熱されたチーズのようにどろっと溶けた。その熱で薬莢内の火薬が爆発し、シリンダーが圧力に耐えられず破裂。ドイルズの手は溶けた鉛と破片によって見るも無残な傷を負った。
「があっ!? 手が、ああっ!?」
ヴェルヴィエットはゆっくりと振り返る。
「黙って屈していれば生き残れたものを……」
「ふざけやがっべ!?」
ドイルズの後頭部が光り輝き、ぼん、とくす玉のように爆発した。先ほどヴェルヴィエットが頭を掴んだ際に『呪紋』が刻まれていたのである。
唯一生き残った娘は泣き叫ぶ声さえも失った。頭を失って倒れる死体に駆け寄ることなく、ただ茫然と座り込む。
リニアはそんな娘を無遠慮に指差した。
「あれは?」
「放っておけばいい。それより、少し寄りたいところがあるの」
「一緒に行く?」
「いえ、野暮用だから私ひとりでいい。あなたはそれを持って帰って」
「……わかった。ちょうど飛行試験もしておきたかった」
「飛行?」
なんのことかわからず尋ねたヴェルヴィエットに、リニアは珍しく得意げに笑みを洩らした。
機械甲冑がどっしり地面を踏み締める。すると、背中のタンクから火が噴き出し、テコでも動かなそうな巨体を宙へと浮かび上がらせた。
十分な高度に到達した後は、竜翼を展開して滑空する。リニアは魔族ではないが、その技術力は見事なものだとヴェルヴィエットも認めざるを得ない。
「さて、と」
ヴェルヴィエットは考え込む。
もう一度、あの小娘に会わなければならない。会って、確かめなければならない。
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