第30話
ナラクにとってもう何度目か覚えがないレッスンの時間に、初めての顔ぶれ。
動きやすい軽装に着替え仮設ステージに戻ったナラクの前には、いま二人のアイドル見習いが肩を並べている。
一人は当然、午前中に自主レッスンをこなした王級吸血鬼ミューゼタニアだ。いわゆる〝コウモリ退行〟から肉体の再生を終えた直後とはいえ、体力と魔力だけは無駄にある彼女は、まだ疲れた顔ひとつ見せていない。そして問題の昨日味わったトラウマも、昼食後には自分なりの着地点を見いだせたようだ。
そしてもう一人、新顔となるユーフレティカ。
ナラクにはもともと、この元・勇者をアイドルのメンバーとして引き入れる意志がなかった。
当初はミュゼと二人三脚で始めたアイドル活動も、この頭数ではまだまだアイドルたちを束ねる専属組織――いわゆる〝ギルド〟と呼べる規模に及ばないのが目下の課題だった。
たとえばミュゼ一人を重点プロデュースするのもありだろう。魔界側のアイドルギルドとしての色付けを売りとする戦略だ。
だが、それでは懸念が残る。ミュゼが目指すアイドルという概念は、文化や種族の垣根を越えた――人界も魔界もない世界共通のアイドルなのだから。
だからこそナラクは、二人目のメンバーをこの一か月あまり探し求めてきた。白眼視を恐れず昼間に町を出歩くのも、人間たちとの接点が必要だからだ。
そんな折に現れたのが、魔王をこの世で一番よく知る人間――ユーフレティカ・リュクテア・エクストラ。
ただ、この人間はあくまで英雄譚という舞台の演者であり、歌を愛するステージの演者ではなかった。
そんなユーフレティカに期待を寄せること自体が飛躍に過ぎると諦めたつもりだったが、まさか彼女からレッスン着に袖をとおす気になるとは。
「――うーん、こんなのはちょっと困るなあ。この服、着心地は悪くないよ。でも、激しく動いてみると、体の収まりが悪くていろいろと窮屈だ」
ユーは軽くステップを踏んでみたりしてレッスン着の具合を確かめると、なにやら胸元を押さえて眉尻を下げてしまう。どうやら戦闘用に特化した防具とは支え方が違うらしく、飛び跳ねる度にそっちまで自由に飛び跳ねてしまうみたいだ。そのあたりは同性のミュゼにフォローを入れて欲しいところなのに、なぜ彼女まで顔を紅潮させているのか。
「でも、あり合わせの装備で冒険するのって、ちょっと懐かしい感じ。ダンジョン探索なら備えあって憂いなし――だけど、ステージ上ならさすがに野垂れ死ぬことなんてないもんね?」
ユーはもう割り切ることにしたのか、さっきまでポケットに仕舞っていたらしいティアラで額の紋章を覆い直す。白基調のレッスン着に白銀の彼女の髪が映え、ティアラの輝きとの調和でナラクにもたやすくイメージカラーが浮かんでくる。
「〝勇者様〟にゃ、新入りアイドルとは名ばかりの、ただの居候でいてくれてもこちらとしては構わなかったんだがな。気が変わったか? それとも、何か触発されるものでも得たか」
決して茶化すような言い方ではなく、ユーの瞳を真っ向から見すえ、問い質すかのように。それに、大戦時なら敵同士だったミュゼの想いに触れたことも、この人間の頑なな生き方に一種の転調をもたらせたはずだ。
「気が変わるとか、変わらないとかの選択でぼくがここにいるなんて、さすがの〝魔王様〟も思ってないだろ? 〝勇者〟の役割はね、〝魔王〟を倒すこと――ううん、もうちょっと視点を変えて言えば、魔王の悪事を阻止することだ。ぼくがここにいることで、世界は安寧を約束されるなら――当たり前じゃないか、ぼくは全力でアイドリア・クラウンの頂点を勝ち取る」
――駄目だこのポンコツ、理想しか見えてねえ。その志と決断力の速さはよしとしたいが。
そもそもアイドルとは、ただの凡人がなれるものではない。否、なれるならないの違いではなく、自身がアイドルという概念に〝なる〟か〝ならないか〟――その一点なのだ。
「ユー、城でお前に話したことを覚えてるか?」
「うん? 〝将来はきっと大物になる〟みたいな話だったっけ?」
悪意なく、不敵に言い放ってくれる。なんて都合のいい性格をしているのだろう、この人間は。隣で棒立ちのままのミュゼが、経緯を知らないのもあってか、どことなくやきもきとしている素振りが見える。
「……そこだけ覚えてんじゃねえよ。ミュゼと一緒に何日かレッスン受けて、お前がアイドルとしてまったく使いもんにならねえことを思い知れ、そんで故郷に帰れって。そっちの話だ」
「――ぼくは負けたことがない。それは強いからじゃない、どんなに負けたって、そのたびに必死で立ち上がってきたからだ。だからこそ魔王を倒せなかったぼくが、今ここに立ってる」
そう即答してのけるのが勇者たる所以だ。
――だが、強いやつでも、死ぬときは死ぬ。賢いやつでも死ぬ。必死に立ち上がってきたとしても、その次はどうだ。
かつて魔界で絶望と死の荒野を支配してきたナラクからしてみれば、そんなものはただの子どもの戯言――救いようのない価値観だ。
――救いようがない価値観? いや、違うな。そういうくそったれな現実と戦うのは、おれみたいなプロデューサーの役割でいい。でもアイドルは違う。アイドルとは何だ? こいつが本気でアイドルとして生きる気があるんなら、それは――
と、よほど気むずかしい顔でもしてしまっていたのだろう。ミュゼの不安げな視線が、無言でユーのことを促してきて。くだんのユーは、自分の想いに応えろとばかりにジッとナラクを射止めたままで。
「アイドルってのはな、ただの歌姫じゃねえ。どれほど歌がうまくても、ダンスが優れていても、見てくれが美しくても駄目だ」
「――アイドルとわ、みんなの星」
すると遂に堪えきれなくなったのか、一歩先へと踏み出たミュゼがユーを振り返って、胸に手を当て――
「……星……太陽と月……希望……心のオアシス。みんなに愛される存在」
――そう、秘めたる強い想いを解き放つ。
「このことばの意味が、あなたにわかりますか? かの勇者エクスは、きっと人界のひとびとにとってアイドルでした。そして憎しみあいが幕をとじたいま、あなたの気持ちはいまもアイドルですか? また、なれますか?」
まくし立てるように、ミュゼの舌っ足らずな声が熱を帯びて問いかけてくる。
ふたり並ぶの魔界のものを対岸に、かつての勇者は言葉を見失って。その頭の中では、きっと様々な感情がぐるぐると巡っていたことだろう。
「力でだれかの信頼を勝ちとる時代なんて、もうおわりましたのです。それでも誰かを愛したい、愛されたい、勇気づけたい、そうなるために自分を変えたい――そうあなたは心から願えますか?」
そう、これなのだ。ナラクの胸の内に湧き起こる感情――これは高揚だ。きっと自分自身もそんなミューゼタニアに勇気づけられて、己が暗闇にその輝きが欲しくて。だからこそ理屈抜きに応援しようと誓って、自らミュゼのプロデューサー役を買って出たのだ。
「こんなミュゼを、ああして抱きしめてくれた気持ちは、まやかしですか……それとも?」
「――違う、そんなんじゃない! まやかしなんかじゃない。怖がって泣いているキミがかわいくて、……かわいそうって思ったのは……本当。だから、あんな気持ちになったのは、キミの、その、役に立ちたかったからで――」
『――太陽も 月明かりも 同じ――』
唐突に、本当に唐突に、ミュゼが独唱を仮設ステージに高鳴らせた。
『おんなじ かがやく 銀色のアリア――――なら、歌ってみよ? ミュゼといっしょに。それがアイドリア・クラウン。ここには、ステージと、歌だけがあるよ』
今度は、ミュゼから手を差し伸べる。
「たとえ、だいきらい同士でも、アイドルなら素敵な物語になるよ」
大嫌いだと言ってのけて、それでもなお素敵なのだとウィンクで煽る。そして思いがけない展開に唖然とするユーに、さっきまでの呪いから解き放たれたかのような笑顔で応じて。
「……決まりだな。考えてみれば、わかりきったことだ。おれたちが戦うべき舞台には、いつだってステージがある。ステージでお前が剣を抜いた瞬間、それは敵をただ倒すための道具ではなく、最高の物語を演じるための舞台装置に変わるんだ――いったい何が違うのか、それをお前も味わってみたくないか?」
ナラクはポケットから魔工石を取り出す。それを掲げて魔術式を起動させ、石に封じ込められた魔力が音と映像とをこの仮設ステージに再現し始める。
「まだ悩むことがあるなら、ステージの上で感じて、それから決めろ。アイドリア・クラウンに身を任せるんだ、ユーフレティカ」
曲目は、ミュゼが歌い出した〈旅するアリア〉。あのステージでも、剣を抜いたユーフレティカ相手に、ソシエルが命がけで戦い抜こうと絶やさなかった歌だ。
「さあ、ユーフレティカ。このミューゼタニアと、いっしょに、歌ってくれませんか?」
伴奏の高鳴りとともに、その葡萄酒色の瞳の光が、より輝きを明るくしていく。
こうしてユーフレティカ・アールビィの名を与えられた人間の少女が、魔物の少女ミューゼタニア・ブルタラクの手を取ることにはもう、何の間違いもなかったのだ。
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