第4話 誰が為に
ひたすら駆けながらイナバはなぜ自分が追われているのかを頭の中で整理しようと躍起になっていた。次第に歩道を行き交う人々が煩わしくなり、道路へ飛び出して走り出していく。
(どうする?このままじゃ家にも帰れない…!さっきのホールの警報…ホールが発生した場所まで逃げて、未確認生命体と鉢合わせればその隙に逃げられるか…?)
「よし、やってみるか」
イナバはプランを立てると、そのまま報道が続いているホールの出現地点へと急ぐ、そんな彼を追いかけるレイとヘンリーは標的の足の速さにひたすら困惑していた。
「何なのあいつ…こんなに飛ばしてるのに追い付けないなんて、今まで見たことない」
「もしかするとだが、この身体能力だとクラスB相当かもしれないぜ…気を引き締めて行こう」
二人は通信で会話をしながら追いかけていくが、どんどん引き離されるばかりであった。遂には見失ってしまい、二人は悔しがりながら止まってしまう。その様子を見ていたナーシャ達は警察にも事情を話して捜索を依頼し、二人にも周囲の警戒を引き続き頼む一方で、ホールの発生地点に向かう様に指示をした。
一方で二人から離れたイナバはようやくホールの発生地点だとされていた東ゲートウェイ通りへと辿り着いた。付近の建物は未確認生命体達を刺激しないように灯りが消され、侵入を防ぐために、合金製の強固なシャッターで閉じられている。
「アレか…」
イナバは交差点の中央、空中に浮いている黒い物体へと目をやった。アメーバのように蠢く黒いそれはホールと呼ばれるもので、世界で確認されている未確認生命体達はホールを媒介し現れているらしかった。一体どこに繋がっているのかは不明である。異次元だ並行世界だと多くの議論が交わされているが、答えは出ていない。直接確かめようとしたネット上の馬鹿な配信者もいたが、音沙汰が無い事からおおよそ末路は想像できた。
「そこの君、すぐに離れるんだ !」
「ま、待て…そいつ確か…」
道を封鎖していた警官隊が後ろにいたイナバを見るや否や、そんな会話をした。すぐに拳銃を引き抜いて構えると、投降するように呼び掛ける。すぐに逃げ出そうとしたイナバだったが、ホールが突如形を変えながら巨大化していくのを目撃した。しばらくするとホールを引き裂くように一体、また一体と未確認生命体が這い出てくる。全身がケロイドの様に爛れ、目や鼻の無い人型の生物が口を大きく広げ叫んだ。ウィンプと呼ばれる一般的な未確認生物であったが、遠目に見てもその数は二十体は越えていた。
そして一番最後にはゴツゴツとした岩肌の大柄な生命体が現れる。両拳が頑強な鎧の様な物に覆われており、少し重いのか腕をだらりと下げながら歩いていた。
「嘘だろ、中型まで !」
「あれはブロウラーだ ! 糞っレギオンの援軍はまだか…」
警官達はイナバに目もくれず一斉に射撃を開始しようとしたが、ところが未確認生命体達が警官達の元へ向かって来ず、別の方向へ駆け出し始めた。その時、突如イナバは頭痛に見舞われると、様々な雑音が自分の耳の中に入って来るのを感じた。まるで拡声器を耳に当てられ、大声で怒鳴られているかのような感覚だった。やがてそれが落ち着くと、様々な音が明瞭に聞こえてくる。無線で連絡をする警官の声、どこかを歩いているのであろう歩行者の息遣い、未確認生命体達の鳴き声やその先で足を引きずりながら走っている人間の足音…
「まさか…」
イナバはそう言うと警官達を突き飛ばし、バリケード代わりに使っている装甲車両を飛び越えて行った。未確認生命体達が進んだ方向の曲がり角を走って行くと、やはり逃げ遅れたのであろう浮浪者が足を引きずりながら逃げようとしていた。浮浪者の中にはこの辺りの建物の隙間を寝床にする者は少なくないらしく、何かしらの理由で警報に気づけなかった浮浪者が襲われるという話はたびたび話題にされていた。
今の自分なら、連中を相手に時間稼ぎぐらいならばできるという自信はあったが、追われている以上余計な時間を使いたくなかった。そもそも何の関係も無い浮浪者のために体を張る義理など無いのだ。
(どんな時でも胸を張っていられるような人間になれ)
早いうちにその場から逃げてしまおうと思った時、幼かった頃の自分に対して贈られた言葉が頭をよぎった。
(自分を犠牲にしろとまではいかない。だが助けられるだけの力があるのに、必死に助けを求める人の手を払いのけるような人間にだけはなるな)
警察官だった父はいつもそうやって自分に言い聞かせていたと母は言っていた。
(全力を出さずに終わるとな…後で必ず後悔する羽目になる。だから、どんな状況でも自分に出来る精一杯の事をやれ。それが、胸を張って生きていけるようになるコツだと父さんは思っている)
子供だった自分に父は穏やかな顔でそんなことを喋っていたのを、母がコッソリ撮ったという映像を見て知った。正直、物心つく前に死んでしまった父との思い出はあまり無い。ただ、母から伝えられたその思い出だけでも父が如何に自分を愛し、人として正しいと思える方向へ導こうと懸命だった事はヒシヒシと感じていた。
「…」
走馬灯の様に頭の中で記憶が巡ると、イナバは方向を変えて未確認生命体達の元へ走り出した。主体性のある決断かと聞かれれば勿論違う。しかし父が自分と同じ状況なら絶対にあの浮浪者を見捨てたりはしないはずだという確信と、そんな父やこれまで自分を支えてくれた母を失望させたくないという思いが体を自然と動かした。
「ひぃぃぃ…!」
足が悪いのだろうか、思う様に動けない老人は足をもつれさせて地面に倒れこんだ。今にも飛び掛かって来そうなウィンプ達を見ながら情けなく悲鳴を上げた直後、飛び掛かって来た一体のウィンプが、背後から追いかけてきたイナバに蹴飛ばされる。蹴飛ばされた一体は、浮浪者の頭上を一直線に通り過ぎると、そのまま停められていた車に激突した。イナバはすかさず近くにいたもう一体も殴り倒すと、様子を確認しようと浮浪者に近づく。
「うわああああ ! 化け物おおおお !」
「落ち着いて ! こうなったら…ごめん」
本来ならば丸腰で勝てるはずも無い様な怪物をねじ伏せた青年を、浮浪者は当然恐れた。宥めようとしたが聞く耳を持ってくれず、イナバは仕方なく無理やり担いでその先で封鎖している警官隊の元まで持っていく。生ごみの臭いと汗の臭いが混ざってしまっているのか、鼻が曲がりそうな異臭を放っていたが、吐き気を押し殺してイナバは何とか運んで行った。ちょうど救出しよう思っていたのか、向こうからも二名ほど近づいて来ている。
「このおじさん頼みます ! 」
「頼みますって…オイ、何をする気だ !」
浮浪者を押し付けられた警官達は思わず叫んだが、イナバは無視して迫りくる未確認生命体達の前に立ち塞がった。先程耳にした警官達の会話からして、恐らく彼らだけでは対処が出来そうにないというのは察しが付く。下手に犠牲者を出させないようにしたいという彼なりの善意であった。
「こうなったらなるようになれだ…行くぞぉ !」
そう言いながらイナバは雄たけびの様に気合を入れて、未確認生命体達の元へ走り出した。
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