第34話

 勘に違わず、勝手口でナラクを待ち受けていたのはエルフ嬢だった。


「――やあやあ、魔王さん。ちゃんとあたしについてきてくれてうれしいナ! これはもう相思相愛かもだよね~☆」


 揉み手をして表情を大胆にほころばせるが、いつもどおり、客向けの顔だと知っている。


「急になんのつもりだ。お前のような森の隠者がこのおれに個人的な用があるとは、考えもしなかったが」


「……隠者、ねえ。あなた、エルフをおもしろい言い方するんだね」


 途端、目を糸のように窄めほくそ笑むエルフ嬢。今までに見せたことがないその表情に、ナラクの油断は掻き消される。


「…………思ってもみなかったことを教えてくれたんだよ、さっき、あたしの妖精の同胞たちがね。あなた、すごく、すごーく変わった人間を仲間に引き入れたよね?」


 ――まさかとは思ったが、間違いないな。こいつ、ユーの正体に感付きやがったのか。


 ナラクは無言のまま、エルフ嬢の真意を見定めようとする。真相を知っての脅迫か、それともただカマをかけているだけなのか。


「またまたぁ、そーんな怖い顔しちゃって。魔王さんがヒトでも妖精でもない〝空っぽ〟な存在なの、あたしにはぜーんぶお見通しなんだから。あたしの前じゃ、そうやって怒ってる振りなんてしなくてもぜんぜん平気だよ?」


「そんな回りくどい話がしたくて、わざわざおれだけ呼びつけたのか?」


 皮肉めいて〝空っぽ〟などと表現してみせたエルフ嬢。ナラクデスウスが奈落の淵より生まれた、社会も歴史も持たない単一の存在であることを見透かして、そう形容したのだろうか。


「魔王さん、実はなにも知らないっぽいから、いっこ教えたげよっか?」


 そう言いつつ、エルフ嬢は勝手口から外へ出ると、煉瓦積みの外壁に寄りかかる。店とは関わり合いのない内緒話とでも言いたいらしい。いずれにせよ、ナラクも後に続くしかない。


「えっとね、とこしえの英霊になった〈聖者テュテス〉はね、ホントなら、こんな辺境の酒場をうろついてていいヒトじゃないんだよ? そんな神さまみたいなのと呪いの鎖で繋がれた人間なんて、ここ五〇〇年くらいでも三人くらいしかあたしには思い出せないかなあ」


 人さし指を唇にあて、まるで昨日の献立でも思い出すかの仕草で、半千年の歴史を紐解いてみせる妖精族の娘。


「………………呪いの鎖、だと……?」


 ナラクも生まれて初めて聞く呼称だったが、〈聖者テュテス〉と聞けば、まず連想されるのはユーフレティカだ。つまり、自分は勇者エクスの正体を見抜いているのだと、このエルフはナラクにほのめかしているのだ。


「――――なるほど、お前、ハイエルフか。そうやって他人をそそのかして見返りを求めるようなケチな種族とは、おれにはとうてい思えないが」


「――えへへ~、正解なので名前を教えたげるね、キーメロウだよ。ハイエルフのキーメロウちゃん!」


 キーメロウ。誰かにそう呼ばれていた記憶もないが、彼女はそんな名だったらしい。

 それよりもハイエルフだ。この妖精族は、ナラクの推測に違わずそう名乗った。

 ヴェナントのさらに南方――もはやどの国の影響も及ばない、いわゆる〈未踏領地〉と呼ばれてきた広大な樹海地帯。その深層に暮らしているのが、時の女神の寵愛からも見放されたという古妖精のなれの果て、かのハイエルフたちだ。


「では問うが、森床の賢者たるハイエルフが、何用で世俗に関わろうとする。血みどろに繰りひろげられてきた人間どもの英雄譚など、お前たち古妖精族にとっては他人事のはずだ」


 それが、こんな人里で暮らして世俗に触れ、あまつさえ勇者の正体を脅迫材料にしてまで得たいものなど、ナラクには想像もつかない。


「えっとね、あたしってば魔王さんとおんなじで、ほとんど永遠の寿命? だからさ。そんなわけで、あたしたちハイエルフはね、退屈すぎて壊れちゃいそうな心がずっと健やかでいたいから、がいると大助かりなんだよ」


 そんな軽やかな口調で、途方もない提案が飛び出してきた。


「……つまり、お前は何が言いたい。このおれに、お前のようなよくわからんやつとともに仲睦まじく暮らせとでも? それなら、ペルラと宜しくやった方がずっと愉快そうだが」


「えっ!? ええ~っ!? そいつは意外すぎるなあ。魔王さんってば、ああいう女性が好みだったんだ……じゃあじゃあ、あたしなんか眼中になかったわけか……まぢショックだよぉ……」


 ナラクとしても、あまりに脈絡がない提案だった。大体、この娘から好かれているという実感もこれまでなかったし、これからそういう親密な関係に至る利点も見つけられなくて。


「でもね、べつに一緒に暮らしてほしいってお願いじゃないんだよ、魔王さんはあたしと一緒に旅に出るんだよ! 今すぐ旅に出て、それから情熱的な恋をして、どんどん仲よくなるの」


 悪ふざけのていを装って、ナラクへの甘言を勢いづかせるキーメロウ。


「だって魔王さんってば、ハイエルフのカラダに無断でお触りしたんだよ? 五〇〇年の伝統があるあたしの処女がちょっぴり穢されちゃったじゃん……んもぉ、えっち」


 店の壁から背を離すと、色惚けした上目づかいを送りつけながら、肉付きに富んだ胴をくねらせてナラクを誘惑する。

 確かに、いつだったかのステージで、彼女のお喋りな口を遮った記憶ならある。それを、ここまで根に持っていたということなのだろうか。


 ――いや、それよりも、聞き捨てならないことがある。


「何故にお前と旅に出なけりゃならんのだ。この魔王はアイドルプロデューサーとして、今しばらくヴェナントで戦い続ける星回りにあるのをお前も知らんわけではなかろう。おれがあの娘たちを志半ばに見捨てるとでも思ったか?」


「――でもさ、死んじゃったらそこでぜんぶお仕舞いだよ」


 キーメロウのキンキンとした明るい声色で、そんな呪詛めいた言葉が吐きかけられた。

 途端、炎が燃え移ったかのように、心臓の奥底から迫り上がってきた衝動――これは、怒りの感情だ。

 ハイエルフの突きつけてきた言葉を否定しろ。危険因子を排除し、より相応しい生存の可能性を勝ち取れ。自分を魔王たらしめてきたそういう本能が、今そう囁いてくる。


「……何が言いたい。この魔王がよみがえらせたイデアリスの〈使徒〉は、地上から無益な死を取り去った。その編み目からすり抜ける死がまだあると、お前は言いたいのか」


 これまで否定し続けてきたイデアリスの〈使徒〉は、一つだけ確かな救いをもたらした。

 それが、〝死〟だ。闘技場戦争という押しつけの摂理は、人が望む望まぬにかかわらず多くの死を取り去ったのは事実なのだから。


「……ごめんね魔王さん、きついこと言っちゃって。いじめるつもり、なかったんだけどね」


 するとこちらをじっと見据えていたキーメロウが視線を逸らすと、再び壁に背を落ち着かせる。幾分表情を綻ばせて、欠けていたであろう話の続きを口にする。


「実はね、きのう妖精さんたちがあたしにだけこっそり教えてくれたの――もうすぐこのヴェナントが、死をもたらす炎に焼き尽くされるかも、って」


 ハイエルフの口から語られたのは、おそるべき未来の予言。否、ただの妄言か、はたまた悪戯好きな妖精族のそそのかしか。

 だが、ここに来てそれを冗談と受け取れるものか。ナラクはキーメロウに迫り寄ると、呆気に取られた顔のすぐ横に手を付いて逃げ道を断つ。


「――詳しく話せ。おれの娘たちの邪魔をするつもりなら容赦はせんぞ」


「あはは、あの子たちかわいそ。魔王さんにとっては、娘さんって認識なんだ」


「御託はいい、話せ。おれに払える褒美ならいくらでもくれてやる」


「ざんねん、あたしは予言者とかじゃないからね、詳しい話はわかんないや。でも妖精さんは純粋だから、嘘なんてつかないよ? だから、あたしは自分の身を守ることにしたのです!」


「それで、とっとと自分の店も仲間も捨ててこの町を去る気になったのか」


 仲間意識という概念に思い入れなどないナラクだが、それで彼女を揶揄することに躊躇いはなかった。


「そだよ。でも魔王さん、なんか人間みたいなこと言うんだね。あたしが悪いみたい」


 ――知るか、お前のような世捨て人の機嫌など。


 おとなしくこちらに身を委ねていたキーメロウを解放してやり、ナラクは勝手口に戻る。


「――ああん、待ってよ~、くれるって言ったじゃん、ご褒美おいてきなよ! あたしの恋人になってくれるって話は? なんなら旦那さまでもいいんだよ? まあ、あたしたちが人間の制度に従う義理もないんだけど、結婚式はあたしやってみたい!」


 何の未練があるのか、キーメロウはまくし立てるように、そんな無茶ばかり要求してくる。


「残念だが、この魔王はアイドリア・クラウンのプロデューサーだ。そいつは諦めるんだな」


 永遠に理解できそうにない思考のハイエルフ。だが、ナラクの気まぐれをくすぐるほどの変わり者には違いなくて。


「……まあ、一〇〇年後なら気が変わってるかもしれん。その時にまだ挑戦したければ、おれさまは別に止めんが?」


「わっ、やった――――!」


 心の底からの歓喜が、あのハイエルフの細い喉頸から漏れて。

 それを聞き届けると、ナラクはようやく解放された気分を胸に店内へと戻った。


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