第32話
それからの日々は、瞬く間に過ぎ去っていくかのようだった。
レッスンに勤しむ場面では――――
「――だからユー、あなたはその根拠のない自信を一度へし折られないとだめ、なのです。ダンスも歌も、お客さまに見て楽しんでいただくことを常にイメージしやがれ、なのです」
まだユーを認めるつもりがないらしいミュゼから、そんな辛辣な評価を浴びせられれば、
「鼻っ柱が折られちゃうのも考慮して、ぼくはこれまで色んな無茶をやってきたんだ。自分が成長できる機会はぜんぶ利用してこそ! 勇気ってのは、こういうものを言うんだよ」
いけしゃあしゃあと言ってのけるのが、この元・勇者であり、
「まおーさま、こいつはらがたつのです。先輩アイドルを敬う気すらない。しつけが必要」
「まあ待てミュゼよ。躾けて治るようなタマなら、そもそもこいつは勇者を名乗ってねえ。死んでも伝説になる馬鹿とは、こういう馬鹿のことを言うんだ」
「あーっ! 魔王にバカって言われたらなんかムカつくんだけどっ! 魔界の王さまやってきたくせに、そんな貧相な罵倒しかできないなんて、夢がぶち壊しだよ!」
「ああん、夢って何だよ、夢って! おれさまは貴様のくっせえ英雄妄想かなんかの都合いい悪役かなんかかよ。なら言ってやるが――低俗な人間どもの愚鈍にまみれたその魂ごと煉獄に突き落とし、貴様の犯してきた罪過のことごとくを呼び覚ましてくれようぞ!」
「おお、そんな感じそんな感じ! かつての魔王らしさが取り戻せてきてるじゃない!」
「……もはや収拾がつかなくなってる、のです」
何故にこのガキどものじゃれ合いに付き合ってやらねばならんのかと、途中からナラクは馬鹿らしくなってくる。
日常生活においても――――
「――ねえミュゼ、食器洗うタワシみたいなやつ、どこにしまってあったっけ?」
「ユーはさわるな。家事を手伝おうとするな。この家にあるのものに指一本ふれるな、です」
「えー、なんでなんで? そんなこと言われちゃったら、ご飯も食べられないじゃない! ひどいや……ぼくに飢え死にしろって言ってるのか……そりゃあ、近ごろちょっと肉が付いてきたけれど」
くすん、といういかにも女の子らしい泣きべそ顔をつくってから己が乳を揉みしだいてみせるユーに、
「だから居候のユーがなんでもかんでも破壊するから忠告しとるん――じゃーい!」
ミュゼの倒立二回転からの跳び蹴りが炸裂した――難なくユーは受け止めてみせたが。
「おお、やるか、ちびっこ貧乳吸血鬼、このぼくとの本気の
「望むところです、脳みそちびっ子の、世界のロリ需要も介さない人間風情が。我が家の勝負は、ステージと相場がきまってるのです」
「あー、おれさまが飯を食い終わってからにしてくれよお前らー」
不穏で不敵な笑みが、ナラクの和やかな食卓を熱く激しく交差する。
一日を締めくくる入浴においても――――
「――こおんなことも知らないなんて、とんだちびっ子人間風情なのです。なのに肉体だけ無駄に成長しくさって、さすがに温和なミュゼも余計にムカがついてくるのですけどっ」
おっとり声でそう吐き捨ててみせるミュゼも、対するユーの方も惜しげもない全裸である。怒りにまかせたミュゼの手が、ユーの豊かすぎる双丘を薙ぎ払う。その度にゼリー菓子のようにふるるん、ぷるるんと揺れ、降り積もる石けんの泡が飛び散っていく。
「だって、これまでぼくは男として生きてきたからね。男女の関係とか――まあ
「いいですかユー、アイドルは〝恋〟を歌うのが基本なのです。〝恋〟は人界も魔界も、いまや共通言語なのです。長く続いてきた大戦の裏側にだって、数々の〝恋〟の物語があったからこそ、今の世の中でアイドルだけが伝えられるメッセージがあるのですよ」
人差し指をぴょこんと立てて、先生づらをしたミュゼが講釈すれば、
「――ミュゼはいつだって熱いね。やっぱり、ミュゼとはいま会えてよかったって思えるよ」
いまの言葉は決して悪ふざけではないと、しゃがんで両膝に埋めた笑顔が証明している。
「熱い、ですか。ばかにされることのが多かったです。魔界にいたころも、人界に来てからも」
そんなミュゼの表情を陰らせるのは、きっと過去。ユーはふと思い立ち、自分の全身に積もっていた泡の塊を両手で集めて、ミュゼの頭に乗っけてやる。
「もぅ! 髪の毛は石けんで洗っては痛んでしまうの! ちゃんとシャンプーを使うのです」
またこの勇者はと、ミュゼは棚に置かれていた小瓶を指差すが、
「あはは、ごめんごめん。この泡をね、王冠ぽくしようってふと思いついちゃって」
その笑顔があまりに屈託ないもので。だからこれはこの元・勇者のいつもの本気の悪ふざけだって、ミュゼにも最近は察せられるようになっていて。
「ほら、ミュゼは魔界のお姫さまなんでしょ? ぼくもお姫さまに……はなれなかったし、別になりたくもなかったんだけど、ちょっとわかってあげられる気がしたんだ、ミュゼの気持ち」
浴場の奥にある鏡台を見れば、ミュゼの頭に乗っかった泡は、まるで降り積もる雪の王冠みたいだった。
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