第47話 前日譚④
「ねぇ、猿木さん」
「なんだ?」
車の中で、僕は茜さんの話を聞いていて疑問に思ったことを尋ねた。
「猿木さんは、アヤカシの封印を解いたのって誰だと思う?」
僕がそう聞くと、猿木さんは一瞬の沈黙の後に口を開いた。
「お前は?誰だと思うんだ?」
僕は少し躊躇ったが、思い切って自分の考えを言った。
「……茜さん」
僕はあの壺に封じられていたアヤカシを解放したのは、茜さんだと思っている。
「何故だ?」
「猿木さんも気付いていると思うけど……たぶん彼女、暴力を受けていたんだと思う」
「……」
猿木さんは驚いた様子もなく沈黙している。やはり猿木さんも気付いていた。
「茜さんはあの家に住んでいる誰かから……もしかしたら、家族全員から、日常的に暴力を受けていた。茜さんはさっき壺にアヤカシが封印されていたなんて知らなかったって言っていたけど、実は彰浩さんから、あの壺には危険なアヤカシが封印されていることを聞いていたんじゃないかな?それで、暴力に耐えかねた茜さんは、あの壺の封印を解いた」
「あの家の人間達に復讐するため……か?」
「……うん。もしくは身を守るため」
あまりしたくない想像だけど、そう考えると筋が通るように思う。
「だが、壺の封印を解けば、鮫西茜自身も危ないぞ?」
「もう、そんなことを考える余裕もなかったんじゃないかな?それか……」
「自殺するために、封印を解いた……か?」
「……うん」
むしろ、そちらの方が可能性としては高いかもしれない。茜さんのあの性格だと、相手に危害を加えるよりも自殺を選択しそうだ。
猿木さんは「フム」と頷く。
「お前の言う通り、鮫西茜がアヤカシの封印を解いたことも十分考えられる。だが、別の可能性もある」
「別の可能性?」
「あの家に住んでいる人間の中でアヤカシの存在を知っているのは彰浩氏と鮫西茜の二人だけだ。他の人間はアヤカシが視えなかったし、存在そのものを信じていなかった」
「茜さんはそう言っていたね」
「だが、内心では分からない。表向きはアヤカシを信じていなかったが、実はアヤカシに興味を持った人間があの家の中にいたのかもしれない。その人間が彰浩氏から『あの壺にはアヤカシが封じられている』と聞いたのだとしたら、好奇心から封印を解いたとしてもおかしくはない」
「……確かに」
「さらに、アヤカシの存在は信じていなかったが、あの壺そのものに興味を抱き、触っていたところ、偶然蓋が外れ、封印が解けた可能性だってある。また、壺の中に金などの貴重品が隠されていると思った誰かが、中の物を盗むために蓋を開けたのかもしれない」
「う~ん」
考えれば考えるだけ、色々な可能性があるということか。
「まぁ、今はアヤカシを捕獲することが最優先だ。明日はお前にも手伝ってもらうぞ」
「明日は、バイトの予定だったんだけどね……」
「鮫西茜が危険な目に遭っても……」
「分かってるよ。明日のバイトは仮病で休む」
「それでこそ、我が友人だ」
猿木さんはニヤリと笑った。
次の日の朝、家を出ようと準備をしていると、携帯に猿木さんからメッセージが届いた。メッセージには短くこう書かれていた。
「鮫西茜が病院に運ばれた」
***
僕と猿木さんは茜さんが入院しているという病院へ向かった。受付で茜さんがいる病室を聞き、急いで向かう。
「茜さん大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。ご心配おかけしました」
茜さんはベッドから上半身を起こし、ペコリと頭を下げた。
どうやら、本当に大丈夫のようだ。
「一体何があったんですか?」
茜さんは申し訳なさそうに顔を歪ませる。
「ごめんなさい。実は、あの後、また家の中に入ったんです」
「───ッ!どうしてですか?」
「入院している夫から連絡があったんです。枕を持ってきてほしいと」
「枕?」
「病院の枕では眠りにくいので、家の枕を持ってくるようにと言われて……」
「そんなことで……」
「すみませんでした」
茜さんはまた頭を下げる。猿木さんは優しい口調で茜さんに尋ねた。
「それで?家の中で何が?」
「実は、私もよく覚えていないんですが……突然、体の力が抜け、動けなくなったんです」
「動けなくなった?」
「はい……」
茜さんは昨日、何があったのか教えてくれた。
「家に入り、夫の枕を押し入れから出した時です。突然、何かが背中に張り付いた感じがしました。その瞬間、体が動かなくなり、その場に倒れました」
茜さんの体が小刻みに震える。
「意識が朦朧とし、死ぬかと思いました。でもその時、家のインターフォンが鳴ったんです。インターフォンの音が聞こえた瞬間、背中に張り付いたものが離れる気配がしました。私は何とか玄関まで這いずり、ドアを開け、そこにいた郵便屋さんに助けを求めました。郵便屋さんは、直ぐに救急車を呼んでくださり、私は病院に運ばれたんです。気付いたら病院のベッドの上でした」
「体調は?」
「お医者様の話ですと、幸い大事はないそうです。念のためあと数日入院すれば退院して良いだろうと、言ってくださいました」
「そうですか」
茜さんの命に別状はないと聞き、僕は、ほっと胸を撫でおろした。
一方、猿木さんは何かを考えている。
すると、突然病室に男が入ってきた。
「ふん、化け物だのなんだの、まだそんなことを言っているのか、お前は」
男は大股でこちらに歩いて来て、茜さんにそう言った。
「失礼ですが、貴方は?」
猿木さんは丁寧な口調で男に尋ねた。男は面倒くさそうに答える。
「そこの女の旦那だよ」
男の言葉を聞いて、僕は思わず茜さんを見た。茜さんは無言で頷く。
「と、いうことは貴方が鮫西昌さんですね?」
「ああ、そうだよ」
鮫西昌は、背の高い大柄の男だった。髪も髭も伸びきっており、まるで原始人のような見た目をしている。
入院していると聞いたが、茜さんと同じ病院に居たのか。
「ったく。爺さん、親父、おふくろが死んで俺も入院することになって家を守るのはお前しか居ないって言うのに、お前まで入院しやがって、お前がいない間、空き巣にでも入られたらどうするんだ。このノロマが」
「ご、ごめんなさい」
鮫西昌は奥さんである茜さんの容態を心配することもなく、暴言を浴びせ続ける。茜さんは体をガタガタと震わせた。
これは見過ごせない。
「ちょっと、いいですか?」
僕がそう言うと、鮫西昌は「ああっ?」とこちらを睨んだ。
「奥さんが入院したって言うのに、なんなんですか?その言い草」
僕が抗議すると、鮫西昌はハッと鼻で笑った。
「馬鹿か。俺はこいつの夫なんだ。夫の俺がこいつをどう扱おうが、俺の勝手だろうが」
まるで茜さんを自分の所有物のように話す鮫西昌。
頭の中でカチンという音が鳴った。僕は鮫西昌に詰め寄ろうとする。だけど、その前に猿木さんが僕達の間に割って入った。
「まぁ、まぁ落ち着いて」
猿木さんはニコリとほほ笑む。鮫西昌は「チッ」と舌打ちをした。
「こいつから聞いているよ。あんたら、家にいる化け物を退治してくれってこいつに頼まれたんだろう?」
「はい、そうです」
「ハッ」
鮫西昌はジロリと茜さんを睨む。
「こんな得体のしれない人間を呼ぶなんて、お前は何を考えているんだ。何か盗まれたりしたらどうする?ああっ⁉」
鮫西昌の怒号に茜さんはビクッと震える。
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃないんだよ。馬鹿が、ゴミが」
振り続ける怒号。茜さんは目を固く閉じ、必死に耐える。
「───ッ!」
もう一度文句を言おうとした僕を、また猿木さんが止めた。
「申し訳ありません。ご不安な気持ちもあるでしょうが、私達は決して何かを盗んだりといったことはいたしません。どうか信じてはいただけないでしょうか?」
猿木さんは鮫西昌の目をまっすぐ見つめる。
その視線に気圧されたのか、鮫西昌は一歩下がった。
「ケッ、まぁいい。せいぜい頑張ってくれよ。居もしない化け物退治を」
鮫西昌は「ハハハッ」と笑いながら病室を出た。
「夫が失礼なことを……大変申し訳ありません」
茜さんは深く頭を下げる。
「茜さん」
「はい」
「もしかして、ご主人には報酬のことを言っていないのですか?」
猿木さんが問うと、茜さんの表情はさらに曇った。
「……はい、夫には言っていません。絶対に反対されますので」
「大丈夫なんですか?」
心配になった僕は思わず茜さんに尋ねた。
「はい、報酬は必ずお支払いします」
「いえ、そうではなく。報酬のことをご主人が知ったら、何をするか……」
茜さんの夫の鮫西昌は、茜さんのことをまるで奴隷のように見ている。もし、アヤカシ退治に合計百万も払おうとしていることをあの男が知ったら、茜さんに何をするか……。
「大丈夫ですよ。話せばきっとあの人も理解してくれます」
茜さんはニコリと笑ったが、その笑顔はまるで仮面を張り付けているように見えた。
そんな仮面の表情に耐えられず、僕は茜さんに言ってしまった。
「茜さん。貴方はご主人に暴力を受けているのではありませんか?」
茜さんは驚いた表情で僕を見る。
「どうして……」
「最初に貴方が僕達に相談に来た時のことです。猿木さんが貴方に握手を求め、右手を差し出すと、貴方は一瞬、体を強張らせました。日常的に暴力を受けている人間は、自分に向かって延ばされた手に過剰に反応してしまうことがあると聞きます。それに、もう暖かくなるというのに、貴方はいつも長袖を着ていました。あれは体にある痣や傷を隠すためでは?」
茜さんは少しの間沈黙した後、静かに口を開いた。
「……よく見ていらっしゃるんですね。凄いです」
茜さんは自分の腕を押さえる。
「最初は、皆優しかったんです。義父も義母も夫も」
悲痛な声で茜さんは語り始めた。
「でも結婚してしばらくすると、段々皆さんの態度が変わり始めました。最初は『馬鹿』だの『ノロマ』だの言葉で責められて……少し経つと暴力を振るわれるようになりました」
茜さんの目にじわじわと涙が溜まっていく。
「きっと、あの家の人間が欲しかったのは私という人間ではなく、あの家のために働く奴隷が欲しかったんです。私は、あの家族の偽りの優しさにまんまと騙された。バカみたいです」
聞こうかどうか迷ったが、僕は思い切って尋ねた。
「暴力は、彰浩さんからも……ですか?」
「いいえ」
茜さんは首を横に振る。
「彰浩さんだけは私の味方でした。あの人だけは私を責めることも、私に暴力を振るうこともしませんでした。私があの家の誰かから責められたり暴力を受けたりすると、いつも私に優しい言葉を掛けてくれました」
茜さんは目に溜めた涙をぬぐう。
「彰浩さんはいつも私にアヤカシの話を聞かせてくれました。きっと自分と同じアヤカシを感じる人間と会えて嬉しかったんだと思います。まぁ、私はアヤカシのことが怖くて仕方なかったんですが……アヤカシを話す彰浩さんは本当に楽しそうでした」
ニコリと涙を流しながら、茜さんは微笑んだ。それは先程の仮面のような笑顔とは全く違う。
思わず見惚れてしまう程の素敵な笑顔だった。
「私、またあの家で暮らしたいんです。彰浩さんが大切にしていたあの家を……彰浩さんはあの家がとても好きでしたから」
茜さんはさらに涙を流す。僕の目にも自然に涙が溜まってきた。
「……」
そんな僕達を黙って見ていた猿木さんは、そっと茜さんの手を握った。
「ご安心ください。あの家にいる貴方達に危害を加えたアヤカシは必ず捕まえます」
猿木さんの力強い言葉を聞いた茜さんは、猿木さんの手を握り返した。
「よろしくお願いします」
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