第1話【小桜】

            (一)

月曜日の五時間目。秋晴れの空と、教室の窓から差し込む温かい日差し。

『喫茶店と何??』

と大きく書かれた黒板と、雑談ばかりでちっとも進まないクラス会。

こんな時、自分の背が小さいのはほんの少しだけ有難い。私は、目の前の席に座る男の子の背中に身を隠すと、頬杖をついたまま、すぐ隣にある窓から見える景色を眺めてた。

……そして、自分のくじ運の無さを嘆くんだ。

大きなため息を一つして、頬杖のままもう一度教室を眺めたけれど、やっぱり新しくなったこの席からは、どんなに頑張ってもあの背中はもう見えなかったから、思わず二つ目のため息がもれてしまった。そりゃあね『隣の席になれたらいいな』とか、そんな淡い期待もあるにはあったよ? でも、よくよく考えたら、いざ隣になったら緊張して授業に集中出来ないどころか、絶対息が詰まっちゃう。と思うと、せめて今まで通り、視界の片隅でいいからチラチラと背中が見えたらいいな、って思ってたのに、そんな淡い、ささやかな願いすらも叶わなかったんだ。だって、私より後ろの廊下側にいるんだもの。て、言うかさ、そもそも今日の学級会は、いいかげん週末の学園祭の出し物を決定するためだと思ってたのに、担任の柏ったら、何を思ったのかいきなり席替えのくじ引きを始めるんだよ、ひどくない? まったく、確かに二学期は始まったけれど、なんでこんなタイミングでするのかなぁ、席替え。そもそも、そんな余裕ないでしょウチのクラス。だってさ、ヨソなんてもう、とっくに準備始めてるんだよ? なのに、何、この状況。みんな新しいお隣さんとの雑談が弾んじゃって、結局喫茶店やる事以外何も決まってないじゃない。私は思わず、のんびりと教壇で笑っている糸目の担任(戦犯)を睨んだ。そして、改めてそこに書かれている文字を見て愕然としちゃったんだ。

『アイドルコスプレ喫茶』

『猫耳喫茶』

『昭和の体操服喫茶』に

『お化け屋敷喫茶』

気付かないうちに黒板に書かれた取り留めもない幾つもの案。て、誰だ『昭和の体操服喫茶』なんてのを提案したおバカさんは? それってブルマの事だよね? いったい誰がやるのそれ、平成の頃のイカガワシイお店じゃあるまいし。それだけは何としても阻止したいのに、周りから聞こえるのは旧校舎3階奥のトイレの花子さんの話や、夜のプールの人魂の噂、挙句には最近テレビ局の車が街に来てて、スカウトされたらどうしょよう?なんて話まで聞こえて来る始末。ああ、良いですねぇ、移民系日本人や、ハーフの子らはスタイルがよろしくて。どうせなら、スタイルが良いついでにメイド喫茶や体操服喫茶もあなた達だけでやって下さいな。背も小さくて胴長短足のっぺり顔の私達純血日本人は、裏でこっそりしてますんで、どうぞご自由に。

 思わず三つ目の大きなため息が出たその時、不意に後ろから肩が突かれたから振り向くと、クラスの中でも少数派の純血日本人系仲間のさっちゃんが、満面の笑みで私を見てた。というか、ニヤニヤしてた。

「にひひー」

「なによ、さっちゃん『にひひー』って?」

「にひひー」

「だから、なんだってば(笑」

思わずつられてこっちまでにやけていると、さっちゃんはおもむろにハート型した水色のキーホルダーを私の顔の前にぶら下げて『これ知ってる?』と言ってまたニヤけたもんだから、思わず『知らない!』と言ってそっぽを向いた。

…嘘。本当は知ってる。

間近で見るのは初めてだけど、最近みんなが鞄に付けてる『ポケ』だ、それ。フリーWIFIを使って、対になってるもう片方と無料で通話できるやつ。本当は子供用のおもちゃだったのに、最近じゃ男の子が告白する時に女に子に片方をプレゼントする物…らしい。

 わざとらしくほっぺを膨らましていたら、さっちゃんに突かれた。「ごめん、ごめんだから」って何度も言うから、私は「もう、数少ない純血同士だと思ったのに、幸さんはおモテになられるようで」と、わざとらしい口調で言ってあげた。

「ケント君、もう松本に着いたって! 久しぶりなんだよ、コザクラだって幼馴染なんだから嬉しいでしょ?」

「ああ、昨日災害対策シフトの1級が出たもんね。て、言うか『コザクラ』言うな。私はインコじゃないんだから」

今ではすっかり定番になっている私の名前オチを言うと、二人で顔を見合わせて笑った。

 昨日、二年ぶりの災害対策シフト一級が出た。私達が小学校低学年の頃に天災が事前に予測できるようになってから始まった、地震や津波、火山の噴火なんかの予測値が80%を超えると出るアレだ。海側の街と、山の街はそれぞれに姉妹都市契約を結んでて、出た警報によってどちらかがどちらかに疎開する。私達が住んでるこの山奥にも、姉妹都市の知多にも、お爺ちゃん達が若い頃のバブルとか言う時代に出来た今は使われていない『別荘地』だとか、過疎化で人が住まなくなった古い家が沢山あって、この疎開の受け入れに契約してるお家は、空き家でも税金が免除されるんだってお爺ちゃんが言ってた。ただまあ、本当に予報の80%ってちっとも当てにならなくて、地震も何も起きないまま、ほぼほぼ毎年これが出るもんだから、いつの間にやら緊張感なんてまったくない、年一回のお祭りみたいになっている。ただまあ、さっちゃんの顔を見てると本当に嬉しそう。うん、去年は来なかったもんね、ケント君。

 改めて笑顔でさっちゃんの二ヤケ顔を眺めたそんな時、突然バラバラという大きな音が聞こえてきたと思うと、全開にしていた教室の窓のカーテンが大きく膨らんで私の頬を撫でた。途端にクラス中に大きな歓声が上がって、男の子達が一斉に私達が座る窓際に集まって来た。

「おい、あれって自衛隊時代の払い下げのチヌークだろ!?」

「しかもあの青白迷彩は、オールソックス(株)の軍事部門仕様だぜ!」

「青海市の老人ホームからの便だよな!?」

大きな音と共に土埃を上げて校庭に着陸する前後にプロペラの付いている不思議な形のヘリコプターを見ながら、男の子達はまるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようにはしゃいでた。本当に男の子って分からない。だってオールソックス(株)のどこがそんなに珍しいっていうのよ。そんなの、そこらじゅうで見るじゃない、工事現場で旗振ってるのとか、コンビニのATMのお金の交換とか…。

「ああーっ、青海市からの便、もう来ちゃったのか…。じゃあ、ホームルームはここまでなぁ。お前ら、体操服に着替えたらグラウンドに出てお爺ちゃん達の移動の手伝いしろよ。六時間目もこのままホームルームになるけど、作業終わるまで帰るなよー。あ、それと佐倉…」

ぼんやりとグラウンドを眺めていたら、急に名前を呼ばれて驚いた。そして、あわてて立ち上がって柏が立っている教壇を見ると、私は耳どころから同時に目まで疑ったんだ。だって、次に聞こえた言葉が、

「アイドルコスプレ喫茶にするなら、ウエイトレスは是非佐倉をって、吉岡から推薦があったから、そこんとこよろしく頼むわ。お前んトコ食堂だろ」

で、黒板にはいつの間にか大きな赤丸で囲まれた『アイドルコスプレ喫茶』って文字と、私の名前が書かれてたんだから。

 ヘリコプターに夢中だった男の子達の間からドっと笑いが起こった。私は思わず

「ちょ、ちょちょちょちょちょちょっと待って! わ、私はチビだし、ブスだし、あ、アイドルのコスプレとか、む、無理です!」

って言ったんだけど、その言葉に合わせてまた笑いが巻き起こった。思わず俯いた目じりに、どんどん悔し涙が浮かぶのが分かった。

「行こうぜ、行こうぜ!」

「更衣室まで競争な!」

そんな言葉がして、みんなが一斉に教室から出て行き始めても私は俯いたまま動けなかった。

『クラスの半分以上が移民系やハーフなんだから、綺麗な子達にやらせればいいじゃない』

『こうやって、ブスな私を皆でからかってるんだ』

『チビで悪いか』

『髪が短くて悪いか』

『長い髪が似合わなくて悪いか』

『おうとつの無いのっぺりした顔で悪いか』

そんな言葉ばかりが頭の中でグルグルと回ってた。

「大丈夫だよ、こざくらならアイドル、絶対に似合うから…」

立ち尽くしたままの私の袖をツンツンと引っ張るさっちゃんの声が聞こえた。だけど、咄嗟に頭に浮かんでしまった『さっちゃんは彼氏がいるからそんな心にもない事が言えるんだ』『なんだかんだで私の事を見下してるんだ』『一緒にいるのも、私を引き立て役にしてるんだ』という言葉に、自分が凄く卑しい人間みたいな気がしてまた泣けた。一番の親友に対して、そんな事を思ってしまった自分が情けないって気づいたら、涙は止まらなくなっていた。

誰もいなくなった窓辺から、プロペラの音に混じって土埃とまだ夏の匂いのする風が吹き込んでた。何度も何度もブワリという音がして、大きく膨れたカーテンが私を撫でた。そして、次の瞬間、その風に乗って信じられない言葉が聞こえたんだ。それは、凄く小さな声だったけれど、俯いて震えてる私の耳にはちゃんと聞こえたんだ。

「僕も、佐倉さんのアイドル姿は似合うと思うよ」

あまりの出来事に慌てて顔を上げると、足早に私の横を過ぎて行く背中が見えた。席替えの後、ずっと探してた背中が見えた。そして私は呆気に取られたまま、教室のドアから消えていくその背中をただ見送ったんだ。そう、橘君の背中を。


            (二)

 放課後、校庭の隅、夕暮れの自転車置き場。老人ホームのお爺ちゃんお婆ちゃん達を下ろして去っていく二枚羽の大きなヘリコプターと、作業を終えて家路を急ぐ学生達。さっちゃんは、六時間目の途中でどさくさに紛れて早退した。きっと大慌てで着替えて、バスセンターにケント君を迎えにいったんだと思う。私は自転車のカゴに鞄を入れると、ピンク色に染まり始めた空を眺めて、二年ぶりに巡り合う青空高校の織姫様と彦星様の事を考えた。まだ少し火照っている首筋を、秋の夕風が撫でて少し冷たかった。

『僕も、佐倉さんのアイドル姿は似合うと思うよ』

耳の奥では、まだあの言葉が響いてた。

 グラウンドの脇を自転車を押して歩いた。本当は、疎開の人達が食堂に詰めかける頃だから急いで帰らなくちゃいけないのに、なんだか今はもう少し学校にいたかったんだ。

誰も居なくなったグラウンドに、遠い日の幻が見えた。

綺麗な形のクラウチングスタートと、吹き抜ける爽やかな風。

小学生だったあの頃から、私はずっと君を見てる。

気付かれないように、こっそりだけどずっと見てる。

…なんて事を考えてたら急にほっぺどころか、耳の先まで熱くて痒くなったから、私は慌てて両方の手でぺチペチと頬を叩いた。「うぬぼれるな小町!」「これは罠だから!」「うぬぼれたら、後で絶対に痛い目を見るタイプのヤツだから!」と、何度も自分に言い聞かせた。

 ジンジンとした痛みが消え始めると、学校のグラウンドと金網を隔てて繋がっているラボの滑走路の上を、幾つもの小ぶりな戦車達が隊列を組んだまま倉庫に向かって進むのが見えたから、改めて昨日柳川さんが言っていた『試験発表のデモンストレーション』が今日だった事を思い出した。どうやら大きなヘリコプターのプロペラ音と慌ただしさで、あちらの音は聞こえなかったみたい。私は倉庫の中に消えていく戦車達を眺めながら、橘君と少し似ているあの笑顔を思い出して「お疲れ様、柳川さん。しばらく鯖味噌定食は食べられないけど、南の島を満喫してくださいね」と、呟いた。


 私が生まれた頃、この国、日本は生まれ変わったらしい。その頃、世界中に蔓延した殺人ウイルスと、その後に来た国々の責任の擦り付け合い。そして、それが拡大して起こっちゃった第三次世界大戦と、同盟国として巻き込まれちゃった日本っていう結構カオスな事があったらしい。お爺ちゃん曰く、いくつかの国が世界地図から消えたり、名前が変ったりしたそうな。そして、その結果、日本にバブルがやって来た。と、これまたお爺ちゃんが言っていた。あまり喜ばしい事でも胸を張れる事でもないけれど、人はこれを軍事バブルと呼ぶらしい…。ようは、戦争の時に、どうにも日本も武器を作らなくちゃいけない事態になって法律が変ると、そのコスパとハイブリットとかそういうので培った技術力に世界が絶賛したそうな。恐るべしMade in Japan クオリティ。

 そして、そっち系の会社や工場が人手不足になると、国は大々的に移民制度を取り入れたんだって。これまたお爺ちゃんに言わせると『納税義務者の輸入』なんだけど、結果、それまで人口が減るばっかりで高齢化の進んでいたいた日本に突然若者が増えて税金問題が一気に解決しちゃったらしい。この、今私が見ているマチュピチュもその頃に出来た施設で、何やらこの標高と、ここらへんでとれる鉱石がいいらしくて、昔から鉱山はあったらしいのだけれども、軍事バブルが来ると同時に自衛隊から日本軍に名前を変えた国営の軍隊と、いろんな企業がやって来て、村の外れの田園地帯や丘陵地帯には、瞬く間にビルが立ち並ぶ新市街ができたそうな。

 じゃあ、確かに武器を作るのは胸が痛むけど、それ以外は色々豊かになって万々歳じゃない? って、思われるかも知れないけれど、意外とそうでもないんだよ。だって、確実に被害者はいるんだもの。

…ってまあ、それは私なんだけどもね。

だってさ、移民系や、ハーフの子達が今よりぜんぜん少なかった昔って、きっと身長が一五〇センチそこそこしかない私だって、たぶん平均くらいか、せいぜい「気持ち小さいね」位だったと思うんだ。顔や、スタイルだってそう。ほら、昔流行った女性の顔とか見ると、まるで福笑いの「おかめ」さんみたいだし、そういうのから見たら、きっとこんな私だってここまで肩身の狭い思いはしなくて良かったんだと思うんだ。でも、まあ、『たられば』の事を考えててもちっとも救われない。だって、実際問題、クラスの半分以上はまるでモデルさんみたいな子ばかりなんだし、私は純和風のチビで幼児体型のブスなのだから。『せめて、純日本人でもさっちゃんくらい出るトコが出ていて可愛い顔なら、素直に好きな人に好きって言えるのにな』。ラボの滑走路の向こうに沈んで行く夕陽を眺めながらそう思ったら、また惨めな感じが蘇ってきて、私は思わずガクリと項垂れた。

 どうにも今日は調子がおかしい。いつもと違う事が次から次へといっぱい起きて、軌道修正できないまま、いつもの自分に戻れないまま、脱線したまま前に進んでるような変な感じがするのだから。席替えも、疎開も、アイドルコスプレも、そしてあの言葉も。気が付くと、落ち込んだり、悩んだり、浮かれたりと慌ただしくて落ち着かない。なんだかこういうのって私っぽくない。

…って考え始めたら、どんそんどんどん哲学的なドツボにはまってしまった。だって、そもそも私らしいって何なのさ? あんまり女の子っぽくなくて、あんまり悩んだりしないっぽくて、クラスの中でも子供みたいに小さくて目立たなくって。でも、それってたぶんみんなが知ってる『私』なんだと思う。じゃあ、本当の私ってどういうの? 意外とうじうじ悩んだり、似合わないけれど、可愛い服に憧れたり、…苦しいくらいに誰かの事が好きだったり。そんな『自分だけ知ってる私』の存在はどうなるの? て、言うか、私一人がこれが本当の自分だよって言い張っても、周りの人みんなが「いいや、こざくらはこういう人間だよ」って言ったら、逆に私が一番自分の事を分かって無いってなるんじゃないの? ほら、民主主義の基本は多数決って言うじゃない。


 校門を出ると、私は押していた自転車に跨って、いつものようにペダルを踏んだ。いや、あのね、このままずっと歩いたら、どんどん落ち込んで行くような気がしたんだよ。

 新市街へと向かう坂道を下る自転車が風になる。夏服セーラーの胸元のスカーフも物凄い勢いで暴れてる。そして、私は立ち上がると、大きな声で叫んでみた。なんだか、風にのって色んな悩み事も私の体から剥がれて飛んでいくような気がした。真っ赤な夕日が眩しくて目を細めると、私は横目で坂の下の景色を眺めた。どうやら今日は凄く空気が澄んでるみたいで、街の向こうの山々の先に小さく高山市まで良く見える。こういう景色を眺めていると、くよくよしていた自分が小さく思える。そして、何だが少しだけ気分が晴れたような気がして正面を見ると、坂の下でカメラを構えてこっちを見てるお髭にサングラスのお兄さんが立っていたから私は慌ててブレーキを握った。

 物凄い音がして、前後のタイヤが斜めに滑る。思わず「どいて!」「どいて!」と連呼する。でも、夕日を浴びたアロハシャツのお兄さんは、そんなのお構いなしでカメラ越しに私を見て笑ってた。何とかぶつかる手前で真横に止まれたから、ホっと胸を撫で下ろそうと思ったんだけど、次の瞬間、止まった勢いで今度は自転車を残して私の体が吹っ飛んだ。

『ああ、これイカんやつやぁ…』

『異世界に転生しちゃうタイプのヤツやぁ…』

思わず目を閉じてそんな事を考えながら宙を飛ぶと、案の定次の瞬間鼻の頭にドンという衝撃があったから、やっぱり死んだ。と、思ったけれど、気が付くといつまでたってもお花畑も現れないし、河原の向こう側でお爺ちゃんもお婆ちゃんも手を振っていなかった。そして、お爺ちゃんもお婆ちゃんもまだ生きている事を思い出すと、恐る恐る目を開けてみた。そして、私はそのまま硬直してしまったんだ。だって、頭の上にはお髭のお兄さんの顔があって、私はほんのりとタバコの香のするアロハシャツの胸に顔を埋めていたのだから。

「大丈夫?」

頭の上で聞こえる声に、私は無言のまま何度も頭を立てに振った。そして、その態勢が、お兄さんに抱きしめられているのだと気が付くと、今度は物凄く恥ずかしくなってますます動けなくなっちゃったんだ。恥ずかしいのに、飛びのきたいのに、緊張して手にも足にも力が入んなくて、ただただ顔を熱くする事しか出来なかった。

「そうか、怪我がなかったなら良かったよ」

そう言ういうとお兄さんは、私の肩を捕まえて胸に顔を埋めて動けない体をグっと起こしてくれた。そして「もし何かあったらここに連絡してね」と言って、下を向いたまま耳まで熱くして動けない挙動不審な私に一枚の名刺をくれたんだ。

「…東京の…MM企画?」

「そそ、小さいけどテレビ局の下請け制作会社」

そんなお兄さんの言葉を聞いて、私は今日の五時間目に聞こえてきた雑談の話題を思い出した。そう、最近街にテレビ局の車が来ているっていう噂。

「あのさ、良かったらもう一枚撮らせてもらえないかな?」

「へ?」

突然の言葉に、思わず変な声がでた。そして、もう一度手の中のカメラを構えて、夕日を背負って逆光の中でぎこちなく笑う私を写真に撮りながら、お兄さんは信じられない事を言ったんだ。

「夕日と自転車と叫ぶ少女、凄く可愛かった。君、アイドルにならないか? 君みたいな子を探してたんだよ」

って。

ぶつけた鼻の頭が鼓動を打っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る