こっちがゲームの世界なんだよ、きっと

沢田和早

こっちがゲームの世界なんだよ、きっと

 暑いなあ。

 それにお腹も空いた。

 2020年の夏は最悪だよ。どうしてこんなことになっちゃったのかな。


「明日から来なくていいよ」


 3月下旬、バイト先でそう告げられた。いきなりで驚いたけれど予感はしていた。地球的規模でヤバい病気が流行っているらしい。


「わかりました」


 素直に受け入れたよ。いつものことだからね。

 困ったのは次のバイト先が見つからないことだ。あれこれ探しているうちに貯金がどんどん減っていく。


「どうしよう。ここじゃお金もかかるし、田舎に戻ろうかな」


 幼い頃に亡くなった両親に代わってボクを育ててくれたおばあちゃん。いつまでも迷惑を掛けるのが心苦しくて卒業と同時に都会へ出た。たくさんお金を稼いておばあちゃんに楽をさせてあげたかったんだ。


「毎月仕送りするね」


 その言葉を実行できたのはたった一度だけ。逆に数カ月に一度、野菜や漬物なんかが送られてくる。ちょっと世の中を甘く見過ぎていたみたいだ。


「おばあちゃん、心配しているかもしれないし一度帰ろうかな」


 でも調べてみたらそれは危険なことだとわかった。今、地方ではよそ者を嫌っているみたいなんだ。都会から来た車に石を投げたり駅で検温したりしているらしい。今帰ったりしたらきっとご近所様から白い目で見られるだろう。おばあちゃんに肩身の狭い思いをさせたくないし、やっぱりここでしばらく頑張ってみよう。


「えっ、外出しちゃダメなの」


 翌月、大変なことになった。これから1カ月間はできるだけ家にいろ。会社には行くな。店を営業するな。そんな命令が下されたんだ。しかも命令に従わないところは見せしめとして名前を晒されるらしい。遅刻して廊下に立たされる生徒みたいだ。


「悪い子だってレッテルを貼られるのは嫌だなあ。でも待てよ。じゃあ逆に言い付けを守って外出しなかったら褒められるんじゃないか」


 そう、信賞必罰は世の習い。命令に従わないと見せしめにされるのなら、命令に従って一度も外出しなかったら立派な国民として表彰されるに決まっている。そしたらおばあちゃんだってきっと喜んでくれるはず。お米はまだ15㎏くらいあるし、味噌と梅干とらっきょうとタクアンもたっぷりある。


「よし、決めた。今日から1カ月間外出しない。部屋にこもり続ける。そして国から表彰されるんだ」


 こうしてボクのおこもり生活が始まった。退屈はしなかった。秘密の道具があるんだ。


「これを買ってもらって正解だったなあ」


 卒業祝いにおばあちゃんから贈られたゲーム機とVRゴーグル。装着して初めてプレイした時は驚きの連続だった。目の前に広がる3Dの世界。本当にゲーム世界へ入り込んだかのような気がした。


「今日は小麦を刈ってパンを作ろう」


 お気に入りのゲームはファンタジーRPG。剣と魔法の世界でモンスターを倒しクエストをクリアする。でも頑張ってシナリオを進める必要はない。レベル上げやスキル習得なんか無視して日常の生活を送るだけでも十分楽しめる。ボクは今農場で小麦を育てているんだ。


「おじさん、今日はこれだけお願い」

「あいよ」


 収穫した小麦は風車小屋で粉にしてもらう。挽き終わるまで時間がかかるから川で釣りをする。焼きたてのパンに魚のムニエルを挟んで食べるとすごく美味しい。


「ああ、なんて素敵な世界なんだろう。現実でもこんな風にのんびり暮らせたらなあ。おや」


 アラーム音が聞こえた。もうそんなに経ったのか。ログアウトしてゴーグルを外す。1プレイは2時間と決めているんだ。何事もほどほどが一番だからね。


「お昼にしよう」


 米は1日2合。味噌汁は数日分を鍋に作っておく。具はない。梅干しとタクアンがあるから汁だけでも平気。


「現実でも魚のムニエルが食べられたらなあ。いやいや今は我慢の時。褒めてもらえるまで頑張ろう。いただきます。パクパク。ごちそうさま」


 デザート代わりのらっきょうを食べて食事が終わる。これを3回繰り返して夜になれば眠る。それがボクの毎日。なんてことはない。1カ月なんてあっと言う間さ。


「えっ、延長! ウソでしょ」


 全然楽しくないゴールデンウィークが終わろうとしていた時、衝撃のニュースが飛び込んできた。この状態をもう1カ月続けることになったのだ。


「どうしよう。お米が足りなくなっちゃう。買い出しに行かなきゃ。でも」


 迷った。残っている米は半月分しかない。このままでは今の食事量を維持するのは不可能だ。だからといって外に出れば1カ月の苦労が水の泡になる。


「いいや。どうせ寝転がってゲームしているだけなんだ。食べる量を減らしてもう1カ月頑張ろう」


 米は1日1合にした。タクアンはなくなった。梅干しとらっきょうは半分にした。味噌も半分にした。汁が薄くなったので塩を入れて味を整えた。


「水や電気も節約しなくちゃ」


 収入の見込みはない。解除された後バイト先が見つかるとは思えない。それどころか再延長の可能性だってある。無駄な出費はできるだけ控えないと。

 ボクはシャワーをやめて濡れタオルで体を拭くことにした。夜も灯りは点けなかった。暑くてもクーラーは使わずうちわで我慢した。それでもゲームだけはやめられなかった。


「ああ、これだけが唯一の癒しだよ」


 ゲーム世界では不安も空腹も忘れられた。どんな贅沢な食事も、快適な服装も、愉快な遊びも思いのままだった。青空の下で走り回り、釣りを楽しみ、汗を流して麦を刈る。そこには忘れていた人間としての生活があった。だが、


 ――ピーピーピー!


 2時間ごとのアラームがボクを現実に引き戻す。蒸し暑く薄暗い部屋。粗末な食事。つきまとう空腹感。

 この生活を始めて10日ほど経った頃、役場から封書が届いた。現金を給付してくれるらしい。でもそのためには申請書に記入してポストに投函しなくてはならない。外出を禁じているボクには実行不可能だ。


「ねえ、ボクは言い付けをきちんと守っているんだよ。一歩も外に出ていないんだよ。そろそろ褒めてくれてもいいんじゃないかなあ。こんな紙切れじゃなくお米を配達してくれないかなあ」


 日が経つにつれゲームのプレイ時間は長くなっていった。2時間の縛りは撤廃し、1日のほとんどをVRゴーグルを装着したまま過ごすようになった。

 やがてひとつの疑惑が芽生え始めた。これは本当に現実なのだろうか。むしろ2020年の夏がゲームの世界で、VRゴーグルの向こうに広がる世界こそが現実なのではないか、そんな疑念がボクの中で日増しに大きくなり始めていた。


「そうだよ。考えてみればおかしな話だ。ボクみたいに従順な国民がこんなに冷遇されるなんて理不尽だもん。ボクの住んでいる国は福祉国家なんだからね。ゴホゴホ」


 最近、咳がひどい。体が弱っているから当然かもしれない。


「うん、間違いない。こっちはゲーム世界なんだ。外出を我慢して生き延びるゲームなんだ。こんなクソゲー、もうこれ以上プレイしたくない。アカウントを削除するにはどうすればいいんだろう。そうだ、外に出ればいいんじゃないのかな。そうすればゲームオーバーになるはず。ゴホゴホ」


 ふらつく足取りで立ち上がり玄関のドアを開けた。外に踏み出す。久しぶりに味わう野外の空気。頭上に広がる青空。太陽の光が眩しい。頭がクラクラする。立っていられない。体が傾く……


 * * *


 ――ピッピッピッ……


 機械音が聞こえる。ゲーム終了を告げる2時間毎のアラームとは違う音だ。耳を澄ますと微かに話し声も聞こえてくる。


「このたびは本当にご迷惑をおかけしました」


 おばあちゃんの声だ。呼びかけようとしても口が何かに覆われていて声が出ない。体も起こせない。薄く目を開くと見慣れない風景が見えた。白い天井。明るい蛍光灯。消毒薬のような匂い。ここは病院? そうか、きっと玄関を出たところで気を失って倒れたんだ。そして誰かが救急車を呼んでここへ運ばれたんだ。


「それでどんな具合なのでしょうか」

「検査の結果、残念ながら陽性と判定されました。このまま入院することになります」


 陽性? 何を言っているんだろう。何が陽性なんだろう。声の聞こえてくるほうへ視線を向ける。透明な仕切り窓の向こうに白衣の人とマスクをしたおばあちゃんの顔が見える。


「信じられません。あの子は解除されるまで外出せず部屋にこもっているって知らせてくれたのに」

「感染したのは緊急事態宣言が出るよりも前、2月か3月頃でしょう。ウイルスの型が古いのですよ」


 ああ、そうか。ボクは感染していたのか。だから褒めてもらえなかったんだ。感染するようなダメな子が表彰されるはずないもんね。


「でもすぐ治りますよね。こんなに若いんだもの」

「言いにくいのですがここまで重篤になるとかなり難しいと思われます。よほどひどい生活をしていたのでしょうね」

「ああ、なんてこと……」

「続きは別室で話しましょう。さあ、こちらへ」


 仕切り窓の向こうから二人の姿が消えた。またひとりになった。深い絶望……いや、絶望なんかする必要はないよ。だってこの世界は現実じゃない。ゲーム世界なんだもの。アパートの部屋から出た瞬間ゲームオーバーになったはず。今見ているのはバッドエンド用のエンディングシーンなんだ。やれやれ、やっとこのゲームからおさらばできるみたいだね。VRゴーグルはどこにあるんだろう。あれを装着しないとログアウトできないからなあ。いや、ゲームオーバーになったのだからきっとこのまま放っておけば自動的にログアウトするんだろう。そしたらすぐアカウントを削除してやる。もう二度とゲームはしない。これからは毎日農場で麦を育て、川で釣りをし、草原で昼寝をして過ごすんだ。さあ、目を閉じてゲーム世界に別れを告げよう。今はまだ暗闇しか見えないけれどやがて現実の明るい世界がボクの前に広がるはず……ボクは待った。闇はなかなか消えなかった。やがてぼんやりとし始めたボクの意識は次第に薄れ、闇に吸い込まれるように消えてしまった。

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