第2話【揺れる世界】

※この物語はフィクションであり、近未来にあり得るかも知れない幾つかの『ifの世界観』のうちの一つをベースに書かれたものです。特定の国家や個人に対するヘイトや、政治的思想を持った物では無い事を予めご了承ください。



移動砲台KOZAKURA

第二話


              (一)

「早く、早くこっちだよ小桜!」

「ちょ、ちょっと待ってよ幸ちゃん!」

火曜日の放課後、青空市新市街ショッピングモール。いやあ、今日の幸っちゃんのはしゃぎ様ったらありゃしない。幼稚園の頃からの付き合いだけど、こんなに浮かれてるのは、いったいいつくらい振りっていう程のハイテンション。まあ、その理由は言わずもがな、なのだけど。

 災害対策シフトが発令されて疎開二日目、うちの学校の旧校舎に知多にある青海高校の皆がやって来た。そしてそれは私や幸っちゃんにとっては、遠く離れて暮らす幼馴染、ケント君と久しぶりに会えるという事を意味してた。と、言っても彼は元々ここに住んでたワケじゃないんだ。

 私達が幼稚園に通っていた頃、私は男の子達から『チビ』だとか『おとこおんな』だとか『ブス』とか言われていじめられていた。まあ、よくよく考えればそれは今もたいして違いは無いのだろうけれど、ちっちゃい頃って、表現がストレートだから私は毎日泣いていたんだ。そんな私をいつも庇ってくれたのが幸っちゃんだった。でも、そんなある日のお昼休み、私達は男の子達に呼び出された。そう、とうとう幸っちゃん込みでのいじめが始まってしまったんだ。これはもう、悲しくて切なくて申し訳なくって、今でも思い出すと何とも言えない感情で胸の辺りが締め付けられてしまう。だって、幸っちゃんは可愛くて、組でも人気者だったのに、こんな私を庇ったりするもんだからイジメの対象になっちゃったんだ。もちろんそれは嬉しかったし、一人でいじめられるより心強かったけれど、やっぱり申し訳なさで胸が潰れてしまいそうになったんだ。

 じゃあ、そこからは二人そろっていじめられる日々が続いたのか? と、言われると実は違ったりする。というか、これはもう偶然か、奇跡かとしか言いようがないと思う。そう、その年、初めて災害対策シフト一級が発動されて、姉妹都市である知多の青海市の集団疎開が始まったんだ。ある日を境に、うちの幼稚園も園児の数が倍になった。確かにそれは疎開中の一か月くらいの間だけだったけれど、園内のパワーバランスが完全に崩壊しちゃったんだ。男の子達は、新しくやって来たあちらのガキ大将グループにばかりに気が取れてしまって、私達二人の存在なんて、すっかり忘れちゃってたんだ。そして、イジメが止まった原因はそれだけじゃなかった。青海市からやってきた子達の中に、一際背が高い金髪の男の子がいた。当時は、まだ今ほど移民系が多くなかったから、純日本系の小さい子達の中で彼はとにかく目立った。それがケント君だった。実際、それから話すようになってみると、実はすごくおっとりした性格だったのだけれども、その体格とビジュアルから来る威圧感は、男の子からしてみたら『逆立ちしても勝てない』と直感させたみたい。そして、彼が疎開してきたのが新市街ではなくて、私達が住む旧穂高村で家も近所だったから、それからというもの、私と幸ちゃんの思い出の中にはいつも彼がいる。いつも三人だった。


 煉瓦敷きの歩行者天国、私は思わず足を止めた。目の前にはますます背が伸びた、2年ぶりに会う背中が見えた。その先を楽しそうに駆けて行く幸ちゃんがいた。

「さすがに青空市、まだ9月に入ったばかりで日差しは強いのに、風はこんなに肌寒いんだね。こんなんだったら、上にもう一枚来て来ればよかったよ」

「まったく、ポケ持ってるんだから、出かける前に一言聞いてくれれば良かったのに! ここ、標高2000メートルだよ? 夏でもクーラーいらないんだよ。 二年ぶりで忘れちゃった!?」

まるで映画のワンシーンのようにクルリと振り向いた満面の笑みの幸ちゃん。それにつられて制服のスカートもフワリと膨らんで、全身から嬉しさが爆発するくらいに溢れてた。うん、すごくお似合いの二人だ。小さい頃からずっとそう。私はこの二人の背中を追いかけてる。

 放課後のデート、プラスお邪魔虫一人。実は、このシチュエーションにはワケがあったんだ。そう、週末には文化祭というこのタイミングは、その名の通り幸ちゃんに幸福を運んで来たんだよ。時間的に独自の催し物が出来ない青海高校の面々は、私達青空高校のお手伝いとして参加してくれる事になったんだ。そして、幸運にもケント君と私達のクラスは共同で喫茶店をやる事になった。まあ、そんなこんなで、災害対策シフトが出た時のお決まりの南海トラフ地震対策の全校集会の時からソワソワしてた幸ちゃんは、放課後になると同時に買い出し部隊に立候補した。こうして免罪符をもらって、堂々と制服デートを満喫してる現在に至る。まあ、昔から私達は三人でワンセットみたいなトコがあるから、この人選に疑問はないのだけれど、ようやく付き合いだしたのだから、せっかくなら二人で来ればよかったのに…と、思ったりもしたりするのだけれど。

 新市街のショッピングモールやファッションビルを引っ張り回され、お店からお店をハシゴして、私達はアイドルの衣装を探して歩いた。本当はね、よくあるパーティグッズのコスプレセットを当てにしてて、とっととそれを買ったら『後は解散!』っていう予定だったのだけれども、計画した通りに簡単には行かないのが世の常と言いますか…。だって、実際に手に取ってよくよく見ると、生地から造りから何だかペラペラ薄くて透けてるし、何ともと安っぽくて、本当にイカガワシイお店の衣装みたいだったんだよ。だから、お値段的には良心的だったけど買うのは躊躇しちゃったんだ。そこから先は色んなお店でアイドルっぽい服を見て回ったけれど、今度は数人分買うには金額的に到底手も届かないし、数も揃いそうもなかったんだ。そんなこんなで衣装選びは難航しまくってるんだけど、あの二人ときたら、むしろ『このままずっとデートしてたいね!』みたいな顔して嬉しそう。

「ねえ、ケント君あれ見てあれ!」

「うわ、なんだあれ!? 痛飛行機!?」

大喜びで幸ちゃんが指さしたのは、ビルの壁にある大きなスクリーンだった。ちょうど今はニュースがやっていて、画面にはどこぞの国の飛行機墓場とか呼ばれる場所が映ってて、子供の頃に夢中になっていたアニメのキャラクター達がプリントされた沢山の飛行機が並んでた。

「そう言えばお父さんから聞いた事がある! 昔は格安航空会社っていうのがいっぱいあって、ああやってアニメのキャラクターとかをプリントした飛行機が沢山飛んでたんだって!」

「ああ、格安航空なら僕も聞いた事があるよ。確か第三次世界大戦と、その前のウィルス蔓延で経営破綻した会社が多くって、行き場の無いジェット機が沢山出たとか?」

二人は楽しそうに海外のお金持ちが飛行機墓場に放置された痛飛行機を一山いくらで大人買いしたという音声の無い字幕のニュースに見入ってた。私はさっきからその画面に出てる時計ばかりが気になるっていうのに…



第二話

【揺れる世界】



               (二)

「凄く可愛かった…」

「君みたいな子を探してたんだよ!」

真っ赤な夕焼けを浴びて、その人は笑ってた。私は、すぐにはその言葉の意味が理解出来なくて、思わず違う子に向かって言ったんだと思って辺りを見回したけど、そこには誰も居なくって。そして、何度か小首を傾げた後に『からかわれてる』『馬鹿にされてる』って思っちゃったんだ。だって、こんなチビで不細工な私に『可愛い』とか…。生まれてこの方、お婆ちゃんくらいにしか言われた事がないのだから。幼稚園の頃からずっとそうやってからかわれて来たのだから。

「あの、私時間がないんで! からかうなら他の子にしてください!」

思わずカチンときて、お兄さんに背を向けるようにそそくさと倒れた自転車を引き起こしていると、後ろからクスクスという笑い声が聞こえてもんだから、

『ほら、やっぱりだ!』

って、ますます癇に障って振り向きざまに睨みつけてやると、お髭のお兄さんはとても穏やかな顔をして私を見てたんだ。

「そういう君がいいんだよ」

「…い、意味が分かりません。か、からかわないでください」

「からかってなんてないさ、素直にそう感じたんだよ。あ、そうだ、ちょっと待ってて」

「あ、あの、私、時間が…」

「いや、すぐだから!」

そう言ったお兄さんは、慌てて踵を返すと駆け出した。今の今まで慌てて気づかなかったけれど、私達が立っていた場所から少し離れた路肩に屋根にアンテナが付いた大きなワンボックスカーが止まっていて、お兄さんはそのドアを開けたかと思うと、何かを手にして戻って来た。

「これ。これで信用してもらえるかな?」

差し出されたその手の中にあったのは何枚もの書類が入った透明なクリアファイルで、目に見える一番上の紙には『〇×テレビ 『おはようモーニング』『新企画:(原点回帰)国民的アイドルを探せ!』と、私でも知ってる東京のテレビ局の名前と、毎朝見ている朝の情報番組の名前が書かれてた。

「あの…これって?」

「ああ、今僕が持ってる企画さ。ほら、アイドルって言うと普通はグループだよね?」

「…はい」

「それに最近は、ハーフや移民系の子ばかりが目立ってる」

「…はあ、まあ、そうですね」

「でも昔は違ったんだ。圧倒的なアイドルっていうのはグループじゃなく一人だったんだよ。たった一人の女の子が日本中の人の目をくぎ付けにして輝いてたんだ。そんなのがアイドルだったんだよ。僕はそんなダイヤの原石を探してるのさ! ほら、今って激動の時代じゃないか。一気に色んな国の文化が流れ込んできて、浮かれて地に足がついてないって思うんだ。だから、こんな時代だからこそ、もう一度原点回帰してみるべきだと思ったんだ!」

「…はあ、それは大変ですね。頑張ってください」

「頑張って下さい…って、君がなるんだよ!」

「…へ?」

「…まあ、と言っても連続企画だから毎朝違う女の子をクローズアップしてのオーディション形式だから、絶対にデビュー出来るって訳じゃないのだけれど、夕日に叫ぶ君を見て直感したんだ! 一目ぼれと言ってもいい! 僕にはアイドルになった君の姿が見えたんだ!」

次から次へと出て来る言葉に、私の頭は混乱した。

…混乱して

…世界が揺れた。

…心が…揺れた。

「…わ、私、チビですよ」

「そうかい? 純日本人としてはほぼほぼ平均だと思うけど!?」

「…私、髪も短いですよ。おとこおんなですよ」

「ボーイッシュでいいと思うよ? それに、君ならどんな髪型も似合うだろ? そう、長くしたけれりゃ伸ばせばいいだけの事さ。髪型では君の輝きは変わらない。僕はそう思う」

「…わ、私、ブ、ブス…ですよ」

気が付くと、いつの間にか俯く視界が滲んでた。ぼたぼたと、大きな音を立てて涙がクリアファイルに落ちていた。胸が熱かった。長沼さんの言葉の一つ一つに胸が温かくなっていき、自分の中の凍り付いた気持ちや感情が溶け始めたみたいに思えた。今、落ちている止められない涙は、そんな氷が溶けて落ちているんだと思ったら、ますます止まらなくなった。

…私は、私はずっと誰かに言ってもらいたかったんだ。

…言ってもらいたくって、しかたがなかったんだ。

泣きじゃくり、上げた視線の先にお髭の笑顔があった。夕日を浴びたサングラスの奥の目が人懐っこく笑ってた。

「外見で自分を責めなくていいんだよ、君は不細工じゃない。誰よりも可愛い女の子だ。自信を持ってもいいんだよ」

そして私はまた泣いた。

 その後、長沼さんは私に

「とりあえず一晩よく考えて電話して。で、もしよかったら明日のこの時間、また夕焼けの頃に君を撮りたいと思う。とりあえず他の仕事も同時進行でやってるけど時間は空けておくから」

と、言ってくれたんだ。


 そして私は、まだ電話が出来ていない。まだ悩んでる。

 でも、分かった事もある。本当に私が自分の外見に自信を持っていいとかどうとかは分からないけれど、もし、それが本当だったらとても幸せな事なのだろう、と。もっと上を見て、胸をはって生きて行けるのだろう、と。好きな人に『好き』って言う勇気だって持てるのだろう、と。



               (三)

「えーーーーーッ!! それって本当なの!」

「ほ、本当なのかい、小町ちゃん!?」

昼下がりの新市街、休憩で立ち寄ったファーストフード店のテラス席に幸ちゃんとケント君の叫び声がこだました。私はただただ恥ずかしくて、ずっと下を向いていた。いや、あのね、どうやら私がさっきから時間ばかりを気にしているのと、頼んだポテトにも手を付けないままソワソワしているのをケント君に気付かれちゃったみたいなんだ。だから、私は悩んだ末に、昨日の長沼さんとの経緯を二人に説明したんだ。そして、どうしたらいいのか悩んでいる事も。

「やったぁ! 良かったじゃない小桜!」

「…で、でもぉ」

「でもぅ…って何よ? 何か不満でもあるわけ!? スカウトされたんだよ!?」

幸ちゃんの言葉に、私は手の中にある汗だらけになったジューズの紙コップを両手で握りしめて改めて考えた。何が不満で、何が問題なのだろうか? と。 そしてやっぱり最初に浮かんだのはいつもの事だった。

「…そんな事言われたって、すぐに自信なんて持てないよ。だって、私だよ? チビでおとこおんなでブスなんだよ? 絶対に身の丈にあってないって! 勘違いしてテレビに出たりしたら、絶対にまた皆にからかわれるんだよ!?」

口に出して改めて気が付いた。そうなんだ、私はまたあの頃のように、容姿で皆にからかわれるのが嫌なんだ。だから今まで、ずっと目立たなくしてたんだ。殻に閉じこもるように、皆の影でじっとしてたんだ。好きな人がいても、ただ遠くから背中を見てるだけだったんだ。それで良かったんだ。

「何いってるんだい、小町ちゃん? 小町ちゃんが可愛くないだなんて、そんな事ある訳ないじゃないか!? 僕もそのディレクターさんが言う通り、見てみたいと思うよ、ううん、凄く似合うと思う! アイドルになった小町ちゃん! ッツ…イテ、イテテテテ」

「コラ、ケント君。なに出来たばかりの彼女との初デート中に他の女の子を褒めまくってるのかなぁ??」

いつの間にかケント君の後ろに立ってた幸ちゃんが、思い切りケント君の両方のほっぺを引っ張りながら引きつり笑いをしてた。そして、そのまま私を見ると優しく微笑んでくれたんだ。

「そうよ、小桜! いつまでも小さい頃のトラウマとか引きずってるんじゃないの! 親友の私が言うんだよ、信じなさい! あなたは可愛い! それにあれよ? ほら、小さい男の子達って、好きな女の子をからかってイジメるってよく言うじゃない? だから幼稚園の頃、吉岡君達もあんたの事をからかってたんだよ、絶対!」

幸ちゃんは鼻から息をふんすふんすと出しながら熱弁を振るうと、そのままほっぺを引っ張られてじたばたしている彼氏に向かって「ケント君、今日の夕暮れって何時なの!?」と質問すると、金髪の彼は痛がりながらもスマホで検索を始めた。

「えーっと、この地方の今日の日の入りが6時10分だから…、たぶん夕暮れは30分くらい前の5時半過ぎかなぁ?」

その言葉を聞いて幸っちゃんは振り向くと、さっきニュースをやっていたビルの壁のスクリーンを見た。

「今がもうすぐ4時だから、1時間半くらいあるわね!」

「…あるわね。って、幸っちゃん何する気なのよ!?」

「ふふふ、やることなんていっぱいあるに決まってるじゃない! コザクラ、まずは携帯貸しなさい! あと、そのディレクターさんの名刺と!」

『ニシシ』と悪い顔を作った幸ちゃんは、私の手からスマホと、昨日貰った名刺を取り上げると、何の躊躇もなく電話をかけ始めちゃったんだ。そして「あ、こちら佐倉小町のマネージャーをやっている者ですが…」とワケの分からない事を喋りはじめたかと思うと、あれよあれよと言う間に約束を取り付けて通話を切ると、またしても『ニシシ』と笑って「じゃあ小桜、1時間半後に学校の下の坂道だからね!」

と、言ったんだ。もちろん私は焦っちゃって

「ちょちょちょちょちょ、ちょっと幸っちゃん!」

って言ったんだけど、彼女はそんなのどこ吹く風の表情で

「何いってんの。昔からアイドルの応募は『友達が勝手にやっちゃった』っていうのが相場じゃない?」

って笑ったんだ。そしてテーブルの上にあったジュースを一気に飲み干すと、

「よし! 1時間半か、これは忙しくなるぞ!」

と、無いはずの夏服のセーラー服の袖をまくり上げる仕草をした。

「ちょっと、幸っちゃん、今度はいったい何をする気!?」

「…そんなのシンデレラのお着替えタイムに決まってるじゃない!」

そう言うと、そのまま「さっきのあの店でスカートで…」「いいや、あの店のワンピも良かったわね…」と独り言を始めるもんだから、私は一抹の不安と悪い予感を覚えたんだ。

「小町ちゃん、こうなった幸っちゃんは止まらないから覚悟しといた方がいいね…」

小声でそう言うケント君が苦笑いしてたから、私も思わず苦笑いし返したけれど、本当は感謝の気持ちでいっぱいだった。なんだろう、これはあれに似ていると思った。そう、小川のこっち岸で足が竦んで立ち尽くしてる状況だ。普通に飛んだら越えられる距離なのに、濡れる事とか、川に流される事ばかりが気になって飛べなくなっちゃってる子供のようだ。

『大丈夫だよ!』『がんばって!』周りで見ている人は、当たり障りなくそんな言葉を連ねるけれど、言われれば言われる程、足はますます竦んでしまうんだ。そんな時、そっと私の後ろに来て、ポンと背中を押してくれる。『大丈夫だよ、小桜なら大丈夫!』って笑ってくれる。それが幸っちゃんで、そういうのが本当の友達なんだと私は心から感謝した。

 そして、ひとしきり友情を噛みしめて感謝の対象を見上げると、彼女はとんでもなく困った顔をしたまま固まってた。

「…ど、どうしたのよ幸っちゃん!?」

「いやぁ、私の中では完全にコーディネートが完成したんだけどねぇ…、いかんせん先立つ物が…。さすがにアイドルのコスチュームを買う学級費には手は出せないし。ううん、これは困った」

と、腕組みして悩んでた。いったいこの子は、私に何を着せる気なのだ!? とにもかくにも、幸っちゃんの気持ちは嬉しいけれど、よくよく考えてみたら、確かに今から一式服を買うなんて高校生の私達には現実的な話じゃなかった。それに、Tシャツくらいは買えるけど、あまりに高価な服は私にゃあ逆立ちしても無理だ。

「…あ、なのね幸っちゃん。気持ちは嬉しいけど、私やっぱりセーラー服で…」

それは、そう言いかけた時だった。突然私の頭の後ろから何かが頬を撫でるように視界の端を横切った。思わず「ヒッ!」っと驚いてそれを見ると、それは二本の指に挟まれた一万円札だった。

「ふふふ、ご入り用なのはこれかい、若人よ?」

不意にそんな声が聞こえて振り向くと、私の視界に飛び込んで来たのは、風になびくまるで燃える炎のような長い赤髪でした。

「…ハ、ハイディさん!? い、いつからそこに!??」

「いつからって、最初から居たさ。ほら、太久郎もいるぞ」

その声に改めて後ろのテーブルを見ると、確かにハイディさんの向かいには、ハンバーガーを食べてるあのモジャモジャ頭の白衣のお兄さんまでいました。それにしてもこの人、食べるのが汚いのはなにもウチの鯖味噌定食に限った事じゃなかったのね、そこらじゅうに食べカスを落としてて、ちょっとした大参事みたいになってる。

「…あ、あのハイディさん…えーっと、どこから聞いてました??」

「…ん? どこからって最初っからだけど? だって、あんたら後からその席に座ったんだぜ?」

私は思わず天を仰いでしまった。どうやら色んな事に気がとられてて、こんなに目立つ赤髪にすら気が付かなかったのだから…。

「…で、こ、これはいったいどういう…」

私がまじまじと差し出された一万円札を見ながらそう尋ねると、迷彩の軍服を着て昼間っからビールを飲んでる東欧美人は、ニカリと笑った。

「こいつは、あたしと太久郎からの投資だ、看板娘」

「いやいや、そんなそんな事言っても借りれませんよ、そんな大金!」

「貸す? 融資じゃなくて投資だと言っただろ? あたしが欲しいのは成功報酬だけだ。ようは、『あのアイドルはあたしの1万円が無かったら世に出なかった』と、後々まで自慢できる権利だ! それに…」

「…それに?」

「世界中見渡したって、この国程平和な国は滅多に無い。世の中にはそこら中で鉛と血の雨が降ってるような場所がいっぱいあって、どっかの馬鹿女みたいに鉄砲握って戦闘機飛ばすくらいしか未来が選べなかったヤツだっているんだ。だったらさ、一緒に見て見たいじゃないか、女の子の女の子然とした夢ってやつをさ?」

そう言って彼女はもう一度ニカリと笑うと、残ってたグラスのビールを一気に飲み干した。その言葉を聞いて、私はいつかお爺ちゃんに聞いた話を思い出した。それは私が初めて桜屋で手伝いを始めたばかりの頃で、足げに通ってはいつも鯖味噌の単品とビールばかり飲んでいる軍服姿の赤髪の女性。背も高くて、スタイルも良くて、黙っていたらモデルさんみたいに綺麗なお姉さんなのに、職業がマチュピチュのテストパイロットだというから不思議に思ったんだ。お爺ちゃん曰く、ハイディさんは第三次世界大戦の時の東欧からの難民なのだそうだ。そして、私が一番驚いたのは、当時十歳程度だった彼女が、戦災孤児ではなく、すでに兵士として戦場に出ていて、それを日本軍によって保護された。という事実だった。

 第三次世界大戦。私が生まれた頃にあった大国同士の大きな戦争。殺人ウィルスの蔓延を引き金に起きたこの戦争は、あっけない程に簡単に幕を閉じた。と、社会の授業で習った。それまで数千年の歴史を誇った大陸の大国は、ウィルス蔓延の責任を、海外からの輸入と輸出の規制、そして財産の凍結没収という形で取らされたそうな。そして、大量の人口を抱えてにっちもさっちもいかなくなって、海の向こうの大国に宣戦布告をせざるをえなくなったのだという。これまたお爺ちゃん曰く『いつもの白人さん達のやり口だな。絶対に最初は相手に殴らせるように事を運んでおいて、戦争する大義名分を作るんだ。大東亜戦争の時のようにな』なのだそうだ。

 じゃあ、あっけなく幕を下ろしたこの戦争は被害は少なかったのか? と、いうとそうじゃない。物凄く沢山の人の命と、街が世界から消えた。大陸の大国は、海の向こうの大国に宣戦布告をすると同時に、インド、東南アジア、台湾、沖縄、佐世保、そして当時レッドチーム入りを電撃宣言したはずの半島にまで核爆弾を落とした。ようは、軍事力を持つ国と、海の向こうの大国の駐屯基地のある場所を攻撃したのだそうだ。そして、そのまま戦争は終わった。あっけなく大陸の大国は降伏してしまったんだ。なんて事はない、協力してタッグを組み、世界を二分する戦いをするはずだった東欧の大国が裏切ったんだそうだ。そう、それは大陸の大国が作ったウィルスが、いつの間にか仲間だったはずの東欧の大国までをも蝕んだ結果なんだそうだ。

 結果、ぼっちになってしまった四面楚歌の大陸の大国は地図から消えて、その代わり、インドと東南アジア、そして国土の大半が焼野原になってしまった香港と台湾が国になって、かつて大陸があった場所を分割統治するようになったのだそうだ。それと、土壇場で寝返った東欧の大国は、そのままどさくさに紛れて半島を手に入れた。これが、私が知っている今の世界。…戦勝国となった日本は、大陸の分割統治の権利を放棄したんだそうだ。どうやら第二次世界大戦の頃のしがらみか、戦争によっての国土の拡大を国の誰もが望まなかった結果なんだって。そしてハイディさんは、最後まで戦闘が続いた東欧からの難民、少年兵だったらしい。

「後で店に行くから、ちゃんと結果、聞かせろよ」

ビールで頬を染めて赤髪のパイロットさんはウインクしてた。私はコクリと頷くと、短く「…ありがとう」とだけ言って、そのくしゃくしゃのお金を受け取ると、幸っちゃんに手を引っ張られるようにして駆け出したんだ。




            (四)

 夕暮れが始まりかけた坂道へと続く長い一本道を、私達が全力で漕ぐ自転車は風になった。と、言うか、必死に漕いでたのは私とケント君だけで、幸っちゃんはなんとも満足げで幸せそうな顔をして、出来たばかりの彼氏の腰にしがみ付いているだけだった。て、言うか、約束の時間ギリギリになったのはこの子のせいだというのに、ホントに呑気なんだから…

『私の中では完全にコーディネートが完成したんだけどねぇ…』

ファーストフード店では自慢気にそう言って、あたかも『イメトレは終了!』とばかりに息巻いてたくせに、結局私達はお店を5軒ハシゴする羽目になっちゃったんだ。

 一軒目のお店で幸っちゃんが選んだのは、いかにもアイドル! っていう感じの、私服というよりも、むしろサマードレス? どうやらさっきの衣装の物色の時点で目をつけていたらしい。彼女的には『概ねこれでOK』だったらしいけど、その後すぐに「まだ時間に余裕もあるし、1軒目で決めちゃっても勿体ないから」という理由だけで、私達は次のお店へと向かう羽目になっちゃったんだ。

 二軒目、三軒目、四軒目と進むにつれて、どんどん幸っちゃんの目がおかしくなっていった。何とというか、ランナーズハイというか、ゾーンに入っちゃったと言うか、もう、私を着せ替え人形にして「あれでもない」「これでもない」「これも着せてみよう」と、楽しんでいるとしか思えない。そして、何十着もの洋服を試着して、結局買ったのは一軒目のサマードレスだったというのだから…。

 試着の間中、私はずっと俯いていた。何と言うか、鏡を見るのが辛かったんだ。と、言ってもこれは別に今日に限った事じゃないんだ、子供の頃からずっとそう。朝、顔を洗う時も、お風呂で頭を洗う時や美容室でもそう。とにかく、鏡に写る自分の顔を見るのが嫌いなんだ…。鏡の中の自分と目を合わせる事が出来ないんだ。たぶん、何度も何度もお着替えをする中で、幸っちゃんもそれに気が付いたんだろう。一軒目のお店でもう一度サマードレスを試着していると、「小桜、ちょっとだけ目を閉じてて」と言って、自分のバッグの中へと手を入れると、私にお化粧をし始めたんだ。

「もういいよ、目をあけてごらん」

その声に恐る恐る顔を上げて目を開けると、私は思わず驚いてしまった。だって、試着室の鏡の前に見た事のない私が立っていたのだから。

「あなた、これでも自分がおとこおんなだって言える?」

私は思わず首を横に振った。

「これでも自分が不細工だって言える?」

また首を振ると、目じりからいくつも涙がこぼれて落ちたから、思わず手で拭おうとしたら慌てた幸っちゃんに「折角の化粧が!!!」って怒られた。怒りながら幸っちゃんも泣いてた。そして、私達は漕ぎ出したんだ。長沼さんが待つあの坂の下へ。

 全力疾走の自転車が風になる。真っ赤なサマードレスがなびいてはためく。通り過ぎるショウウインドウに、車の窓に自分の姿が映る度、思わず横目で追ってしまう。今まで、あれほど鏡を見るのが嫌いだったのが嘘のよう。ついつい反射的に目で追っちゃう。気になっちゃうのだから。こんなにも心が弾んで楽しいのだから。

 夕日の向こうに屋根にアンテナが立っている大きなワンボックスカーが見えた。私は最後の力を振り絞って激坂を立ちこぎ、ラストスパートをかけた。その勢いたるや、二人乗りとはいえ、男の子のケント君をぶっちぎる勢いだ。苦しいけど、楽しい。息が続かないけど、漕ぐ足も力が入らなくなっていたけれど、それでもこの私を長沼さんに見せたくて、もう一度褒めてもらいたくて、私は全力で坂を上った。そして、逆光の中、カメラを構えてこっちを見ているアロハシャツの姿が見えると、私はそのまま倒れ込むように自転車から降りて、フラフラ、右へ左へとよろけながら残りの数十メートルを満身創痍な姿で歩いたんだ。

「お待たせしました、長沼さん!」

本当は大きな声でそう言いたかったけれど、すっかり枯れた喉からは思い通りに音なんて出なかった。ただただ、今にも転びそうになるのを我慢して、サマードレスの裾が汚れないように両方の指先で摘まみ上げて進んだ。ふと足元を見ると、今頃になって、靴を買うお金が無くて、制服の時と同じくたびれたローファーのままだったのを思い出して恥ずかしかったけれど、それでも私はめいっぱいの笑顔を作って夕日の中を歩いたんだ。

「ど、どどどどうしちゃったの、その恰好、小町ちゃん!?」

やっとの思いでたどり着くと、頭の上から驚く声が聞こえた。

――してやったりだ。

私は、背中を丸め、両ひざに手をあてて肩で呼吸をしながらそう思った。後ろからは、やっと追いついたケント君と幸っちゃんの声が聞こえてた。

「私、可愛いですか!?」

無理やり呼吸を整えて背筋を伸ばした私は、サングラスの目をまっすぐ見つめてそう言った。すると長沼さんは、凄く、凄く驚いた顔をして私を眺めて

「…しかし、驚いたもんだ。女の子ってのはたった1日でこんなにも変わってしまうものなのかい?」

「いいえ、1日じゃないですよ、1時間半です!」

「私! マネージャーの私がコーディネートしました! お化粧もです!! どうか、小町をよろしくお願いします!」

「小町ちゃんは凄く良い子です、僕からもよろしくお願いします!」

思いっきり笑顔を作って微笑んだ私の隣で、やっぱり同じように息を切らした幸っちゃんとケント君の声が聞こえた。て、いうか、あなた自転車こいでないじゃない。どうしてそんなに息が切れてるのよ?

 長沼さんは、そんな私達の顔を、ほんの少しだけ困った表情で見てた。私はてっきり今の流だったら、二つ返事で『まかしとけ!』って答えが返って来ると思っていたものだから、このほんの少しだけ空いた間と、その表情に、ものすごく不安な予感がしてしまったんだ。

「…いや、その、僕はてっきり昨日と同じセーラー服で来るものだと思い込んでたもんだから、何と言うか意表を突かれたというか、度胆を抜かれちゃって、はは、ははははは」

「小桜のこのドレス、ダメでしたか!? それなら私のせいです! 悪いのは私です!」

「いやいや、ダメじゃないよ。いい絵も撮れた。サマードレスで自転車を全力立ち漕ぎする美少女。想像してた遥かに上を来られたから驚いてるのさ。…ただ」

「…ただ!?」

「…うーん、、、これはこれで使わせてもらいたいと思うけど、やっぱり昨日のイメージで考えてたから、出来ればセーラー服での絵が撮りたかったなぁ…って」

その言葉を聞いた時、一瞬目の前が真っ暗になったような気がした。なんというか、ほんの少しだけだったとしても、長沼さんを、大人の人を失望させてしまったという事実が、なんだか取り返しのつかないミスをしちゃったような気がしたんだ。ケチがついちゃった、失敗しちゃった。という感情が急に胸の中で爆発的に生まれちゃったんだ。そして、生まれたのはそんな感情ばかりじゃなかった。やっぱり目じりに涙の粒が湧いて来たのが分かった瞬間、私を助けてくれたのはケント君だった。

「あの、明日、明日もう一度、次はちゃんとセーラー服で。ではダメですか!?」

「…うーん」

その声に、長沼さんはお髭の顎を撫でながら少しだけ考えを巡らせていた。そしてしばらく考え込むと、短く一回ため息をついて、やれやれといった顔を作ったんだ。

「仕方ない、分かったよ。ただし…」

「ただし!?」

「いやあ、いくら弱小制作会社と言ってもね、美少女発掘企画だけでそう何日も出張が出来ないんだよね」

「…は、はい、本当に申し訳ないです」

「だからさ、もう一日居る代わりに、手伝ってもらいたい事があるんだ」

「…手伝ってもらいたい事!?」

「そそ。取れ高的にさ、今回いくつか企画を同時進行するつもりで持って来たんだけど、そのうち一つが空ぶってしまってねぇ」

「…はあ?」

「いやあ、せっかく日本の防衛技術の最先端青空市、マチュピチュにまでやって来たからねえ。実は科学者さんのインタビューを撮りたかったんだよ。ほら、『○○大陸』的なヤツ? いや、そうは言っても行き当たりばったりじゃないんだよ。ちゃんと事前に柳川って人とアポを取ってたんだ。でも、来てみたら留守だって言うから困ってたんだよ」

突然、聞き覚えがある名前が出てきて私は思わず驚いた。そして、一昨日、ラボの前で交わした雑談を思い出して、全てに合点がいったんだ。

「あ、柳川さんなら昨日から休暇ですよ。今頃、南の島だと思います」

「かぁー! やっぱりそうか!」

「で、協力してもらいたい事って…」

「ああ、君たち地元の子じゃない? 家族とか知り合いで、科学者の人がいたらこの際もう誰でもいいから紹介…」

それは、凄く困った顔の長沼さんが、私達に向かって手を合わせた時だった。そのお願いの言葉はいくつものブザーの音でかき消されてしまったんだ。私のサマードレスのポケットの中で携帯がうるさいくらいに震えてた。そして、皆のズボンやスカートのポケットの中だけじゃなく、いつもはもうすぐ『帰りましょ』が鳴り響く防災スピーカーからもその音は鳴り響いていたんだ。そして、ドンと突き上げられるように、視界がズレた。



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