チャプター2:アレス
第6話 契約成立
瞼を開けると、眩しすぎる光が目を刺した。どうにか起き上がろうとするが、体が動かない。イナバは固いベッドの上で手足を分厚い錠で繋がれ、いかにも頑丈そうな金属製のバーで胴体を固定されていた。周囲を見回そうとするが、首も固定されているらしくビクともしない。何より照明の光が強すぎるせいか、まともに目も開けられなかった。
「あー…聞こえるか?聞こえるんなら返事をしてみてくれ」
スピーカーから声がする。あまり若くはないどこか気怠そうな声だった。
「…聞こえるよ」
「よし。色々聞きたいだろうが、まずは自己紹介だ。私の名はハンク・スペクター...君は?」
「…ジンだよ。ジン・イナバ」
男と思われる人物はスピーカー越しに質問を始める。恐らく答えなかったところで返してくれるわけでも無さそうな雰囲気であったため、イナバも渋々話に応じた。
「オッケーだ。早速だがミスター・イナバ…なぜ君が、こんなところにいるか分かるかい?或いは、知りたいと思わないか?」
「言わなくても良い…警官達が話してたのを聞いた。アマルガムとかいうやつだからだろ?今の俺は。で、あんた達はそんな俺を捕まえに来た。理由は知らないけど」
「ほう、中々察しが良いな。じゃあ我々が君を捕まえた理由を知りたくないか?殺すという選択肢があったにも拘らずだ」
東ゲートウェイ通りでの騒ぎで腕っぷしに自信を持ちつつあったイナバは、殺す事も出来たという趣旨の発言をした男を心の中で小馬鹿にしていた。
「兵器開発のための実験台にしたい…とかそんな所か?」
「ん~それもあるな…だが、もうちょっと人道的な話だ。私としては君と腹を割って話をしたい。安心してくれ、君が何もしないというなら我々も手出しはしない。それに…君にとっても悪い話じゃない事は約束する」
男の話はあまりにも胡散臭かった。既にこんな状態にさせられているという時点で、人道もへったくれも無い様な人物なのだろう。イナバはそう感じてはいたが、早く逃げるにしても言う事を聞いて従順な振りをしておけば油断を誘えるのではと考える。
「分かった。どうすれば良い?」
抵抗する様子を見せないイナバにハンクは少し驚いたが、すぐに気を取り直した。
「私の部下を迎えに行かせよう。もうしばらく待っていてくれ」
ハンクがそう言うと暫しの間沈黙が続いたが、何やらやかましい足音が響き渡って来た。ドアは自動式らしく静かな音ともに開いたが、そこに入ってきたのはヘンリーであった。イナバの顔を照らしている照明を壁にかけているリモコン式のスイッチで消すと、体を固定していたバーを外してから彼を開放した。
「暴れなくてよかったな。もし暴れてたら今頃は電流で黒焦げだったぜ?」
ヘンリーが少し気さくに話しかけるが、イナバはそれを無視した。
「まあいいさ、ほら両手を出してくれ。信じてはいるが…万が一っていうのもあり得るからな。逃げ出したり、外そうとすれば爆発させられるって事は覚えておいてくれ」
イナバが両手を突き出すと、ヘンリーはその両手に手錠をはめながら言った。それを聞いたイナバは面倒くさそうに立つとヘンリーに掴まれながら狭い通路を歩いていく。まっすぐ進んだ先にエレベーターがあり、乗せられるとそのまま一気に上がっていった。ボタンや電光掲示板の表示から、自分がたった今まで地下にいたことに気づくとイナバは少し驚いた。
エレベーターを抜けると、そこは清潔感のある建物の中であった。窓からはガラス張りの入り口らしき場所からは日が差し込み、多くの人々が忙しそうに歩いている。武装した警備員やスーツを着ているスタッフ、そして戦闘服姿で動いている者達は地下と通じているエレベーターから出てきた青年がヘンリーに連れて行かれている姿に対して恐れや訝しさの籠った目で見送る。
「やっぱり…歓迎はされてないか」
「そりゃそうだろ。最初に会った時に大人しく来てくれてりゃ対応も違ったけどな」
愚痴に対してそう反論されると、イナバは何も言い返せなかった。今更後悔しても遅いのは分かっていたが、なぜ逃げ出してしまったのだろうと思い返す。エスカレーターに乗せられて二階へ案内されると、そのまま多くの部屋を通り過ぎて一番奥にある部屋へ通された。
ドアが開くとモニターやタッチパッドを乗せたデスクが立ち並んでおり、入ってから左手の方向にある巨大な窓を背にした席に誰かが座っていた。景色を眺めているようで、後頭部しか見えなかったが。
「ボス、連れて来たみたいですよ」
二人が入って来た事に気づいたナーシャが、エナジーバーを齧りながら呼んだ。
「お、来たか…顔を合わせるのは初めてだな。ハンク・スペクターだ」
「ジン・イナバ。いきなり聞くが、わざわざ俺を生け捕りにした理由は何だ ?」
「おっと…せっかちだな。まあ座ってくれよ。十二時間丸々寝てたんだ、腹も減ってるだろう。ピザでもどうだ?」
ハンクは目の前に置かせた椅子にイナバを座らせてから、机に置いてある皿からズッキーニやサラミで彩られているピザを手に取ってチラつかせる。イナバは特に反応することも無く溜息をついた。
「その顔は信用してないな。まあ良いさ…うん、美味いな。じゃあ早速話に移ろう。要約すると君を利用したいんだが、悪く言えばそうなってしまうというだけだよ。言葉を選んで言うとするなら、スカウトだ。君を我々の元へ迎えれたい」
間抜けそうにピザを齧りながらハンクは言った。当然だが、イナバはハンクからの提案をすぐに受け入れられなかった。というよりも飲み込めなかった。
「目的は?」
「知っての通りだろうが三十年程前に最初となるホールの発生がこの国で確認された。それ以降、世界各地でホールと共に未確認生命体達が出現。被害を看過できないと多くの企業や政府が対策に乗り出したが、解決には至らず…今やお偉いさん方も諦めたんだ。ホールと未確認生命体は地震や台風と同じ『災害』として扱い、共生していかなければならない存在だと、そう認識した」
ハンクが語る話は、高校に通っていた頃に授業で聞いていた。政府がどうにか対処しようと武装の開発を行おうとしたが、侵略を始めとした戦争や民間人へ行使する可能性もあってか民衆は反発。これによって対応が遅れてしまい、深刻な被害が出たという。
「猛烈なバッシングのせいで、政府はこの件にはすっかり及び腰だ。せいぜい防衛機構を備えて身を守れと警告する程度。君も見ただろう?ホールの周りにバリケードを張って様子を見る事しか出来ない警官や軍の姿を。あの程度の数の未確認生命体は、決して珍しい事じゃない。なのに奴らは何も出来なかった。指をくわえてうちのスタッフの到着まで待っていたんだ。彼らを責めているわけじゃない…万が一の事態が発生して、世間からの批判に晒される事がいかに面倒くさいかはソーシャルメディアを見てれば分かるからな」
ハンクは物悲しい雰囲気でそこまで言い切ると、一息入れたかったのかマグカップに入っているぬるいコーヒーを一口飲んだ。今度こそと思ったのか再びイナバにコーヒーを勧めたが、話が途中だと指摘されて寂しそうにカップを置く。
「まあそんな時代だが、得をする人間ってのは必ずいるんだ。多くの民間軍事会社は政府がこれ以上対策をするつもりが無いと分かるや否や、こぞって未確認生命体への対策や防衛が出来る組織であると様々な行政、企業にアピールを始めたんだ。するとどうだ?『腰抜けの政府なんかよりよっぽど当てになる』と市民は褒め始めたんだ…誰がそんな状態にしてしまったのかも忘れてな。うちがラッキーだったのは拠点にしていたこのスカーグレイブが、世界でも有数の経済力を持つ都市だったって事だ。たちまち護衛や業務提携に関する依頼が殺到。遂には警察とも連携を取るようになった。金もあるし、捕獲した生命体を基に研究も行える。だが、最近はライバルも多い…もっと思い切った未確認生命体への対策が必要だと考えるに至った」
話している最中に、ハンクが何かを察してほしいかのような目で自分を見ている事に気づくと、イナバはようやく本題に入る事を理解した。
「人間でありながら後天的な変異によって未確認生命体の力を持った存在…通称『アマルガム』。そんな奴らが味方に付けられれば怖いものなしだ。そんな事を考えている時に君が現れた。どうだろう、君の力を我々に貸してはくれないか?相応の報酬もしっかりと払う」
「報酬?」
「他の者達と同じように我が社のスタッフとして扱うし給料も払う。それに君が望むんなら社員寮ではあるが、住居だって用意できる…まあ、そこらの賃貸に住むよりは快適に暮らせるさ」
イナバが尋ねると、それまでの生活環境に比べれば非常に魅力的に感じる条件が提示された。既に失う物が無い状態であったイナバには、躊躇という二文字がすっかり頭から抜け落ちていた。
「…分かった。やるよ」
イナバがそう答えると、ハンクは満面の笑みを浮かべた。周囲にいたナーシャとヘンリーもホッとした様に表情を緩める。
「後で細かい面接やらはするが、よろしく頼むぞルーキー」
そう言いながらハンクが差し出した手を、イナバは少し遠慮がちに握り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます