第26話 蛇の口裂け②
『そうか、また一人犠牲者が出たか……』
「うん、蝶野さんって人。ほら、『白い大蛇』の動画を送ってくれた───」
『ああ、覚えている』
僕は電話越しに蝶野さんが病院に運ばれたことを猿木さんに話した。
本当はすぐにでも猿木さんの家に行き、話をしたかったが、タイミングが悪いことに、猿木さんはどうしても外せない用事があるとかで、しばらく家を留守にしていた。
『米田。大丈夫か?』
「うん、なんとかね」
本当は、叫び出したい程の怒りが体の中に渦巻いていたけど、必死に抑え込む。
体中に熱傷を負ったということは、意識のある間、蝶野さんは相当苦しんだはずだ。僕が想像できる痛みなんかよりも、遥かに痛くて苦しかったに違いない。
「どうして、蝶野さんだけ他の三人とは違うんだろう?」
根津、伊那後先生、そして灰塚さん。三人とも体中をとても強い力で締め付けられたことによって亡くなっている。だけど、蝶野さんだけ『硫酸を掛けられた』かのような状態で発見された。どうして、彼女だけ他の三人と違うのだろう?
『それは……まだ分からん。詳しく調べてみないとな』
「あとどれくらいで戻ってこれる?」
『一週間もすれば戻れると思うが……そっちは?』
「鯰川さんと華我子さんにはもう会った。後は雀村先生だけ」
『そうか……調べた二人にアヤカシの反応はあったか?』
僕がそのことについて口にしようとした時、家のインターフォンが鳴った。
「ごめん。誰か来たみたい。また連絡する」
『分かった』
猿木さんとの電話を切り、僕は玄関に向かった。
「誰だろう?」
家のドアを開けると、意外な人物がそこにいた。
「雀村先生⁉」
「やぁ、突然済まないね。米田君。少し話があるんだがいいかい?」
雀村先生はニコリと笑顔を作った。
突然の来訪に驚きながらも、僕は雀村先生を部屋に招き入れ、来客用のお茶を出した。
伊那後先生に頂いた高級なお菓子の封も開けた。
「どうぞ」「ありがとう」
僕の出したお茶を雀村先生は一口飲む。そして、灰塚さんのことを話し始めた。
「灰塚君は、君の担当だったね」
「……はい、そうです」
「彼はとても有能な編集者だった。個人的に彼以上の編集者はいないと思う。私も彼にはずいぶん助けられた。今の私がいるのは彼のおかげだ。本当に残念だよ」
雀村先生は懐かしむように上を向いた。
「新しい担当はもう決まったの?」
「いいえ、まだ何も」
「そうかい」
雀村先生は伊那後先生から貰ったお菓子を食べる。
「今日いらっしゃられたのは、灰塚さんの事で?」
「いや、実はね。今日来たのは君に頼みごとがあるからなんだ」
「頼みごとですか?僕に?」
「そうだ」
大御所の先生が、わざわざ僕なんかに何を頼むというのだろう?
「君は……蝶野君と同じ時期にデビューしたのだったね」
「蝶野さんですか?ええ、そうです」
雀村先生の口から蝶野さんの名前が出てくるとは思わなかった。
「蝶野さんとお知り合いなんですか?」
僕が尋ねると、雀村先生は「まぁね」と、どこか話しにくそうに答えた。
「米田君。蝶野君が入院したのは知っているかね?」
「はい。この前、蝶野さんの見舞いに行ったばかりです。会うことはできませんでしたが」
「そうだったのか。なら、話は早い」
雀村先生は笑みを深める。
「実は蝶野君にはある仕事を頼んでいたんだ」
「仕事……ですか?」
「ああ」
雀村先生は深く頷く。
「でも、蝶野君は入院してしまった。聞いたところによると、酷い怪我でいつ退院できるか分からないそうだ。そこで、だ。君に蝶野君の仕事を引き継いで欲しいんだ」
「私に⁉」
雀村先生からの思わぬ提案に驚く。
「一体、どんな仕事なんですか?」
「うん」
出したお茶を一気に飲み干すと、雀村先生は、はっきりと口にした。
「俺の小説を代わりに書いてほしいんだ」
「……は?」
予想もしていなかった頼みに僕は呆然とする。そんな僕を尻目に雀村先生は話し始めた。
「実は、俺はある時期から小説を書いていないんだ」
「えっ⁉」
僕は叫んだ。
「小説を書いていないって。だって雀村先生は毎年、新作を発表されて───まさか!」
雀村先生は自分の頬を掻きながら「そう、そのまさかだよ」と言った。
「俺の小説は蝶野君が書いていたんだ」
僕は、十階建ての建物から地面に叩きつけられたような衝撃を受けた。
「つまり……蝶野さんは雀村先生のゴーストライターだったということですか?」
「そういうことだ」
蝶野さんが雀村先生のゴーストライター。あまりのショックに眩暈を覚える。
「いつからですか?いつから蝶野さんは雀村先生のゴーストライターを?」
「もう七年になるかな」
「七年も前から……」
僕は胸に湧いた疑問をぶつける。
「なんでそんなことを?」
「そうだね。疲れたからかな?」
雀村先生はポツポツと話を始めた。
「俺の書く小説はミステリー小説だ。伏線やトリック、犯人の正体。考えることが山済みだ。若い頃はいくつもトリックを思いつくことができた。でも歳を取った今、それが難しくなってね」
雀村先生はフウと嘆息する。
「最近は科学技術やテクノロジーが急激に進歩している。昔は成立していたトリックも現在では通用しないことも多くなってきた。しかし、それでも書かなければならない。食っていくために。だけど、書けない」
「……」
「そんな時、紹介されたのが蝶野君だよ。実は蝶野君の親と俺は懇意にしていてね。『娘が小説を書いたので是非読んでください』とせがまれた。その時は、適当に読んで褒めてやればいいと思ったのだが、驚いたよ。蝶野君の文才に」
当時、蝶野さんはまだ高校生だったそうだが、雀村先生は蝶野さんの小説に光るものを感じたらしい。
「何よりも、蝶野君が書く小説の文体は俺の小説とよく似ていた。だから……」
「代わりに小説を書くように頼んだ……と?」
雀村先生は、深く頷いた。
「そうだ。そして俺の目に狂いはなかった。彼女は見事に作家雀村茂の小説を書き上げた!」
雀村先生の声は、興奮しているのか段々と大きくなる。
「誰も気付くことはなかったよ。彼女の小説はまさに『俺』の小説だった。そして、それ以降も蝶野君は俺の代わりに小説を書くようになった」
「……蝶野さんが初めて雀村先生の代わりに書いた小説のタイトルは何ですか?」
「『屍の里』だよ」
「───ッ!」
雀村先生の本を僕は全部読んでいる。当然『屍の里』もだ。だけど、全く気が付かなかった。文章といい、ストーリーといい、それはまさしく雀村先生の作品だった。
「じゃあ『屍の里』以降、ずっと?」
「ああそうだ。『屍の里』より後、俺自身が書いた小説は二冊だ。あとは全て彼女が書いた」
雀村先生の小説は大体年に、一冊か二冊のペースで出されている。『屍の里』以降、雀村先生が二冊しか書いていないとすると、十冊以上、雀村先生の代わりに蝶野さんが書いていたということになる。
「だが、蝶野君は入院してしまっていつ退院できるか分からない。いや、もう小説を書くこと自体無理かもしれない」
雀村先生はまっすぐ僕の目を見る。
「だから蝶野君の代わりに米田君に書いてほしいんだ。頼む!」
「……お聞きしてもいいですか?」
「なんだい?」
「どうして、僕なんですか?」
「それはもちろん、君の才能にほれ込んだからだ」
雀村先生は大袈裟に両手を広げた。
「君が書いた小説を読んだよ。いやぁ、面白かった。蝶野君以上の才能を感じたよ!」
雀村先生は媚を売るかのように僕の事を褒める。
「君ならきっと、蝶野君以上の『俺の小説』を書くことができると信じているよ!報酬は当然出す。蝶野君にはいつもこれくらいの額を払って……」
「……ざけるな」
「うん?」
「ふざけるな!」
僕は雀村先生───いや、雀村を怒鳴りつけた。
「自分の代わりに小説を書けだと?あんた、それでも小説家か!」
怒りに任せ、怒鳴る僕を雀村は目を白黒して見ている。
「き、君。誰に対して、そんなことを言っているのか分かっているのか⁉」
「当たり前だろ!目の前にいるあんたにだ!」
「───ッ!」
「いいか、あんたが今までやってきたことは読者を裏切る行為だ。そんなことに協力なんてするわけがないだろう!」
「───くっ!」
「帰れ!二度と来るな!」
僕は大声で叫んだ。雀村はギシリと歯ぎしりをした後「後悔するなよ」と言い残し、部屋を後にした。
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