第37話 蛇に睨まれた蛙

 名を呼ばれた華我子麻耶は何も言わない。

 代わりに彼女から出ている『白い大蛇』が「シュウウウ」と鳴いた。


 どうして、こいつがここに?

 猿木は混乱した。今まさにこれから捕えに行こうとしていた『白い大蛇』。

 その『白い大蛇』がどうしてこの倉庫にいて、自分が捕まえたアヤカシ達を喰っている?

 必死に考えを巡らせる猿木に対して、華我子麻耶はどこまでも静かだった。透き通ったその目は何を考えているのか分からない。

 不意に、少女の口が動いた。

「邪魔をするな」

「───っ!」

 その言葉は間違いなく『人間の少女』から発せられた。

 だが、その言葉は間違いなく『白い大蛇』が人間の少女に言わせていた。

 猿木は確信した。やはり、『白い大蛇』は憑いている少女の意識を乗っ取っている。

 そこで、猿木は気が付いた。自分の体が震えていることに。

「な、何故……」

 震えながらも猿木は『白い大蛇』に問う。

「ど、どうしてお前がここにいる?」

 人間の少女の口が動き、答えた。

「あの人が教えてくれた」

 猿木は眉根を寄せる。

「……あの人?」

「そう、あの人」

 抑揚のない声が倉庫に響く。

「あの人が教えてくれた。『ここにたくさんアヤカシがいる』と」

 猿木は、細めていた眼を大きく見開いた。

「まさか……!」


「米田優斗。あの人に教えてもらった」

 

「米田が⁉」

 猿木は愕然とした。米田がここにアヤカシがいると教えただと?

 一体、いつから米田と『白い大蛇』は繋がっていた?

「その様子だと……あの人は失敗したようだな」

「何?」

「あの人は私の食事が終わるまで、お前を足止めすると言った。だが、食事が終わる前に、お前は来た。ということは、あの人は足止めに失敗したということだ」

「───ッ!まさか!」

 不思議に思っていた。何故、米田は今回に限り、猿木との待ち合わせ場所をあの喫茶店に選んだのか。

 米田と猿木が何かを話し合う時は基本的に猿木の家で行う。なのに、どうして今回は別の場所で私と会った?

 この倉庫から猿木の自宅でもある『猿木骨董店』までは目と鼻の先だ。歩いて五分も掛からない距離にある。対して、あの喫茶店からここまでは車でもそれなりの時間が掛かる。

(私をあの喫茶店に呼び出したのは、私を足止めするため?喫茶店での会話は全て、こいつがここにいるアヤカシを喰い尽くすまでの時間稼ぎだったのか?)

 猿木の脳裏に米田の言葉が蘇る。

『必ず君に罰を受けさせる』

 アヤカシが全て喰われてしまえば、アヤカシを売った利益を回せなくなり『猿木骨董店』は潰れる。

(『猿木骨董店を潰すこと』それが米田の言う罰なのか?)

 確かに『猿木骨董店』がなくなることは猿木にとってどんな拷問よりも重い罰だ。

「あいつ……!」

 猿木はギシリと歯を食いしばる。まさか『猿木骨董店』を潰すために『白い大蛇』を利用するとは!

(いや待て、冷静になれ。米田のことは、今は後回しだ)

 猿木は沸騰しかけた血を鎮める。そして、冷静に状況を分析する。

 倉庫に保管していたアヤカシは既に半数以上が喰われている。大損だ。これ以上、ここにいるアヤカシをこいつに喰わせるわけにはいかない。

 だが、これは『白い大蛇』を捕えるチャンスでもある。

 猿木は相手に気づかれないようにポケットから小さな瓢箪を取り出した。中に入っているのは先程、米田を動けなくしたアヤカシだ。

 なんとか隙を付いて、このアヤカシで『白い大蛇』が憑いている人間の方にダメージを与えることができれば……。

「もう十分喰っただろ?ここにいるアヤカシをこれ以上喰わないでくれ」

「断る」

 華我子麻耶は短い言葉で猿木の懇願を即座に拒否した。

「あの人は言った。ここにいるアヤカシは全て喰っていいと。だから、ここにいるアヤカシは私が全部喰う」

 華我子麻耶と彼女の中から出ている『白い大蛇』は、猿木から同時に視線を逸らし、再びアヤカシが封じられている壺や小さな瓢箪に目を向けた。瓢箪の一つが割れ、中から『兎のような頭に猫のような体、そして蝙蝠のような翼を持つアヤカシ』が出現した。『白い大蛇』は瓢箪から出てきたそのアヤカシに素早く巻き付き、頭から飲み込み始める。

(今だ!)

 猿木は持っていた瓢箪の栓を開けた。

 中から米田を動けなくしたアヤカシが飛び出す。瓢箪から飛び出したアヤカシは凄まじいスピードで、『白い大蛇』が憑いている少女……華我子麻耶に向かって走っていく。一気に距離を詰め、アヤカシは華我子麻耶に飛び掛かった。

 華我子麻耶に憑いたアヤカシは一気にエネルギーを吸い取り始める。

(良し!)

 あとは『白い大蛇』もこのダメージを受ければ!猿木は邪悪な笑みを浮かべる。

 しかし、猿木が喜んだのもつかの間、予想外のことが起きる。華我子麻耶に憑いたアヤカシが

「なっ……!」

 猿木は驚きの声を上げる。数秒後、猿木は何故華我子麻耶に憑いたアヤカシが弾けたのか理解した。猿木が放ったアヤカシはエネルギーを吸い過ぎたのだ。

(しまった……!)

 華我子麻耶に流れるエネルギーはおそらく『白い大蛇』のエネルギーも加算された状態になっているのだろう。その膨大なエネルギーを吸い過ぎた結果、猿木の放ったアヤカシは弾け飛んでしまったのだ。

「くっ……!」

「邪魔をするなと言ったはずだが?」

 華我子麻耶は猿木の目を見る。すると、猿木は立っていられない程の強烈な眩暈を覚えた。

「ぐううう……」

 猿木はなんとか立ち上がろうとするも、視界がかすみ、立ち上がれない。猿木はまるで華我子麻耶に平伏するかのように、うつ伏せの状態で地面に倒れた。

 猿木が動けなくなると、『白い大蛇』は食事を再開した。次々と壺や瓢箪を割り、中に封印されていたアヤカシを外に解放すると、それらを捕食した。

「や、やめ……やめ……やめろおおおお!」

 猿木は叫ぶが『白い大蛇』は食事を止めようとはしない。動けない猿木はその光景をただ見ているしかない。

 最後に残った瓢箪が割れる。その中から出てきたアヤカシを『白い大蛇』は喰った。

 これで猿木の所持していたアヤカシ達は全て『白い大蛇』の餌食となり全滅した。

「ご馳走様」

 倉庫にいたアヤカシを全て喰い尽くすと『白い大蛇』は華我子麻耶の体の中に戻った。

 華我子麻耶は動けない猿木の横を通り過ぎ、倉庫の出口に向かって歩き出す。

「ま、待て!」

 華我子麻耶の後ろ姿に猿木は叫んだ。

「『猿木康』を覚えているか⁉私の父を!」

 華我子麻耶は歩みを止め、振り返った。

「四年前、私の父には『病気の進行を止めるアヤカシ』が憑いていた。父は病気だったが、そのアヤカシによって病気の進行が止められ、生きながらえていた。だが、お前がそのアヤカシを喰った!」

「……」

「そのせいで父は死んだ!お前が……お前が父に憑いていたアヤカシを喰ったせいで……私は、私は父を!」

 猿木は怨念に満ちた声で叫ぶ。猿木の叫びを聞いた華我子麻耶は───

「……?」

 不思議そうに首を捻った。

「誰だ?その人間は?」

「───ッ!」

 猿木の頭に一気に血が昇った。華我子麻耶───『白い大蛇』は猿木の父親のことなど欠片も覚えていなかった。

『白い大蛇』にとって猿木の父親は、獲物が乗っている皿ぐらいの認識しかなかったのだ。

「殺す!」

 猿木は、殺意にまみれた言葉を何度も華我子麻耶に投げつける。

「殺す。殺してやる!お前だけは……お前だけは!」

 華我子麻耶は無表情のまま口を開く。

「図に乗るな。人間」

「……うっ!」

 華我子麻耶が放った言葉は一瞬にして、猿木の殺意を吹き飛ばした。

「あの人から聞いた。お前とあの人は友人だと。『この娘』の記憶から友人とはとても大切な存在だと理解している。お前に手を出せばあの人は私を嫌うかもしれない。だから、私はお前に手を出すつもりはなかった。だが、お前が私やあの人に何かをしようというのなら───」


 容赦なく、喰うぞ?


「───ッ!」

 『白い大蛇』が人間を直接喰うことはない。もちろんそんなことは猿木だって分かっている。だが猿木の頭の中には、自分が『白い大蛇』に喰われるイメージがはっきりと映し出された。

 猿木はガックリと肩を落とした。華我子麻耶はそのまま踵を返し、倉庫の出口に向かって歩き出す。そして、今度は振り返ることなく倉庫を後にした。

 誰もいなくなった薄暗い倉庫の中、一人残された猿木はまるで魂が抜けたかのような表情で地面に伏せた。

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