第10話

 三鷹の運転する車に乗って港に向かう一本道を行く。片側は防波堤続く海。片側には住宅と商店が並んでいる。コンビニエンスストアーの明かりが見えて来た。そこを過ぎて二級河川の平作川に架かる橋を渡れば港までは本当に僅かな距離だ。

「衛星で捕捉されてるでしょうね」

 響子が元気のない声音で言った。崇子は後部座席に圭介と響子に挟まれるようにして乗っていたので響子の顔を間近で見詰めながら返事をした。

「どうした? 疲れて来たか?」

 響子が小さく頷いた。

「眠い……。お酒飲んだ時って、何時もそのまま寝ちゃうんだもん」

 崇子は響子の肩を抱いて自分の方に引き寄せた。

「昔みたいだな。あの頃は酒は飲まなかったが、お前は何時もそんな風に疲れると甘えて来た」

 響子が子猫がじゃれるように崇子の体をやんわりと押して来る。

「なんだ?」

 崇子が腕の力を緩めると響子が崇子から離れた。

「む。子供扱いは嫌。別に甘えたい訳じゃないもん。それより、話の続き。港の方に先に誰か行かせておけばよかった。そうすれば状況が分かったのに」

 崇子はぐいっと響子を引き戻した。

「私にはもう甘えたくないか? それはそれで寂しいのだが」

 うう、と響子が小さく唸る。

「そ、そんな事ないけど。でも、圭介もいるし」

 崇子は圭介の方を見る。圭介は崇子に寄り掛かり穏やかな寝顔を見せていた。

「圭介は寝てる。かわいいぞ。私の事を信頼してくれている。私はこんな圭介を見る度に気持が引き締まる。この信頼になんとしても応えなければ、と。私が……」

 崇子の言葉は響子の伸ばした右手の人差し指が唇に当たった事によって遮られた。

「それ以上はだめだよ、崇子姉。崇子姉がどう言った所でもう圭介は圭介。それに。ここまで来る途中で会って来た人達。って。分かってるか、そんなの」

 崇子は圭介と響子を同時に抱き締めた。圭介がうう~ん、と声を発し眉根を寄せる。

「痛いよ、崇子姉。圭介も起きちゃう。あ~あ。私はこういう愛が欲しい訳じゃないんだけどなー」

 響子が拗ねたような口調で言うが、なんの抵抗もせず、態度はこのままでいいと示していた。

「崇子さん。港の入り口につきました。どうします? 中に入りますか?」

 崇子は二人を抱いたまま応じた。

「ああ。中に入ろう。一番奥まで行って、倉庫か何か身を隠せるような場所があったらそこで止まれ」

 三鷹がはい、と返事をする。それとほぼ同時に響子が素っ頓狂な声を上げた。

「あ~! そうだ」

 圭介が目覚め、後ろの荷台部分に乗っていた青が声を上げた。

「どうした? 敵か?」

 青の言葉を無視して響子が言葉を続けた。

「ヘリ。ヘリを呼べばよかった。そうすれば、船がどうとか心配する事なかったわ」

 崇子は苦笑してしまった。

「ああ。そうだったな。私もすっかり失念していた」

 崇子はまだ言葉を継ごうとしたが、急激に車が減速したのを感じて言葉を変えた。

「なんだ三鷹?」

 三鷹が即答する。

「車から降りましょう。どうも静か過ぎます。普段ならここはもっと騒がしい」

 響子が聞く。

「騒がしいって何? だってここ港なのよ。何時もこんな感じなんじゃないの?」

 三鷹が二の句を継ぐ。

「いや、普段なら若い連中が車を走らせてるんですよ。ほら、あれです、ドリフト族って奴です」

 響子が不思議そうな顔をする。

「ドリフト……。車っていう事は、ドリフト走行の事かしら? なんでこんな所で?」

 三鷹が車を道の端に寄せてエンジンを止めた。

「なんで、と言われるとなんでなんでしょう。サーキットに行くよりもお手軽だからですかね。峠とかも走るじゃないですか。あれと同じような物じゃないですかね。車とかバイクとかが好きなら分かると思います。私も好きですからね。たまに見に来たりしてましたし」

 崇子が言葉を挟んだ。

「そいつらがいない、か。普段とは明らかに違うのなら用心に越した事はない。降りよう。遮蔽物の陰に隠れながら入れそうな場所を探そう」

 三鷹がはい、と返事をして車のドアを開ける。車から降りた三鷹が後部のスライドドアを外から開けてくれた。圭介が降りて、崇子が続く。

「私達はここから降りるぞ」

 青が言ってから後部の跳ね上げ式のドアを開けた。全員が降車した所で青が抱えていたB01を響子に預けようとする。

「ちょ、何、嫌よ、だ、だって、怖いじゃないの」

 青が言う。

「怖くない。平気だ。今だけだから持ってろ」

 触手が伸びて、響子の手にくっ付く。しばしの沈黙の後、響子が観念したのか溜息混じりにB01を受け取った。

「そんなにお願いされたら断れないじゃない。もう。優しいとか、言わないでよ」

 B01と会話をしているのか響子が誰に言うともなく言葉を出していた。崇子達を追走して来た車から降りた黒スーツの男達が囲むように展開する。

「三人ほどを斥候に出します」

 黒スーツの男が言う。響子が青に促されB01を青に返しながら答えた。

「分かったわ。危険だと思ったらすぐに戻りなさい」

 はい、という返事があってから三人の男達が離れて行った。崇子は響子の部下から借りた暗視ゴーグルで港のそこここにある暗がりを一つずつ確認し始める。

「ゆっくり移動を開始しろ。異常はなさそうだ。このままあっさりと行けるのならありがたいな」

 響子が声を掛けて来る。

「崇子姉。ヘリ呼ぶよ。今からでも遅くないと思う。船がだめだった時の移動手段にもなるし」

 崇子は大型タンカーの作り出す大きな影の中を見ながら言葉を返した。

「頼む。周囲を警戒してもらうのにも使えるからな」

 大型タンカーの作り出す影の中から次の暗闇に目を移そうとして崇子は、動きを止めた。自分でも心配し過ぎか? と思うのだが、どうも何もないように見える影の中に違和感があるような気がする。暗がりの中に何かが溶け込んでいるような感じがする。目を凝らして見ても何もないのだが、影の中、闇の濃淡におかしな所があるような気がしてならなかった。

「あそこか? 何かあるぞ。闇に目が慣れていないからよくは見えないが、あれは、何か、板のような物が立ってるみたいだ」

 突然、間近から青の声が聞こえた。崇子はゴーグルのレンズから目を離さずに口を動かした。

「分かるのか?」

 青が応じる。

「微かだが。影が濃くなっている。私の目は人の物だが、人よりはよく見える。疑うなら信じなくてもいい」

 崇子は脳裏に閃いた言葉を口にした。

「光学迷彩。ありえるな。だとすれば、大きな動きは取れないだろう。響子。この車はみな防弾だな?」

 響子の声が聞こえて来る。歩き出していたので大き目の声だった。

「そうよ。RPGの二、三発なら機関部にさえ直撃しなきゃ平気よー」

 崇子は言葉を続けた。

「戻れ。車の影に隠れろ。それと一斉射撃の準備だ」

 崇子はゴーグルから目を離すと青に向かった。

「青。他にもあるか?」

 青が周囲を見回す。

「ある。あそことあそこ。あの影はここからじゃ見えないけど怪しいな」

 崇子は足元に置いていたチェイタックを手に取った。縮めてあるストックを伸ばしスコープのカバーを外す。

「正確に分かるか? そうだな。目印でもいい。それを教えてくれ」

 サプレッサーを銃口に付けてから肩にストックを当て青が示した一番手前の影をスコープ越しに見る。

「船を止めるあれ。金属の奴だ。下から生えてるの、分かるか?」

 青の言葉に崇子はああ、と答える。

「あの三本目の奴。あれだ。あの後ろ。そこが一つ目。次は、あそこ。あの船に繋がる階段。そのすぐ左。最後は、あの大きな船の文字。白い文字の最後の所」

 崇子はスコープ越しに青の言った全ての箇所を確認した。

「後は見えない、と言っていた所か。そこを残すのはまずいな」

 崇子はチェイタックを下ろすと響子達が隠れている車の方に視線を向けた。黒スーツの男達がM4を構えている。崇子はM4に取り付けてあるM320グレネードランチャーを見て溜息をついた。

「戦争だな……。響子」

 崇子は響子の元へ歩きよった。

「いいか」

 暗視ゴーグルを渡して響子に覗かせる。

「あのビット。分かるか、あの三本目」

 暗視ゴーグルを手で動かして響子の視線を動かす。響子が頷いたので次に行く。

「次はあの船だ。タラップの左」

 響子がうん、と言葉を出す。

「次はあの大型タンカーの船名の最後の文字。ここが最後だ。後はあそこだが、ここは、死角になってる。グレネードがあるな。付近に適当に撃ち込め」

 響子が暗視ゴーグルを下ろし崇子を見詰めて来る。

「あそこに潜んでるの?」

 崇子は頷いた。

「多分だが。光学迷彩を使っているのだと思う。簡単に隠れるくらいなら可能なのだろう。馬鹿にしてくれる。先に行った三人には連絡取れるな。戻るのは危険だ。身を隠させろ」

 響子が半信半疑といった態で連絡を取る。響子が連絡を取り終えたのを確認してから崇子は青のいる場所に戻った。チェイタックを構えるとスコープを覗き、口の端を歪める。

「よくこらえる。攻撃したくてうずうずしてるだろうに。あんな物を使って身を隠すとはかわいそうだな。まあ、気付いたからこそ言えるのだが。待ち構えているつもりだろうが、愚かだよ」

 崇子は第一の標的と決めた、ビットを照準の中心に捉えた。サプレッサーによって小さくなった銃声が立て続けに三回鳴る。崇子は確実に目標と定めた三箇所を素早く撃ち抜いた。見ていて、不思議な面白い光景だった。景色が崇子の撃った銃弾に穿たれて微妙に歪んだのだ。青の目は確かだった。三箇所共に景色に歪みが生じていた。

「撃て!!」

 響子が叫ぶと一斉射撃が始まる。連続して鳴る銃声とグレネードランチャーの発射音。スクリーンのような壁が吹き飛び、後ろからわらわらと闇に溶けるような黒色ずくめの者達が現れたが、反撃の暇もなく皆銃弾の前に倒れて行く。崇子は素早い装填を繰り返し単発のチェイタックで次々と一斉射撃の銃弾から逃れようとする者達を仕留めて行った。響子が声を出した。

「殲滅したわね。後は」

 崇子がチェイタックを下ろして響子の顔を見ると響子が視線を動かした。

「あの陰。グレネードランチャーを撃ち込んだけど、なんの反応もない。嫌な予感がするんだけど」

 嫌な予感と響子は言ったが、崇子は確信を持っていた。銃声が鳴り止んだ港にディーゼルエンジンの起こす音が響いていた。ゆっくりとした動きで死角になっていた所から一台の装甲車が威圧的な体躯を出現させた。

「ストライカーか。ここまでするとはな」

 崇子はストライカーに取り付けられているM2重機関銃がこちらに向けて銃身を振っているのを見た。

「車の陰に隠れろ!」

 崇子が声を上げ自身がM2の射角から死角になる位置に入ると同時にM2の銃口が文字通り火を噴いた。連続して射撃音が鳴り、防弾使用の車両が激しく揺すぶられる。銃弾が車の装甲に当たって火花を散らし、やがて、防弾ガラスが一枚また一枚と砕かれ始めた。

「やばいぞ。どうするんだ?」

 車の陰からストライカーの動向を伺っていた崇子の耳に青の声が聞こえて来た。

「これだけ連射をしているんだ。弾切れを待つ」

 崇子が苦渋の決断に顔を歪めながら言うと青が睨み付けて来た。

「待つだと? あれは、中から操作しているのだろう?」

 崇子は頷いた。

「弾倉は外にある。弾が切れれば交換に出なければならない。その隙に」

 青が言葉を遮って来た。

「その隙にどうするんだ? 弾の交換に出てきた一人を殺した所で、あれが止まると思うのか?」

 崇子は対抗する方法を思い付いていたが、違う言葉を出した。

「仕方がない。こちらにあれを仕留める火力がない以上、方法がない」

 黒スーツの男達がグレネードランチャー撃ち始める。命中はしているが、M2は沈黙しなかった。青がふんっと鼻で笑った。

「犠牲は出したくないか? 米軍の基地にいる時、あの車両は見た。あれは全方位は見えない。崇子。あのカメラを狙えるな?」

 崇子は自分の思い付いていた事と青の考えている事が同じだと直感した。

「狙える。だが、一発で破壊できるかは分からない。青。無茶はやめろ。あれの武装はM2だけのようだ。この銃撃を凌げれば機会は必ず来る」

 盾として使っていた一台の車両が致命的な一撃を受けた。爆発炎上し、その付近にいた黒スーツの男達が数人巻き込まれる。その車両が限界に来ている事を予測していたようで距離をとっていたのが幸いし、黒スーツの男達はすぐに立ち上がったが皆かなりの傷を負っているようだった。

「話してる余地はない。崇子。私は行く」

 崇子は歩き出そうとした青の肩を掴んだ。

「いや。私が行く。青、今からこの銃の操作を教える」

 青が憎悪すら感じさせるほどの鋭い視線を投げて来た。

「どうした? お前はそんな情けない女だったのか? 圭介か? 圭介がいるから、決断が鈍ってるのか?」

 青の言葉が崇子の脳裏に刻まれる。崇子は圭介の方を見た。圭介がどこに隠れたかは隠れろと指示を出した時にしっかりと確認していた。圭介の姿は黒スーツの男達に隠れていて見えないが、三鷹の姿が見えた。三鷹が側にいるのなら大丈夫だ、と思う。崇子は青の顔に視線を戻した。こんな事態の中なのに崇子はほんの僅かな時間、自分が戦場から離れた期間とその間に経験した日常の事を考えてしまった。ここに来る時、覚悟を決めたはずだった。それなのに、いざ事が起き、危機に陥った今、自分は戦地に立つ者としては明らかに弱体化している事実を見せ付けられている。崇子はチェイタックを構えた。

「すまなかった。青。あれの注意を引き付けろ。M2を無効化する」

 青が顔を歪めてにやりと凄みのある笑みを見せた。

「それでいい。それが私の知っている崇子だ。今更善人などにならなくていい。出るぞ」

 崇子は青の言葉に唇の端だけを歪めて苦笑した。無事に青が帰って来たら善人などになろうとはしていない、と言い返してやろうと心に決めて、掃射を続けるM2の注意が青に向けられる瞬間を待った。青が地を蹴った。崇子は青の取った行動を見て、驚きを禁じえない。青は火花迸る銃火の中、隠れていた車両の屋根の上に飛び乗ったのだ。本当に僅かな間があった後、青の姿に向けてM2が動く。曳光弾が青に向けて光の線を引いて行く。青が跳躍する。こちらの狙い通りM2は青の姿を追って銃身を移動して行く。崇子は車の陰から身を乗り出すとM2の銃身の下にあるカメラのレンズを狙った。響子も青の意図を読んだようだった。響子の指示の声が聞こえ、M4の発砲音が鳴り始める。兆弾の火花がM2と一体化しているRWSから上がる。崇子はフラッシュのような火花に照らし出されるレンズを照準の中心に捉えた。一発。二発。三発。再装填などの銃器を扱う腕は衰えてはいない。これだけは欠かさず訓練をして来ていた。四発目を撃ち、スコープの視界の中でレンズが砕ける瞬間を見た。これで狙いは付けられないと思う間もなく崇子は声を上げた。

「乱射するぞ、気を付けろ」

 崇子の言葉通り、M2は無軌道に動き出し、辺りに銃弾をばら撒き始める。崇子はより狙撃し易い位置に移動するとM2の動きを見ながらRWSを完全に破壊する為に射撃を繰り返した。空になった弾倉を交換し再び狙いを付けようと銃を構え直した時、崇子は青の信じられない動きを見た。青は銃弾の間隙をぬってストライカーに接近していた。M2の射角から完全に外れるとストライカーの屋根に飛び乗る。錆びてはいるが銀色に鈍く光る青の左腕がM2を背負っているRWSに向かって振り下ろされる。銃声に混じって金属と金属がぶつかり合う異様な音が響く。崇子はその姿を呆然と見詰めていた。黒スーツの者達も同じだったのだろう。ストライカーに向かって誰一人として発砲している者はいなかった。M2の射撃が止んだ。青はそれでもストライカーの屋根の上から離れない。M2を掴んだと思うと、青の体が力を込めるように強張った。金属が破砕される音が鳴り、ストライカーの屋根からRWSごとM2を引き剥がす。引き剥がした、ただの鉄塊となった物を投げ捨てると今度はストライカーの上部にあるハッチを殴り付け始める。ストライカーが走り出した。崇子達が隠れている車両の列に向かって突っ込んで来る。

「退避だ。全員退避しろ!」

 崇子が怒鳴るよりも早く皆動き出していた。ストライカーは青を乗せたまま車列に突っ込む。一台の車を大破させ、衝突の衝撃で青を吹き飛ばした。次は逃げている三鷹達のいる一団に向かって走り出した。崇子は比較的被害の少なかった一台の車両に飛び乗るとエンジンを始動した。

「動いてくれ。頼むぞ」

 ギヤを入れアクセルを踏んだ。車が走り出すと、間髪入れずにハンドルを切りストライカーの正面に向かう。急ハンドルによってタイヤが軋るが気にせずにぶん回す。崇子の乗った車両に気付いたストライカーが真っ直ぐ突っ込んで来た。

「望む所だ。圭介。必ず守る」

 崇子はバックミラーで後方を確認した。崇子の後ろには大型のタンカーがある。崇子は視線を前に戻し、ギヤを後進に入れアクセルを踏み込んだ。衝撃が襲い車が後進を始める。素早く後方を確認しブレーキを踏む。堤防が切れる寸前で車が止まるとストライカーの位置を確認してからギヤを戻しアクセルを踏んだ。ぐんぐんと迫り来るストライカー。自身の装甲に奢り、乗用車を相手取る事になんの警戒も抱いてないようだった。ストライカーと崇子の乗る車が正面からぶつかる、という時、崇子は右にハンドルを切ってストライカーをかわした。だが、崇子の乗っていた車は急ハンドルによって起こったロールを殺し切れずに横転してしまう。横転する車のサイドウィンドウから崇子はストライカーがタンカーの側面に突っ込んだのを見た。次いでストライカーが突き刺さった場所から火が噴き出す。車の横転が収まると崇子はひっくり返っている車から這い出た。脇腹に猛烈な痛みを感じ、手を当ててみると手にぬるりとした感触があった。崇子は舌打ちをすると何もないというように立ち上がって圭介達のいる所に歩み寄った。

「大丈夫か?」

 崇子の横から掛けられた声は青の物だった。崇子は何事もなかったかのように近付いて来る青の全身を見た。

「お前こそ平気なのか?」

 青の防弾装備や服には擦過の痕がはっきりと残っていた。

「平気だ。この程度、すぐに治る」

 青が崇子の間近に来る。

「崇子。お前から血の匂いがする」

 青の目が傷を探すように崇子の体を撫で回した。崇子は苦笑してみせる。

「平気だよ。ただのかすり傷だ」

 青が目を細める。

「そうか? 私にはそうは思えないが」 

 青の言葉が終らぬうちに圭介が黒スーツ達の中から飛び出して来た。駆け寄って来る圭介を崇子は抱き止めた。

「お母さん。怪我してない? 大丈夫?」

 崇子は圭介の顔を覗き込みながら笑みを作った。

「なんともないわ。圭介は怪我してない?」

 圭介がこくりと頷く。崇子は圭介の頭を撫でた。

「よかった。お母さんはそれが何よりも嬉しいわ」

 青がゆっくりと離れて行く。崇子は圭介の瞳をじっと見詰めながら言葉を紡いだ。

「圭介。三鷹と響子から離れちゃだめよ。あの二人ならずっとあなたを守ってくれるから。いいわね?」

 崇子の言葉に圭介が不思議そうな顔になった。

「お母さんは? どっか行くの?」

 崇子は小さく息をつきながら答えた。

「どこにも行かないわよ。ずっと一緒」

 圭介がにこりと微笑んだ。

「崇子姉。船が来るわ。堤防の先端に行きましょ。すぐに出発」

 崇子はああ、と応じて圭介と一緒に歩き出す。黒スーツの一団が周囲を警戒し、その中に包まれるようにして崇子達は港の先端を目指した。夜の闇の中に溶けるような黒色の船が静かに港の先端に近付いて来る。舷灯やその他、灯りと言える物は一切光っていなかった。

「ふう。これで一段落ね。この船を襲って来るとなったら向こうも相当の戦力を出すわ。そこまでやって来るとは思えないけど」

 響子が言った。崇子は頷いた。

「そうだな。領海内で戦闘機や軍艦が戦闘行動を起こしたら自衛隊も動かざるを得ないだろう。まあ、ここでの事でも動かないから怪しい物だが」

 崇子が皮肉のこもった笑みを顔に浮かべ、闇の中に浮かぶミサイル駆逐艦に顔を戻そうとすると黒スーツの男達の中から声が上がった。

「増援です!!」

 崇子は反射的に顔を港の入り口の方に向けた。都市迷彩仕様のストライカーが一台、二台、三台と縦列で姿を現した。崇子達が乗って来た今は鉄屑と化した車列の近くで停車すると後部ハッチから黒ずくめの兵隊達が降車し始める。

「皆、急げ。少しでも距離を稼げ」

 崇子は言いながらチェイタックを構える。

「どこか、物陰に隠れろ。船がつくまでの辛抱だ」

 響子が側に来る。

「艦砲射撃を頼むわ。崇子姉。早く行こう」

 崇子はスコープを覗きながら答えた。

「先に行け。時間を稼ぐ」

 響子が言葉を返して来る。

「平気だよ。船はすぐにつくし囮ならうちの部下にさせるから」

 崇子はチェイタックを下ろすと響子の顔を見た。

「早く行け。お前には圭介達の事を頼みたい。お前の部下もそれに必要だ。私なら一人でやれる」

 響子がなおも言葉を出そうとする。

「おい。響子。早く行け。私が行くから、こっちは平気だ」

 何時の間に来ていたのか青がすぐ側にいた。

「青」

 崇子の言葉に青が顔を歪める。

「面白そうだ。船に乗ったらやる事がなさそうだしな。付き合ってやる」

 青が響子の肩を掴んだ。

「邪魔だ。すぐに撃って来る。早く行け」

 青が言うと響子が睨んだ。

「何よ。私も残るんだから」

 梃子でも動かないという決意を表情に出し響子が言い放つ。

「青。悪いが、響子を連れて行ってくれ」

 青が深い息をついた。

「すぐに戻る」

 青の言葉に視線で返事をして崇子は走り出した。チェイタックを撃ちながら倉庫の並びがある方向へ。倉庫の前に積んであるコンテナの影に隠れると圭介達の様子を見る。圭介達も倉庫の陰に隠れたようで先ほどまでいた位置には誰の姿も見えなかった。崇子はふっと軽く息を吐くとスコープに向かった。狙撃を始めるとまたストライカーの天井部に取り付けられているM2が火を噴き始める。コンテナの陰に身を隠していると五人ほどの黒スーツの男と三鷹が駆け込んで来た。

「手伝います」

 崇子は三鷹に向かって言った。

「三鷹。こいつらを連れて戻れ」

 三鷹がM4に取り付けられているグレネードランチャーを発射してから声を上げた。

「戻りません。一緒にいますよ」

 崇子は三鷹と体を入れ替えチェイタックを撃った。

「いいか。私は、深手を負っている。圭介の事を頼みたいんだ」

 三鷹が崇子と入れ替わりグレネードランチャーを撃つ。

「なおさらです。動けなくなったら誰が銃を撃つんです?」

 崇子は装填を終えると三鷹と入れ替わってまた狙撃をした。

「三鷹。これは最後の命令だ。分かるな。命令は絶対だ。言う事を聞け」

 三鷹がグレネードランチャーを撃つ。

「崇子さん。それは」

 艦砲射撃の音が三鷹の言葉を掻き消す。Mk45五インチ単装砲が爆音を上げていた。瞬時に着弾した砲弾がストライカーを吹き飛ばす。だが、既に降車した兵隊達が夜陰に潜みながら反撃を試みて来る。

「三鷹。もう平気だよ。私一人でじゅうぶんだ。青と響子だけじゃ不安だ。お前みたいな軍人がいないとな」

 三鷹が深い溜息をついた。

「分かりました……。崇子さん」

 崇子の腕を三鷹が取って来る。崇子は不意を突かれ、抱かれるような体勢にされていた。

「生きて下さい。必ず」

 三鷹が束の間の逡巡の後、崇子の額に唇を付けた。崇子は黙ってされるがままにされていたが、三鷹の行為が嫌だと思ってはいなかった。自分と行動を共にしてくれた三鷹なのだ。大上の私兵隊として戦地にいる時も、大上から出て自衛隊の研究施設に行った時も。圭介を事故に巻き込んでしまった時も、病室で目を開けた崇子の側にいたのは三鷹だった。崇子が三鷹の唇の感触を感じながら、そんな事を思っていると三鷹が離れて行った。

「すいません。その、えっと」

 崇子はにやりと笑ってみせた。

「お前。やる時はちゃんとやれ。額にキスなどと。私は年端もいかない娘じゃないんだぞ。だが……。今はそれ所じゃないか。行け、三鷹。分かったよ。私は必ず生き延びる。圭介の為だけじゃなく、お前の為にもな」

 三鷹がはい、と返事をして、マクミランT―50C改と予備弾倉をこれをと言って渡して来る。崇子が苦笑混じりに受け取ると踵を返し、一緒に着た五人の黒スーツ達と共に走り出した。三鷹は一度も振り向かなかった。崇子は三鷹の後姿から視線を前に向けると、チェイタックの予備弾倉をと手を伸ばしたが、弾倉がもう尽きている事に気付いた。すぐに三鷹が残して行ったマクミラン改を手に取った。

「セミオート、か。おまけにこの弾だ。精々苦しんでくれ、私を邪魔する者達よ」

 消音機の付いてないマクミラン改は、腹に響くような銃声を立て続けに鳴らす。五十口径の弾を受けた敵兵が無残に砕け散って行く。

「また、外したか……」

 十人以上を爆ぜさせた後、怪我の所為か射撃の精度が落ちて来ていた。敵兵は思いの他生き延びいたようで闇の眷族のように静かに崇子のいる場所に忍び寄って来る。

「ここからが見せ所だな」

 崇子は両脇に下げているホルスターの右側からアナコンダを抜いた。左手に銃を持ち、右手でククリを抜く。アナコンダの銀色の銃口部分に自身の赤い血が付いていた。

「血が止まらんか」

 ちらりと後方を見る。黒い船体がゆっくりと港から離れていく所だった。

「これでいい」

 崇子はコンテナの裏側に潜んでいた敵兵の首をククリで跳ね飛ばした。そのまま転がるようにして先にあった木箱の陰に身を隠す。木箱が銃弾を受けて木片を散らす。撃って来た敵兵をアナコンダの一撃で沈黙させる。木箱の陰から飛び出て倉庫と倉庫との隙間に身を隠す。陰から覗けば、敵兵が後退して行くのが見えた。

「このまま引き下がってくれる、なんて虫のいい話じゃないのだろう? これだけ殺したんだ。私だけでも殺したいよな?」

 崇子の言葉通り、敵兵は一旦引いて人員を集結させると五人ずつ二組の塊となって動き出した。

「後十人。どうするかな」

 崇子はアナコンダの一発だけ使った弾を交換した。五人ずつに分かれたのは挟撃をする為と一人や二人が倒れても残った人間で崇子を仕留める為だろう。捨て身で来られたら多勢に無勢だ。勝ち目はない。崇子は周囲を見回した。倉庫の壁に上に昇る為の梯子が付けられているのを見付けた。崇子は脇腹に感じる痛みに耐えながら梯子を登る。屋根の上から見ると一組は崇子の前方から一組は海側から迂回をするルートを取っていた。アナコンダで迂回組を狙う。三人を仕留めた所で崇子の位置は完全に敵に補足された。反撃の銃弾の下を潜り、崇子は梯子の手すりを伝って倉庫の屋根から下に降りる。木箱、コンテナと先ほど隠れた物に再び隠れつつ迂回組の掃討を完了。アナコンダに弾を補給してもう一組の動きを見守る。足音が聞こえて来たので物陰から身を出そうしたが、足が縺れて膝をついてしまった。血が数滴、灰色のコンクリートの上に落ちた。

「ここまで……、か。だが」

 崇子はコンテナと倉庫が合わさって形作っている角まで移動するとククリを背中の鞘の中にしまい左のホルスターからアナコンダをもう一丁取り出した。

「正面から堂々と来てくれよ」

 崇子は両手を前に差し出し二丁持ちしたアナコンダでコンテナの先、敵が来るであろう場所を狙った。敵兵の出現を待っていた崇子だったが、意識が徐々に遠退いて行く。ゆっくりと腰を下ろすと、力が抜け下がって行こうとする両手を必死に保とうとしていた。数人の足音が近付いて来る。いよいよだ、と両手をしっかりと保持し引き金に人差し指を掛け必殺の瞬間を待った。崇子の耳におかしな音が聞こえて来る。錯綜する足音と銃声と異国語の叫び声。崇子を狙っていた敵兵の身に何かが起こっているのは分かったが、自分を助ける為の援軍には心当たりがない。崇子の耳がバレットM82A1の銃声を捉えた。崇子は苦笑してしまった。

「ショウか……?」

 ぼそりと呟くと両手が下に落ちた。緊張が解けた所為か急激に意識が失われて行く。目を開けているのも億劫になりゆっくりと目を閉じようとした。

「寝るのはまだ早い。起きろ」

 聞こえて来た声は、ショウの声ではなかった。崇子は自身を閉じ込めようとする闇を払うように目を開けた。

「青。どうしてここにいる?」

「青だけじゃないさ。私もいる」

 崇子の言葉に答えたのは青ではなくショウだった。

「随分遅かったな。金につられて向こう側に行ったのかと思ってた」

 青が言った。ショウが応じる。

「全く。相変わらず冷たい子だ。ただ目の前の敵と戦うだけが戦闘じゃない。色々やりようってのがあるんだよ。それより、崇子さんの方だ」

 崇子は立ち上がろうとしたが、無理だった。一旦抜けてしまった力は戻っては来なかった。

「移動する方法はあるのか? 二人とも私は平気だ。圭介達の後を追ってくれ」

 搾り出すように言うとショウがしゃがんで顔を覗き込んで来た。

「大丈夫だ。君も助けるし、B03、いや、圭介君達の後も追うさ。まずは傷を見せてもらおう」

 ショウの手が崇子の肩に伸びて、崇子を寝かせようとする。崇子は抵抗しようとしたが、ショウの導くままに寝かされてしまった。防弾装備を脱がされ傷口を見られる。崇子はぼんやりとした意識の中で一連の動きを見詰めていた。

「ここでは無理だな。一度設備が整っている所に運ぼう。青、車を取って来る。彼女を頼む」

 青の返事を待たずにショウが走り去った。崇子は残され崇子の顔を覗き込んでいる青に声を掛けた。刻一刻と命が失われて行っているようで、この時はもう、声を出すのも辛くなっていた。

「青。いいんだ。本当に。この時間が、圭介達の生死を分けるかも知れん。早く行ってくれ」

 青が詰まらなそうな顔をした。

「向こうは平気だ。山戸谷という奴から連絡があった。どうなるか分からないが、国が動くそうだ。海上自衛隊の艦船が来る」

 崇子はそうか、と呟いた。

「だが、あいつらを全面的に信用する事はできない。だから青、行ってくれ」

 青が顔を歪めた。怒っているのか、笑っているのか、どちらかは分からない表情だった。

「そんなに圭介が大事か? ならばどうしてB01を海に帰そうとするんだ?」

 崇子は傷の痛みが少しずつ和らいで行くのを感じた。傷口付近がほんのりと温かくなっている気がする。崇子は死を目前にした時、こんな風になるのか、と思いながら青の言葉に答えた。

「どうしてだろうな。償いか、己の正当化か、圭介の為か。圭介を手に入れた事で私は満足したんだろう。だから、今更に散々利用したお前達に何かしてやりたいと思ったのかも知れない」

 青がふんっと鼻で笑った。

「自信のなさそうな言葉だ。でも、どうでもいい事だな。お前がやっている行為は私達にとってはありがたいのだから。圭介が、もし、海に帰ると言い出したらどうするんだ?」

 崇子はびくっと体を震わせてその言葉に反応してしまった。ずくりっと疼痛が腹から脳天に走り、どんよりとしていた意識が覚醒した。

「面白い事を言うが……。その可能性はないだろう。圭介の中身には、制御装置がついている」

 青の顔が歪む。禍々しいと思えるほどに凶悪に。

「そんな物、どうにでもなる。一度人体に入った私達にはその構造が手に取るように分かる。こうしているみたいにな。少し痛むぞ。我慢しろ」

 青の言葉を聞いている途中で、体内、脇腹の傷から何かが入ってくるような感触と激しい痛みを感じた。

「くっ。ぐく」

 歯を食いしばったが呻き声が漏れた。

「よく堪えた。後は」

 青がきょろきょろと周囲を見回した。

「ちょっと待ってろ」

 言葉を残し青が立ち去る。崇子は自身の傷口を見た。綺麗に血が拭かれていて、横一文字に線が入っているだけだった。崇子が動いた所為か、すっと赤い血が傷口から流れ出る。崇子は青が自分の体を治療したのだと理解した。なるほど、青にはそういう能力があっても不思議ではない。あの片方の目。そして体に刻まれた無数の傷。青は今まで自分自身で傷を治療して生き延びて来たのだろう。

「折角綺麗にしたのに」

 青が戻って来て崇子の傷口を見るなりそう言った。崇子の側に来ると、鉄屑でできている左腕から触手が伸びて来て傷口の血に触れる。

「拭いてるだけじゃない。吸ってるんだ。お前の血の成分も分かる」

 崇子の傷口が綺麗になると青が右手を上に上げた。青の右手には血だらけになった敵兵が掴まれていた。

「まだ生きてる。こいつの血をお前に入れる。少し血が足りないからな。輸血って奴だよ」

 青の色違いの瞳が崇子を挑発するように見詰めて来る。崇子は目を細めてその瞳を睨み返した。

「構わん。やってくれ」

 青が頷くと左腕からもう一本触手が伸びる。敵兵の首に触れると皮膚を裂き中に入って行く。敵兵の口から小さな悲鳴が漏れる。青が口を動かした。

「これで死にはしない。お前が死ぬのは、銃弾で受けた傷の所為だよ」

 崇子は青の言葉を聞いて青の心に過ぎっている物を想像しようとした。だが、分からなかった。青がなぜ自分を助け、なぜ、今のような言葉を敵兵に掛けたのか。青にとって人の命とはなんなのか? 崇子は別種である青が人に対して何を思うのか、と今更ながらに考えていた。崇子の傷口の血を拭いていた触手が崇子の腕に触れる。ちくりと痛みが走ってすぐに痛みがなくなった。

「輸血開始だ。終るまでのんびり待とう」

 崇子は青の顔を見詰めながら頷いた。車の走行音が近付いて来るのが聞こえて来た。走行音が止むとドアを開閉する音が聞こえて来て、ショウが姿を見せた。

「待たせたな。崇子さんを」

 ショウの言葉がそこで止まった。青がショウのいる方にゆっくりと首を捻った。

「驚いたか? こうやって私は生きて来たんだよ。向こうへ行ってろ。見るのが嫌なのだろう?」

 ショウが口を開いた。

「そうか。乙女の秘密を覗き見する趣味はないからね。私は周囲の警戒にでも行くとするよ」

 ショウは微笑を顔に浮かべてから踵を返した。青が微かに戸惑うような顔をしてから、明らかに怒っていると分かる表情になった。

「あいつは何時もそう。ああやって軽く流してしまうんだ」

 崇子は自然と自身の表情が緩むのを感じた。

「ショウに出会ってよかったな。私がお前に絶対に与えられない物をあの男は持ってる。お前がこうして私を救っているのもその所為かも知れんな」 

 青がふんっと鼻で笑った。

「傷を縫うぞ。外気に触れる部分だけは、私の出す体液でも塞ぐ事はできないからな」

 崇子は圭介の制御装置の事を考えながら小さく頷き、縫合の際に感じるであろう痛みに備えた。

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