第28話 アイの始まり
【3/8 午後13時@桜ヶ丘高校】
最寄りの駅前からなだらかな傾斜が付いた並木道を歩いて5分程度。大好きな二人が3年間を過ごした高校はこの道の向こう側にある。
春の始まりの季節、ソメイヨシノの花は一層の暖かさを心待ちにしながら小さな桜色の蕾を小さく春風に震えさせている。入学式のように満開の桜吹雪まではまだ少し時間がかかる。だけれども、卒業シーズンの風景にも一差し、彩りを加えるように里桜と寒緋桜が高校の正門の脇にひっそりと咲いている。
今日の主役たちを邪魔しないように。いや、彼らを祝うように紅白の花弁を主張しすぎないように程度、そっと花開いて静かに立ち並ぶ。
沙羅と愛はつい先日の2月中旬に大学の2次試験を受験した。結果は聞かなくても分かるくらいに二人は必死に勉強をしていた。俺や湊の前では水面に漂う白鳥のように余裕な表情を見せる彼女達が、その水面の下で必死に足を動かしていたのは知っている。
けれど、つい先日に朝方に泣いて電話をかけてきた二人の声を耳にしたときは胸の奥がドキリとした。もしかしてダメだったのかと思ってしまった。だけれどそれは全くの杞憂で、二人は喜びのあまり感極まっているだけだった。
「みーくぅん。試験受かったぁ―!」
「ぐす……よかったぁー!」
彼女達が泣き止むまではそれは長い時間が掛かったしまった。電話越しの二人の様子を想像するだけでこっちまで泣いてしまいそうで。自分が合格したときよりもずっと……ずっと嬉しかった。
彼女達の誕生日にお互い想いと嘘を告白してから半年ほど経った。この冬の間には夏の時のような頻度では二人で、いや三人で逢うことは出来なかったけれども、比べても遜色ないくらいに楽しい季節だった。
半年ほどの間にいくつか変わったことがある。俺の服装はすっかり彼女たちの好みに仕立て上げられたし、沙羅と愛は俺の前で無理に入れ替わることはなくなったりした。ただ、その代わりに偶に俺を試すように指につけた指輪を交換して目の前に現れる。
最近はようやく二人のイタズラにも区別が付くことが増えてきた。まだ間違えることは多くて、その度に二人は笑いながら目の前で甘えるようにむくれてくる。可愛いらしいまま変わらずに振り回されている。
話が少しだけ逸れてしまったけれど、今日はそんな晴れ晴れとした二人の気持ちを現した天気を再現したように澄んだ残冬の空気の中で春風が香る、そんな卒業式の日。
沙羅と愛がこの桜ヶ丘高校に通う最後の日。この場所に主役は何百人といるけれども、俺にとっての主役は沙羅と愛の二人だけ。
履きなれない革靴が歩いているうちに解けてしまったので、正門の脇に咲く早咲きの桜に身を寄せながらしゃがみこんで紐を結び直す。
すでに式は終わり最後のホームルームを終えるころのはず。結び直した紐を確かめて、目線を上げると正門の中と辺りには父兄や関係者の人だかりが一段と固まっている。ざわめく声、一層に浮きだつ陽気な空気。その雰囲気から察するにそろそろ先頭の組が現れるのだろう。
「三崎くん。二人のために来てくれたのね。」
後ろから二人に似た明るい声をかけられる。
「ああ、牡丹さん。挨拶が遅れてすいません。さっき着きました。」
「ふふ、そんなに緊張しなくていいのに。貴方のお陰で今日も二人が楽しそうに過ごしてるのよ。」
目の前にいる女性は沙羅と愛の母親。この冬の間に少し早いご挨拶を済ませてしまった。その話はまた今度振り返ることになるだろう。二人に似た目元で天真爛漫さをぐっと押さえた妙齢の大人の雰囲気。出会うのは数回目だけれども未だに緊張してしまう。
「いえ。二人が立派に頑張ったからですよ。俺がしたのはちょっとだけのお手伝いですから。」
牡丹さんその答えに柔らかく微笑む。それに続いて肩にかけたカバンから何かを取り出す。目の前の女性をまだお義母さんと呼ぶ勇気はない。
「愛から、式が終わったら三崎くんに渡すように頼まれていたの……。はい。」
手渡されたのは愛の持っていたカメラ。水族館で彼女が持ってきたものと同じものだ。
「ああ、ふふ、はい。分かりました。――立派にカメラマン努めます。」
「よろしくね。――あ、来るみたいね。」
間違えたら空に浮かび上がってしまいそうなくらい陽気な空気が、ざわめきを一段と強める。生徒たちが詰まることなく門をくぐれるように集まった父兄に向けて先生の注意アナウンスが聞こえてくる。それに呼応してまるで海が割れるようにぱっくりと人だかりが二分される。
喜びの声のアーチを超えて、寂しさ、嬉しさ、悲しさ、期待、希望そんな色とりどりの絵の具で描き上げた光景が目の前に広がる。肩を寄せ合って泣く女子生徒達。眼の奥には明日を見つめるような深い色を携えた男子生徒達。今日という祭りのようなイベントを楽しむだけの生徒達。続々と順に儀式を終えてそのアーチを超えてくる。
「沙羅と愛は何組でしたっけ?」
「愛が二組で沙羅が三組よ。」
そうすると今流れる生徒達は一組だろうから、もうすぐに愛が現れるはず。受け取ったカメラの電源を入れていつでもシャッターが切れるように準備する。レリーズボタンを軽く押し込み液晶画面に映る景色にピントが合うか確かめる。
そよ風に吹かれた髪をそっと抑えながら待ち望んだ彼女がシャッターの向こう側に現れる。卒業証書の黒い筒を携えて、友達らしい女の子達と仲良く歩いてくるのが遠く見える。
ピントがしっかりと彼女に合ったのを確認して一枚写真をとる。素人だから決して上手くはとれないけれど、最新のカメラはそんな俺にも優しくて手ブレすることなく笑いながらどこか泣きそうな眼をした彼女をしっかりと写し出した。そんな彼女に道の脇から牡丹さんと二人で彼女へと大きく手を振る。
近づくうちにこちらに気がついた彼女は小走りに駆け寄ってくる。その左手の指には指輪がキラリと光っている。きっと校則違反だと思うのだけれど、目ざとい彼女達のことだ。きっと教室を出たくらいに嵌めたのだろう。まあ、この日に先生が口うるさい注意することも無いのだろうけれど。
「お母さん!みーくんーー!」
「卒業おめでとう――。ぐす。」
横で牡丹さんはすっかり泣いてしまっていた。たしかにこの様子だとシャッターを切れるのは俺くらいかも知れない。
「えへへ。
「……。」
左手に青色にきらめく指輪を嵌めた彼女は証書を抱きしめて満開に咲く花のように笑う。それはきっと感動的な光景。一生に一度だけの大切な記憶になるようなそんな日。
でも、彼女たちはいつでも変わらないらしい。
「
遠目では全くわからないけれど、彼女の表情を目の前で見たら今日はちゃんとその違和感に気がつけた。ああ……、全くこの子達はしょうがない。
「え……。えへへ。すっごい!みーくんよく気がついたね!」
感動的な表情は何処へやら。今日もご丁寧に指輪を変えてまで俺と遊びたいらしい。
「まだいつも分かるわけではないよ。でも、今日はわかったね。」
「三崎くん。この子達のこと、呆れないでね。もう。」
「えへへ。ごめんなさいー。」
沙羅ははためく髪を押さえる手で自分の頭をなでつけながらいつもの可愛い顔でごめんなさいしてくる。
そうしているうちに溜まってきた人だかりの向こう側にそんな彼女と同じ顔した愛が現れる。二人分きちんと差がなくなるよう平等に写真を撮ろうと、ゆっくりと歩く彼女にピントを合わせてシャッターを切る。
本当に歩き方から卒業証書の持ち方まで同じだからさっきの光景と比べてデジャヴュのようにしか見えない。後で写真を見返しても2度撮ったのか二人分けて撮ったのか区別できるだろうか?
「お母さん!みーくんーー!」
バレたこと知らない愛が沙羅と同じ様に軽い足取りで駆け寄ってくる。
「卒業おめでとう――。ぐす。」
横で牡丹さんはまた泣いてしまっていた。さっきもこの光景を見た気がするけれども二人の母親らしい人ともいえる。
「えへへ。沙羅。無事に卒業しました!」
「ああ、沙羅、卒業おめでとう。」
わざと沙羅と声をかけると彼女はどこか一層嬉しそうな表情をしたのを見逃さなかった。
「まったく。二人共いたずら好きだな。もう嘘は付かないんじゃなかったのか?」
こつんと愛の肩をピンと指で弾く。そして愛にカメラを向けて一瞬のすきを見逃さないようにする。
「あーちゃん……。みーくんバレてるから……。」
沙羅が愛にその言葉を伝えた瞬間に彼女の表情が呆気に取られたようにどこか情けない表情をする。
「ええー!うそー!」
その瞬間にシャッターを切る。沙羅と愛が写るこの写真だけは俺のものにしよう。びっくりした愛と残念がる沙羅。そんな楽しい一瞬。
「あー。みーくん何撮ったのー?」
「愛の可愛い顔だよ。」
「ダメだよー!消してよー!」
「だーめ。また入れ替わったからそのお仕置き。」
二人の扱いがとても慣れてきたと思う。じゃれ合う二人の手を掻い潜りながらその写真に消されないようにロックをかける。
「みーくんのいじわる!」
「はいはい。ごめんごめん。」
「ふふふ。楽しそうね。」
涙ぐんでいた二人の表情はいつの間にか何処か遠くに行ってしまった。結局、センチメンタルな彼女達よりも笑い合う彼女達の方がずっと似合っている。
「沙羅、愛。卒業おめでとう。」
「二人共頑張ったわね。おめでとう。」
この春から大学生となって大人へと近づいていく。そんな彼女達と共に過ごせるのだ。俺はきっと幸せ者だろう。
「「うん。ありがとう!」」
だって、こんな幸せなそうな二人の表情が向けられている。これが幸せじゃないのなら何だって言うのだろう。
まあ、問題が一つあるとすれば、彼女達のどちらにも恋人らしくMouth-to-Mouthのキスが出来ていないことくらい。
奥手過ぎるって?もう好きに言ってほしい。その言葉は湊から白波先輩からいくらでも投げかけられている。
「「みーくん!写真とって!」」
親子3人で並ぶ彼女たちに声をかけられて愛のカメラを構える。
「いいよ――。じゃあ、いくよ……ハイ…チーズ!」
「「ピース!」」
天衣無縫、無邪気可憐に笑う彼女たちに囲まれる母親をセンターにして写真を撮る。風にゆらゆら揺らめいている制服と髪が綺麗だ。
「じゃあ、次みーくんと撮るから、三人と二人分ねー!」
「わわ、そんな急かさなくても。」
いつだって彼女達は急だ。
「風が強すぎないから今のうちに急がないとー!」
沙羅にカメラを手渡して愛の隣に並ぶ。
「みーくん、あーちゃん!いくよー!」
寄り添う彼女がくすぐったい。こんな光景を傍から見ればまったく何をしているのか分からないだろう。
「さーちゃん!交代だよ!」
「はーい!」
カメラをリレーのバトンを受け渡して二人は綺麗に入れ替わる。結局二人にはこの先も振り回されっぱなしなのだろうか。
温かな春風と静かに立ち並ぶ早咲きの桜、そして二人の母親にもそっと見守られながら三人元気一杯に卒業式を終える。
この先、どんな嵐の中を進むことになっても。二つ光る灯がきっと導いてくれるに違いない。
ここからの話はアステリズムがより一層に輝くまでのちょっとしたお話。沙羅と愛、彼女達が大学生になってから、変わらずに楽しかったり偶にそれぞれ悩んだりするそんなお話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます