第51話 ファントム 前編
『ニュースをお伝えします。またしても連続殺人犯『ファントム』のものと思われる遺体が都内で発見されました。亡くなられたのは御幸文敏さん三十八歳。御幸さんは体を数十か所もナイフで刺された状態で亡くなられており、これまでの『ファントム』事件と同様の手口で殺害されていたことから、警察では同一犯による犯行である可能性が極めて高いと見ているとのことです。なお、もしこれが『ファントム』の犯行であった場合、今回の事件で九件目の犯行と……』
テレビのニュースを聞きながら、私は心の中でこう思っていた。
このままでは、もうすぐ十件目の事件が起きてしまうと。
「や、やめて。お願い。やめてええええ」
ナイフが深く突き刺さる。彼女は短く「うっ」とうめき声をあげてバタリとその場に倒れた。
「また……やってしまった」
私は頭を抱える。殺したくなんてないのに。殺したくなんてなかったのに。
私は倒れている彼女に顔を寄せた。彼女は目を開けたまま既に事切れている。救急車を呼んだとしても、もはや無意味だろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
私は死んでしまった彼女に何度も謝罪する。
それから、部屋に残した指紋など、私に繋がる痕跡を全て消す。
彼女の部屋には大きな鏡があった。そこにも血が飛んでいる。特殊な薬品を使い、血を拭う。
私はこの部屋の鍵を使い、家の外から鍵を掛けた。鍵はポストに入れておく。それから防犯カメラに映らないように外へ出た。深夜のため、誰にも見られてはいない。大通りに出た私は堂々と道を歩く。
『ケッケッケ、上手くいったなおい』
声が聞こえた。でも、周囲には誰もいない・。
「……」
私は自分の耳を押さえる。それでも声は聞こえる。その声は直接、私の頭の中に響いていた。
「クカカカカ、いやぁ、楽しかったなぁ」
私の体の中からニュルリとあるものが出てきた。
それは怪物だった。
その怪物の頭には二本の角が生えていた。口の中にはまるで、鮫のような鋭い歯が何本も並んでいる。尾は先端が三つに分かれており、それぞれ銛のように鋭く尖っている。目の中心は赤く、その周囲は青い。
そいつは私の顔を覗き込み、ニヤアアと嫌な笑みを浮かべた。
「今回の獲物は中々の上物だったな。いやあ、あの悲鳴。最高だったな」
「……」
「ナイフで刺した感触、絶望の表情、どれをとっても一級品だった」
「……」
私は怪物を無視して歩く。だけど、怪物は私に話し掛け続ける。
「なぁ、次はいつにする?なぁ、なぁ」
「───ッ……!」
やめて、もう、やめてよ。
私は視線を下げ、耳を塞ぎながら走った。
だけど、いくら走っても怪物はどこまでも追ってくる。決して逃げることはできない。
この怪物がいる限り、私は人殺しをやめることができない。
怪物が視え出したのは、あることがきっかけだった。
仕事、対人関係、恋人との別れ、様々なストレスに悩まされ、眠れない夜が続いていた私は、睡眠薬が手放せない体になっていた。
ある日、私は衝動的に睡眠薬を大量に摂取し、意識を失った。
幸いなことに、直ぐに病院に運ばれたため、大事に至ることはなかったが、その代わり、私は怪物が視えるようになっていた。
といっても、そんなに頻繁に視える訳ではない。短くても一週間に一度。長ければ、何か月も視ない時もあった。
最初に怪物を視た時はさすがに驚いたが、時間が経つにつれ、段々と慣れていった。怪物たちは、私と目が合っても無視するか逃げていく。特別に恐れる必要などないと思ったからだ。
だけど、その認識は間違っていた。
ちょうど、三年ほど前、私はその怪物に憑かれた。私に憑いた怪物は私の体を操り、人を殺させたのだ。
どんなに抵抗しようとしても、一度その怪物に操られたら抗うすべはない。私はただ、怪物の意のままに人を殺す操り人形となってしまう。
おかげで私はすっかり有名人になってしまった。殺人の証拠を一切残さず、手掛かりすら掴ませない私のことをマスコミは連続殺人犯『ファントム』と名付けた。
操られている間も私の意識は、はっきりしており人を殺す感覚が手に残り続ける。
もう私は誰も殺したくない。でも、どうすればこの怪物から逃れられるのか、分からない。
***
その日、私は裏路地にいた。
しばらくそこにいると、誰かがやってくる気配を感じた。私は慌てて物陰に身を隠す。
やって来たのは二人の若者だった。一人は男。もう一人はとても美しい少女だった。
そのあまりの綺麗な容姿に、私は思わず息を飲んだ。
少女は若い男を肩に担いでいる。若い男は力なく少女にもたれ掛かっていた。明らかに体調が悪そうだ。
「大丈夫伝か?」
「は……い」
少女は若い男を励まし、若い男は辛そうにしているが、笑顔を作る。
(どうしてこんな場所に?)
具合の悪い男を休ませようとしているのだろうか?でも、だったら病院に行くとか、その辺に座らせていればいい。どうしてワザワザこんな裏路地に?
疑問に思っていると若い男が口を開いた。若い男は少女に短く、「お願いします」と言った。
何をお願いするのだろうと思っていると、少女は短く「分かった」と返した。
すると、少女の雰囲気が変わった。心なしか、周囲の温度も下がったように感じる。
私がその光景を観察していると、少女の体の中からそれが出てきた。
それは巨大な『白い大蛇』だった。
少女の体から出てきた『白い大蛇』は、大きく口を開けると、若い男に噛み付いた。
「───ッ!」
思わず叫び声を上げそうになり、慌てて口を両手で押さえる。私は若い男が、少女から出てきた『白い大蛇』に殺されると思った。
でも、そうはならなかった。少女の体から出てきた『白い大蛇』は若い男に噛み付くと、若い男の中からあるものを引きずり出したのだ。
「キイイイイイイ」
凄まじい悲鳴が聞こえた。『白い大蛇』が若い男から引きずり出したもの。それは別の怪物だった。
「───ッッッ!」
またしても叫びだしそうになり、口を押さえる両手の力を強めた。
少女の体から出てきた『白い大蛇』は、若い男から引きずり出した怪物を締め上げると、怪物の頭部に噛み付き、そのまま飲み込み始めた。その光景を私は息を潜めながらじっと見る。
あっという間に『白い大蛇』は若い男から出てきた怪物を丸呑みにしてしまった。
すると、今までぐったりとしていた若い男が、ゆっくりと目を開けた。
「大丈夫か?」
少女は倒れている若い男を心配そうに見つめている。
「は……はい、大丈夫……です」
若い男は立ち上がろうとしたけど、少女はそれを止めた。
「まだ、寝ていた方がいい。今は体力回復に努めるべきだ」
「すみま……せん。華我子……さ……ん」
若い男は、気を失ったようだ。少女は若い男を優しく地面に寝かせた。
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
突然、少女は私がいる方に目を向けた。慌てて全身を物陰に隠すが、もう手遅れだ。
「出てこなければこちらから行く」
少女は立ち上がり、私の方に来ようとする。私は意を決して、物陰から飛び出した。
「まっ、待って!」
飛び出すや否や、私は少女に向かって叫んだ。
「ご、ごめんなさい。の、覗くつもりはなかったの!こ、ここには偶然居ただけで……」
「……」
少女は冷たい目で、私を見る。
「お前、アヤカシが視えているな」
そう言うと、少女は私に一歩近づいた。アヤカシ?怪物のことか?
少女の口調、態度からは敵意を感じる。背筋がゾクリと凍った。
本能が言っている。この少女は───人間ではない。
『殺してしまおうぜ』
「───ッ!」
私に憑いている怪物の声が聞こえた。
『あいつは危険だ。このままじゃ、殺されるぞ。殺される前に殺してしまおう』
私の右手が勝手に動く。右手は私のポケットの中に入り、そこにあるものを取り出そうとする。
ポケットの中には……折り畳み式のナイフが入っていた。
「だ、ダメ!」
私は左手で、ポケットからナイフを取り出そうとする右手を押さえた。そして、少女に向かって叫ぶ。
「こ、このことは誰にも言いません。本当です!」
私は必死に少女に訴えた。少女は、なおもじっと私のことを見ている。
「本当です!誰にも……誰にも言いませんから!」
「……」
沈黙していた少女は私を指差し、こう言った。
「お前からは多くの人間の血の匂いがする」
「……───ッッ!」
私は驚く。なんで?体は念入りに洗っているし、服や靴も新品なのに。
「何故お前はそんなにも血の匂いをまとわせている?」
「そ、それは……」
「答えろ。さもなければ……」
「い、医者です!」
私は咄嗟に答えた。
「私は医者です。だから、血の匂いがするんだと思います!」
言わなければ殺される。そう直感が告げた。だけど少女は首を横に振る。
「瞳孔が収縮し、声もわずかだが上ずった。お前が本当に医者かどうなのかは知らんが、お前自身は自分が血の匂いをまとわせている理由に別の心当たりがあるはずだ」
「───ッ!」
「正直に答えろ。そうでなければ……」
「わ、私は『ファントム』です!」
動揺した私は、自分が『ファントム』であることをうっかり告白してしまった。
「あっ!」と口を押さえるが、もはや遅い。
「ファントム?」
少女が聞いてくる。もう誤魔化すことはできないだろう。私は正直に話す。
「い、今テレビなんかで言われている『ファントム』は私のことです。わ、私はもう何人も殺してしまいました……」
少女は動きを止める。だけど、私に向ける敵意の視線は消えない。
「で、でも私は、本当は誰も殺したくなかったんです!私が人を殺したのは私の中にいる怪物のせいなんです!」
「……」
「私の中にいる怪物が私に言うんです。『人を殺せ』と。それから怪物は私を操って人を殺させます。怪物に操られている間、私は抗うことも、何もできなくなります。ただ怪物に操られるがまま、人を殺してしまうのです!」
「……」
私の言葉を黙って聞いていた少女はゆっくりと口を開いた。
「確かに、お前にはアヤカシが憑いているな」
少女の私に対する敵意が和らいだように感じる。同時に、右手が自由になる。私は折り畳みナイフを放し、右手をポケットから出した。
「……分かった」
少女は淡々と私に言った。
「なら、お前に憑いているアヤカシを喰ってやろう」
「えっ⁉」
少女の思わぬ言葉に私は耳を疑った。私の中にいる怪物を食べる?
「お前が同種である人間を殺す理由が、憑いているアヤカシのせいだと言うのなら、お前に憑いているアヤカシを喰えば、お前は人間を殺すことはなくなる。違うか?」
「そ、そうです。その通りです!」
少女の言葉に私は何度も頷いた。
「ならば、お前に憑いているアヤカシを喰ってやろう。お前がこれからも人間を殺し続けると言うのであれば、いずれこの人にも危害を及ぼす可能性がある。その前に、この場でお前を排除しようと考えていた」
少女は静かに眠っている若い男に一瞬視線を向け、再び私を見る。
「だが、憑いているアヤカシを喰えば、お前が人間を殺さなくなると言うのであれば、今この場でお前を排除する必要はなくなる」
どうする?と、少女は私に問う。
「た、食べてください!」
私は即答した。
「わ、私に憑いた怪物を食べてください!お、お願いです。その男の人の中に居た怪物を食べたのと同じように、私の中にいる怪物も食べてください!お願いです!」
私は少女に頭を下げた。私の中の怪物を食べてくれるというのなら、むしろ、こちらからお願いしたい。目の前にいる少女が人間かどうかなんて、もうどうでもいい。私を助けてくれるんだったら、相手が怪物だろうと悪魔だろうと何だっていい。
少女は首を縦に振る。
「分かった。ならば、今からお前の中にいるアヤカシを喰う」
少女の体の中から先程視た『白い大蛇』が出てきた。『白い大蛇』は大きく口を開け、私に飛び掛かってきた。私は思わず目を閉じる。
「ガアアアアア」
低い悲鳴が聞こえた。私は恐る恐る目を開ける。
目を開けると、私の中にいた怪物が『白い大蛇』に締め付けられていた。
怪物がぐったりと動かなくなる。すると、『白い大蛇』は怪物の頭部に噛み付き、そのまま丸呑みにしてしまった。
「ご馳走様」
少女は短くそう言った。
「お、終わったんですか?」
「ああ、お前の中にいるアヤカシは私が喰った」
あまりのあっけなさに唖然とする。
私を三年も苦しめた怪物は、僅か一分もしない内に私の中から消えた。
私の中にいた怪物を食べた『白い大蛇』は少女の体の中に戻る。
私は体を震わせた。
「あ、ありがとうございます!」
私は少女に頭を下げて礼を言う。これでもう私は人を殺さなくて済む。
「もし……」
少女の冷たい声に私は頭を上げた。
「もし、またお前が人間を殺した場合、私はお前を排除する。いいな?」
私はゴクリと唾を飲みこんだ。
「わ、分かりました。もう絶対に人は殺しません!」
私はきっぱりと言う。あの怪物が居なくなったんだ。もう私は操られて人を殺すことはない。
「では、ここから去れ。私たちのことは誰にも言うなよ?」
「も、もちろんです。ありがとうございました。あ、あの……」
「なんだ?」
「わ、私のこと警察には……」
「私は警察には関わりたくない。この人を警察に関わらせるつもりもない」
少女は眠っている若い男の頭にそっと触れる。
「もし、警察に通報したいのならば、自分でしろ」
少女は無関心にそう言った。
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