学園アイドルは女王様!
宮内ぱむ
1.
今日も学校では彼女の話題で溢れていた。
「いつ見てもお綺麗だよなぁ、ジュリアさん」
「ジュリア様ってすげー金持ちなんだろ? なんでこんな県立の高校なんかにいるんだよ」
「高嶺の花だと思っても憧れてしまうよなぁ」
朝の通学路で男たちのそんな会話を聞きながら、俺は本日何度目になるか分からないあくびを噛み殺し、一体ジュリアの何がそんなに魅力的であるのかを考えていた。
確かに彼女はとても魅力的だ。純粋という字をそのまま人物に当てたような、まっすぐに伸びた黒い髪の毛はいつもそよ風に揺られているし、特別派手ではないが整った顔立ちは教師受けもよく、清潔感溢れる制服の着こなし方、白いブラウスの襟元に映える淡いピンク色のリボン、某ブランドのロゴが入ったベージュ色のセーター、ひざ上数センチという程よい長さのスカートから出た足、紺色のソックスで更に細く見せた足首、傷一つ見えない黒いローファ、全てが魅惑的だ。ただの県立高校のくせに、彼女の制服だけを見ればお上品な私立高校の制服にも見える。
そもそもジュリアという名は彼女の本名ではないらしい。俺がそれを知ったのはつい先日のことだった。
「ヤマモト、数学の宿題やったかい?」
この高校に入学してから一ヶ月が経つ。ゴールデンウィークも終わり、慣れ始めていた高校生活もまた一からのやり直しにさえ思う。ちなみに、ヤマモトとは俺の愛称だ。苗字をそのまま呼ばれている、ありがちな愛称。これが一番しっくりくる。
「まさか」
「即答か、ヤマモト」
渋く眉を潜めているのは高校で初めて知り合った元木(もとき)という奴で、男前な顔立ちで女ウケがよさそうにも関わらず、少々変わった性格と口調のせいで見た目ほどモテていない。しかし俺は奴を嫌いではない。
「だって数学なんて日常に関係ないじゃないか」
「それは甘い考えだよ、ヤマモト」
俺の前の席である元木は椅子を丁寧にひきずり、俺のほうを向いて説き始める。
「この数百年のうちに人類は大きく進化したんだ。空も飛べるようになったし、宇宙にもいけるようになった。電気が発達し、僕たちは何一つ不自由に暮らせるようになった。それは数学的知識も発達したからさ」
確かにその通りだ。頬杖をつきながら俺はウンウンと納得し、窓の外に目をやった。出席番号順に並べられたこの席はとても居心地がよい。窓際後方四番目。
窓から見下ろして見えるのは正門だ。始業が始まる五分前、どこから沸いてきたのか同じ制服を着た大勢の男女が時間を狙ったのかのように正門に吸収されていく。
見ていると、校内で一番有名だと思われる女が正門をくぐった。三階から見る景色なんて、人間の頭の頂点しか見えず、個人を認識するのも難しいが、それでもジュリアを特定するのは簡単だった。その理由の一つとして、ジュリアの荷物にあった。管弦楽部であるジュリアは毎日のようにバイオリンケースを持ち歩く。ただしそれだけではない。理由二つ目、ジュリアを囲む人数が半端ないのだ。おはようございます、ジュリア様。男女問わないそんな声がここまで届いてきそうだ。そしてジュリアは純粋な顔で本日も微笑むのだ。皆さんおはよう、と。
「ヤマモト、聞いているのかい?」
「聞いているさ」
俺は目線を目の前にいる真面目に無駄に整った顔に戻す。
「つまり、数学の存在のおかげで俺たちの日々は成り立っているんだろ。日常に大いに関係しているってことだ」
俺が結論を申し上げると、元木は満足そうに笑った。
ゴールデンウィークが終わってからの初めての金曜日の朝、体育館で全校朝礼が行われた。五月も半ばになれば高校一年生は緊張感を失い、二年生は羽目をはずしやすくなり、三年生には受験が迫ってくる。この朝礼はそのためのものだろうと俺は勝手に理由付ける。そうでもしないと、眠い頭でずっと立っていられなくなるのだ。朝の十分はとても貴重だというのに。
ステージの端には生徒会の方々が立っていた。生徒会長、副生徒会長、会計がいるそうだ。生徒会の面子は校内でも知れ渡っている。俺の中学では生徒会の奴らなんて顔も知らなかったが、この学校ではそうではないらしい。まぁ、それは当然かもしれないな。何せ、副生徒会長はあのジュリアだ。どこまで活躍するつもりなんだ、ジュリアは。
ぼんやりとその美しいお姿を見つめていると、ジュリアはこちらを見た!……気がしたが、きっと気のせいだろう。彼女たち舞台に立つ人間にとっては、舞台の下にいる人間はジャガイモに見えるに違いない。大勢いるなかで面識もない俺を指定して視線を投げつけてくるはずがないのだ。そうに決まっている。一人納得し、あくびを噛み殺し、俺は貴重な朝のその無駄な時間を思考のない頭で過ごしていた。
今日一日が終われば連休だ。恒例の二連休だ。自分に謎の励ましを入れながら、ふらふらと歩いていると、甘ったるい匂いと風が俺の隣を駆け抜けた。そう、表現をするなら、ふわり、と。俺はまるでスローモーションにかかったようにゆっくりと首を振り、何かに操られたかのような遅い頭の回転スピードで俺の隣を追い抜いていった後姿を見つめ、それが誰なのかを認識する。なんなんだ、神様は。神は何をしたいんだ。そもそも神なんているのか。それは人間の弱さが創り出したものだろう、そんな説を何かの本で読んだっけな。やっと通常の俺に戻った俺は狭い廊下の中を教室に戻る人々の間を華麗に潜り抜けるその姿は、映画で見る姫のようだ。どれだけ大げさな比喩を使っても彼女にはしっくりする。一体何者だ、ジュリア。
ため息をついて、足元を見る。白地の布にピンク色の花が一箇所印刷されたハンカチだ。イマドキこんなものを持つ人間なんて一人しかいない。俺はその柔らかい感触の布を手に取り、ため息をついた。もしかしたら、と思う俺を誰が責められよう。
そう、もしかしたらこれを機にあのジュリア様にお近づきになれるかもしれないと、下心があったとしてもおかしくはないだろう。俺だって普通の男子高校生だ。
ジュリアは二年三組に在籍する。一時間目の授業が終わった途端、元木が話しかけてくる前に俺は教室を抜け出し、二年三組まで急いだ。授業が終わったばかりの廊下はとても混雑し、賑やかだ。
つい先日入学したばかりの一年野郎がなぜ二年生のフロアにいるのかと時々不審げな視線を向けられたが、この際無視をする。二年三組の教室の後ろ側のドアからそっと教室を盗み見る。きっと友達の真ん中で談笑しているのだろう。そう予想しながら教室の中を見回すと、意外なことに彼女は一人で次の授業の準備をしている。教室の真ん中で、誰も彼女に近づいていない。これはチャンスだと、俺は近くにいた男子に声をかけた。
「あの、ジュリアさんいますか?」
「何、君もジュリア目当て? やめておいたほうがいいよー。ジュリアは高嶺の花なんだから」
「いえ、あの・・・、ジュリアさんがハンカチを落としたかもしれなくて・・・。でも本当にジュリアさんのものか確信持てないので、確かめたくて」
しどろもどろに言う俺を、男子は何か言いたげに上から下まで視線を落としたあと、分かったと了承してくれた。なぜ本人に会うまでの道のりがこんなに長いのだ。
その男子がジュリアのもとまで駆け寄り、ジュリアはゆっくりとこちらを振り返った。意味ありげに微笑み、ゆっくりと俺のほうまで歩いてくる。急がなければとかそんな意識はないのだろうな。人を待たせてでも優雅に歩いてくることが許されるお人だ。
「何の用かしら」
ドアの前に居心地悪く立つ俺の前に来るなり、彼女は透き通った声でそう言った。綺麗な声だ。しかし、そこにはどこか冷たさがある。
「あの、これを落としたと思って・・・、届けに来ました」
さすがはジュリア様、カリスマ的存在なだけある。これほど人を圧倒させる女子高生なんて他にそうはいないだろう。
ハンカチを差し出しながら話す俺の言葉を聞いた彼女は、少し考えてからそのハンカチを受け取った。
「ありがとう。嬉しいわ」
そんな上品な言葉を使われた俺も嬉しいです。噂のジュリア様に入学してから早一ヶ月でご対面できるなんて、光栄です。
ジュリアの話題にいちいち内心ツッコミを入れていたり、ジュリアを崇拝している男子生徒どもを見るたびに毒づいてきた俺だが、目の前でこんな風に美しく微笑まれたら、おかしなもので心が動かされてしまいそうだ。
「あなたの名前は?」
まさか名前まで聞かれるとは! 心の中でガッツポーズをしながらも、俺は冷静な振りをして答える。
「一年二組のヤマモトです」
「ヤマモト君。あなた、生徒会に興味ない?」
「はい?」
突然の話題の転換に、俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。ジュリアは顔色変えず、さも当然のようにセリフを続ける。生徒会?
「いい返事を待っているわ。明日の昼休みに、生徒会室までいらっしゃい」
有無を言わさぬ圧倒的なオーラを放ち、ジュリアは教室の真ん中へ戻っていった。
教室に戻るとすぐに二時間目の授業が始まり、それが終わると同時に俺は元木に捕まった。
「さっきはどこに行っていたんだい、ヤマモト君」
普段は呼び捨てだというのに、なんともいやらしい。……いや、いやらしいのは俺か? いやいや、俺は健全な男子なだけだ! 意味不明な自分の自分による自分のための言い訳を心の中で整理し、俺は今朝の出来事から順に元木に説明をすると、元木は腕を組んでから難事件にぶつかった名探偵のように格好をつけながら、訝しげに俺を見た。
「ジュリアが生徒会にヤマモトを誘うって、ありえなくないかい?」
いつも論理的に話す元木が「ありえなくない」という言葉を使うのがいささか意外だが、それよりもなぜ元木がそんなことを言い出すのかを俺は解明しなければならなかった。
「それは俺に対してもジュリアに対しても失礼だぞ、元木」
「そうかな。ヤマモトはジュリアを慕っているのかい?」
「イエスかノーかで答えるならばノーだ。ジュリアを持ち上げている奴らを見て、内心あざ笑っていたんだ。でもジュリアは嫌いではないさ」
「嫌いではない、のか」
俺の言葉をそのまま復唱し、元木は笑った。
「高嶺の花だな」
「そういうのじゃなくてだな・・・。ジュリアは美人だぜ? おまえも正面から喋ってみろ、ビビるから。それでジュリアを嫌いになれたら男失格だ」
「ヤマモトは人生悟ったような顔をして、意外と幼稚だ」
元木は案外失礼なことを堂々と言う。少しむっとしていると、元木は頬杖をついて俺を見て、それこそ人生悟ったように言い放つ。
「女には表と裏があるものなんだ。ジュリアみたいに完璧であればあるほど疑わしいね」
いったい何歳なんだよおまえは。
誰だって多少なりとも表と裏を持ってはいるんだ。家族相手に、友人相手に、曝け出せない自分というものは誰だってあるものだ。
ジュリアに表と裏? 仮にジュリアのアレが表として、裏がどうなっているのか……、知ったこっちゃないさ。いつだって人に囲まれるような人間が常に演技であの態度でいるのは、普通の精神じゃやっていけねーよ。それなりの素質があるからジュリアなのだ。
……などと、ジュリアをよく知りもしないのに、無駄に弁解をしながら、元木との例の会話の翌日、つまり約束の日の昼休みに俺は早々と生徒会室を訪れた。まさか入学してから一ヶ月やそこらで生徒会室を訪れる身分になるとは思わなかった。
「失礼します」
二回ほどノックをしてから、そっとドアを開ける。一見普通の教室とは何ら変わらない外観。そっと中を覗くと、中にいたやけに顔の整った男子が俺を見た。なんとなく入学式や全校朝礼で見た顔なので生徒会の人間であることは明白だが、何故か彼が何をしている人間か思い出せない。
「何の用?」
「あ、あの・・・、昨日ジュリアさんに生徒会に誘われまして……」
言いながら、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。自分にだ。まるでパイロットになりたいなどと夢を語る幼児のように、現実味を帯びない科白だ。
「ああ、君はヤマモト君?」
ジュリアから聞いているのなら話が早い。俺がほっと胸を撫で下ろしていると、中に入るように促された。
外から見たら普通と変わらない教室は、中に入れば全然違った。真ん中には三人くらい掛けられる黒いソファが黒板とは逆向き置いてあり、その向きを辿る窓側の隅には俗に言う社長椅子と呼ばれるものが置いてあって白いショールがふわりと被さっている。そのほか、職員室で教師が座るコロ付きの灰色の椅子が一つとパイプ椅子がいくつか、そして長机が一つ黒板前に居心地悪そうに狭々と飾りと化しており、窓際にある灰色のロッカーの上にコーヒーカップやポットまでも置いてある。黒板の横には水道もついているし、ここで生活できるんじゃないだろうか。
「ジュリアから話は聞いているよ。ああ、そこに座って」
黒いソファに座るように促されたが、何しろこんな真ん中に置いてある座り心地のいいソファに座るのは、なんとも申し訳がない気がする。忘れてはいけないが、ここは学校だ。
「紹介が遅れて申し訳ない。僕は久保。一応生徒会長というものをやっている」
「生徒会長さん……!」
俺は思わず立ち上がった。
「こちらこそご挨拶が遅れてすみません!」
「そんなに恐縮にしなくたって、取って食ったりはしないよ」
軽く笑いながら、イケメン生徒会長はコーヒーカップにお湯を注いでいる。少しばかり香ばしい香りがする。
「インスタントで悪いけれど……」
そう言って俺に生徒会長様が直々に俺にカップを渡して下さった! 某文房具屋の名称が書かれている明らかな粗品モノだとしても頭が上がらないぜ。肩身が狭い。ていうか、なんで俺に声をかけたジュリアが来ないんだ?
「あ、ありがとうございます!」
「だからそんなにかしこまらないで。俺はどこかの副生徒会長と違って、悪魔じゃないから」
「はい?」
今誰のことを言った? そう考えていると、ガラリと勢いよくドアが開いた。
「もう最悪ー! 数学の小西、授業を八分十七秒も延長だよー! ちなみにこれはチャイムが鳴り終わってからの数字よー? 普通はチャイムが鳴り始めたら授業は終えるはずなのに。だって信号だって黄色になり始めたら止まれって言うのに、なんで教師はそれが出来ないのかな!」
ずかずかと歩いて、端に置いてある例の社長椅子にどさりと座ったのは、紛れもなく副生徒会長であるジュリアだった。
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