第39話

 リュクテア聖王国の使節団が、城から追い返された後。一旦ギルドへ帰還しようと、中庭にある花壇広場まで歩き着いた時のことだ。


「……仲間だ、とお前は言ったな。使節団の、代行大神官だとか名乗っていたあの人間」


 そう言えば、ふとそのことに思い至る。この状況下では思案すべき事柄が山積みで、ユーフレティカの人間関係など大した影響がないだろうと見過ごしかけていたが。


「うん、そう。あの子ね……トロネは、ぼくが勇者エクスとして魔王討伐の冒険をしてたころのパーティーメンバー。ぼくの四つ年上の、女神教の回復術師だった」


 かつての旅路を振り返るかのように、回廊で立ち止まったユーが中庭側の芝生に一歩踏み出す。ブーツで踏みしめた緑がさくりと音を立てると、近くでエサをついばんでいた鳥たちが一斉に飛び立った。


「勇者のパーティー、か。確かに、お前を援護する冒険者どもなら何度も見た記憶があるが。果たしてそいつが誰で、何人殺したのやら、もう今のおれには思い出せねえな」


 そう口にしてから、この場合は穏当な表現に変えなければ会話が拗れかねないだろうと、今のヒトを知るナラクになら理解できて。


「……いや、今さらお前に言うことは何もねえぞ。おれさまに向かってくるやつらを、片っ端から倒してきたまでだからな」


「ううん、魔王はぼくの仲間を殺してなんかいないよ。やっぱ王様だから余裕があって、そういうとこ寛大なのかなって、あのころは勝手に納得してた。あの古代遺跡の祭壇の時だって、負けたぼくにとどめを刺そうとしなかったじゃないか」


「そのお陰で、勇者エクスは負け犬だって伝説がいっちょう上がりかと思いきや、まだガキだったお前を差し向けた連中に人間どもの矛先が向いちまった。とんだ見込み違いだったぜ」


「それが、いまやぼくを勇者にしたリュクテアが悲劇を生み出そうとしていて、魔王の傍にこうしてぼくが立っている。おまえが嫌う言葉だろうけれど、これも〝因果〟だよ」


 これが因果などでないのだとしたら、単に巡り合わせが生んだ偶然なのだろうか。彼女に今も恨まれ続ける未来だって、当然あり得ただろうから。


「……でも、驚いたなあ。三年会わなかった間に、大神官の右腕にまで上り詰めていただなんて。相変わらずトロネはさすがだなあ」


「お前が顔を見せたくない理由は、やはりあの人間もお前の素性を知らないからなのか」


 ユーが仮面の剣士となり果てた経緯は知らない。ただ、勇者はあの祭壇での一件――魔王ナラクデウスへの敗北を境に、表舞台から姿を消してしまったのだと語り継がれてきた。


「うん、ナラクの言うとおりさ。トロネだけじゃない、ぼくのことを知っているパーティーのみんなや、協力してくれた人たちすべて。誰もが三年前の〝エクスという勇敢な男の子〟を信じて、命がけでぼくの味方をしてくれたんだ。なのに、秘密も明かせずに姿を消したのを知ったら、ぼくにはもう……」


 珍しく弱音を吐くユーフレティカが、傍に放置されていた石材に腰を落とす。

 だとしたら、どうなのだろう。ユーフレティカは、自身が秘めた真実が引き起こす何かを恐れて、勇者エクスとは違う生き方を選んだということなのか。


「あのころのぼくはさ、他の誰にもない力があるだけで、まだぜんぜん子どもだったんだ。まわりの大人たちがいっぱい助けてくれたから、自分じゃ難しいことなんてなんにも考えなくてよくて、ただ聖者テュテスの力を存分に振るうだけでなんとかなってた」


 思えば、この人間がいかに勇者を演じてきたかについて、自ら吐露するのは初めてのことだ。まだ若き田舎の少年が、偶然にも〈聖者の紋章〉に見初められると、勇者候補として旅に出て仲間を増やしていき――そして結局は魔王討伐をなし遂げられなかったものの、世界に平和を取り戻す礎となった。そういう哀しい英雄譚が、魔王ナラクデウスの耳にも伝わっていた全てだった。


「今もね、ぼくにはまだ大人なんて先のことだけど……それでも、自分がやっぱり女なんだって現実がどんどん迫って来て、でもそれはどう頑張っても変えられなくて。頭の中にいる魔女せいじゃも認めてくれそうになくて。それで、ぼくはトロネたちの前から逃げだしてきちゃったんだ」


 ただ仲間に合わせる顔がないわけではない。彼女なりの苦悩とは、言葉で言い表せるものではないのだろう。ならばナラク自身が道を示した、女性のアイドルとして新しい舞台を目指す未来が、実は彼女の心を躊躇わせていたのだろうか。


「ユーフレティカよ。お前は、人間の女性という己の成り立ちを受け入れられないのか?」


「――そんなんじゃないよ。ううん、もしまだ仮面を付けてひとりぼっちで戦ってたら、ほら……ぼくっていろいろ思い込んじゃう性格だし、そんな風に決めつけちゃってたかも?」


 ユーフレティカをアイドリア・クラウンに引き入れたきっかけは、仮面の剣士と化した彼女という脅威を取り除くための、咄嗟の思いつきにすぎなかった。それが、気付けばまだ季節も巡らないうちに、彼女は聖剣を魔杖に持ち替えてステージを目指していた。


「でも、今はミュゼとナラクがいてくれる。ふふ、お前たちが鏡になって、今まで正体不明のモンスターみたいだった自分が、ちょっとずつ理解できてきてる気がするんだ。こんな自分でうれしいって、やっと思えるようになれた」


 両手で自らの胸を抱いて、この場に立っている今を選んだことが間違いでなかったのだと、ユーフレティカは群青に広がる空を、澄んだまなざしで見つめ返す。

 なのに、青を見上げていた瞳がナラクに向き直った時、それは曇り空の色を映していたのだ。


「――せっかくアイドルになれたのに……どうしたらいいんだろ。なんて切り出せばいいの、あんなこと、ミュゼにさ……」


 そう、まだ何も解決されていないのだ。

 生きのびたければ、おとなしくミューゼタニアを引き渡せ――と。あの娘の想いを知りもしないものどもが、無益な力を振りかざしヴェナントに群がろうとしていた。


「人間であるお前が案ずるような話じゃない。こいつは、魔界側の問題でもあるからな」


「違うよ! ぜんぜん、違う」


 強く否定で返したものの、最後は彼女自身の、躊躇いの色がよぎって。そんな彼女の目は、ナラクの視線を受け止められずに、花壇に並ぶ赤や黄色の花弁を追っていく。


「ぼくは、あの子と友だちになったんだ。……ちゃんと、なったつもりになれてた。最初はああして剣を切り結んだのに、気付けば一緒にごはんとか食べて、お風呂に入ったり、夜遅くまで歌を歌ったりしたんだ。ミュゼって、ちょっとそそっかしいとこあるんだけど、かわいらしくて、一生懸命で。毎日がすごく、楽しかったなあ」


 それは果たして、徒労感を含んだ思い出語りのようで。人間の情を解せないわけではないナラクだが、そこに寄り添う役割は、自分の演じるべき姿ではないと知っている。


「――おれからは、朗報が二つある。ひとつは、ラパロのやつから鍵を受け取ってきた。ミュゼを解放する、あの首枷の鍵だ」


 ポケットから取り出した黄金色の魔工石を、ユーにも差し出して見せてやる。


「ようやくラパロのやつも折れたよ。あいつでも一国を治めてきた領主なのは事実だ、この期におよんで偽物を渡す愚か者でもなかろう。あとでおれがミュゼの首枷を外してくる。それからの処遇は、ミュゼの意志に従うさ」


「そう…………そうするしかないね。もうひとつは、なんなの?」


「アイドリア・クラウンだよ、アイドリア・クラウン。もうひとつの朗報ってのはな、ヴェナント代表オーディションの話だ。この面倒事が片付いた暁には、なにが起ころうと予定どおりオーディションを開催させる。そう、おれがラパロに確約させてきた。今度こそ、お前たち二人をヴェナントの外――世界のステージに送り出してやる!」


 不思議と、ナラク自身の気持ちが昂ぶっていた。人間の社会で生きるものとしてのナラク、アイドルの世界に立つものとしてのナラクをこうして演じてきたうちに、どう振る舞えば彼女たちの新しい可能性に行き着けるのか、体が自然と応じているからだ。

 なのに――


「――今さら、どうしてアイドリア・クラウンなの。もう、なんか……国同士の政治とか本物の戦争がどうとか、ミュゼのこととか。そういう状況になったら、そんなお祭り騒ぎのことなんてぼくは考えられなくなっちゃった」


 力なく立ち上がってみせたユーが、ナラクに背を向けて。歌には剣ほどの力がないと、そんな躊躇いに見えて。

 かつての魔王なら、果たしてどうしただろう。だがユーフレティカは、ナラクにとっての争いの道具ではない。今や、王として統べる国すらもナラクの手にはない。


「イデアリスの〈摂理〉が絶対的なものなのだとしたら、お前の想像してる〝本物の戦争〟なんて都合よく進まねえよ。ガベルのやつが新しい魔王になったとして、お行儀よく闘技場戦争のステージに出てきやがるんなら、こっちも同じステージに立ってやるまでだ。……違うか?」


 そう、この事実だけは絶対だ。どう転んだとしても、過去の血なまぐさい物語はイデアリス復活を境に幕を閉じたのだ。あの祭壇での結末が、今にこうして繋がっていることを忘れるな。


「えっ……ナラ……ク――――?!」


 ユーフレティカを背中から、そっと抱きしめてみた。ただ言葉だけでは変えられない気持ちがあると、ナラクにもようやくわかってきたから。


「――我ながらどうしちまったのかねえ。あの祭壇でお前が話してくれた言葉、今さら思い出しちまったんだ。このナラクとなら――ひとの姿をした魔物であるおれとなら、もしかしたらわかりあえるかもしれない、そう願っている、って」


「…………だから、ナラクはぼくに答えてくれたの?」


 ユーフレティカの手が、こちらの手にそっと重ねられる。彼女がその気になれば、今のナラクなど捻り上げてしまえる距離感だ。あるいは、力さえ戻ればナラクにだって。


「思えば、おれ自身が暗黒神イデアリスの〈摂理〉に負けちまった筆頭だ。でなけりゃ今、まんまと罠にかかった勇者エクスの腹をおれが掻っ捌いたって、別におかしくはないだろ?」


「おまえ……ひとをこんなに気持ちを込めて抱きしめておきながら、耳元でそんな物騒を囁く男がいるもんか!」


 突き飛ばそうとするユーの手のひらに、力が全くこもらなくて。


「勘違いすんな、おれはお前が男だったところで、こうやって同じことをしたぞ」


 少しだけ悪ふざけの気分が覗いて、腕でユーの首を軽く羽交い締めにしてやる。すると彼女がくすぐったそうに身じろぎしたあと、珍しくおてんばな笑い声を上げて。

 その隙に脚を払われてしまい、あっという間にナラクは尻を地面にぶつけていた。


「あはははッ――おまえ、ほんとに同じことができたの? ぼくたちの物語に、もしも、なんて絶対にないんだよ。ああ、でも、そっか……そう考えたら、ぼくはもう勇者には戻れないのかもね――――ナラクのせいで、こうしてアイドルになってしまったんだもの」


 少しだけの、後悔めいた自問自答。

 そうして胸を張り直して、手をいっぱいに広げ、見上げた太陽の光を全身に浴びて。それからぐるりと空を羽ばたくようにターンとステップを踏んで。

 もう一度力強く笑い飛ばせば、ユーフレティカ・アールビィはもうアイドルの顔をしていた。


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