もしも無人島に1つ持っていくとしたら……
國灯闇一
前菜
「あー今日も疲れたー」
ネクタイをしたスーツ姿の男――天パーの木藤は、飲み屋のテーブル席で脱力感を滲ませてしみじみと呟く。やりきったと言わんばかりの満足げな顔だった。
「忙しかったもんなぁ」
同じくスーツ姿の男――華奢な体型の八重嶋も同調する。
テーブルには空いた皿が2つ。残っている料理は、3種のソースをお好みで付ける鶏のから揚げだけ。グラスの中で光る黄金の炭酸は、鉛のように沈殿する疲れを刺激した。それだけに、骨身に沁みるアルコールは進んだ。2人ともいい感じに酔いが回ってきている。
「お前、また課長の長話に付き合わされてたな」
木藤は薄く笑んで投げかける。
「まあな」
八重嶋は何気なく首肯する。
「ああいうのは適当に相づち打って、話切っちゃえばいいんだよ」
すると、八重嶋が難しい顔をした。
「でもそういうのって感づかれそうじゃん。それで機嫌損ねられたら仕事やりづらいしさぁー」
八重嶋は気だるげにぼやく。
「課長もそこは空気読むだろー。上手くやれば角が立たずに済むよ」
「そうかなあ」
「いざとなったら課長に言えばいいんだよ。『課長! そんな長話してると、また奥さんに逃げられますよ!』って」
「ダメだろ」
八重嶋は冷静な様子で即座に却下する。
「それ言って課長が笑ってくれる自信ねぇよ。ぜったい変な空気になるだろ」
「そんなことないと思うけど」
「そんなことあるよ」
八重嶋は食い気味に否定する。
「本当に奥さんに逃げられてる人にそれ言っちゃダメだろ。課長の様子がおかしかったから、『どうしたんですか?』って聞いてみたら、『家に帰ったら、テーブルに離婚届が置いてあったんだよ~……』って笑いながら告白された時どう反応すりゃいいか分かんなかったもん」
「でもだいぶ日もたってるし、もう笑い話になるって」
「いやいや」
八重嶋は他人の不幸は蜜の味という念がとこぼれ、渇いた笑みが
「ってかお前、適当に相づち打って課長にしこたま怒られてなかった?」
木藤は誤魔化すように笑う。
「あれはたまたま失敗しただけで……」
「失敗した時点でその方法はもうダメだよ。俺初めて見たもん。あんなに課長が怒ってるの」
言い訳がましい木藤に八重嶋がすぐさま
「その日の課長の長話、演説みたくなってたぞ。なんか知らねーけど俺まで呼ばれて、聖徳太子がどうのこうのから始まって、最後にボーリングの美しい投球フォーム講座になったんだよ。どういう流れになったら聖徳太子からのボーリングの投球フォームの話に繋がるんだよ!」
八重嶋の口調が熱を帯びていく。
「百歩譲って聖徳太子はいいとしても、ボーリングの投球フォームと空返事したこととどう関係があんだよっ!」
木藤は八重嶋の気迫に押され、表情を引きつらせる。
「あいつが長話するせいで仕事が進まねえんだよッ!」
「落ち着け」
木藤は周りを気にしながら八重嶋をなだめようとする。
「お前があからさまにつまんねえって顔するからそうなんだよッ! 分かってんのか!? 変態モジャさんよぉーッッッ!!」
「……みんなからそう呼ばれてたんだ俺」
木藤はショックのあまり無色透明な声で呟いた。しかし、気を塞いでいるわけにもいかない。2人は店内で注目の的となっていた。木藤は人目をはばかるように咳払いをする。
「うん、分かった。もう適当に相づち打たないから大声出さないで」
「おう……」
八重嶋は振り上げた拳を下ろすように頷いた。
店内に漂った好奇の感触は少しずつ薄まっていく。2人を取り巻く以心伝心は、無言の間となって現れる。木藤は気まずさから繋ぎにビールを口に注ぎ入れ、から揚げをつまむ。
せっかく楽しい飲みの席で、雰囲気の悪いままでいるのは木藤の本意じゃなかった。なんとかして盛り上げないとなぁと、思案する。
悩ましい表情を貼りつける顔が下がり、グラスのそばに置かれた右手の親指が、人差し指と中指と遊んでいる。
その時、木藤の頭にふわりと浮かんだ話題。手ごたえを感じた。これならイケる、と。そして、2人の盛り上がる
切り出しを含め、用意は万全だった。周囲のおもむきある雑音を耳にしながら、八重嶋の顔色を覗き見る。まだ尾を引いている感はあるものの、そこまで機嫌は悪くないと踏んだ。同期の
「なあ、八重嶋」
「なに?」
木藤は柔らかな微笑を口に携える。
「すげえベタな質問していい?」
「ベタな質問?」
「ちょっと気になってさ」
「いいけど……」
「よっしゃ!」
木藤は確かな自信を覗かせる笑みをたたえ、じっくり間を創って投げかける。
「もしも無人島に1つ持っていくとしたら、何持ってく?」
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