そんなアホなと父が言う

凍日

いつもとちがう夏

「……せやから、今年はちょっと、こっちにおることにするから。……うん、うん。まあ、またほとぼり冷めたらそっちに行くから」


 染谷高章そめやたかあきは受話器を耳にあてたまま、かたわらの妻に目線を送る。

 頷く叶葉やすはに受話器を渡し、飲みさしの缶ビールを傾ける。

 食卓の向かい側では、小学校二年生のひろしが、「おばあちゃんちで虫取りしたかったんやけどなー」とサラダにフォークを突き刺しながらぶぅぶぅ言っている。近所ではカブトもクワガタも取れない。「堪忍やで、宙」と謝ると、「別にええで。ぼく二年生やし」といじらしい。


 叶葉は二人に背を向けて、「すみません、本来なら伺うべきところですのに……」と、電話の向こうに頭を下げている。ひとしきり近況報告をしたあと、「ほら、宙もおばあちゃんにご挨拶」と宙に受話器を渡した。「ぼくは元気でー。おじいちゃんにも言うたってやー」祖母と会話する宙の声を聞きながら、高章は壁に掛けたカレンダーを眺める。


 明日からお盆休みに入る。

 2020年の春から全世界的に流行した新型コロナウィルス。それによって生じた混乱は目下沈静化傾向にあり、夏には幾分落ち着きを取り戻しつつあった。

 とはいえ、完全に収束したわけではなく、いつまた感染拡大がおこるともかぎらないため、外出時にはマスクの着用が欠かせない。緊急事態宣言そのものは解除されて久しいものの、不要不急の外出を控える呼びかけはいたるところでされている。

 とくに注意喚起されているのが長期休暇中の行動で、お盆休みの実家帰りもその内のひとつだった。テレビの向こうでは政治家が「今年のお盆はオンラインで」と喧伝している。


 受話器は再び叶葉の手に戻り、「失礼します」と通話は終了した。

 ふう、と叶葉はため息をつく。


「お盆くらい、帰ってもよかったんじゃない?」


「うちの実家は親戚もそれなりに集まるしな。密や、密。叶葉のとこもそうやろ」


「そうだけど」


「去年はちゃんと墓参りしたし、今年はええやろ」


 それに、と、宙に聞かれないように声をひそめる。「親戚づきあいも気ぃ疲れるし」


「もぅ、またそんなこと言って」 あきれ顔で返される。


「テレビでも、ステイホームや、オンライン帰省や言うてるやん。電話一本入れとったらええ」


 すると宙が、「あれ、なに?」とテレビを指した。

 なすの牛ときゅうりの馬が映し出されている。


「ご先祖様の乗り物よ。あれに乗って戻ってくるの」と叶葉が答えた。


「ぼくも作りたい」という宙の要望で叶葉は冷蔵庫をあさったが、あいにくちょうど切らしていた。


「テレビではよく見るけど、実家ではせぇへんかったな」


「そうね。私のとこも」


「お父ちゃんもお母ちゃんも、罰当たりやな」


「こういう文化は地域差あんねん」

 

 チャンネルを切り替えると、怪談特集をやっていた。

 ドラマの舞台は、とある三人暮らしの家庭である。家の中で不可解な現象が次々と生じ、やがて一家は精神的に追い詰められてゆく……という筋書きらしい。

「怖いやろ」と父が茶化すと、子は「ぼく怖くないで」と気丈である。しかし母に、「そんなの見てないで、早くお風呂入ってきなさい」と急かされ、親子はしぶしぶ風呂に向かう。


 翌日、一家は休日を堪能した。

 そしてその夜、事態は起きた。




 夕食後、高章が缶ビールを飲みながらPCで調べ物をしていると、宙が部屋からPCを片手に出てきた。


「お父ちゃん、なんかパソコンがおかしい」


「どうした?」


「あんな、宿題しとったんやけどな……」


 小学校の授業がオンライン化したことで息子に譲った高章のお下がりである。もう何年も昔の型で、だましだまし使っている状態だったが、いよいよ故障したか。


「なんか、動きが変やねん」


「どれ」


 しかし、とくにおかしな動作は見受けられない。


「気のせいやないか」


「う~ん……」 


 納得いかない表情だ。


「もっかい変になったら見たる」


 と言ったわずか数分後、再び宙が走ってきた。


「やっぱりおかしい」


「どうしたん」


「つながらへん」


 Wi-Fiが不調だとの訴えを受け、高章は再び調査した。が、モデムにもルーターにも異常は無い。

 高章のスマホもPCも、自宅のWi-Fiでブラウジングできている。

 息子のPCをもう一度手に取り、Wi-Fiの接続状態を調べる。表示は正常。


「あぁー……もう古いからな」


 故障に違いない。PCをテーブルに置くと高章は苦笑した。


「明日、修理に出すわ。すまんけど、今日はパソコンは無しや」


「うん、わかった」


 いや、この際新品を買ってやろうか。この先もずっと使うことになるだろうし。

 そう思い直し、自分のPCのモニターに目を向けると、


 何の前触れもなく、



 

 開いていたブラウザが勝手に閉じた。




「……え?」


 声が裏返る。


「……なんか触ったか? 今」


 わかりきったことを聞いてしまう。


「……ぼく触ってないで」


 いぶかしげに宙は眉根を寄せる。


「……かってに動くもんなん?」


「……動かへん」


 不安と戸惑いが二人の胸に去来する。

 そこへ叶葉も、PCを提げてやってくる。ペイントソフトで趣味のイラストを描いていたようだ。


「絵の資料になる写真を検索しようとしてたら、動きが重くなっちゃって」


「叶葉も、か?」


 話を聞いた叶葉の表情が曇る。


「気味が悪いわね」


 居間に集合した三台のノートPCを前に、一家は黙り込む。

 食卓で、おっかなびっくり各々PCを触ってみる。

 何も起きない。


「やっぱり気のせいじゃない?」


 叶葉が言ったとたん、


「ちょ、え?」


 高章のPCに異変が起きた。

 手を触れてもいないのに、カーソルが独りでにそろりそろりと動き始めた。


「うそやろ」


 見ると叶葉と宙のPCにも、異常事態が起きたらしい。


「な、なによこれ」


「なんか、勝手に、」


 カーソルの動きは次第に速くなり、


「うっ!?」「いっ!?」「えっ!?」




 暴走した。

 

 宙のPCでは、ブラウザが高速で閉じたり開いたりを繰り返し、


「ぎゃああああああ!」


 叶葉のPCでは、ペイントソフトが下手クソなへのへのもへじを描き殴り、


「きゃああああああ!」


 高章のPCでは、隠しファイルの秘蔵のお宝画像が次々と開陳され、


「ぎゃああああああ!」


 肘が壁のスイッチにあたって照明が落ち、部屋が真っ暗になって、


「「「ぎゃああああああああああああ!!!」」」


 窓の外から、「うるせえ黙れ! 静かにしやがれこの野郎!」ご近所さんの怒鳴り声。


 ぜーぜーはーはーという三人の荒い息が、居間の暗闇に反響する。

 三人とも、PCをバタンと閉じて食卓に放り出している。


 叶葉が、スマホを取り出して弱々しい光でテーブルを探る。

 奇跡的に転倒をまぬがれ生き残った高章の缶ビールを喉に流し込むと、


「落ち着きましょう」


 と見回した。「何かが起きているわ」


「当たり前やろ!」吠える。「どえらいことが起きとるわ!」


「誤作動とか、もうそんな次元じゃない。……呪いよ」


「……は、はぁ?」


「呪い! 呪われてるのよ!」


「ジブン全然落ち着いてないやん、普段そんなこと言わんくせに!」


「昨日あなたが変な番組を見たせいで! 呪われたのよ!」


「アホな! あんな安い心霊特集でいちいち呪われとったら世話ないわ!」


「現に起きてるでしょ変なことが! それが証拠よ!」


「なにが証拠や!」


「じゃあどうやって説明すんのよ!」


「あんなあ!」


 次のセリフを探している一瞬の隙間に、

 

「あんな」宙が口を挟んだ。「大人が不安やと、子どもも不安になんねん」

 

「……すまん」「……ごめん」子どもに取りなされ、大人二人は息を整える。


「仮にや。呪われとるとして、心当たりはあるか?」


 三人は懸命に記憶を探るが、思い当たる節はない。


「ほんまに昨日のテレビが原因なんやろか」


「聞いたことがあるの。直接関係がなくても、見るだけで呪われることがあるって」


「たまったもんやないで……」


 首筋の汗をぬぐうと、腕組みをしていた宙が顔を上げた。


「お盆やから、かも」


「「お盆?」」声が重なる。


「うん。お盆はご先祖様が帰ってくる日やろ。せやから、帰ってきたご先祖様がいたずらしてんねん」


「いたずらって……パソコンぶっ壊れたかと思うレベルやけど」


「おじいちゃんとか、いたずら好きやったやん」


「帰ってくるなら、実家のほうじゃないかしら」


「そういうのは気持ちの問題やねん」


 わかるようなわからないような宙の理屈を聞いていると、こやつ、よもや何かに取り憑かれてるわけではあるまいなと大人二人は肝が冷える思いである。

 

 そのとき、高章のスマホが震えだした。

 ヴヴヴ。ヴヴヴ。


「うおっ!?」


「ちょっと大声出さないで!」


「いや、びっくりして……」


 発信元は……非通知。

 

「このタイミングで着信やと……?」


「出るつもりじゃないでしょうね!?」


「い、いや……」


「出ないで!」


 ヴヴヴ。ヴヴヴ……ぴたり。

 しばらく放置すると着信は止まった。


「ほっ……」


 と、胸をなで下ろしたのもつかの間、再びスマホが震え出す。

 ヴヴヴ。ヴヴヴ。


「早く出て!」


「どっちやねん!?」


「はっきりさせて! 呪いなら呪い、霊なら霊!」


自棄ヤケか!? 自棄になっとんのか!?」


 ヴヴヴ。ヴヴヴ。


「貸して!」


「あ、ちょっ……!」


 叶葉はスマホをひったくると、般若の形相でスマホをタップし、テーブルに放り投げた。


「って投げるんかい!」


 ざらざらとしたノイズがスピーカーから漏れる。

 恐る恐るのぞき込むと、ビデオ通話になっている。




 闇の中にいきなり、ぬっ、と青白い顔が写し出された。




「「ぎゃああああああ!」」

 

 高章と叶葉は飛び上がった。

 床に這いつくばってでたらめな念仏を唱えていると、「おじいちゃんや」と宙が言う。


「「え?」」

 

 指の隙間から見る。たしかに祖父だ。

 数年前に亡くなったはずの宙の祖父が、ビデオ電話をかけてきた。

 さらに奇妙なことに、画面の祖父はマスクをつけている。やたら青白く見えたのはそのためか。

 

『みんなぁ~元気かぁ~?』

 

 懐かしい、聞き知った声が居間に届く。目がしわくちゃに笑っている。


「わかった」宙が膝を打った。「おじいちゃん今年、オンラインなんや」

 

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